近況|某作文コンクールで入選した件、ブログを書いてきた事が役立った?
今回は某作文コンクールで僕の提出した作文が入選した件について「ブログを執筆すること」と絡めて書きたいと思います。
入選した作文コンクール
平成30年「モルタル外壁の家」作文、短歌、川柳を応募しませんか?
↑当該コンクールにて僕の作文が「入選」しました。ありがとうございました!
iCloudのメモ帳を見ると昨年の12/30に草稿が残っていて、その日にネットで提出したました。
このコンクールがある事を知ったのはその12/30から3日ぐらい前の日でした。
年末の忘年会で出された「牡蠣」にあたり一人ウンウン言いながら胃腸炎で寝込んでいるときに、パソコンのブラウザのお気に入りに登録してある「登竜門」という公募サイトを通して知ったのでした。
当該コンクールは学生時代にお世話になった教授も審査員にいるとの事で早速作文を書きました。
応募規定を見ると「モルタル外壁の家が題材になっていればよく、実体験、物語、空想などジャンルは問いません」との事でした。
僕は別に「モルタル」に関して実体験という程のものはしていないし(正確に言うとモルタル外壁の家に住んでいたが、あまり意識したことがなかった)、知り合いに左官業者がいるわけでも無いので、ここは空想を存分に働かせて、「小説風」に攻めてみる事にしました。
コンセプトとしては「モルタル外壁の家」⇔「カーテーンウォールの近代ビル」、「昔」⇔「現代」、「現実」⇔「ヴァーチャル」といったよくある2項対立です。
そこから話を「モルタル外壁の家、昔ながらの家の良さ」という方向に持っていく、というストーリーを考えました。
女性と同棲する、というシチュエーションですが、もちろん僕はそんな経験は無いしw、想像力をかなり働かせて書いてみました。なので他の優秀作品に見られるようなリアリティはありません。
しかしながら雑司が谷界隈で学生時代にバイトをしていたので、あの辺りの風景や、空気感はよく表現できたと自負しています。
こういった公募、賞には気が向いたら応募しているのですが、あまり成果は芳しくありません。2〜3年程前に、はてなブログのコンテストで優勝した以来でしょうか?久しぶりに手応えがあって、素直に嬉しかったです。
ブログを書いてきた事が入選に役立った、反面弊害も
普段からブログ(このブログ以外のサイトの文章も)を書いてきたためか、わりかしスラスラと文章を書く事ができました。ブログを書き続けてきた事で質はともかく「取り敢えず書く」という能力は鍛えられたような気がします(タイピングは激遅ですが)。
その反面、今当選作品を読み返してみると文章が「くどくなっている」事に気がつきました。試しにLINEで弟にリンクを送り読ませたら「狙いすぎててなんか腹立つ!」「どこがよいのか分からない」との事w。
確かに気取っている感じは否めません。こういった部分が優秀賞ではなく「当選」なのだと思います。今更になって「手直ししたい!」と思う部分が散見されました。
ブログを書くことによって身についてしまった癖
僕がブログを始めた3年ほど前、Googleは検索アルゴリズムで「長文」を重視していました。とにかく「長文」にすると検索順位が上がる、との事で、僕もそれに則り、ブログを書くときは「長文」を心がけていました。
そのためか文章がくどくなり同じことを何度も書き足したりしていました。文章の水増しをしていたのですね。この癖は今でも治りません。
また、文章中のキーワードが多いほど、Googleの検索に引っかかりやすいというブログ特有のメリットもあります。
もう一つ、アフィリエイトブログにありがちな「もう一押し」をしてしまう癖があります。重要なことなのでもう一度言いました…的なアレですw。
セールスライティング的には「もうひと押し」は正解なのでしょうが、コンバージョンを狙いすぎるとこういった「くどい文章」になりがちです。
今回の当選文章では「記憶装置としてのモルタル外壁」の説明を主人公の頭の中で長々としている部分が暑苦しい、というか、もっとさらっと巧い言葉で書けなかったものか?と今になって思います。
この部分だけ切り取ると僕がブログで商品の良さを力説している文章と酷似していますw。
これは上に挙げた「ブログを書くことによって身についてしまった癖による弊害」だと感じました。
さらにもう一つ、ブログは書いたら取り敢えず「えい!」と即公開して、後から文章を修正したりできるのですが、それと同じ調子で応募作品もあまり推敲せずに提出したという事も挙げておきます。公募作品は提出前に推敲する事がとてもとても大事ですね。

取り敢えずブログを細々と書き続ける事にします
このようにブログを書いていると良い面と悪い面がある気がします。
本当はブログもマネタイズせずに、自分の好きなことだけを書きたいところですが、維持費も掛かるし、第一それで検索上位を維持できるのは有名人くらいでしょう。
基本的には「ブログは読まれないと意味がない」と僕は思っていますので、検索上位を当然ながら目指します。
公募に応募する際にはその文章がくどくないか?というのを意識的に客観視してみる事にします。ブログっぽい文章になっていないか?も気にする必要がありますね。そして推敲も穴が空くほどやらないとダメですね。
逆にブログを書く際は、現在Googleのアルゴリズムも日に日に進化しているようなので、長文に拘らない事、かつ皆に読まれる、自然と共感を呼ぶような文章を心がけたいです。
あ、あと読者の方から言われて僕も気になっているのですが「ですます調」と「だである調」がブログ全体で統一されていない、というのはちょっと問題があるかな?と思っています。旅行記などは気取って「だである調」で書くことが多いですが、商品レビュー等の記事は「ですます調」になっていたりして、僕という人物像がぼやけてしまっています。このあたりはどちらかに統一した方が良いのかな?と思っています。
以上、個人のどうでもよい近況報告でしたが、読んでいただきありがとうございました!
栃木県那須にある塩原温泉の観光をしてきた
2018年12月8日~12月9日に栃木県の那須塩原温泉郷に旅行に行ってきた記録。
目次:
- 栃木県の那須塩原温泉に行った理由
- 東京から新幹線なすのに乗ってまずは那須塩原駅へ
- 那須塩原駅からJR バスで塩原温泉郷へ
- 観光|源三窟や妙雲寺など
- 塩原温泉でオススメのホテル|安く済ませるか、こだわるか?
- 一泊して帰り、那須塩原温泉郷には雪が降っていた
- まとめ|冬は自然に触れ合えるような温泉宿にいくべし
栃木県の那須塩原温泉に行った理由
僕のような根無し草的な生き方をしているものは、休日ともなると昼過ぎまでゴロゴロして、特に冬の寒い季節となれば朝食兼昼食に適当なモノを食べてその後も布団の中でゴロゴロし、さて、ブログでも書くか?それともピアノの練習でもするか?と迷った頃には夜も更けて、「ああ、今日も何も出来なかった、明日こそは早く起きて生産的な行動をしよう!」と思いながら眠りにつく訳であるが、その次の日も同じことを繰り返す、というある種の悪循環パターンに陥っていることが多い。
そんな日常を非日常に手軽に変えてくれるのが、旅行なのである。
実は那須塩原温泉(古町温泉)は、昨年の12月にも一人で行った。なぜ那須塩原温泉なのか?これは、まず東京から近い事が挙げられる。
近いといっても東京駅から新幹線で那須塩原まで(1時間15分くらい)、そこからバスで塩原温泉郷まで(1時間5分くらい)、と、大体2時間20分くらいかかるのであるが、まあ許容範囲であろう。
第2の理由として、この那須塩原温泉郷には「ひなびた温泉郷特有の寂寥感」がある。東京と違いあまり人が歩いていない。あたりは山と、清流と、空、そして若干古ぼけた温泉旅館やホテルがあるくらいである。
第3の理由として、この那須塩原温泉郷は、「あまり知られていない」ということ。
1200年前から温泉が湧いており、泉種も9種類と豊富。しかしながら、草津温泉や、伊香保温泉ほどは有名ではなく、あまり「混んでいる」という印象は無い。まさに「隠れた名湯、秘湯」という言葉が適切ではないか?
実際には尾崎紅葉や、夏目漱石、斎藤茂吉、与謝野晶子などの文豪が訪れている温泉地なのである。
第4の理由として、僕は若い頃にあまり旅行に行かなかった。なので、日本の都道府県の中でも行ったことの無い県が結構ある。そんな折に日本地図を眺めていたら、ふと「この栃木の山の中の辺りは一体どのようになっているのだろうか?」という疑問が湧いてきた。
同じような感想を持った地点としては「紀伊半島の真ん中辺り」が挙げられるが、こちらは東京から遠い。なので、まずは栃木の山奥に行ってみよう、と思ったのである。
以上のような理由で、僕は那須塩原温泉郷に行くことに決めた。
東京から新幹線なすのに乗ってまずは那須塩原駅へ
2018年12月8日、僕は9:16発の東北新幹線「なすの」に乗るために東京駅のホームを徘徊していた。天気は快晴、旅行に出るにはぴったりの日であった。
入線してきたやまびこがなすのに変わり、車両の清掃が終わり新幹線に乗り込む。前もってスマホのSuicaで指定席を取っていたが、乗車率は6割も無かったと思う。年末年始等の混む時は混むだろうが、普段はこんなものなのか?これならば自由席でも良かったかもしれない。
車窓からの景色が街中から郊外、広々とした平野、山、田畑に変わっていくと、愈々旅に来た感が出てくる。

那須塩原駅からJR バスで塩原温泉郷へ
1時間15分で、那須塩原駅に到着する。新幹線を降りるとやはり東京よりは寒い。
那須塩原駅は結構な人で賑わっている。この人たちはこれからどこに行くのだろうか?那須のアウトレットパークか、那須高原辺りかもしれない。或いはハンターマウンテン塩原とかでスキーをするとか。
ちなみに、那須塩原温泉郷は那須の御用邸で有名な那須高原の方角ではなく、それよりも西側の山奥にある。

バスの発車時間まで30分ほどあったので、駅周辺をぶらぶらしてみる。といっても那須塩原駅周辺自体にはこれといって観光するようなものは無い。平野部に駅があり、遠くには山がある、といった感じ。
駅前に停まったバスに乗り込んだのは僕と、年配の方5、6名、若い女の子2人組くらいで、やはり那須塩原温泉郷に行く人は少ないように思う。
年配の人は旅行や温泉目当てではなく、明らかに地元の人という感じでその多くが途中のバス停で降りてしまった。蓋し、車や、ホテルの送迎バスを使う人が多いのでは無いだろうか?或いは、東京からバスのみで行く人も多いだろう。その方が安いからだ。


JRバスは整理券を取って後払いの方式である。終点の塩原温泉バスターミナルまで、1170円である。行きはバスの進行方向に向かって左側に座ることをお勧めする。
これは那須塩原温泉郷は箒川という川沿いにあり、川の右側に道路があるため、渓谷の景色を楽しむには左側の座席に座るのがベストなのだ(ちなみに去年行った時は右側に座ってしまったため山や林しか見えなかった)。
バスは西那須野駅を経由して、栃木県的な民家と街のある平野部をしばらく進み、右側に牧場を見て、その後宿場町の街並みを見てから愈々山を登っていく。
紅葉の季節に来ればさぞかし綺麗だと思うが、12月になると殆ど紅葉は終わり、グレー色の枯れ木が目立つ。トンネルを一つ抜けると箒川の渓谷が左側の車窓から良く見える。その内に温泉街の雰囲気になってくる。那須塩原温泉郷は、古くから塩原十一湯(じゅういちとう)と呼ばれている。
箒川下流の東から上流の西へ、大網(おおあみ)・福渡(ふくわた)・塩釜(しおがま)・塩の湯(しおのゆ)・畑下(はたおり)・門前(もんぜん)・ 古町(ふるまち)・中塩原(なかしおばら)・上塩原(かみしおばら)・新湯(あらゆ)・元湯(もとゆ)という湯本が点在し、 約150の源泉から湯が湧き出している。その一つひとつが小さな温泉街を形成している。今回行くのは古町温泉、門前温泉の辺りである。

