ミヤガワ日記

ピアノや読書を中心に、日々の気になったことを書いていきます

ピアニスト辻井伸行さんに「全盲の」という形容詞は必要か?

 

今日は自分の拙い演奏技量()を差し置いて、プロピアニストの辻井伸行さんの演奏について批評を書きたいと思います。

最初に断っておきますが、障碍のある方を差別するような意図は全くありません。あくまでも辻井伸行さんのピアニストとしての資質を鑑みながら、特に日本に於ける一般的なピアニストの認知のされ方等について、疑問に思った事を書くつもりです。

 

辻井伸行さんについて以前思っていたこと

 

辻井伸行さんは生まれつき目が見えないいわゆる「全盲」のピアニストです。
しかしながら、ハンディキャップを乗り越え、2009年ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールにて見事1位を獲得したという、凄い経歴の持ち主です。

 

僕も、その時はクライバーン氏に抱きしめられる辻井さんの様子をテレビで拝見していました。ですが、正直なところ、その時の演奏、取り分けラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴いて、オーケストラとピアノが合っていない、と感じました。もちろん、コンクールという、短い時間でオーケストラと合わせる練習をしなくてはいけない状況、加えて全盲である事のハンディキャップを加味すれば、この演奏は大したものだと思います。跳躍するようなパッセージも外さないし、目が見えないにも関わらず、難しい協奏曲をよく弾いた!とは思います。何より、透明感のあるピアノの音が彼の持つ資質の一つに思えました。

しかしながら、「クラシックのプロピアニスト」の演奏としては、僕はあまり評価をしていませんでした(自分が弾けないのに偉そうにすみません…)。

なぜならば、単純にもっと上手いピアニストは沢山いるからです。透明感のある音を出すピアニストも沢山存在します。

それはハンディキャップを加味しない、僕自身の正統な評価でした。

 

ハンデを加味しなくても、辻井伸行さんの演奏は一流である!

 

そんな少し「モヤっとした」感想もありながら、先日、明石家さんまさんの「さんまのまんま」というテレビ番組に出演していたのと、黒柳徹子さんの「徹子の部屋」に出演していたのを見て、「ああ、まだ持ち上げられているのだなぁ」と正直感じました。しかしそんな番組を見たからか、ふと、「今の辻井さんの演奏はどんなものだろう?」と思い、youtubeを漁って聴いてみました。

 

聴いた曲はプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番と、リストのラ・カンパネラ。ウィーンでの演奏会のようです。


僕は驚きました。まず、プロコフィエフのコンチェルト。佐渡裕さんが指揮しているオーケストラと辻井さんのピアノがぴったり息が合っているのです。この曲、超絶技巧を要することと、古典派にはない和音構成、そして何よりリズムがとても難しいと思いますが、それも楽々とこなしているのです。出てくるピアノの音色も清涼感のある、透明な、それでいてあまり楽譜からはそれない、例えばピアニストのゲザ・アンダとか、パワーを抑えて楽譜を密に読み込んだアレクシス・ワイセンベルク、といったような趣きで、全く退屈せずに聴き入ってしまいました。楽譜を尊重し、それでいてとても推進力のある、ワクワクさせる演奏で、気分が高揚しました。

恐らく先ほどの協奏曲のアンコールであろうラ・カンパネラのほうは、協奏曲のいわゆる「強い打鍵」と打って変わって、しっとりとした物悲しい音色で、まさに「鐘がすすり泣く」という表現がぴったりでした。所々でピアノの音色を変えて、時には慟哭のように突き刺さる低音も濁らないし、ペダリングも完璧、跳躍も外さない。

そして何より、僕は感情が揺さぶられました。

 

Youtubeの、質の悪い録画の音源でこの感動ですから、生で聴いていればもっと凄い演奏であったと思います。

(とりわけ、辻井伸行さんのタイプの演奏は生演奏が一番だと思います。
僕の好きなレイフ=オヴェ・アンスネスなども楽譜をあまりいじらない演奏をするタイプのため、CD等だと単調に聴こえる瞬間がありますが、このタイプの演奏家は生演奏がとてつもなく良いです。)

 

僕は辻井さんの演奏をずっと聴いてきたわけではありませんが、間違いありません。クライバーンで優勝して以来、彼はここ数年の間で、「進化」したのです。

 

「自称クラシック通」の偏見と、「背景のドラマに惹かれる人々」の偏見

 

僕が彼を見過ごしていたのは、偏見でした。というのも、僕は辻井伸行さんの演奏は「イロモノ」だと思っていたことを白状しなくてはなりません。本質的な彼の「音楽」に耳を傾けていなかったのです。これは、僕は辻井さんに謝罪をすべき事柄です。

 

自称クラシック通の偏見

自称クラシック通の人、取り分けピアノを齧っている、ピアニストを多く知っている人つまり「ピアノ演奏に詳しい人」は、彼を「イロモノ」として見ているのではないでしょうか?

 

ここで言うイロモノというのは、
「発せられる音楽そのものではなく、その人の人生のドラマティックな部分や、生き様に共感しているファンがいる事」で、

例えば、フジコ・ヘミングさんなんかもイロモノ扱いとされてしまっています。

分かりやすく言えば「アイドル」なんかと同じです(この点で、僕はフジコ・ヘミングさんにもある種の偏見を抱いている事が分かりました。これからは彼女の「音楽」もキチンと聴いてみたいと思います)。

 

しかし、この扱いをされると、日本などではとても人気が出ます。コンサートのチケットも即日完売とか、物凄く高い値段になったりとか。

 

辻井伸行さんの場合も、「全盲という大きなハンディキャップを克服して見事ヴァン・クライバーンで優勝したピアニスト」というドラマティックな背景があります。そして、日本ではとても人気です。

誤解を恐れずに言えば、このイロモノを「自称クラシック通=ピアノ演奏に詳しい人」はあまりよく思っていません。こちらの人々は「音楽そのもの」で評価をしたい、という思いが強いため、

イロモノである事=音楽性は大した事が無い

という偏見を持っているのです。

 

僕自身も以前、埼玉芸術劇場で、イェフィム・ブロンフマンのコンサートに行った時にガラガラの座席を見て、「どうしてこんなに素晴らしいピアニストの演奏が、僅かな席を満たせないのだろう?」と疑問に思いました。世界的に有名なピアニストでさえ、チケットが売れないのです。もちろん、埼玉という不便な(埼玉の人ごめんなさい)土地が影響しているのかもしれませんが。


このような経験もあり、「売れているピアニストは必ずしもよい音楽を奏でるとは限らない」という思考が出来上がりました。そして、ついには論理が飛躍し、

客の入らない、人気のないピアニスト=音楽性がある
イロモノである事=音楽性は大した事が無い
という偏見を持つに至りました。

 

 背景のドラマに惹かれる人々の偏見

こういう人々に対して、「背景のドラマに惹かれる人々」は、誤解を恐れずに言えば、音楽そのものが例え平凡なものだったとしても「この人はこういうドラマを乗り切って弾いているんだ」と感動する事が出来てしまいます。

ある意味日本人的な「お涙頂戴」の感動の仕方というのでしょうか?
こちら側の人々が持つ偏見は、

ドラマティックな人生がある事=素晴らしい演奏をする事

という偏見です。


実は厳密に言えば我々は先入観無しで音楽を聴く事はできない(BGM除く)

自称クラシック通の人々も奏者の「背景」で音楽を判断している

ある事件の記事より引用です。

〜1950年に録音されたリパッティの録音をEMIの名録音技師だったレッグもスイスの大指揮者アンセルメも、そしてあろうことか未亡人ですらリパッティのものだと太鼓判を押していた。ところが1980年代に入って、これはポーランドチェルニー=ステファンスカという人の録音だと判明し、世界中がひっくり返る事態となった。(後日談、悲しいことに当のステファンスカ盤は見向きもされなくなった。) 

[0884]偽物とわからず摑まされる無知の罪と偽物と知ってて売りつける故意の罪|TRAZOM@さるさる横丁

 

上記の事件は、有名ピアニストである、ディヌ・リパッティの演奏とされていたショパンのピアノ協奏曲の音源が、実はハリーナ・チェルニー=ステファンスカというピアニストのものだった、という大変お粗末な事件です。しかも大指揮者のエルネスト・アンセルメでさえ、リパッティのものであると疑わなかったようです。この録音はEMIよりリパッティの演奏として発売されて、10年以上経った後に、偽物と判明したようです。

そして、偽物と判明してからは、見向きもされなくなった、とあります。

 

このことからも分かるように、「自称クラシック通」というのもいいかげんなもので、奏者の音の違いや、演奏の特徴を捉えている、と豪語しておきながら、チラッとレコードのジャケットを見ないと本当は分からない、という事です。

ましてこの事件の場合、レコードのジャケットには「ディヌ・リパッティ」と書かれている訳ですから、「あ〜この音、これぞリパッティの音だ。この弾き方が良いんだよね」なんて蘊蓄を垂れている滑稽な自称クラシック通の姿を想像すると笑ってしまいます。

 

そして、注目すべきは「偽物と判明してからは、見向きもされなくなった」という部分です。

この事例から分かるように、極端な事を言えば、

自称クラシック通の人も「奏者の背景や人生、積み上げてきたキャリア」で、音楽を判断しているのです。

これは、「音楽そのものを聴かず背景のドラマに惹かれる人々」とほぼ変わりはありません。

つまり、BGMとか、ふいに聴く音楽以外の「能動的に聴く音楽」は、先入観を排除することはできません。我々は真に客観的に音楽を聴く事はほぼ不可能なのです。

 

 

ピアニストはキャリアを積む事も含めて、ドラマを作る事も大事である

ところで、有名なピアニストには何故か、イケメンや、美人が多いです。

これはキャリアを築く上で、思っている以上にプラスに働くからです。もちろん、実力も必要ですが、普通の顔とイケメンで実力が同じであったらイケメンが生き残ります(悲しいですね...)。

 

以前、僕が習っていたピアノ教室の先生は、

「某国際コンクールで入賞したイケメンピアニストの演奏会をオペラシティの大ホールで聴いたけれど、そんなに良い演奏ではなかった、でも帰る時にはホールに花束を持った人達が沢山サイン待ちをしていて、おかしいと思った。
この前聴いた○○君の演奏は小ホールでのものだったけれど、あきらかに○○君の演奏の方が上だった、にもかかわらず、小ホールで演奏しなくてはいけないのは、やはりおかしい。○○君が大ホールで演奏すべきなのに...」

と愚痴をこぼしていました。

 

つまりは、奏者にそれなりのキャリア(○○コンクール優勝、高名な先生に師事等)がある事、そして、ドラマティックな物語がある事(イケメンであること含む)が、売れる条件なのです。

クラシックの世界は非常に売れる事が難しいです。凄い実力を持っていても、ドラマがなければ売れません。メディアが取り上げてくれません。そのような人々、埋もれている上手い人々はゴマンといます。

少しでも名前が出ていて、演奏会が開けるピアニストは、このような死屍累々のピアニストのピラミッドの上に位置する実に恵まれた人と言えます。

 

でも、その事は決して悪い事ではないと僕は思います。確かに、実力があるピアニストが埋もれる可能性はありますが、先入観を持たず、真に客観的に音楽を聴くという事は無理な事である以上、自分を売り込む事が出来るキャリアやドラマ性を保持している事は、ピアニストの資質の一つと言えます。

 

例えば、グレン・グールドについて、彼は奇抜な演奏をする事で有名になりましたが、彼の生き様や、奇行等のドラマ性、背景が人気に拍車をかけたのです。グールドは非常に頭も良い人ですから、自分の奇抜性(夏でもコートを着る、低い椅子、演奏中にうなり声をあげる等)をキャリアの最初で隠そうとはしませんでした。そうすると「売れる」という事が分かっていたからです。
そして、そのおかげで、今日僕たちはグールドの演奏をCD等で沢山聴く事ができます。

 

バッハ:ゴールドベルク変奏曲(81年デジタル録音)

 

ピアニスト辻井伸行さんに「全盲の」という形容詞は必要か?

かなり話が脇道に逸れてしまいましたが、辻井伸行さんが「全盲という大きなハンディキャップを克服して見事ヴァン・クライバーンで優勝したピアニスト」という肩書きを持つ事は、非常にドラマティックであり、ピアニストとしての資質足り得ます。

他のコンクールで優勝した日本人ピアニストでも、これほどの人気がある人物はそうそういないと思います。

しかしながら、「全盲の」と形容詞をつけると、いわゆる「自称クラシック通」の人間はイロモノ扱いをしてその音楽を聴かない可能性があります。

「背景のドラマに惹かれる人々」は、背景のドラマに惹かれてその音楽そのものを聴かない可能性があります。

 

僕は自分自身が「自称クラシック通」に属する人間として、意見を述べると、

キャリアの最初では「全盲の」という形容詞は必要であったが、今や全く必要が無い。「ピアニスト辻井伸行さん」でOK!

と思います。真に客観的に音楽を聴く事は無理だ、と先に言いましたが、そういう背景を出来る限り忘れて、音楽そのものに聴き入る努力をして聴いたとしても、彼の音楽はまったくもって素晴らしいものです。少なくとも僕はそう思いました。もちろん、生演奏を聴いた事が無い僕がこんな生意気な事を言うのもアレですが...。生演奏だったらもっともっと素敵な演奏だろう事は容易に想像できます。

 

誤解のないように言っておきますが、僕は差別的な意味で「全盲の」という形容詞を取った方がよいと言っている訳ではありません。

辻井さんが全盲というハンディキャップを負っているという事は、とてもとても大変な、恐らく健常者が理解し得ないような苦労があったと思います。そして、これからも全盲であることに付き合っていかねばなりません。

しかしながら、辻井伸行さんの音楽を正統的に評価するという意味で、もはや「全盲の」というフレーズは必要ないのです。

 

辻井伸行さんの父親も以下のように言われています。

「盲目のピアニスト辻井伸行ではなくピアニスト辻井 伸行と呼ばれるようになってほしい」 

 

 

色々な人の生演奏を聴きに行こう!