観光|源三窟や妙雲寺など
古町温泉付近の塩原温泉バスターミナルに着くと、辺りは閑散としていた。いかにも一人旅という感が出てきた。道路にも人っ子一人いないし、車の往来もあまり無い。「鄙びた温泉街」という言葉がぴったりである。
お昼の12時位でお腹が空いていたが、まずは観光ということで箒川沿いを上流に歩いて、「源三窟(げんざんくつ)」を目指す。



天気は曇りだが、時折太陽が差し、山を明るくする。箒川沿いは遊歩道が設えられていて、歩いていて気持ちが良い。清流の音と、冷たい風が枯れた葉づえを揺する音、まだ少し残った紅葉の赤色や黄色、採算がとれるかどうかよく分からない静かなマス釣り場、昔は栄えていたであろうツタの絡まった廃墟の旅館、黄ばんだモルタル壁で出来た消防団の倉庫、温泉の排水を流していたであろう赤茶色に錆びたバルブ…。



東京にいると意識することはあまり無いが、こういった静寂の中に身を置くと僕が子供の頃故郷で聴いた山々を巡る冬の風のゴーッという音が微かに聴こえる。寒かったがこれだけでも来て良かったと思える。
源三窟(げんざんくつ)
この洞窟に隠れ住んでいた源有綱は源平最後の合戦壇ノ浦の戦い(1185年)で、源義経とともに戦った義経腹心の家来であったため、 壇ノ浦の戦いの後、源頼朝軍に義経一族として追われ、大和国(奈良県)方面より塩原へ逃げこんできたと伝えられています。
塩原地内をさまよっていたところを地元の城主であった塩原八郎家忠に捕えられましたが義経一族とわかり、 命だけは助けられこの洞窟内で落人の生活に入りました。
再起を計ろうとしましたが、洞窟内に流れる滝水で米をとぎ、そのとぎ汁が洞窟の外へ流れ出たことにより 頼朝軍に発見され、無念の最期を遂げたと伝えられています。
なお、源三窟という名前の由来は、有綱の祖父源三位頼政の源三位をとり、開業時(明治43年) は源三位穴という名前でしたが、その後源三窟と変わっています。
(以上、源三窟公式サイトより引用)

源三窟にたどり着いて、小高い丘を登り、入口付近の受付で高い入館料大人600円を払って中に入ろうとしたら、受付のおばちゃんが「由来の紙芝居やるので、みていきませんか?」と声をかけてくれた。

入口付近の待合室のようなところで、おばちゃんが紙芝居をし僕一人でそれを見る、というシュールな絵面を体験した後、晴れて洞窟に入っていく。紙芝居のあらすじは、ウェブサイトの通り。源義経側の家来が源頼朝軍に追われ洞窟に身を隠していたが、洞窟内の湧き水で米を研ぎ、その白く濁ったとぎ汁によって発見されてしまうといったもの。

洞窟内は約40メートルほどで、一周して地上に出てこれるようになっている。昔はもっと深いところまで洞窟が長く続いていたらしい。由来を聞いた後に入るといっそうひんやりする。
まず目に飛び込んでくるのが湧き水の滝。その脇には武将の人形が米を研いでいる。当時の武将の様子を人形で再現してあるのは蛇足ではないか?とも思ったが、同時に分かりやすいとも思った。かがんで歩かねばならない場所もあり、老人にはオススメできない。

洞窟を抜けると併設されている土産物屋と、武具資料館につながる。武具資料館の鎧や甲冑、日本刀や火縄銃を見学する。洞窟内で発見された鎧冑もあり、解説には「この鎧冑に心霊が写ったとTVで放送された」などと書いてあった。
歴史が好きな人は楽しめると思う。

もみじの湯、自然豊かな山々と箒川
その後、再び箒川沿いの遊歩道を下流方向に歩いていく。先程見たときは結構な人が入っていた食堂は、お昼時を過ぎたためか閑散としている。
この箒川沿いの「創庵(旧名樵庵)」という食堂で、山菜そばをいただく。この食堂、団体向けにつくられているらしく、席数が多い。しかし、一旦昼のピークを過ぎると、僕一人の貸し切り状態になり、外の箒川と山を眺めながらそばをすすった。
食堂のおばちゃんたちが「今年はとても紅葉がきれいだったね」
「今日は晴れると天気予報で言っていたけれど、曇ってきたね、明日は雪がふるかもしれないね」
などと話していた。おばちゃんはその後、「サービス」といい、田吾作まんじゅうを持ってきてくれた。僕はガランとした食堂で唯一人、外の景色を見てお茶を飲みながらそれを食べたが、意外と美味しかった。




お腹も満たされたところで川沿いに下っていくと、右側に「塩原ものがたり館」という無料の足湯が楽しめる公共施設があり、そのあたりに紅の吊橋、対岸に露天風呂である「もみじの湯」がある。
このあたりが塩原温泉(古町温泉)の中心地といっても過言ではない。といってもそもそもの人口密度が低いためあまり人と出会わない。

もみじの湯は紅の吊橋を渡ってすぐのところにあり、山際にある脇の小路を歩いていると正直中が見えてしまう露天風呂。入浴料は協力料として100円となっている。
今のところは週末昼間のみの営業らしい。昔は混浴露天風呂で常時営業だったらしいが、そういうところでは破廉恥なことをする輩がいたらしく、今現在の運営形態になった。
こういうところですっぽんぽんになって自然を感じながら湯に浸かってみたいとも思うが、如何せん難易度が高いので、今回は見送った。先客がいて、というのも理由の一つにある。

その後妙雲寺という平家由来のお寺を少し見てから、今回の宿である門前温泉にある「塩原温泉ホテル」に向かった。

ちなみに妙雲寺は、前回に塩原に来たときに見学した。臨済宗の寺であり、800年の歴史を持つ。
芭蕉や有名歌人の句碑があり、また石仏等も多くある。滝が境内に流れており、入って左側に進むと山道になっており、山の上に墓地がある。平氏の墓地もあった。先程のもみじの湯のあたりへ出る山道もある。
この日も静寂な境内に滝の流れる音だけが聴こえた。人がいなかった。
5月には「ぼたん祭」が行われるとのこと。境内にある2千株の牡丹が一斉に咲き乱れるらしい。

塩原温泉でオススメのホテル|安く済ませるか、こだわるか?
「塩原温泉ホテル」及び「ホテルニュー八汐」のクチコミ的なもの|家族連れで安く済ませたい人にはベスト

去年は今さっきまでいた古町温泉付近にある「ホテルニュー八汐」に泊まったが、今回の門前温泉付近にある「塩原温泉ホテル」も内装や、食事のビュッフェ形式等、ほぼ同じだった。
それもそのはずで、「おおるりグループ」というホテル運営会社がどちらも管理しているためである。宿泊料は6,000~7,000円位。このあたりの宿にしては安い。
おおるりグループは行き詰まった大規模ホテルを買い取り、首都圏から北関東の温泉地などにバスを往復で運営して団体客を大量に呼び込む戦略を取っているとのこと。なので、この近辺の宿よりも低価格で泊まることができる。
東京からここに来るまであまりJRバスを利用している人がいなかったのは、こういうホテル専用のバスを利用して来る人が多いためだと思った。

塩原温泉ホテルもホテルニュー八汐も、ロビーは赤を基調にしたソファが置いてあり、どちらもカラオケや卓球ができる施設が併設さている。
宴会場等も用意されていて、やはり団体客向け、家族向けという感じがする。従業員の接客も丁寧である。

客室は申し分ない。和室で、内装もキレイに設えられている。先程の食堂で頂いた田吾作まんじゅうもサービスでついてくる。田吾作まんじゅう恐るべし。
客室内はアメニティグッズも一通り揃っているし、温水洗浄便座もある。また大浴場があるので使わないが客室一つ一つにバスルームもある。
タオルは小さいものを無料で貸してもらえるが、大きいタオルは有料だった。しかしこちらも現在無料になったらしい。
肝心の大浴場であるが、ホテルニュー八汐の場合は、大浴場と露天風呂がつながっていた(2017年の情報)。しかし、今回宿泊した塩原温泉ホテルの場合は、大浴場と露天風呂が別々になっていた。大浴場からつながる露天風呂は改修中らしい。
僕は早速塩原温泉ホテルの3階にある露天風呂の方に入ってみることにした。ちょうど人のいないときだったので、一人で楽しめた。

ある意味外から丸見え感があったが、冷たい冬の風にあたってから露天風呂に浸かると身体がほぐれて芯から温まり非常に気持ちが良かった。眼下には「湯っ歩の里」という大規模な足湯施設が見えた。近くには山が見えて、塩原というのは山に囲まれている、という事がよく分かった。
おおるりグループは風呂に力を入れている、というのはあながち間違いではない、と思った。


さて、おおるりグループの最大の欠点をお話しよう。
それは「食事がしょぼい」ということである。バイキング形式の食事の用意が整うと館内放送で大宴会場に呼び出されるのであるが、その食事の素材がかなりしょぼい。ソーセージとかポテトとかそういった類のものが多い。もちろんお刺身なども出されるのだが、あまりインパクトはない。

ただ、よく酒を飲む人には良いかもしれない。バイキングの時間はお酒飲み放題だからである(夕食のみ)。
宿代1泊2食付き、飲放題付きで一人6,000円程度なので、値段相応というべきだろう。
バイキング会場にも家族連れの姿が目立った。子供はこういった食事でも喜んでいるのを見ると、悪くないのかもしれないな、とも思った。
余談だが、一人旅の人はこのバイキングで「あっ、あいつ一人で来てる!」というようにバレてしまう。ご丁寧に席が決まっており、立て看板若しくはプレートに「一名様」と書かれているのだ(誰もそんなことは気にしていないけれど)。

もっとも、前回行った「ホテルニュー八汐」の時は本当に僕一人だけが「一名様」だったが、今回の「塩原温泉ホテル」では一人で来ているおじさんが3名位いたので、全く気にならなかった。
食事もあまり拘らない、しかし安く温泉に入りたい一人旅の人にもオススメ出来るホテルである。
食事のあと、しばらくしてから今度は「大浴場」に入ってみた。湯気がすごいが、こちらもとても良い湯だった。ちなみに風呂は露天風呂も大浴場も夜中でも好きなときに入ることが出来るので、そういったところも魅力ではある。