自称クラシック通の人は「イロモノ」と言われる人にも目を向けて下さい。そしてその音楽を聴いてみて下さい。その後にファンになるかどうかはおまかせします。ただ、イロモノというだけで偏見を持って聴かず終いは止めましょう。自称クラシック通の人が聴いている演奏家だって、「その演奏家」だから聴いているというだけかもしれないのです。

 

背景やドラマに惹かれる人は、今一度、その音楽そのものを聴いて下さい。そして、他の「ドラマティックなキャリアを持たない演奏家」の演奏も是非聴いてみて下さい。

 

両者とも新しい発見が必ずあるはずです。

 

ここまで書いてきましたが、一番よい聴衆は何も知識を持たない人かも...

ここまで書いてきて、一番良い聴衆というものを考えてみました。色々な意見がありそうですが、私見では、例えばNHKあたりのラジオで偶然流れている音楽に対して奏者の事も何も分からずに、

「これ良い演奏だな!素晴らしい音楽だな。」

と思える瞬間が一番良い聴衆であろうと思います。先に出た「ふいに流れる音楽」、「能動的に聴こうと思っていなかった音楽」ですね。

僕自身も感性を磨いて、このような瞬間を日々増やしていきたいと思っております。

 

 

とてもまとまりのない文章でしたが、おわりにします。辻井さんの生演奏は是非聴きに行きたいと思っております。

 

読んで頂きありがとうございました。

 

  ↑最新のアルバムとの事です。

 

 

 

大人の男性(成人男性)がピアノ教室を探す事の難しさ

ピアノを弾く人物

 

今回は大人の男性がピアノ教室を探す事の難しさを語りたいと思います。

 

僕は小さい頃にピアノをやっていましたが、大人になってから再びピアノを再開しました。大人になってから今までに2回ほど、ピアノ教室に通って練習をしていました。

引越しや、仕事が忙しくなった関係でピアノ教室を辞めてから5年程になります(その間は独学で適当に家にある電子ピアノをいじっていました)。

しかし、この度マンガ「四月は君の嘘」を読んでから、無性にピアノを習いに行きたくなり(我ながら実に単純です…)、あるピアノ教室に問い合わせをしました。

 

piano6789.hatenablog.com

 

 

 

ピアノ教室(個人レッスン系)に問い合わせる


ピアノ教室に問い合わせてみました。ピアノの先生は女性の方で、毎年ピティナ*1

で優秀賞を取るような生徒を輩出している、ある意味レヴェルの高いピアノ教室です。
その教室のサイトを見ると、成人男性可、との事でしたのでメールをしてみました。

以下、僕がメールした文面


お忙しいところ失礼致します。ミヤガワと申します。
取り急ぎ、男性で社会人ですが、受け入れ可能でしょうか?
当方は、小さい頃にバイエルしか終わりませんでしたが、社会人になってから2回程、ピアノ教室にてピアノを教えてもらった経験があります。
これまでに用いた教材はソナタ集1、2巻から抜粋、ツェルニー30番、40番の一部まで、インヴェンションと言ったところです。以前の教室では好きな曲を弾かせてもらっていました。(ショパンワルツの7番、14番、シューベルト即興曲ブラームスラプソディ等)。この度ピアノを再開したく思っております。よろしくお願い致します。

 


以下、ピアノ講師様からの返信の文面

 

ミヤガワさま
はじめまして、○○です。
お問い合わせありがとうございます。

男性でも身分が証明できれば可能です。
ですが、このところお問い合わせが多く入っており、順番に対応していますが、枠もわずかのため、今はお受けが厳しい状況です。
キャンセル待ちもできますが、空く予定が今のところなく、どのくらいお待たせするかわかりません。
折角、お問い合わせくださったのにご希望に沿えず申し訳ありません。

またよろしくお願いします。

 

 


僕は問い合わせの文面になるべく真摯にピアノを取り組んでいる事をアピールするために、こんな教材をやってきました!と書いたのですが、上記のピアノ講師様からの返答で分かるように、やんわりと断られてしまいました。

いや、実際、すごく有能な先生のようですので、習いたい人が沢山いるのかもしれません。だから上記のような文面の通り、文脈通り理解すれば「習いたい生徒さんが沢山いて、問い合わせを受ける事が出来ない」とそのままに解釈できます。


出来ますが、僕はアマノジャクなので、これはもしかすると、

「女性ピアノ講師による成人男性差別」なのではないか?

とチラッと心の片隅で思ってしまったのです。


というのも、僕は以前2回程大人になってからピアノを習っていたと書きましたが、その2回とも先生を見つけるのに非常に苦労したのです。

 

ピアノの個人教室のサイトには最初から「成人男性不可」と書いてあるところもあれば、そのような事を書いていない教室もあり、書いていない教室ににこちらが意を決して電話をすると、「今は、定員が一杯で募集していません」と電話を切られたことも何度かあります。

 

 

女性ピアノ講師は大人の男性生徒を警戒するのは致し方ない


僕の場合、「定員が一杯で入会できません」と断られた訳ですが、女性ピアノ講師が大人の男性を警戒する事は、致し方ない、というか、現在の世の中では常識のように思っております。


下記はピアノではないですが、最近起こった「バレエ教室での事件」

 

バレエに魅せられた41歳の男は、17歳年下の“師”の指を切断することで恨みを晴らした。東京・渋谷のバレエスタジオで、講師の女性(24)の親指をタガネと金づちで切断したとして、元生徒の男が逮捕された事件。男は自宅に練習スペースを設けるほど熱心にバレエに取り組んでいたが、ささいな行き違いから女性とトラブルになり、スタジオを退会させられていた。「憎しみが離れなかった。刑務所に入っても構わないと思った」。人生を終わらせても構わないほどの思いの源泉は、どこにあったのか。...(続く)

 (産経ニュース 2016.7.9 08:00 の記事より引用)

 

 

 

どうですか。

これは酷い、許しがたい事件でしょう。こういうヤバい男性は世の中に一定数存在する事を考えれば、「女性ピアノ講師による成人男性差別」なんて、自分の身を守るためには致し方ない、もはや常識だと思います。

むしろ、「成人男性歓迎」と掲げている、女性講師のいるピアノ教室の方が無防備で、異常とさえ思えてきます。

 

 


密室で男性と女性が2人きりになる危うさ

 

僕の以前のピアノ教室は2回ともおばちゃん先生でしたので、なんとも思わなかったです。

それどころか、世間話が長くて、早くレッスンしてくださいよ…と思っていたのですが、とりわけ若い女性のピアノ講師が成人男性に教えるのはとても大変だと思います。

 

ピアノ教室は基本的には密室にマンツーマンのレッスンです。時には先生が生徒の指の形がなってない!という事で、指の形を直すために手を触れたりします。

この状況、冷静に考えたら「異常」だと思えませんか?しかもピアノのある部屋というのは基本的には防音を施してある事が多く、何かが起こったら取り返しがつきません。
若い女性のピアノ講師と書きましたが、これは年齢関わらず、女性のピアノ講師ならばどなたでも不安になると思います。

 

このような、ピアノを習いたい、と真面目に思っている成人男性の思いと、女性のピアノ講師の男性に対する不信感というのは相反する埋められない問題です。


今、まさにピアノをやりたい!極めたいと思っている成人男性は「成人男性お断り」という事で出鼻をくじかれる恐れがあるのです。

 

 

 

余談ですが、抑制ができない人間はピアノは上手くなりません

 

ピアノを弾く時に、あるいは習う時に使う脳の部位に前頭葉があります。これは人間が人間らしく生きるために不可欠な部位で、怒りを抑えたり、衝動を抑えたりする部分です。この部位が発達していると、原始的な脳による司令「〜したい」を抑制でき、人間らしく社会に適応できます。
僕は小さい頃にピアノを習っていた時はこの部分が発達していなかったようで、楽譜が読めなかったり、上手く弾けなかったりするとすぐにイライラして、練習を放棄していました。

ピアノを弾くのにはこの「抑制する脳」がとても重要です。

芸術は爆発だ!」ではないのです。

「芸術はバランスだ!」の方が近いかもしれません。

衝動と抑制のバランスですね。

 

 

piano6789.hatenablog.com

 

上記リンク先には半ば冗談で「モテるためにピアノを始めてもよい」と書きましたが、
最終的には上手くなるためには数々の苦行に耐える精神が必要です。

 

もし、成人男性が女性ピアノ講師に習う事になったとしても、当然、成人男性は先生に手を出すなどという馬鹿げた事を考えるのはもってのほかです。

先生と生徒という教える、教えてもらうという師弟の関係性を十分理解して、礼節をわきまえて真摯な態度で接しましょう。

恋愛は他の適切な場所で、健全にして下さい。

 

ピアノの鍵盤


ではあなたが真摯な成人男性だとして、どのようにピアノ教室を選べばよいのか?

 

一つめは大手音楽教室等の「グループレッスン」でピアノを練習する事です。

音楽教室は、個人レッスン系とは違って初心者のために、グループレッスンを開催しているところが多いです。先生がピアノを使用し、他の数名の生徒は電子ピアノ等を用いて、先生のやった通りに合わせる、といったレッスンです。

このレッスンの欠点は、グループの進捗と自分自身の進捗が合わない事で、物足りなく感じたり、あるいは、置いてけぼりをくらったような感覚を覚える事です。

また、個人レッスンと比べて先生一人あたりが同時に受け持つ生徒が複数なので、どうしても密なレッスンはできません。

しかしながら、生徒同士が音楽仲間になって、切磋琢磨できるので、初心者には向いていると思います。

 

二つめは個人レッスンで「男性のピアノ講師」に師事する事です。

成人男性同士でしたら、何も起こりえません(多分…)。

そして、最大のメリットは「男性のピアノ講師は上手い人が多い」という事です。

この訳は、誤解を恐れずにいえば、「男性はお金を稼がなくてはいけない」ためです。

男性のピアノ講師は文字通り「ピアノで食っていけている人」なので、技術が凄いです。人によっては名の通ったピアニストとして活躍している人もいます

(もちろん女性のピアノ講師にもそのような人は沢山いますが…生計の主は旦那さん、という事が多いです)。

とにかく、レッスンでも余計な事を考えなくてよいので、ピアノが上手くなります。
僕の高校時代の男の友人の話になりますが、やはり男性のピアノ講師(兼ピアニスト)に師事していて、彼はとてもピアノが上手かったです。

 

三つめは独学を貫き通すです。

独学で上手くなった人も沢山います。もちろんプロレヴェルは難しいですが、ちゃんとした基礎と、音楽理論、指の独立、身体の使い方等を意識すればある程度のところまでいけます。しかしながらこれを一人でやるのは、とても難しいです。

まずモチベーションが保てません。「これから先生の所に行って、弾かなくちゃ」という駆り立てるようなものがないと動けない人には不向きです。何より、音楽は聴いてもらう事も重要なので、聴いてくれる人が周りに皆無だと、これも厳しいです(聴いてもらうために演奏すると上手になります)。

また、独学だと変な癖がつきやすいです。それはリズムであったり、運指であったり色々ですが、その癖を指摘してくれる人がいないので、「裸の王様」になりやすいです。

 

ちなみにまさに僕がこのパターンでした。先生について習っている時は「自分はヘタクソだ」と客観的に見る事ができたのですが、独学だとどんなに自分の耳を澄ましても「自分はなかなかじゃないか!」と客観的に自分の演奏を見る事ができなくなります。

 

 

と、上記3つを挙げた訳ですが、やはり周りに男性の講師がいなかったり、音楽教室のグループレッスンでは物足りなかったり、独学では自分の演奏を客観視できなかったり...と、問題があります。

 

お薦めなのはピティナで仲介してもらう事

 

やはり、女性講師につくしか方法がない場合、まずは、先ほども出てきたピティナ

ピアノ | ピティナ・ピアノホームページ

で先生を探すのも一つの手です。ピティナに登録する事によって、ある程度の自分自身の「身分を証明」する事になるので、ピティナ会員の先生方も安心して生徒を確保できる、という仕組みです。

ピティナ自体はピアノをやっている人間にとっては有名ですが、一般の、ピアノをやらない人間からするとあまり知られていないと思われるので、「ここを通して応募してきたという事はある程度ピアノを真剣にやりたいのだな」と講師に思われると思います。

 

僕も以前2回ピアノを習った時には最終的にはピティナを通して先生を紹介してもらいました。

 

また、ピティナの場合、学習者の現時点でのレヴェルを考慮して、担当の方が「この先生は高名な先生でレッスン料も高いです」とか、「この先生は中高年の方でも募集しています。初心者でも大丈夫とのことです」等のアドバイスを、個人情報が漏れない程度にしてくれるので、自分に合った先生が見つかる可能性が高いです。

 

 

僕もまたこれからピアノの先生を探す訳ですが、今度はピティナのサイトを利用して探したい、と思いました。

  

 

 

 

こちらの記事もどうぞ。電子ピアノのタッチを比較してきました。比較動画も載せています。

 

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*1:全日本ピアノ指導者協会の略、コンクールを開催している

【読書感想文】マンガ「四月は君の嘘」を読んでこの本が嫌いになった理由(多少ネタバレ)

皆さんこんにちはこんばんは。

今日は僕が読んだコミック版の「四月は君の嘘」(新川直司著 株式会社講談社 月刊少年マガジンコミックス)について感想を書きたいと思います。

 

目次:

  • このマンガを読んだ理由
  • このマンガが嫌いになった理由
    •  1.キラキラ輝いていて、まぶしすぎるから嫌い
    •  2.音楽が頭から離れない、ピアノを弾きたくなるから嫌い
    • 3.電車の中で読めない、会社で仕事が手につかないから嫌い
  • テレビアニメ版も見てみたい
  • 最後に、ここを見ている皆さんに一つだけ嘘をつきました

 

このマンガを読んだ理由

このマンガを読んだ理由は3つです。

  • 僕が単純にクラシック、ピアノを弾くことが好きだから
  • 最近テレビのCMで映画版の宣伝を盛んにしているのを目にしたため
  • Kindleで1巻のみ無料だったため

このような理由で、取り敢えずKindleで1巻のみを無料で購入して読みました。

 四月は君の嘘(1) (講談社コミックス月刊マガジン)

 

 

読み始める前の自分は、あまり期待はしていませんでした。

 

僕の固定概念として、ピアノが出てくる、ピアニストが主人公のマンガというのは、

主人公が「風変わりで型破りで個性的で魅力的」なピアノ演奏を、例えばショパンコンクールの

イーヴォ・ポゴレリチ*1

みたく、最後でコンクールで弾いて聴衆が総立ちになってブラボーの嵐!彼女(彼氏)とも結ばれてハッピー!!