カップルなど多少ムードを感じたい人は元泉館や上会津屋、明賀屋
さて、「もっと美味しい旬のもの、地のものが食べたい」とか「ムードのある旅館に泊まりたい」等のわがままを言う人もいるであろう。そういう人はやはり「おおるりグループ」は避けたほうが無難である。
この古町温泉のあたりだと僕もインスタグラムでフォローしている「上会津屋」あたりが適切かと思う。
これは先程僕が通ってきた箒川沿いの「塩原ものがたり館」の隣にあるので、アクセスもロケーションも抜群である(塩原バスターミナルは古町温泉付近にあるのでJRバスを使えば歩いてすぐ)。食事もそれなりのものが頂けそうだ。カップルなどにはもってこいなのではないだろうか?
或いは塩原バスターミナルよりもっと奥の方にある元湯温泉「秘湯の宿 元泉館」等も興味を惹かれる。これぞ秘湯といった感じである。ちょっとアクセスが悪いが、塩原バスターミナルから送迎バスも出ているとのこと(予約要す)。
また、塩原バスターミナルより少し戻る形になるが、塩釜バス停付近にある「明賀屋本館」という宿も雑誌、TV等でかなり有名である。川沿いに露天風呂が設えられており、ムードが抜群、食事も美味しそうである。僕も次回はここに泊まってみたい。
まだまだ良いホテル、良い温泉がありそうだが、このあたりに留めたい。
一泊して帰り、那須塩原温泉郷には雪が降っていた
朝一でまた大浴場の温泉に入り、バイキングでご飯を食べてからチェックアウトして付近を散策した。この日は昨日の食堂のおばちゃんが言っていた通り、微かに雪がチラついていた。
この温泉街には「トテ焼き」というB級グルメがある。その昔明治中期にトテ馬車という馬車が往来していた。そのトテ馬車に使われていたラッパ型のクラクションを模したクレープのような食べ物らしい。お土産物屋で買えるとのこと。

山間部の寒さは半端ないので、塩原バスターミナル併設の「街巡り案内所」の中で暖を取った。

帰りのバスターミナルから乗っていたのは僕を入れてわずか3名ほどだった。また渓谷をみるために今度は向かって右側に座る。チラついていた雪もバスが下山するに連れて無くなっていき、平野部に来たときには晴れていた。
まとめ|冬は自然に触れ合えるような温泉宿にいくべし
今回那須塩原温泉郷に再び行ってみて良かったこと、それは寒い冬には温泉が最高、ということもあるが、東京では味わえない自然に触れ合えたことである。
正直、那須塩原温泉郷にはこれといった「観光施設」は無い。あることにはあるのだが、源三窟もすぐ通り抜けてしまった。
しかしながら、山に囲まれているこの温泉郷には「自然と触れ合える」という貴重な観光資源がある。東京から約2時間半でこのような大自然の空気を吸えるのは素晴らしい。
あと、「鄙びた(ひなびた)」といっても過言ではない温泉街の持つ「佇まい」は一見に値する。

読んでいただきありがとうございました!
【伊勢神宮旅行記】名古屋の大須商店街と伊勢神宮へ行ってきた
陽光が柔らかな10月のある日、僕は伊勢神宮に行く事にした。以前より鉄道系YouTuberのある人の動画を見ていて、旅をしたくなったのと、平成もあと少しだし伊勢神宮を見ておきたかったからだ。
僕は今までの人生で伊勢神宮に行ったことが無い。三重県も行ったことが無い。
よし、行ってみよう!しかし、三連休のなか日の日曜日、東京の薄汚れたアパートでゴロゴロしながらそのようなことを考えていると、別に行かなくてもいいかな?という考えがよぎる。このまま一生ゴロゴロして暮らしたいなぁ、お金が降ってこないかなぁ、宝くじ当たらないかなぁ。
そこで出不精の僕を突き動かしたものは、一週間前に予約した今夜泊まる事になっていた名古屋のホテルについて。取り敢えず、予約だけはあらかじめしておいたのだ。
キャンセルできるかどうか検索すると、キャンセル料は当日全額頂きますとのこと。これは、行かないともったいない。重い腰を上げて起き上がり、ボサボサの髪を適当に整えて、面八句をアパートの柱に懸け置く。
東京駅 行き交う人もまた旅人なり
東京駅に着いたのは14時。三連休のなか日で多くの人で賑わっている。行き交う人もまた旅人なり。
直近の名古屋行きの東海道新幹線のチケットを購入して新幹線に乗り込む。持っていたカメラ、RICOHのGR2で新幹線の写真をバシャバシャ撮る。
RICOH デジタルカメラ GRII APS-CサイズCMOSセンサー ローパスフィルタレス 175840
蓋し、旅の手段の交通機関を目前にすると人はハイテンションになってしまう。最近流行りのエアポートおじさんもこの類いだろう。
エアポートおじさんとは、頼まれてもいないのにSNSで「これからハワイに行ってきます!」などのコメントと共に空港の写真を上げて、自己の承認欲求を満たすおじさんのことであるが、これが若い女性から疎ましく思われているらしい。そのくらい許してあげてよ…。
新幹線に乗り込むとそれほどは混んでいなかった。三列シートの通路側に座って、1時間40分くらいで大都市名古屋に到着した。
名古屋駅は東京と同じく混雑しており活気にあふれていた。時刻は16時少し前というところ。
今から伊勢神宮に行く?ムリ。時間的に余裕がない。明日の朝早くに行く事にしよう。
今日は名古屋見物をしよう。なんとなく名古屋駅の東口を出て、大須商店街の方まで歩いてみる事にした。google mapで検索してみると結構な距離がある。しかし時間は沢山ある。
名古屋の道路は広い。いつ来てもそう思う。そのことが若干都市として間延びした、散漫な印象を受ける。しかしそれが名古屋の特徴であり、東京では味わえない情緒のひとつである。濃尾平野を横断する高速道路の下を通る。トラックやダンプが数多走っている。10月だというのにまだ少し蒸し暑い。

大須商店街 諸国民の土地
大通りを右に入り、少し歩いて左に大須観音があった。やっと着いた。大須観音の境内に歩を進める。周りからは日本語以上に、中国語、韓国語、英語等が聞こえる。大須観音の裏手には大須商店街が広がっている。


取り敢えず本堂へと続く階段を上り、線香の匂いで充満している本堂で大須観音に手を合わせる。何の御利益があるかは知らないが、お金が貯まりますようにとか彼女が出来ますようにとかありきたりなことを祈っておいた。
大須商店街を奥に進んでいく。雑多な、アジアの路地裏的なイメージのするアーケード街だが、道は綺麗で清潔感があるあたりは日本という感じがする。
東京で言ったら浅草の仲見世商店街が近いイメージか?或いは中野、高円寺、阿佐ヶ谷あたりのアーケード街にも近いイメージがある。足して二で割って、東南アジアの路地裏をくわえた感じがする。
外でモノを食べる事が出来るような飲食店が沢山あり、自由さを感じる。こういった部分も外国人観光客が沢山訪れる要素の一つだろう。
街の至る所で腰を下ろして休んでいる若者や、何かを食べながら喋っている異国の人を見かけた。

偶然! 何故か先輩カップルと夕食をご一緒に
僕も道端に腰を下ろして、
「大須観音、大須商店街すごい楽しい!今まで名古屋をdisってしまいすみませんでした!」
こんな言葉とともに大須の風景の写真をSNSで発信すると、すぐさまA先輩からLINEで電話がきた。
A先輩とは過去の記事でも度々登場している旅好きなバイタリティ溢れる先輩である。
「ミヤガワ、お前今、大須観音にいるの?俺今、伊勢神宮行ってきてこれから名古屋に向かっているところ。夕飯一緒に食べようよ」
「えー、マジですか?僕は明日伊勢神宮に行くんですよ!奇遇ですね。夕飯良いですね、名古屋駅あたりで食べましょうか」
こうして、僕は先輩と名古屋駅で夕飯を食べることになった。考えてみれば不思議な偶然である。僕もA先輩も普段は東京に住んでいて、それほど頻繁に会う訳ではない。特に半年前からA先輩は彼女が出来たとのことで、僕と会う機会も減っていた。
ここまで考えてふと思った。「あれ、A先輩は一人で伊勢神宮に行ったのだろうか?さっきの電話では彼女が一緒だ、という感じではなかったが?」
一抹の不安を感じながらもとりあえず、上前津駅で名城線に乗り、栄で下車して、予約してあったホテルにチェックインした。
19時半に名古屋駅に再び舞い戻り、指定された場所に行くと、やはりと言うべきか、A先輩の横に小柄で綺麗な女性がいた。
「俺の嫁です」
「まだ嫁じゃないよー」
じゃれ合う姿を見て僕は、二人の楽しい時間を邪魔してしまうようでA先輩はともかく、A先輩の彼女に申し訳なく思った。事前に知っていればA先輩の巧みな誘いには乗らなかったであろう。
こうして3人で恐らく名古屋電波塔より高いであろう名古屋JRゲートタワーで鉄板焼きを食べることになったのである。
「天」という店で、検索すれば別に名古屋だけではなく東京にもあるのだが、伊勢海老が食べたい、出来れば松阪牛が食べたい、せっかく旅にきたのだから奮発したい、と言った3人の意見が一致してこの店になった。
A先輩と彼女はなんと金曜日の午後に東京を出発して鈍行列車を使って、中央東線でまず松本まで向かい、中央西線で名古屋まで来る、そして伊勢神宮を参拝してきたらしい。こんな経路を考えるのはA先輩しかいない。
「それ、騙されていますよ。新幹線だったら1時間四十分ですよ」
「ですよねー、私騙されていますよね」
「え、でも電車の中でよく寝れたから良かったじゃん」
こんな会話をしているうちにコース料理が運ばれてきた。すかさずA先輩と僕はその料理を写真に収めた。僕はGR2でマクロモードにしてどれだけ接写でボケ感のある写真が撮れるか、挑戦していた。
RICOH デジタルカメラ GRII APS-CサイズCMOSセンサー ローパスフィルタレス 175840
彼女は写真には興味が無いらしく、男二人で料理が運ばれてくるたびに写真を撮っている様子が可笑しかったようだ。
「インスタ女子じゃあるまいし」
肝心の料理はとても美味しかった。雲丹の手巻き寿司は濃厚で、とろけるように甘かったし、アワビは今まで食べてきたアワビの中で一番柔らかかったし、伊勢海老は食べづらいことを除けば歯ごたえがプリッとしていてこれも美味だった。サーロインステーキも柔らかくて、味付けも絶妙であった。もう一万円出せば、松阪牛になるところだったが、そこは3人とも理性が働いた。というか、A先輩と彼女は伊勢神宮のおかげ横丁で松阪牛の牛串をたらふく食べてきたらしかった。