みたいな、貧弱なストーリーのマンガを思い描いていたのですが、

1巻を読み進めるうちに、そのような貧弱なストーリーではないことが分かりました(貧弱なのは僕の想像力でした...)。

 

ここから多少ネタバレがあるので、注意(本作の核心には触れません)

*1:1980年、第10回ショパンコンクールの本選落選、審査員特別賞受賞。これまでのショパン解釈からは到底考えられない彼の演奏は奇抜すぎるとする他審査員に対し、審査員の一人マルタ・アルゲリッチが「彼こそ天才よ」といい、その場から立ち去り抗議。審査員を辞任する騒ぎとなった。

本書「四月は君の嘘」の中にも、6巻第23話 つき動かす の中で、ガラコンサートに来ない宮園かをりに対して、有馬公生が「ヴァイオリニストが来ないなんて非常識!!ミケランジェリかよ!!ポゴレリッチかよ!!」というくだりがある。

続きを読む

現在ピアノ独学の大人(男)が弾いてみたシリーズ第一弾「ドラえも〜ん!(スネ夫が自慢話をするときに流れている曲)」

 

はじめに


皆さん、こんにちはこんばんは。


断っておきますが、僕は他のブログでも少し書きましたが4歳(保育園)から12歳(中学1年生)までピアノを習っていました。
こう書くと「結構習っているよね。そこそこ弾けるんじゃねーの」と思う方もいるかもしれません。


ですが、残念なことに僕は「バイエル」しか終わりませんでした。約9年間やって「バイエル」がやっと終わったのです(その間に発表会の曲や、サブバイエル等の併用曲集はやりましたが…)。


ピアノをやったことのある人からすれば「…なるほど、究極的に残念な才能の持ち主だねw」と分かってもらえると思います。


これはどのようなレヴェルなのかというと、ピアノをやったことのない人、もしくはバイエルを知らない人に説明するには例えて言うと、
「小学校3年のカリキュラムを3回程度落第して小学校4年生になれないwww」
そんな人を想像してもらえればOKです(幸いな事に日本の小学校では落第が無かったので良かったです…)。

 

とにかく、僕には音楽的才能が無い


という事は分かっていただけたでしょうか?

 

そんな僕もピアノ教室を辞めた途端、ピアノがだんだんと好きになってきました。大人になってからは大人のためのピアノ教室に通ったりもしましたが、今現在は独学で、電子ピアノを家で弾いています。

 

そんな僕が、今回取り上げた曲はドラえもんのBGMでかかっている「どらえも〜ん!」という曲です。

 

どらえも〜ん!=スネ夫が自慢話をするときに流れている曲

 

どらえも〜ん!=ネットでは「スネ夫が自慢話をするときに流れている曲」とされています。
この曲はドラえもんのテレビアニメのBGMでよくかかっていた(特にスネ夫が自慢話をするとき)ので、とても耳に残っています。

 

作曲者は菊池俊輔ドラえもんの主題歌である「ドラえもんのうた」の作曲者でもあります。このトボけたメロディが人を少しイラつかせます(笑)。

 

取り敢えず完成した僕の演奏(youtube)(汗)

www.youtube.com


 

自分で弾いていてそのメロディにイラつきましたが、自分の演奏を聴くともっとイラつきました...。
この曲に要した日数は僕は大体3週間位だったと思います(実際は昨年の11月位にスタジオに行って撮りました)。

ピアニストや普通にピアノをやっている人だったら初見で弾けるでしょう…。

 

自分で感じた「コツ」

 

  • 左手の独特なリズムを何度も練習して覚えこませてしまう事です。
  • 楽譜自体は単純な繰り返しの音形なので、暗譜もしやすいと思います。
  • 最初のうちは右手と左手がゴッチャになってしまう感覚を覚えますが、バッハの曲と同様に左手と右手を片手づつ練習していけば良くなってくると思います。
  • 左手の小指の筋力、分離が必要なので、ピッシュナやハノン等で鍛えましょう。ピッシュナは「第2番」を取り出して左手小指と薬指の練習をするとよいでしょう。


(ピッシュナは僕がとても気に入っている指練習本で、過去記事にも書きました。)

 

 

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今後の課題

  • テンポが乱れている(特に繰り返しの後の部分)
  • 9小節目、及び13小節目の音が違っている(正確にはミの音)
  • 左手のリズムが悪い部分がある
  • ミスタッチを減らす
  • 暗譜をする
  • 楽しく演奏する!

 

これらを克服するために、ピッシュナを毎日やろうと思います。

 

使いみち

 

暗譜しておけば、例えば会社の同僚などと飲みに行った時にたまたまそこにピアノがあった場合(そんな都合の良いシチュエーションあまり無いですが…)、颯爽とピアノに向かっておもむろにこの曲を弾けば、

ドラえもんじゃん!オマエドラえもん弾けるのかよ!?のび太のくせに生意気だ!」

とウケること間違いナシです。

 


使用した楽譜

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今回この上記楽譜を使用しましたが、この楽譜の最新版が発売されているようです(下記)。

 

ピアノ・ソロ 明日から使えるピアノ! 激ウケ ネタソング (楽譜)

ピアノ・ソロ 明日から使えるピアノ! 激ウケ ネタソング (楽譜)

 

 


ここにも「どらえも〜ん!」が収録されています。

その他にも「パルシステムの唄(パルシステム生活協同組合連合会)」や、「I am(テレビ朝日報道ステーション」)」等収録されているので、ちょっとネタとして弾きたい時にアリだと思います。

 

終わりに

こんな曲にも愛をもって練習する事が上達の近道だと思いました。

次に練習する曲もyoutubeにアップして、皆さんに共有できれば、と思います。


読んでいただきありがとうございました!

僕のピアノ演奏()がポリーニと同じだった件(苦笑)

Facebookは僕=マウリッツオ・ポリーニと判断した!

動画を投稿できませんでした

 

 

上記の画像は僕が、スタジオに行って録画した「ショパンノクターン27−2(8番)」をFacebookにアップロードしよう、と試みた時のものです。

「動画を投稿できませんでした」とあり、

「この動画に他の人が所有する音楽や音声、動画クリップが含まれているため投稿出来ませんでした。」とあります。そして、

 

僕の演奏=ポリーニと間違えられてる!?

wwwwwwww。

 

確かに、僕の演奏は、ポリーニがこの曲を弾く時のように多少早めのテンポでしたが、それにしても、超一流ピアニストであるポリーニと、ピアノ再開組の一般ピープルの僕のミスだらけの演奏を間違える(あるいは疑う)のは、

ポリーニに失礼

でしょう。

 

(まぁ、僕としては正直ポリーニに間違えられて嬉しかったりするんですがw)

 

 

実はよくある事

このようなことは実はよくあることらしいです。

僕も昔、同じように自身の演奏動画をyoutubeにアップロードを試みたのですが、何度も「著作権の侵害の恐れがあります」と、有名演奏家の所有している音源がとっかえひっかえ出てきて、困った事があります。

同様にiPhoneのSiriに自身の音源を聴かせた時も、「この曲が聞こえました」と、有名演奏家の名前が出てくるのです。

 

クラシック音楽では特に多い

特にクラシック音楽は、楽譜を元に「再現する」という種類の音楽ですので、同じ楽譜を使って、同じ曲を演奏すると、システムはその違いを区別出来ない、という事が多いようです。

 

以前に比べると、例えばyoutubeのこのような機能は改善されていますし、Facebookでも本当にまるまる演奏家のCD音源等を動画でアップロードする事はできません(これはちゃんとはじいてくれます)

 

ちなみに、今回は画像の下部の「使用権限があるがあるかどうかを確認するには?」
というリンクから、簡単に投稿できました。

 

(2017年1月追記: youtubeでも同様に動画をアップロードしたところ、「著作権の侵害の恐れがあります」が表示された。恐らく、著作権侵害をして動画をアップロードする不届き者が多いのであろう。youtubegoogle)は未だに「少しでも似ていたら疑う」というスタンスらしい。その後、「異議申し立て」をして、解除してもらった。)

 

 

 

終わりに...一番悲しかった事は

取り敢えず、動画の投稿ができたのですが、一番悲しかった事、それは、

Facebookの友達からの「いいね!」がひとつもつかなかったこと

でしょう。

 

www.huffingtonpost.jp

 

まぁ、僕の演奏が稚拙だった事、また、友達でクラシックに興味がある人がいない、という事もあるのでしょうが、

上記のリンクのように「僕が友達だと思っていても、相手はそう思っていなかった」んでしょうね。

 

ピアノだけが友達ですwwwww。

 

NHK-FM きらクラ!に森下唯さんとピアニート公爵が出演した感想

しばらく聴いていなかったが、素晴らしい演奏!

 

ピアニート公爵との出会い

僕がピアニート公爵を知ったのは5年程前だろうか?

ニコニコ動画を見ていて、巨人の星ショパンソナタ第三番のフィナーレを合わせた曲を弾いており、

ニコニコ動画なのにプロ級のすごいピアノの巧い人がいる!」

と思ったのがピアニート公爵との最初の出会いであった。

その後に出されたCD

Singularity ?シンギュラリティ(特異点)?/ Duke of Pianeet

もノリで買って、今でもiPhoneの中に入っておりたまに聴いている。

 

このCDがとても良くて、普段クラシックのピアノ曲しか聴かない僕でも楽しめた。

2曲目の
ショパンソナタ第3番フィナーレと『巨人の星』主題歌による交響的融合」
は、元々東大のピアノサークルにいた「近藤さん」という方がふざけて編曲したものであるらしいが、ピアニート公爵が弾いたものを聴くと、パンチが効いていてとても良い。そして、この「巨人の星」と「ショパンソナタ3番四楽章」を融合させるという発想をした「近藤さん」に拍手を送りたい。この2曲の音楽の方向性(躍動感とか、力強さとか)が合っている事がよく分かる。

4曲目の

「アキバポップ・ザ・フューチャー/MOSAIC.WAV ピアノ独奏版」も目の覚めるような技巧と楽しさで素晴らしいし、

5曲目の

ガンバスター幻想曲」は20分もある大曲で、ストーリー性をもったある種のバラード的な音楽の語り口が素晴らしい。

 

ただ、ベートヴェンのピアノソナタ第32番に関しては、ピアニート公爵の演奏は素晴らしいが、多少平坦な気がした。

(この曲に関しては古今東西の名だたるピアニストが名盤を残しているので、どうしても僕の頭の中で比較してしまうのです。)

ただ、ベートーヴェンソナタの最高傑作とも言われるこの曲を、デビューアルバムでカップリングする勇気や、若さに賞賛を送りたい。

 

 

 

こんな感想を持ちながら、僕はiPhoneには楽曲を入れて、たまに聴いてはいたものの、ピアニート公爵のその後の行方を追う事は無かった。

そんな時に、先週の「きらクラ!」エンディングで、「来週のゲストはピアニストの森下唯さんです」と遠藤真理さんが言ったのを聴いて、「え、本当にこの番組にいらっしゃるのか〜」と勝手に驚きながら、「これは絶対聴こう」と思ったのである。

きらクラの番組表

 

「きらクラ!」オンエアではアルカンの「鉄道」が素晴らしかった

そんな、ピアニート公爵こと森下唯さんですが、ピアニート公爵とその生き別れの兄である森下唯さんですが、今回の「きらクラ!」で演奏とお話を聴く事ができた。

「シャルル=ヴァランタン・アルカンという作曲家をもっとメジャーにしたい。」

という森下氏だったが、そのアルカンの「鉄道」の演奏がオンエアされた時に僕は感動した。

僕は今までこの曲の演奏は、なんというか「いっぱいいっぱい」の「ゴツゴツした」ものしか聴いてこなかったのだが、

今回森下唯氏の手による演奏は、「滑らか」で、すこぶる音楽的なのである。

 

この曲は超絶技巧を要する曲として知られているので、ひょっとすると他の演奏家はリキんでしまい、演奏がゴツくなるのであろう。

森下氏の演奏はリキみがあまり無く、非常に音楽的であった。「表現」というものが感じられた。

おそらく、真の「技巧」というのはこういう事を言うのであろう。

 

森下氏は上述した通り、アルカンという作曲家の話題を饒舌に語られていたが、恐らくは「アルカンは彼が愛して止まない作曲家」なのであろう。演奏からもその愛がヒシヒシと伝わってきた。

 

「森下唯さん、ピアニート公爵」はもっと音楽界で注目されても良い存在と再認識

演奏を聴いたふかわりょう氏も、「これ、連弾じゃないですよね??」と森下氏に質問をしていたが、このような難曲を「音楽的に」弾ける森下氏には、もっと注目が集まってもよい、もっと脚光を浴びてもよい、と感じた。

 

 

あと、アルカンのこんなCDが発売されていた!遅ればせながら僕も購入したいと思う。

 

(追記) こちらは2016年10月に発売された!なんと、このブログで話題にしていたアルカンの『鉄道』が収録されている。必聴!

2017年1月15日追記:森下唯さんが福間洸太朗さんと題名のない音楽会に出演されました。その感想をブログに書きました。

 

piano6789.hatenablog.com

 

 

 

 

 

ピアノを弾ける男はモテるのか?自分の音楽体験から検証。

ピアノを弾ける男はモテるのか?

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真面目に音楽をやっている人間にとってゲスな疑問ですが、今回、実体験を元に検証してみました。


ピアノは女がやるもんだ!と信じていた幼少時代


僕は中学1年までピアノを習い続けました。これはもう、嫌で仕方がなかった。何故か?