「今日は鈴鹿でF1があってさ、電車もめちゃくちゃ混んでいたよ」
「どうりで、僕も昨日名古屋のホテルを予約しようと思ったんですが、そのせいですかね、どこも高かったのは」
「電車の中の外国人が彼に歌を歌うように要求してきたんです。歌い始めるんじゃないか?と思ってヒヤヒヤしていました」
こんな会話をして時間が過ぎていった。
A先輩と彼女は、明日の朝例によって長野経由で帰るという。
「善光寺寄っていこうよ」
「えー、それまた騙されてない?」
「騙されてますね」
A先輩の構想によると中央西線で松本まで行き、篠ノ井線で長野まで行って、善光寺詣で、それから長野新幹線(北陸新幹線)で東京に帰る、というルートらしい。
しかし、「伊勢神宮参りの後に、善光寺詣でも行う」というのは、江戸時代の人々も行なっていたらしい。
せっかく一生に一度の伊勢神宮に来たから、帰りは中山道で信濃国まで行き、善光寺詣でもしてから江戸に帰ろう、といった人々が江戸時代にも多数存在したらしいのである。
A先輩は何も考えていないように見えてこのように物事の本質を突けるところが素晴らしい。江戸時代の人も東海道を往路にして、そのまま復路も東海道だと、もったいない。そうだ、中山道を通って善光寺に行ってから江戸に戻るとしよう、と考えていたはずで、そういった思考が現代人であるA先輩にも意識せずとも脈々と受け継がれているというのは興味深い(もっとも、A先輩は往路も東海道では無かったが)。
A先輩達との別れ際に先輩が「青空フリーパスを使えばいいよ」と教えてくれたので、JRの切符売り場で青空フリーパスを買った。親切にもA先輩が買い方を教えてくれた。A先輩さまさまである。お二人には是非とも幸せになって欲しい。
青空フリーパスとは、JR東海が発行する切符で、土日祝日のみ使える一日乗車券である。大人2570円で、名古屋周辺のJRの普通電車、快速電車を使用できる。
さて、一人地下鉄に乗って名古屋式の大きな道を渡りホテルに戻り、明日の朝何時に起きようか?早いうちに伊勢神宮に行った方がいいよなぁ、と考えた僕はスマホで時刻表を検索してみた。
すると、近鉄を使えば名古屋発5:26から始発があり、7:07に伊勢市駅に着く、という結果が出た。しかし、青空フリーパスは近鉄では使えないので、JR線を使うルートで検索してみると、始発が「快速みえ51号」で、名古屋発7:43、伊勢市駅到着が9:30との事。
なるほど、この始発時間から察するに一般的にこの地域に住む人は近鉄を利用する人が多いようだ。
伊勢神宮参拝を早い時間から行いたい人は近鉄を利用すると良いだろう。少しでも電車賃を浮かせたい人は青空フリーパスを使ってJRを利用するのも良い。
近鉄を利用するのはまたの機会にして、今回は青空フリーパスで、9:30伊勢市駅到着のルートで行こう。そう考えながら床についた。
快速電車のくせに「みえ」という名前が付いているのは些か大げさな感じがしないでも無いが、取り敢えず快速みえ51号に乗り込み、自由席を確保できた。
この電車、快速という名前の割には、途中駅等での待ち合わせが多い。関西本線の単線区間が影響しているらしい。
そして、青空フリーパスは追加料金が取られることはなかったが、なんでも河原田から津のあいだ、第三セクターの伊勢鉄道という謂わば「近道」を使うためか、510円分の追加料金を車内で徴収されている乗客が目立った。僕の向かいに座っていた外国人の方もジャパンレールパスしか持っておらず、納得いかないという顔をしながら追加料金を払っていた。
さて、いつの間にか三重県に上陸し車窓に目を向けると、大部分が「濃尾平野」という感じだった。あまり山が無い。丘すら無い。僕の故郷は山奥なので、逆に新鮮だ。そしてJRの路線の為だろうか?わざと田舎を走っているのではないか?というくらいに結構な田舎であった。
JRと近鉄で同じ位置に駅がある場合もあるが、基本近鉄の駅の方が海側にあるはずなので、そちらは幾分都会的なビルがあるのかも知れないし無いのかもしれない。
ともあれ、長閑な田園風景や、コンビナート、家々、大小の川、そういったものを電車の刻む一定のリズムで体を揺らしながら見ていると、日常のくだらない事をしばし忘れて、旅情に浸れる。
結構な距離を電車で来た。江戸時代の参拝者は宿場町沿いに歩いていった訳だが、今現在では電車があるものの当時こんなにも長い距離を徒歩で行くというのはいったいどのような気分になっただろうか?とも思った。
名古屋から伊勢までも「長い」と思ったので、これが当時の江戸〜東海道〜尾張〜伊勢というルートだと、気が遠くなるほど歩かなくてはいけない。昔の人の脚力に驚嘆する。
ふとこのまま、毎日独りで気ままに漂泊の旅行がしたいな、もう仕事したくないなぁなどとも思いながらも、いや、旅というものはたまに行くからその非日常性を味わえるのであり、これが日常だったらそれはそれで飽きてしまうものなのかもしれないとも思い直す。
途中の駅に「宮川駅」というものがあり、ミヤガワという名字の発祥地はここなのかな?などと思ってみたりしているうちに宮川の大きな鉄橋を渡り伊勢市駅に着いた。

なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる
伊勢市駅は近鉄もあるため構内が広く、また新しく綺麗な作りだったが、至って平凡だった。というより、僕が想像していたよりも駅前に都会感は無かった。
スタバもマックも無かった。一週間前にホテルを検索したのだが、伊勢市ではあまりヒットしなかったのはこういうことだったのか。確かに伊勢神宮の廻りに大きなビルが林立していたら色々と台無しである。


まずは外宮参りから。幸いにしてこの日は天候もよく、外も気持ちが良かった。伊勢市駅を出て真っ直ぐ伸びる参道を歩いていくと5分程度で外宮に着く。三連休の最終日で10時前だと言うのに人も多かった。もっとも伊勢神宮はいつだって賑わっていることは想像に難くない。
外宮に祀られているのは豊受大神という食物の神さまである。「うけ、うか、みけ、みけつ」という言葉は食べ物を表す言葉で、一説には宇迦之御魂神(お稲荷さん)と同一視されることもあるという。

一歩神域に踏み入れるとまずその森の広大さに驚く。と同時に森林浴の効果なのか、清々しい気分になってくる。樹齢何百年かは分からないが、立派な木々が沢山ある。玉砂利のサクサクと鳴る音も如何にも神社に来た感じがして良い。
まずは御正宮に参拝する。2013年(平成25年)の式年遷宮以来、向かって左側が御正宮となっている。20年おきに式年遷宮が行われるので、2033年からは右側の土地に新たに建てるのだなぁと思う。その頃自分は何をしているだろうか?

考えてみれば凄いことで、式年遷宮にかかる費用は何百億円という話。しかし、これはお金の問題ではなくそうすることにより宮大工の技術が受け継がれたり、地域や、ひいては日本全体が活性化されたり、そしてこのような伝統が連綿と続いていくのは単純に素敵なことだと思う。
参拝を終えて、近くに人だかりができていたので近寄ってみる。そこには三ツ石というものがあって、式年遷宮の時にお祓いをする場所とのこと。その名の通り石が埋まっているのだが、周囲の人が「本当だ、ちょっと暖かいね」と言っていたので、僕も手をかざしてみる。確かに少し暖かい気がする。気分の問題である。

次に亀石というものがあった。三ツ石ほど有名ではなく、池に架かる橋の役目をしているためか皆気づかず踏んづけて行くのである。
僕がそこを歩いている途中、そこに乗った小さな石が上下に数秒だけ振動していた。結構長い間振動していたので、一瞬ドキッとしたが僕はこういった現象に対して理性的に判断するので、歩いている振動につられて小石が振動しているだけだろう、と考え直した。
たとえそこが神社であろうとも、なんでもオカルトに結びつけるのはよくないのである。オカルトというものは暇つぶしのエンターテイメントぐらいでちょうどよい。
別宮の多賀宮を参拝し、外宮をあとにした。

内宮までどうやって行こうか?と思っていた。時間があるならばその土地の雰囲気を味わうためにも徒歩で散策したい、というのが本音ではあったが、次の日は東京で、かつ出勤しなくてはならない。
バス停が目立つところにあったので、バスに乗り込む。スマホに入れてあるSuicaカードが使えた。430円也。
便利な世の中になったものだ。そのうちお賽銭もApplePayで納めるようになるだろう。ブロックチェーンの普及が進めばビットコインやリップル、イーサリアムといった仮想通貨でも納めることが出来るかもしれない。そんな新旧の特徴が入り混じった世界を想像するのは面白い。
ちなみに伊勢神宮ではお賽銭を受け付けない。天皇陛下のみがお供え出来る。しかし皆、白い布にお賽銭を投げ入れていた。僕もそうした。
バスが内宮に着いた。ちょうど鳥居と太陽の位置が重なっていて、見るからに神々しい。

その昔西行法師が「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」と詠んだ伊勢の内宮。
「どのような存在がこの内宮の中にいらっしゃるのか分からないが、その存在がいらっしゃる事自体ありがたく、自然と涙がこぼれる」
こういった歌が「分かる感覚」というのは、日本人の持つ情緒であり、大きな特徴の一つであると思う。
重要なのは西洋人の「論理」か、東洋人の「情緒」か?という問題はさておき、西行法師はロマンティストな旅人、感受性豊かな詩人であったのであろう。こういった人間はいつの時代でも生きるのに苦労しそうである。
内宮に祀られているのは天照大御神。天津神であり、太陽神である。そして天皇陛下の御祖ということになる。


五十鈴川に架かる宇治橋を渡ると、深い原始の森がどこまでも広がっている。植物の発する混じりけのない清新な空気で満ち溢れている。森に囲まれた参道の玉砂利を踏みしめて歩いていると気持ちも引き締まり、この土地を訪れて良かったと思った。
御手洗(みたらし)と呼ばれる、五十鈴川河畔に面した手を清める、禊をする場所がある。透明度の高い清流には魚の姿も見える。上流を見ると川面に太陽が反射してキラキラと輝いて見える。僕も他の参拝者と同じく手を清めてから参道に戻る。


御正宮の階段は30段あまり。
伊勢神宮では基本的に荒祭宮以外はお願い事をしてはいけないということになっている。伊勢神宮は国家の安寧を祈念する場所であり、一般庶民が商売繁盛だの、恋愛成就だのを祈ってはいけないのである。僕も「この日本国が平和でありますように」という祈りにとどめておいた。
それにしても、神宮の建築というのはミニマリズムな潔さがある。素木で作られた社殿に、空を割る千木、円柱を横にした鰹木。素っ気なさに潜む美しさ。「唯一神明造り」と呼ばれる、2000年以上前より存在する日本古来の建築様式を今現在も守っているのは驚嘆すべきである。
余談ではあるが、日本にはミニマリズムに通づる美しさと、アジア的な、雑多な美しさの二面があると思う。
伊勢神宮や桂離宮、銀閣といった建物に潜んでいるのが、潔い、ミニマリズムの美しさ。
他方で、日光東照宮とか、昨日行った大須商店街とか、ドン・キホーテの店内のような情報過多な、アジア的なものにも美しさを見出す事もできるだろう。
ミニマリズム↔雑多さということで言えば、AmazonのサイトUIと楽天のサイトUIのことも思い出した。
参拝後、右側に進んでいくと大きな木があったり、荒祭宮があったりした。その後、元来た参道に出ることが出来る。
参道を戻る時に、左側にある五十鈴川の支流に架かっている橋を渡ると風日祈宮がある。元寇の時に神風を吹かせた神様が祀られている。
この社殿も素木でとても美しい。うっかりすると参拝し忘れてしまいそうな場所にあるが、参拝できてよかった。

小さなお守りを授与して頂き、神馬を見てから、内宮の森をあとにする。
西行が歌ったように、伊勢神宮にはフレッシュな気が満ち溢れていたように思う。そして僕も自然と背筋を伸ばしたくなるような、かたじけない気持ちになる。
次は伊勢神宮の帰りに立ち寄らねばならないおはらい町、おかげ横丁に行く。内宮を出てすぐ右側にある。
沢山の店が立ち並んでいる。行き交う人々も多い。食べ物ならば赤福、伊勢うどん、手ごね寿司、牛串、アイスクリームなどなど。伝統工芸品、真珠なども売っている。


おはらい町は五十鈴川に沿って作られているので、路地を抜けた裏手に五十鈴川がある。ここの空気も清新でまた良い。上流には先程の伊勢神宮内宮へ渡る宇治橋があるはずである。
対岸には子供がいて、川面に石を投げて水切りをして遊んでいるのも微笑ましい。最初の三重県のイメージは「平野」であったが、この辺りは神宮の森も含め、山が多い。