  1. そもそもバイエルという曲自体が面白くない。流行のアニメの主題歌とか弾きたかった
  2. 根本的に音楽的感性がなかった。そもそも小さい頃から中学1年まででバイエルとサブバイエル、その他の教材を並行してやっていたものの、バイエルが8年くらいかかってやっと終わるという驚異的に遅い進度は、脳に障害でもあるのか?と今考えると疑うレベル
  3. まわりでピアノを習っているのは圧倒的に女子が多く、ピアノ発表会とかで肩身が狭い

 

1、2に関してはまた今度書くとして、3に関して、僕は「ピアノを男がやる」という事が、とても恥ずかしい事に思えていた。

 

忘れもしない保育園の頃、僕がピアノをやっていると知ったガキ大将は、
「ミヤガワのおかま〜」
といって僕をバカにした。昭和の時代の、かつ周りは山しかない山村であるから、こういう事でバカにされる事は日常茶飯事であった。加えて僕はあまり運動神経もよろしくなく内向的な少年であったので、そのような心ない言葉にもヘラヘラと笑ってすませるか、泣くしかなかった。そんな僕をみて本当にガキ大将は「おかま」と思ったであろう…。

 

そのうち、自分自身でもピアノに行くのが苦痛になり、母親の自転車の補助席に括り付けられて「ピアノなんて、女のやるもんだ!」という言葉を喚きながらギャーギャー抵抗するも虚しくピアノ教室に連れて行かれる光景を近隣の人は何度となくみる事になる…。

 

ここで、自分の両親について語っておきたい。母親は別に音楽関係とは無縁の仕事をしており、家にもクラシックのカセットテープ(当時)は片手で数える程。母親は一応ピアノが弾けて、家にもヤマハのアップライトピアノがあったが、お世辞にも上手いとは言えないレベル。父親は音楽を聴くという習慣すらないレベル。
母親の「息子が大きくなったら連弾したい」という息子の意見をガン無視した身勝手な想いのために、僕はピアノ教室に通う事を余儀なくされる。

 

 

辞める事を決定付けた「音符カルタ取り大会」


僕は小学校6年になっていた。この頃あたりになると、妙に女子を意識し始め、女子と口をきくのが極端に恥ずかしくなっていた。そんな時にピアノ教室で「音符カルタ取り大会」があった。行ってみると何故か数人いたピアノを習っていた男子が1人もいない。すでに男子はピアノ教室を辞めていたのだ。
まさに黒一点の中、僕はカルタを取るのが、情けなくなった。この場違いな場から速攻で離れたい!と神様に願った。
こうして、中学に入ってから、やっと親を口説き落としてピアノ教室を辞める事にした。ピアノの先生は何故か泣いており、「ここまでやってきたミヤガワ君だったらこれから先何でも弾けるよ」と言われた。そう言いましても先生、僕は金輪際ピアノなんて一切触らないですよ。と心の中で思った。

 

 

ピアノに興味を持つためには、学習しているピアノと乖離しない情報が必要


人間というのは不思議なもので、僕はやめた途端、ピアノに興味が出てきた。
その理由は、

  1. 家にCDプレイヤーがきた!
  2. 中学校の担任がクラシック好きだった
  3. NHKでグレン・グールドの特集を見た

 

上記の3つである。
これで僕はピアノを弾くという事が「男性でも勿論やって良い事」であり、かつ「かっこよい事」であり「面白い事」であるという事を認識したのである。
特に、3つめのグレン・グールドの特集は衝撃的だった。こんなにもピアノで色々な事ができるのか!と感激した。

ピアノに興味を持つためには、やはり情報が必要だった、という事であろう。小さな頃からよい音楽を聴かせたり、よいコンサートに行ったり、男の子の学習者には格好良く名曲を弾く男性ピアニストの映像を見せる等の措置を取れば、ピアノを辞めようと思わないかもしれない。


僕は不幸な事に小さい頃に音楽をあまり聴いた事が無い。山村に生まれ育った事もあるだろうが、有名なピアニストのコンサートに行った事も無ければ、家に音楽が流れていた訳でも無かった。
そんな僕が、グレングールド等の演奏を聴いた時に思った事、それが
これは、あの僕の習っていたピアノなのか?違う何かでは無いか?
という事である。つまり、習っていたピアノのイメージとあまりにも乖離していて、ピアノというのはこういう事もできるのか!と感心したのである。

 

今からピアノを子供に習わせる人には上記のような点に注意して、両親が音楽に興味を持つ事が先だと思う。

 


中学3年の文化祭で合唱の伴奏をしたおかげでモテた!


そんな経緯があり、僕は中学の時は自ら進んでピアノに向かった。流石にバイエルはやらなかったが、自己流でグレン・グールドのマネをしてゴールドベルク変奏曲の一節をデタラメに弾いてみたり、家に何故かベートーヴェンの月光の楽譜があったので、一楽章を暗譜しながら(この頃は暗譜というよりは音を暗記しないと弾けないという状況)弾いてみたりした。これは今まで習いに行っていた頃とは比較にならないくらいに楽しい時間であった。例え聴くに耐えない演奏だったとしてもである。

 

中学3年になって、文化祭で合唱をやる事になった時、2曲あるうちの1曲を僕が伴奏する事になった。僕の中学は小学校と同じ村の中にあり、生徒は僕の村と隣の村の人間しかいないので、僕がピアノを弾く事を半数以上が知っていたので、伴奏者に決まってしまった。
伴奏した曲は「遠い日の歌」というパッヘルベルのカノンを編曲したもの。伴奏をする、と決まった時から、僕は部活が終わって家に帰るなり毎日練習した。とにかく、暗記をする事にした。
(今だから思うのだがよく暗記できたものである、若い頃は記憶力がよいのであろう)
この曲は、今から考えれば大して難しくはないのだが、一点、ハ長調から、イ長調に転調する部分の十六分音符のオクターブで駆け上がっていくところがあり、そこでミスる事が多かった。しかしながら、本番ではミスる事なく音を出す事ができた。


文化祭が終わって数日後、後輩の女子が僕に人づてで手紙を渡してきた。
ミヤガワさんのピアノが素敵でした。とても柔らかい音でした。とても好きです

(確かこんな内容でした…)


僕はドキドキした。その子とは面識は無かったが顔は知っていた。しかしビビりな自分はどうする事も出来ず、これまた人づてで、「あの娘、いいよなぁ」と伝えたのみで、廊下で顔を合わせる度にお互い顔を赤らめ下を向いてしまう始末。その内に僕が卒業となり、この淡い恋のような何かは消滅した。

 

しかしこの他にも今思えば、ピアノを弾いた事によって女子受けが良くなった記憶がある。今まで僕をバカにしていた女子から「カッコいい」と言われたし、女子だけでなく、音楽の先生からも「男子でピアノが出来るのはカッコよいね」と言われたりした。また、余談だが、高校受験の時の内申書も「教養のあるよい生徒」と見られたのか、とても内申点が良かった。先生方からも評判の良い生徒になった。

 

そして驚くべき事に、この頃になると「ピアノ=おかま」の図式は崩壊していて、同級生の男子からも「ピアノ弾けるなんてスゲーな」と言われるようになった。多分この頃から「ピアノを弾ける男=かっこ良い男」という図式が、台頭してくるのであろう。

 

この時に初めてピアノを強制的にでもやらせてくれた両親に感謝する事となる。

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社会人になってからはモテない、がピアノがキッカケで彼女ができた事はある


さて、このような体験をしたので、自分は社会人になってからもピアノ教室に通ったりピアノサークルに入ったりしてピアノを弾いている訳であるが、いまいちモテるとまではいっていない。

  1. ピアノ教室ではどうか・・・ピアノ教室は発表会等の演奏する機会に恵まれるが、僕の行っていたピアノ教室がたまたまそうなのかもしれないが、基本的に生徒は小学生や、中学生、高校生である。つまり、彼ら彼女らから見れば僕はオッさんなので、モテるとかそんな事以上に対象外である。僕も勿論マトモな大人なので、彼らは対象外である。
  2. ピアノサークルではどうか・・・ピアノサークルには必ず僕より上手い男性が複数いる。そんな中で何を武器にモテようというのだろうか?しかも聴いてくれる女性もピアノをやっているので、ちょっとやそっと弾けるだけでは目もくれない(加えてピアノをやっている女性は性格が強い事が多い気が...)。