おかげ横丁で、適当に空いている店に入り、ねぎとろ定食をいただく。そこは手ごね寿司か伊勢うどんだろ!と思われる人もいるかと思うが、量が多そうだったので辞めておいた。今度来た時に食べよう。

再び内宮前まで戻って、帰りのバスに乗った。終点の伊勢市駅に着くまでに近鉄鳥羽線の五十鈴川駅、宇治山田駅を経由した。宇治山田駅は皇族の方々も伊勢神宮参拝に使われる駅で、バスの車窓から見ても古くからの駅舎は本当に立派だった。近くによってみると芸の細かい装飾が見られる。
国の登録有形文化財に指定されている。1931年に久野節が設計したというから、今度来たときにはじっくり見てみたい。

伊勢市駅についたあとは、また快速みえに乗って名古屋へ、名古屋の激混みカフェでコーヒーを飲んだあと、かろうじて取れた新幹線で東京に戻った。なんでもこの日は名古屋近辺で乃木坂46関連のイベントがあったらしく、三連休の終日とも重なりとても混んでいた。
最後に 取り敢えず行動することの大切さ
今回の旅は、もしホテルがキャンセル無料であったなら多分行かなかったのかもしれない。しかし、思い切って重い腰を上げて行動することにより、名古屋の大須商店街をブラブラ散歩することが出来、先輩とその彼女にも偶然にも会えたし、何より伊勢神宮に参拝できた。諸国の色々な風物を見学することも出来た。体験することも出来た。そして、こうしてブログも書くことも出来た。
停滞している時や、気分が乗らないときでも、取り敢えず行動してみる、ということの重要さを思い知ったのである。この「気付き」こそ今回の旅を通して得たものの最上のものである。
そして、「そぞろ神のものにつきて心を狂わせた」自分がいる。多分近いうちにまた放浪の旅に出ることであろう。
お読みいただきありがとうございました!
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最適な靴磨きの方法は?スコッチグレインの革靴を再び磨いてみた
久々にスコッチグレインの靴(インペリアルⅢ 960BO、ボルドー色)を磨いてみることにしました。
前回は磨き方に難ありな状況で失敗したので、今回は磨き方の本を参考にしながら、磨きました。
目次:
- 靴磨きで参考にしたのは最高級靴読本
- 新たに買い揃えた靴磨きグッズ
- 磨く前に、2年半使った靴の状況
- まずはブラシで汚れ落とし(女性の化粧に例えれば汗拭き)
- 次にリムーバー(サフィールノワール)で、強力汚れ落とし(女性の化粧に例えれば洗顔、すっぴんにする)
- 指と豚毛のブラシでクレム1925を塗っていく(女性の化粧に例えれば基礎化粧品を肌に補給)※ワックスは塗りません
- 完成:靴磨き後の靴の姿
- 感想:日頃のケアが超大事ということを前回から学んでいない
ちなみに、前回のエントリー↓
このあと、実は靴磨きはほとんどしていなくて、革靴使用後に軽くブラシでブラッシングする、シューツリーを入れる、という最低限のことはしていました。
しかし、靴磨きまでには至らず…。
我ながら思いますが、いい加減で雑な性格だと思います…。
靴磨きで参考にしたのは最高級靴読本
この本をざっと見渡して、「汚れ落とし」→「すっぴんにする」→「乳化性クリームで保湿」という流れを押さえます。
前回は、靴紐を解かず磨いたり、乳化性クリームを付けすぎたりしたので、そのような反省も踏まえながら行いました。
新たに買い揃えた靴磨きグッズ

左から、
[サフィール] SAPHIR レノマットリムーバー 100ml 9550514003 (マルチカラー)[HTRC3]
真ん中は
[エム・モゥブレィ]クリーム塗布用ブラシ ペネトレィトブラシ 7012
右端は
[サフィールノワール] SaphirNoir クレム1925 75ml 靴磨き 保湿 栄養 保革 補色 油性 9551033 (ニュートラル)[HTRC4.1]
レノマットリムーバーは強力な汚れ落としとして評判が高いようです。普段使いというよりは、ここぞという時に使うタイプの汚れ落とし。
真ん中のブラシは豚毛で、柔らかく、汚れ落とし用ではなくクリームを塗る用のブラシです。エム・モゥブレィの割にはそれほど高くないのでオススメ。
右端のクレム1925は、最高級靴読本でも評価が高かったサフィールノワールのもの。今回はニュートラルの色を選択しました(他の靴にも対応するため)。
磨く前に、2年半使った靴の状況
僕がこのスコッチグレインの靴を買ったのが、2016年の5月ですので、ざっと2年半位使用しています。僕は営業職ではなく内勤なので、それほど靴は傷んでいないはずですが、如何せんだらしないこともあり、あまり手入れをしていなかったため、このような状況でした。

上記の写真のように、靴が少し乾燥してしまっています。所々、シミが目立ちます。控えめに言ってボロボロですね…本当にすみません。

…これは!踵の部分の繊維がほつれています…。これは靴磨きでは直せないですね。多分スコッチグレインの靴を修理してくれる、「匠ジャパン」に近日持ち込むことになりそうです。
まずはブラシで汚れ落とし(女性の化粧に例えれば汗拭き)

まずは念入りにブラシで汚れを落とします。この作業は毎日靴を使用したあとに行うのが理想ですね。
あと、靴磨きの本や、サイトでよく言われていますが、この作業こそが靴磨きの真髄とのこと。要するに時間を掛けて行え!普段から行え!ということですね。クリームを塗りたくることだけが靴磨きではない訳です。汗拭きと一緒ですね。
次にリムーバー(サフィールノワール)で、強力汚れ落とし(女性の化粧に例えれば洗顔、すっぴんにする)

レノマットリムーバーをタオル等に染み込ませて、靴を優しくこすっていきます。
これ、初めて使いましたが、結構な匂いがしますね。シンナーっぽい匂いなので換気には気をつけたほうが良いです。
これを行うことで、靴から汚れが浮き出してきます。汚いところは念入りに、少し力を入れる感じに擦りますが、あまり擦ると靴を傷めてしまうので注意とのこと。
あと、靴紐ですが、最高級靴読本 究極メンテナンス編 MEN'S EX特別編集の中の記事からの受け売りですが、全部取り外してしまうと最後の紐穴部分を傷めてしまう事があるので、この状態で磨いています。

上図はレノマットリムーバーで擦ったのが右足、左足はこれから、という図です。リムーバーを使うと一瞬艶がなくなります。

上図のように、靴の一部分に汚れがある場合はレノマットリムーバーを浸したタオルで重点的に磨きます。

レノマットリムーバーで汚れを落として、一旦靴をすっぴんにした状態で撮ってみました。

先程の部分的な黒い汚れが消えているのが分かりますでしょうか?
指と豚毛のブラシでクレム1925を塗っていく(女性の化粧に例えれば基礎化粧品を肌に補給)※ワックスは塗りません

「サフィールノワール クレム1925」これは乳化性のクリームです。前回学んだことですが、塗りすぎは良くない、ということです。
指でとって、指で塗っていきます。メダリオンの装飾や、コバ(エッジ)部分等の届かないところは豚毛のブラシを使います。
余談ですが、リムーバーで汚れ落としをしただけではダメで、この作業をすることによって、革に保湿を与え、栄養分を補給するとのこと。女性の化粧に例えればまさに肌に養分を与える「基礎化粧」な訳です。

細かい部分は豚毛のブラシが便利です。

最後に布で、艶が出るように磨いていきます。
僕はワックスをつけません。それほど艶を出したいとも思えないし、何より僕は面倒くさがりです。
あと、ワックスを使うとイメージ的に「厚化粧」な感じがして、靴本来の革の保湿とか呼吸みたいなものが妨げられてしまうような気がします。
いつも定期的に手入れができる人はワックスをつけてみてもよいかもしれません。
完成:靴磨き後の靴の姿

クレム1925だと、ワックスをつけなくてもそれなりに光るようになりました(光線の加減もありますが…)。

ああ、しかし2年半とはいえやはり傷んでいますね…。外側は所々靴に擦り傷みたいなのがあって、本当に靴さんに申し訳ないです。経年変化とはいえ、シワの付き方もあまり綺麗とは言い難いですね。
あとこうして見ると、靴の内側がやはり傷んでいます。かかとの裏側とかですね。
靴底とかはそれほどすり減ってはいないですが、こうなってしまったらやはり専門の靴修理屋さんに行くしか無いですね。先程も触れましたが、スコッチグレインの靴なので匠ジャパンさんに送ることにいたします…。

後日、スーツを着て撮った写真。この艷やかなボルドー色を見るとまだまだいけるかも…!光線の加減で色が変わりますね。
感想:日頃のケアが超大事ということを前回から学んでいない
靴磨きをするたびに、自分自身の日頃のだらしなさを思い知らされます。もしかすると僕のようなものは一足5,000円位の合成皮革の靴を履きつぶしていく、というほうが似合っているのかもしれません(靴擦れが嫌ですが…)。
あと、靴を磨いている時は結構無心になれるのですが、靴にあるシミがどのような過程でつけられたのか?はたまたキズなのか?そのような判断をすることによって同じ「磨く」という行為でも対処法が違ってくるはずなのですが、そういった判断ができず漫然と磨いているだけで、そういった部分も反省点です。
読んでいただきありがとうございました…。
場面緘黙症のあなたが他人から誤解される理由
本日は場面緘黙症で悩む人々に向けてのお話です。実際にコミュ障であり緘黙症である自分が経験したことなので、「そういうことあるよね」と理解してもらえるかと思います。
緘黙症がコミュニケーションで失敗しやすいこと、及び失敗したときの対処法を自分なりに考えてみました。
目次:
- コミュニケーション障害、緘黙症の人は他人から誤解を受けやすい
- コミュニケーションはギブ・アンド・テイクだが…ギブ出来ない!
- 向き合う人によって態度が違うのも誤解を生む、だからといって誰とも話さないのは?
- ではどのような態度で他人と接するのが正解か?
- 休日の過ごし方、ストレス解消法、メンタリティの保ち方

コミュニケーション障害、緘黙症の人は他人から誤解を受けやすい
突然ですが、ここにいる健常な方に質問です。あなたをAさんとします。
職場にはAさんにあまり話をしてくれないBさんという方がいます。Bさんは全然喋れないわけではなく、自分以外のCさんとは寧ろ打ち解けて、たまにふざけた話もしています。
ところが、Aさんの前では黙りこくったまま。目もあまり合わせてくれません。たまに事務的な話をするだけで、打ち解けようとはしてきません。Aさんから話しかけてもあまり反応はありません。
あなた(Aさん)は、Bさんに対してどのような感情を持つでしょうか?
恐らく、「Bさんは私が嫌いなんだな」とか「何故、私だけ無視するの?Bさんおかしくない?」「Bさんが何考えている全然分からない」などと思うでしょう。
そして、Bさんには以後話しかけることをせずに、距離を置こうとするでしょう。成熟していないコミュニティ内では、場合によってはBさんをイジメの対象にしたり、集団で無視する対象にしたり、悪い噂の対象にしたりするでしょう。
実は、場面緘黙症のBさんは、このような誤解を生む行動を知らないうちに取っていたりします。
Bさんにとって、Cさんと話すのは慣れているし、緘黙症の症状も出ない、ところが何故かAさんと話す時は緘黙症の症状が出てしまう。こういった場合が起こり得るのです。
また、普段二人になると少しは話せるのに、集団での飲み会や打ち合わせ等で一言も発せないような緘黙症の人もいることでしょう。このような人も健常な他者からみると「あ、そういう人なのね(ネガティブな捉え方)」とか、「このコミュニティが嫌いなんだね」、「何考えているか分からない人」等々と認識されてしまいます。
場面緘黙症の人間は少なからず、「二重人格的な人」として認識されてしまうことも多いです(ここで言う二重人格は医学的な多重人格者等とは違い、普段僕たちが使っている二重人格の意味です)。
僕もずっと昔、このような誤解を生む行動をしてしまい、非常に参ったことがあります。そして、緘黙症の人間は大方当てはまると思いますが、このような状況を意外と客観的に見れていたりします。
話さないからといって他人の心が分からないわけではなく、寧ろ分かっているという事が緘黙症の人を苦しめます。何故なら「違う、誤解だ!」という言葉さえも自身が緘黙症であるために伝えられないからです。
緘黙症の人は「空気が読めない」のような指摘がありますが、僕が思うに、逆に「空気を読み過ぎている」のだと思います。
健常な人間であれば、少し苦手な人間に対しても話しかけることができるので、所謂「大人の対応」ができます。言葉による議論やコミュニケーションが出来るのです。
つまり、それ以上は関係が悪化することは無い場合が多いです。
ところが、場面緘黙症の人間は言葉によるコミュニケーションが苦手なために、周囲との関係が悪化する可能性があります。
コミュニケーションはギブ・アンド・テイクだが…ギブ出来ない!
コミュニケーションというものはギブ・アンド・テイクです。恐らくは、緘黙症の人でも、仲の良い、打ち解けた友人に対しては話されたら話し返す、という事が出来ているのではないでしょうか?
ただ、ひどい人見知りの人もそうですが、緘黙症の人はあまり打ち解けていない人への対応に「ギブ」出来ません。
自分自ら話しかけるのも難しく、例え話しかけられても満足に話し返す事が出来ず、このことが他者からの不信感を生み出します。
向き合う人によって態度が違うのも誤解を生む、だからといって誰とも話さないのは?
昔の僕は、このような自分の二重人格的態度が嫌で仕方がなかったので、あるコミュニティでは誰とも仲良くならない戦略を取りました。つまりは「話をするが誰に対しても少なめに、最低限のコミュニケーション」で済ましていました。
先程の例で言えば、僕はBさんで、Aさんと話す時も、Cさんと話す時も同じくらいの熱量で、最低限のコミュニケーションしか取りませんでした。
こうすれば僕は平等に他人と接している、と思ったのです。
ところが、こうすると自分がどんどんコミュニティからつまはじきになっていきました。最終的には誰も僕を相手にすることが無くなりました。
とりわけこのような態度「消極的八方美人」はコミュニティでは命取りです。孤立まっしぐらですね。コミュニティ内で平等に話しかけることを目指す必要はないのです。
ではどのような態度で他人と接するのが正解か?
あくまでも僕の経験ですが、先程の例で言うと、僕がBさんだったら、話しやすいCさんには通常通り沢山話すべきです。Cさんとの会話すらも遮断するのはよろしくないです。コミュニティというものは「誰とでも平等に話す」べきものでもないのです。
今すぐ「消極的八方美人」を止めてください。
そのコミュニティ内での周囲の人を見てください。意外と「あの人とあの人はあまり喋っていないな」とか「あの人とあの人は仲がいいな」というものが見つかるかと思います。
つまり、場面緘黙症であるか、ないかに関わらず、馬の合う人間と合わない人間というのはいるものです。
その上で、Aさんと二人で会話をする機会があったら、勇気を持って話してみるべきだと思います。
場面緘黙症の人間は大勢の前で話すのが難しい場合があるので、サシで話したほうが良い場合があります。
Aさんと話すことができれば、意外と「自分は何故こんなつまらない事に悩んでいたんだ?」という感覚になり、精神的に安定します。やはり、言葉というものは偉大です。
仮にAさんとは仲良く出来なくても、Cさんとは仲良くやっているし自分は独りではない、と言い聞かせてください。
そもそも、緘黙症の人は人と話さないために「完璧症」や「教条主義的」になっていたりします。人とのいざこざを避けるために消極的八方美人になっているのです。
「このコミュニティにいる以上、誰とでも仲良くやっていかなくてはならない」と考えている節があるのです。そして、そうでない自分に悩むのです。
しかし、これは間違いです。
同じコミュニティ内でも対立している人がいて当たり前だし、ウマが合わない人がいて当たり前なのです。
アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)の第五章「人生の意味を求めて」に「■他人を気にしない」という章があります。以下引用します。
勇気づけについて学ぶと多くの人が自分が勇気づけられるかどうかということを気にかけます。私をどうして勇気づけてくれないの、私はあなたをこんなに勇気づけているのに、と。しかし、他の人からそのような働きかけを受けることや、他の人からどう思われるかを気にかけることは人がいきていくために必須のことではないのです。
他の人からどう思われているかを気にすると非常に不自由な生き方を強いられることになります。絶えず人に合わせていかねばならないからです。
もちろん、人のことをまったく考えなくていいというのではありませんが、人にどう思われるかをいつも気にかけ、嫌われることなく好かれたいということばかり考えて生きていくと、結果としてたしかに皆に気に入られるようになるかもしれませんが、あらゆる人に対して八方美人を演じるのでそのために人生の方向性が定まらず、やがて不信感を持たれてしまうことになります。
そういう人は自分が実に不自由な生き方をしているといわなければなりません。敵がいないということは絶えず人に合わせているということですから、不自由な生き方をしているといわなければなりません。
そもそもどんなことをしても自分のことをよく思わない人はいます。十人の人がいれば一人ぐらいはそういう人がいます。こちらもその人のことが嫌いで、向こうも自分のことを嫌っています。二人の人は何をしても受け入れてくれます。こちらも相手も好感を持っています。あと七人はどんな人かというと、そのときそのときで態度を変えます。私たちが付き合っていきたいのは二人の人です。その他のひとのために心を煩わせて、エネルギーを使う必要はない、と思います。〜以下省略
上記の著書はアドラー心理学の入門書にうってつけなので、読んでみても良いかもしれません。少なくとも僕は読んでみて心が軽くなりました。
アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために (ベスト新書)
それでも「このコミュニティにいるといつか自分が倒れてしまう」といった改善不可能な状況になってしまったなら、コミュニティを変更することも視野にいれるべきです。
もっと言えば、所属するコミュニティを増やす、というのがネットが発達した現代にとっては一番良い方法だと思われます。会社や学校は「目的の完遂(業績アップ、学業等)」のための手段に過ぎない、と自分の中で折り合いをつけて、仲良くする人は別のコミュニティで探す、というやり方です。
そう考えると、現代というのは本当に良い時代になりました。そのようなコミュニティはネットで検索すれば沢山ありますし、昔のように一本のレールから外れたら即NG!という感覚も段々と薄れてきているように思われます。
何より、そのような多様なコミュニティに属していなくても「そのようなコミュニティの存在がある、最終的にはそこにお邪魔しよう」と自分の中で多様なコミュニティの気配を感じることで、現在所属している会社や学校等のコミュニティでも耐えることが出来る、というモチベーションアップにもなるのです。
ここを見て悩んでいる場面緘黙症の人たちにも、「選択肢は無数にある」ということを感じてください。何も「置かれた場所で咲きなさい」などという暴言を信じる必要は無いのです。
休日の過ごし方、ストレス解消法、メンタリティの保ち方
そうは言っても、場面緘黙症の人は普通の人よりストレスを抱えることが多いかと思います。
僕なども会社で嫌な事があった場合は、休日もそのことをずっと考えてしまったりして(専門用語で反芻思考と言います)、全く休んだ気になれず、何もする気にもなれず引き篭もっていたりしました。
どのような対処法があるのでしょうか?
取り敢えず、僕が「効いた」と思ったものは、「旅行に独りで行ってみる」というもの、それと「森林浴をする」というもの、あとは、緘黙症と吃りの対処療法として、「音読をする」というものでした。

あとは、以前に緘黙症の記事を書いた時も書いたのですが「状況を口に出して、或いは書いてみること」もかなり効果があります。
元々、緘黙症の人間はあまり話さないので物事を「言語化する」ということを避けていたりします。
超ストレス解消法 イライラが一瞬で消える100の科学的メソッドによれば、Fix94章「ネガティブ感情ラベリング」にこのような言葉があります。
・ストレスに弱い人ほど、自分のネガティブな感情を区別するのが苦手だった
・ストレスに強い人は、自分のネガティブな感情を区別するのが得意だった
つまり、ストレスに弱い人は、「悲しみ」や「不安」といった感情を明確に区別せず、「なんだかイヤな感じだなぁ……」といったように、大ざっぱにとらえがちなのです。
著者はこのような感情に対し明確に名前をつけるとスッキリした気分になれる、と言っています(正確には2012年のミシガン大学でのエビデンスからこの結論を導き出しています)。
このように考えると、緘黙症の人は言語化してみる、というのも手だと思います。
また、上記で紹介した
超ストレス解消法 イライラが一瞬で消える100の科学的メソッド
は、まだ僕も実践中ですが、帯にも「ハーバード、スタンフォード、ケンブリッジが効果実証 」と書いてある通り、比較的に信頼できるエビデンスが元になり、100のメソッドとして紹介されています。2018年に出た新しい本でありながら、アマゾンではベストセラーになっています。
しかも結構読みやすい!
感情の整理方法や、取るべき栄養素だったり、瞑想法、これをやると悩みが吹っ飛ぶ(ボルダリング等)、森林浴の効果等々、その人にあったストレス解消法がメソッドとして紹介されていますので、このような本を読んで自分なりのストレス解消法を見つけていくのがよいのではないかと思います。常備薬的に家に置いておき、ストレスが溜まったらいくつかのメソッドを試してみる、という使い方も出来そうです。
良い本なので紹介させていただきました。
一人でも場面緘黙症や人見知りで悩んでいる人が減ることを願っています。
読んでいただきありがとうございました!
アンスネスのショパンアルバムを聴いた感想
一週間ぐらい前にピアニストのアンスネス(Andsnes)の待望のショパンアルバムを購入した。
今回はその感想を書きたいと思う。
結論からいえば、「意外と頑固なショパン」であろう。ゴツゴツしているという意味ではなくて(逆にスラスラしている)、アンスネスの解釈がポピュラーなショパン演奏のベクトルとズレているというのが印象的で、このような表現になった。
目次:
アンスネスのショパンCDに収録されている曲
【収録曲】
ショパン
1. バラード第1番 ト短調 作品23
2. 夜想曲第4番 ヘ長調 作品15の1*
3. バラード第2番 へ長調 作品38*
4. 夜想曲第13番ハ短調作品48の1
5. バラード第3番 変イ長調 作品47
6. 夜想曲第17番 ロ長調 作品62の1
7. バラード第4番 ヘ短調 作品52*
*2016年の来日公演で演奏された曲
【演奏】
レイフ・オヴェ・アンスネス(ピアノ)
【録音】
2018年1月7日~12日、ブレーメン、ブレーメン放送、ゼンデザール
[レコーディング・プロデューサー]ジョン・フレイザー
[レコーディング・エンジニア]アーン・アクセルバーグ
[エディター]ユリア・トーマス
収録曲を見てお分かりかと思うが、バラード4曲の間に、夜想曲が3曲入っている。アンスネスの書いたライナーノーツを読むと、「(間にノクターンを挟んだのは)バラードの緊張を解して少し息をついていただけるような時間を作るため」「このアルバムの中でショパンの作曲家としての発展を辿っていただけるという意図もある」とのこと。