 


1、2の事例から考察するに、つまりは、
それほど音楽には詳しくはなく、かつ日常生活の中で自然に出会う女性
をターゲットにすればよい訳であるが、僕がピアノを弾いているという事を知っている身近な女性はほとんどいない。
ピアノの醍醐味は、あのデカイ音と繊細なピアニッシモを生で聴いてもらう事にあると思うが、そのような人前で演奏する機会は基本は無い。会社の飲み会は駅前の安い居酒屋になってしまうし、ギターのように肩からグランドピアノを下げて歩けるはずも無いのである。

しかしながら、何年か前に僕がいた職場で、僕のyoutube動画を職場仲間に紹介したら、「芸術や絵が好きです」系の女の子が興味を示して、まずCDの貸し借りから始まって、交際に発展した事がある。

彼女とはクリスティアン・ツィメルマンのショパンプログラムのサントリーコンサートや、レイフ・オヴェ・アンスネスとNHK交響楽団とのラフマニノフのピアノ協奏曲第三番を聴きに行ったりしたが、ついに僕の生の演奏をグランドピアノで聴いてもらうといった機会は得られなかった。

だが、これはピアノがキッカケで彼女ができたといってよいだろう(モテた、という意識は無かったが...)。

 

 

結論:モテると言うよりは、コミュニケーションの取っ掛かりの一つになる


「ピアノやっています」といえば、取り敢えず、話のネタにはなる。女性の感覚として、ピアノをやっている男性はあまり多くなく、希少価値があり、かつ育ちが良さそうな感じがするようだ。つまりはプラスに働く事はあっても、マイナスに働く事はあまりない。

モテるかモテナイかはそのあとの事、フィーリングや、自分の性格や、積極性、イケメン度合い、ゲスな事をいえば年収とか社会的地位とかであろう。

 

そして、経験上、youtubeやSNSに自分の演奏をいやらしくない程度にアップしておいて、さりげなく知人に知らせるという方法で女性に近づく事ができるであろう(多分)。ただしそのあとは前述したように、品定めをされるのだが...。

 

 

最後に、モテるために楽器をやろうと考えるのはOK


モテるために楽器をやろうとしている人間をとやかくいう人達がいる。
「音楽はそんな気持ちで取り組むべきではない」といった事をいう人達がいる。
しかし、考えて欲しいのだが、音楽は異性からの関心を集めるために出来たという説もあるくらい、「モテる」事とは密接な関係がある。

ベートーヴェン然り、ショパン然り、シューマン然り、リスト、ベルリオーズ…皆、女性の事が好きだったのである。モテたかったのである。だからこそとてもよい音楽が生まれたのである(同性が好きなチャイコフスキーとかもいらっしゃいましたが)。


だから、モテようと思って楽器を弾く事はとても自然な事と僕は考える。
というより練習のモチベーションを保つのには一番良い方法なのではないだろうか?

 

皆さんもモテるため(の取っ掛かりをつくるため)にピアノを始めましょう!

 

 

 

こちらの記事もどうぞ。電子ピアノのタッチを比較してきました。動画もあります。

 

piano6789.hatenablog.com

 

 

こちらは現在独学の僕が、弾いたショパンをダメ出しされた記事。動画もあります。

 

piano6789.hatenablog.com

 

 

iPad proのCMのBGMがドビュッシーの弦楽四重奏曲だった件

チェロの楽器画像

 

ドビュッシーラヴェルはカップリングされやすい

 

今日何気なくテレビを見ていたら、iPad proのCMのBGMがドビュッシー弦楽四重奏曲の第二楽章でした。躍動感のある旋律に、弦のピチカートがすごく印象的です。

 

この曲ですね。youtubeからお借りしてきました。

www.youtube.com

 


正直、BGMを最初に聴いたときに僕はラヴェル弦楽四重奏曲と勘違いしていました。

というのもこのドビュッシーラヴェル弦楽四重奏曲は同じCDにカップリングされていることが非常に多いからです。

僕が持っているのは下記の、イザイ弦楽四重奏団のものですが、これもドビュッシーラヴェルのどちらの弦楽四重奏曲も聴けます。素晴らしい音源です。

 

ラヴェル:弦楽四重奏曲

 (ドビュッシー弦楽四重奏曲も収録されています)

 

この2曲は同じ印象派と分類されるだけあって、とてもよく似ています。


ドビュッシーラヴェルの作曲のスタイルもよく似ていると思います。
違いを言えば、ドビュッシーは自由奔放で新しいことに挑戦するタイプ、ラヴェルは古典派等の「型」を取り入れて、かつ美しく仕上げるタイプですが、どちらも素晴らしい作曲家で、僕はとても好きです。

 

ドビュッシーラヴェルの音楽のごく個人的な感想


個人的な意見ですが、この2人の作曲家の音楽を聴いているとちょっと現実から離れることができます。あと、何故か田舎の森の風景とか、小川の流れとか、
直裁的な風景が思い浮かびます。これは本当に人によってそれぞれでしょうが。


僕が田舎の村出身だからなのかもしれません。リストにも印象派を先取りしたような音楽(エステ荘の噴水、ワレンシュタットの湖畔にてとか)がありますが、同じような自然の風景が浮かびます。


でもこのような感覚はベートーヴェンや、バッハの音楽ではあまり感じないのです。不思議なことです。それがどうしてなのか、多分「単純ではない和声とか意表を突いた転調」がそうさせているとは思うのですが、僕の音楽力ではよく分かりません。


あとはこの2人の音楽はやはりオシャレです。フランスという風土がこのような音楽を作っているのかもしれません。
「僕はブルックナーを愛聴しています」という男と、
「僕はラヴェルを愛聴しています」という男でどちらが女受けよいか?と問われれば多分後者の方でしょう(これは冗談ですブルックナーファンの方、ごめんなさい)。

 

そして、僕が常々思っていること、ドビュッシー西洋音楽の在り方を変えた人物の1人ということです。

このような特筆すべき人物は絞りに絞ると、バッハ、ベートーヴェンシェーンベルクドビュッシーとなると思います。もちろん異論はあると思いますが。


ドビュッシーは新しい和声や、自由な形式を用いてそれまでの音楽を変えた人物であり、かつ現代の音楽にも影響を及ぼしている人物と見ることができます。

 

アップルのCMは見ていて面白い


2年くらい前にもアップルはiPadのCMで、フィンランドの指揮者兼作曲家のエサ=ペッカ・ サロネンiPadの作曲アプリ「notion」を使って作曲している様子を流していました(ちなみに僕はそのCMを見てnotionアプリを買いました)。 

この時もサロネンの作った現代音楽ぽいものが流れていました。

 

しかし今回、何故にドビュッシーなんでしょうか?確かにリズミカルで動きのある音型は、iPadの柔軟さ(何でもできる自由さ)をよく表しています。ですがそれ以上に

音楽の概念を変えようとしたドビュッシーの作曲によるもの」ということに意味があると勘繰ってしまいます。


個人的には「新しいモノを作り続ける」というアップルの意志を感じました。

 

 

(廉価版CDがありました。)