各曲の独断的な感想
各曲の感想を独断的に述べる。異論は大歓迎!
1. バラード第1番 ト短調 作品23
相変わらず滑らかで、正確なタッチによって紡ぎ出される音に惚れ惚れする演奏。アンスネス特有の美音は健在で、でかい音、フォルテシモでも濁ることは無い。
それは爆音であるはずのコーダーでも同じことで、この「デリカシーがある」ということが、他のショパン演奏と聴き比べると幾分スケールやドラマティックさを欠いたものになっているかもしれない。
しかし、伝記によるとショパンは爆音を嫌っていたらしく、ピアノを叩くような弾き方を嫌い、犬の吠え声と形容していたとか(これだと現代のショパン弾きは半分ぐらい失格になってしまう笑)。
その伝記が確かならば、このアンスネスの解釈はショパンも喜ぶであろう。
そして、毎度のことながらすべての音が丹念に、稠密にコントロールされている。音楽的な自然な流れを失わずに、かつ曖昧に弾かれる音が一切ない。
2. 夜想曲第4番 ヘ長調 作品15の1*
何日か通勤中に聴いて、夜寝るときに思い浮かべるのがこの旋律だった。この「静と動」の2つの要素を持つ夜想曲を見事に弾ききっている。
新たな発見として、アンスネスは「溜め=アゴーギク」をあまりしない演奏家なのだが、若い頃の印象と比べるとかなり「溜め」が出てきたように思う(それでも他のショパン弾きと比べるとあっさりはしているのだが)。
とても輪郭のくっきりした夜想曲に仕上がっているが、なにせ音そのものが美しい。注意深く、丹念に作り込んだ、それでいて自然な演奏に仕上がっている。
この演奏はとても気に入った。
3. バラード第2番 へ長調 作品38*
これは来日公演でも聴いた曲。アンスネスの解釈は他のポピュラーなショパン弾きとは違っていた覚えがあるし、そのことを過去記事でも書いた覚えがあるが、その印象が少し大きくなった。
しかしながら、アンスネスは楽譜を丹念に読み込んでいることがよく分かる。
例えば、2回目のPresto con fuocoの「嵐の」下降音型の前にアクセルがあるのだが、
手持ちの楽譜で確認すると右手にアクセントがついている(下図)。これをアンスネスは忠実に再現している(特に2音目)。
些かスタッカートっぽく聴こえて、こんな演奏は僕は今まで聴いたことが無い。
(基本的に僕はアシュケナージの演奏をよく聴いている)

そう、アンスネスの解釈のほうが、巨匠の解釈より正しいのだ。
僕らが巨匠の演奏を聴いて「ショパン的」と思っていても、よくよく楽譜を見るとその演奏は恣意的であることもある(マエストロホロヴィッツ、その音楽譜にないよ!みたいな笑)。
勿論、どちらの演奏も素晴らしいのだが、こういうところを疎かにしないアンスネスの演奏は逆に新鮮に映るのだ。また、すこし頑固にも映る。
歴史が紡いできた「ショパンはこう弾くべき」という固定概念を覆すレヴェルの演奏だと思う。
4. 夜想曲第13番ハ短調作品48の1
巧い。こういう具合に弾きたい、と思わせる演奏。次のフレーズに移るのが早いので、幾分スイスイとした演奏だが、それが現代的でスタイリッシュな雰囲気を帯びている。
こういう潔さ、情念や、ドラマティックさにあまり耽溺しない演奏は逆にこの曲の「意味」を問いかけているようで、引き込まれる。
このアルバム全体を通して言えることではあるが、アンスネスの演奏はやはりどこか「さっぱり」とした趣がある。
5. バラード第3番 変イ長調 作品47
完成された音楽、といった趣。僕は楽譜を片手に聴いてみたが、すごく細かい部分まで読み込んで表現していることがよく分かった。現代の演奏家でこれほどまで完璧なバラード3番を演奏する人はいないんじゃないか?ぐらいのレヴェル。音の艶やかさ、テンポ、微妙なアゴーギク、曲想に沿った音色の選び方、どれをとっても超一流である。
ただ、この曲は僕自身がそれほど好物ではないので(好きではある笑)、このあたりにしておく。
6. 夜想曲第17番 ロ長調 作品62の1
ショパンのノクターン(夜想曲)でどれが一番好きか?と言われたら僕は8番と答えるが、どれが一番傑作か?という質問には16番とこの17番で迷う。
アンスネスの演奏はこの複雑なショパンの心境、目まぐるしく移ろいゆくフレーズや、対位法的な書法で書かれたパッセージを丹念に紡ぎあげていく。
本当に複雑な音楽だと思う。シューマンの「フロレスタンとオイゼビウス」という二重人格的なものよりももっと複雑。
横のラインでも曲のフレーズは変わるし、縦のラインでも考えるべきことが一杯。
アンスネスの演奏を聴いているとショパンの心の中に苦悩や、歓喜、諦観、希望、その他の色々な感情が混沌と渦巻いていたことを察することが出来る。
得てして天才というものはアンビバレンツな要素が矛盾なくその精神に宿っているものだが、この曲もそういった様々な要素を持った曲といってよいだろう。単純に二項対立的に「明るい曲↔暗い曲」とはならない曲の典型である。
アンスネスの演奏でショパンが託したこの曲の問題提起がよく分かった。
7. バラード第4番 ヘ短調 作品52*
さて、一番問題なのが、このバラード4番のアンスネスの演奏である。
一般的なショパン的「バラード4番」を聴きたいのであれば、クリスチャン・ツィメルマンあたりを聴いておけば間違いないであろう。
アンスネスの演奏はそういった「ショパン的な演奏」とはベクトルが違う。
一言で言うとバッハ、対位法を意識した演奏ということが出来るであろう。
楽譜を見ながら聴いたのだが、のっけから左手の旋律も疎かにしない、そういった決意表明が聴いていてよく分かる。

上図は第一主題が再現される部分の一つであるが、このような箇所をアンスネスは右手の一番高音の旋律のみを際だたせるような弾き方はしていない。あくまでもショパンが晩年傾倒した「対位法的な表現」に固執していて、中声部、低音部ともにすべての音の横の線のポリフォニックな連なりを意識して弾いている。
もっと端的に言えば中声部や下声部の音が目立つ。
このため、幾分バッハ的な聴こえ方がするのだ。
ただ、この解釈には弱点があって、右手の主旋律のみを際だたせるように演奏すれば得られるであろうドラマティックさが失われてしまう可能性があること(バッハ以前の、より古典的な音楽に近くなる)が挙げられる。
2016年に来日した際もこの曲を弾いた時はバッハを意識した演奏がありありと分かったし、僕は過去記事でそのように述べている。
しかし、聴く人によっては「変わった解釈」と捉えられるとは思う。ショパンらしくない、とも聴き取れるであろう。
余談ではあるが某掲示板で昔活躍していた○ーノンクール氏(bun氏)などは、2016年の来日の際の演奏に関して、アンスネスの演奏はドビュッシーは良かったけれど、あの音大生のようなショパンはダメ、みたいなことをTwitterで呟いていた。頭の良い方なので、言いたいことはよく理解できる。
ピアノを弾いた事がある人ならば分かると思うが、特に新しい曲を練習する時に旋律が伴奏に埋もれてしまう。アンスネスのバラード4番の演奏は意図的にではあるが、そのように聴こえる方向になってしまうのだ。
ロマン派の音楽にポリフォニックな要素を付与するような場合、演奏者の意図を理解し注意深く聴かないとそのような意見が出てきてしまうであろう。
アンスネスのライナーノーツからの言葉を引用しておこう。
バラード4番を勉強し始めたのは5〜6年前からです。4曲の中で最後に勉強した曲ですが、長い間崇拝してきました。演奏技術の上でも、音楽的にも、とびきり複雑です。自由かつ奔放で、一つの感情から別の感情へ瞬時に切り替わるので、弾くのにやや怖気づく曲でした。このもっとも複雑で偉大な音楽は、途方もない悲しみに満ちた主題で始まります。最初のうちは、悲愴な気分に満ちたこの部分を弾くと涙が止まりませんでした。音楽家としては、自分の演奏で泣いてしまっては意味がないわけです。しかし私にとってバラード4番に渦巻く感情はそれほどまでに強烈だったのです。
このバラードの悲しみに満ちた主題を、たまに、メロディなしで左手の和音だけで弾いてみることがあります。和音そのものが苦しみに満ちていて、ショパンが人間の苦悩をこのような音に出来たこと自体が信じられない思いです。
ショパンの音楽で典型的なのは、晩年になるにしたがって、作品の声部が複雑になっていくことでしょう。バラード第1番と第4番との間の差異の一つには、低音部がまるで対位法を構成するもう一方のメロディのようになっていて、しかも中声部の動きも込み合っているという点が挙げられます。ショパンはバッハの作品を愛し、毎日弾いていたのです。第4番のポリフォニックな各声部の絡み合いは、まさにバッハの作品を思わせます。この対位法的要素は晩年に向かうショパンにとって重要なものになり、初期のより純粋かつ古典的な作風とは大きく異なっています。
聴いてみた感想を書いていなかった。僕はこの曲に関していくつか新たな音の発見をした。今まで耳を澄まさなければ聴こえなかった音が聴こえてきた。
巨匠たちが伴奏として使用していた音に新たに光を当てて、主役と同等の価値を与えること。これは新しいショパンであろう。
まとめ〜全体を通して
アンスネスのショパンアルバムの感想を全体を通してまとめると、僕個人の意見だが、先にも書いた通り「意外と頑固なショパン」ということになるであろう。アンスネスはポピュリズムに近づかない。従来のショパンらしい演奏を排除し、注意深く楽譜を読み込み、このような解釈を開陳した。
とりわけ、バラード4番にみられる対位法的な処理は逆に新しさを覚える。
この演奏で想起されたのが、グレン・グールドの弾くショパンのソナタ第3番である。ロマンティックなショパンに何とか対位法的な意味付けを加えられないか?と模索した部分が重なるのだ。
もっともピアニズムが違うので、コンセプトが似通っている、という程度ではある。
また、以前から思っていたことだが、アンスネスのピアニズムにある、ある種の「いさぎよさ」はアレクシス・ワイセンベルクのピアノに通づるところがあると思う(スイスイと進んでしまう感覚とか)。
アレクシス・ワイセンベルクとグレン・グールドを足して二で割ったところに確固たる楽譜に裏打ちされた美音を加えた演奏、と言ってもよいかもしれない。
もっと聴き込んでいきたい、と思えるアルバムと出会えて良かった。
読んでいただきありがとうございました!
iPadのキーボードはANKERのウルトラスリム Bluetooth ワイヤレスキーボード がオススメ
さて、突然ですが僕は春に長年使ってきたiPad Airを下取りに出して、新しい無印のiPadを購入しました。Apple pencilも使えてとても快適です。
今回はそのiPadの紹介ではなく、iPadにフィットした、かつ見た目も十分なBluetoothキーボードを購入したのでそのレビューを書きたいと思います。
目次:
- iPadで使えるキーボードを長年探していた
- 重視したことはあくまでも重さ(軽さ)、次に価格、その次にデザイン
- 購入したのはANKERのウルトラスリム Bluetooth ワイヤレスキーボード
- 3ヶ月ほど使用してみた感想、メリット、デメリットなど
iPadで使えるキーボードを長年探していた
先代のiPad Airを持っていたときから、「外出先でちょっと文章とかブログとか書きたいなぁ…」と思っていました。もちろん、家にあるMacbook Proを持ち出すことも出来ましたし、実際に今でも本格的に外出先で書くときはそちらを持っていきます。
しかし、重いし嵩張る
ということがとてもネックでした。
散歩がてら立ち寄ったカフェとか旅行先とか、或いは早起きして会社のそばの喫茶店でコーヒーを飲んでいるときとか、
「書くために外出したのではないのだけれども、ちょっと軽くメモ程度に書きたいよね」
というような状況が多々あったのです。
スマホでは画面が小さいし、フリック入力は遅いしで、どうしたものか?と思っていました。
そこで考えたのは、「iPadに合う軽いBluetoothキーボードを買って持っていけばいいんじゃね?」ということです。一方で、「Macbookを買ってしまう」という選択肢もありました。
しかしながらやはりMacbookは1kg近くなってしまうし、何よりお高いので悩んでいました。
重視したことはあくまでも重さ(軽さ)、次に価格、その次にデザイン
そこで「Macbookと、(iPad+キーボードの重さ)」について、よく調べてみました。
Appleで一番軽いノートパソコンであるMacbookは重量920グラムでした。
一方で2018年春に買い替えた無印のiPad(Wi-Fiモデル9.7インチ)は重量469グラムでした(ちなみにいままで使っていたiPad Airと重量は同じです)。
問題はキーボードです。僕の無印iPadはApple純正のSmart Keyboard(現行のiPad Proのみに使える)は使えないということは分かっていたのですが、では他にApple純正のBluetoothキーボードといえば、大きなMacパソコンにも使えるようなMagic Keyboardしか見当たりません。
Magic Keyboardはテンキーのついていない、一番シンプルなもので、231グラム、価格は10,800円!んー?やっぱりAppleの純正は格好はいいけど高いです…。
そんなこんなで、僕は「iPadに最適な、軽くて安くて、かつゴツゴツしていないスマートな見た目のキーボード」を探していました。
購入したのはANKERのウルトラスリム Bluetooth ワイヤレスキーボード
そんな時に某ブロガーさんにオススメしていただいたのがこちら↓
ANKERのウルトラスリム Bluetooth ワイヤレスキーボードでした(オススメいただきまことにありがとうございます!)
このキーボードの特徴はまさに僕が求めていた「iPadに最適な、軽くて安くて、かつゴツゴツしていないスマートな見た目のキーボード」です。
重さはどうか?
まずは肝心の重さ、なんと190グラムです!超軽いです。
これであれば、iPadの重量469グラム+キーボードの重量190グラムで合計659グラム!
素晴らしいです。
厳密に言うと、このキーボードは単4電池を2個使用するので、マンガン乾電池ならば約16グラム、アルカリ乾電池ならば約24グラムほど上乗せしなくてはならないのですが、重量合計690グラムは超えません。
さて、ここで感の良いあなたは気づいたかもしれません。「あれ?iPadとキーボードはあるけど、このままだとiPad倒れちゃうじゃん、スタンド必要じゃん、詐欺じゃん!」ということに…。

確かにその通りです。スタンドが必要なのです。
ですが、僕の場合、以前から使っていた純正のiPadカバーがスタンドになってくれました(上の写真のピンクのもの)。
これはマグネットになっており、山折りすればすぐにスタンドになってくれるシンプルでありながらとても素晴らしいものです。
普段から装着していたため重量から除外しました(笑)。
というのはフェアではないので、一応紹介しておきます。使っているのはiPad Smart Coverというもので、ポリウレタン製です。Apple純正のカバーにはレザーのものもあるのですが、これが一番安かったので昔からこれを使っています。
気になる重量は9.7インチ用のもので多分100グラム無いくらいだと思います(Appleの公式サイトには重量が載っていませんでした)。
しかし、僕はこれをいつもiPadに装着して、カバーとして使っているのであまり重いと感じたことはありません。仮に100グラムとしても、
・(iPad+ANKERキーボード+Smart Cover+マンガン電池2本)≒775グラム・・・①
・Macbookの重さ=920グラム・・・②
∴①<②
となり、外出先でちょっとメモを書くだけであれば、iPad+キーボードの組み合わせのほうが軽いです(もっとも僅差といえば僅差なのでMacBook買える人はそれに越したことはない気がしますが…)。
参考までにSmart Coverはこちら↓。
価格はどうか?
話をANKERのウルトラスリム Bluetooth ワイヤレスキーボードに戻します。
価格が2,000円を切る、というのがすごいですね。Apple純正の1/5で済みます。何故こんなにも安いのでしょうか?
Anker ウルトラスリム Bluetooth ワイヤレスキーボード iOS/Android/Mac/Windows に対応 ホワイト
見た目はどうか?
見た目もApple製品に寄せてきている感じがあって、多分Appleのデザインが好きな人でも許容範囲なのではないか?と思います。


こんな感じで、朝会社に行く前にカフェで作業していたりします。
3ヶ月ほど使用してみた感想、メリット、デメリットなど
上記のように僕はよく仕事に出社するときにこのセットを持っていきます。あなたも経験があると思いますが、出社等の時はなるべく荷物は軽くしたいものです。
例えば雨の時に傘を持っていくのさえカバンが重くなり嫌になります。
このiPad+キーボードならば、なんとなくカバンに入れてしまう自分がいます。
使ってみた感想ですが、よくあることですが日本語入力と英数字入力の切り替えに戸惑います。ですが、これもコマンド+シフト、或いはCapslock等のショートカットキーで切り替えることが出来ます。
違和感を感じる部分といえば、上記の写真にもありますが、文字変換の候補が横に出ることでしょうか。
パソコンでは文字変換する際に僕の場合はスペースキーだけでなくtabキーを使ったりもするのですが、iPadキーボードの場合、tabキーを使うと変換ではなくプログラミング言語みたく ←このような空白のスペースが生まれます。
Enterキーも小さいので、このあたりは慣れという感じでしょうか?使い始めるとそれほど違和感は無い気がします。
僕の持っているMacbook Pro等の浅いキーボードと比較して打鍵は深く、打鍵音も大きい印象です。このあたりは2,000円以下なので贅沢は言えません。
僕は上記の写真にもあるように、iPadのメモ帳(iCloudに保存できる)にブログ等のアイデアを書きなぐっています(Wi-Fiモデルなので、基本はネットに繋がっていないため)。
こういうときにiCloudは非常に便利で、Wifiのある家に帰ってMacbook Proを起動すると情報が共有されており、そちらから取り出せます。あとはコピペして体裁を整えて記事にすることが出来ます。
本当に便利な世の中になりました。
ANKERのキーボードは総じて良い買い物だったと思っています。
見栄えも良いですし、何と言っても軽いし安い!
今、通勤時間が片道2時間ほどかかり、ブログ等を更新する時間がない状態ですが、なんとか空いている時間をこのANKERのキーボードを叩きまくってブログや他のサイト記事作成に充てたいと思っています。
読んでいただきありがとうございました!
2018/10/29追記:一つだけ注意点。キーボードの電源をオンにしたままiPadとともにカバン等に入れてしまうと、iPadのパスコードにロックがかかってしまう場合があります。これは振動で何度もパスワードを入力している状態になるためです。
必ずキーボードの電源はオフにして、カバンにしまいましょう(僕はこれで2回ほどロックかかてしまいました汗)。
朝吹真理子の「流跡」を久々に読み返した感想|言語化されないヌルヌルした何か。
2010年下半期(2011年)の芥川賞作家は二人いた。一人は西村賢太、もう一人は朝吹真理子であった。西村賢太氏はその後もテレビ等に出演したりしていたので知っている方も多いと思うが、僕がこのとき気になったのは「朝吹真理子さん」の方であった。
対象的な二人、性別はもちろん風貌も、人生も、全く正反対なキャラで大変に興味深かった。
西村氏は芥川賞受賞の際に「どうせ受賞されないからソー○ランドでも行こうと思ってた」とか言っちゃう人で、風貌はクマのような感じ。庶民的である。
対する朝吹真理子さんは良いところのお嬢さんという感じの慶應義塾大学の院生、父親は有名な詩人、大叔母が翻訳家、その他親族に有名人多数のサラブレット。
僕は西村賢太氏の苦役列車は現実的な、地に足の着いた視点から面白く読んだのだが、朝吹真理子さんの「きことわ」に関してはそんなに印象に残っていない。
寧ろ前年に書いてドゥマゴ賞を受賞した朝吹さんの「流跡(りゅうせき)」を手にとって読んだときに強烈な印象を覚えたのである。その紡ぎ出される不安定で美しい「世界」の虜になったのだ。
最近は全く新刊が出ていなかった朝吹真理子さんであるが、2018/06に新刊「TIMELESS」が出版されたようである。早速アマゾンで注文したので、読んだらこちらのほうも感想を書きたい(評判が良さそうである)。
さて、久しぶりに「流跡」を読み返してみたのでその感想を書きたい(以前に買った単行本は実家に置いてあるので文庫本の方の感想である。つまり僕は流跡が好きで2冊所有しているのだ!)
「流跡」のあらすじ
この本に「あらすじ」というものがあるのか?読み始めると何とも名状しがたい「世界」が広がっているのだが、ストーリーは今ひとつ掴めない。
強いて言えば、大きく3つの構成部分からなる。
1つ目は日本の中世辺りのイメージがする、主人公が厳島神社を想起させる社の祭典から小舟に乗って逃れ、いつしか夜舟の船頭になって、無味乾燥な生活を送っているある日に水脈を過ち、生とも死ともつかぬ状態になるストーリー。
2つ目は主人公が現代のサラリーマンで、子供のことばの発達が遅いことを気にしている、そのうちに夢か現か住んでいる町の焼却炉の大きな煙突がクローズアップされ、金魚がその廻りをえごえご踊るストーリー。
3つ目は再び1つ目の世界に戻ってきたものの、イメージとしては明治、大正辺りの精錬所の廃墟がある島で、波止場で迎えの船をじっと待つストーリー。
さて、ここで作者の朝吹真理子さんに謝らねばならない。なぜならば僕の陳腐な言語力と読解力でこのような陳腐なストーリー説明をしてしまうと、作品までもがつまらないものだと思われかねないからだ。
しかし、この本を読んだ方は分かると思うが、ストーリーを説明するのが非常に難しい。そこに打ち出されている「世界」は脳で感知できるのだが、パッチワークというべきか、シュルレアリスム小説というべきか、スラスラと説明するための「言葉」が思い浮かばない。小説を読んだが、逆説的に小説を読めていないのである。
ストーリーに関しては文庫本の巻末に四方田犬彦氏の美しい解説があるので、それを参照していただきたい。
「流跡」の気に入った場面
いくつか、自分の気に入った場面を引用する。このような普段あまり使わない日本語に僕は五感が刺激された。と同時に、現代にあるものと古いものが一緒くたに存在し得ている世界というものに面白さを覚えた。
〜白い紙に繋留されていたはずのひとやひとでないもののひしめきが本から消える。跡形もなく。白に白上がりの染め型をかけたようになって判読ができないのか、光学的にみえないだけで、なにかが確かに存在しているのか。〜(中略)〜細胞液や血液や河川はその命脈のあるかぎり流れつづけてとどまることがないように、文字もまたとどまることから逃げてゆくんだろうか。綴じ目をつきやぶってそして本をするりぬけてゆく。流れていこうとする。はみだしてゆく。しかしどこへ〜
〜もののにおい、ひとのやけるにおい。
いくら馴れていても暑い夜には臭気で鼻を削がれる。風にのってあたりの音やらにおいやらが川端に滞留する。運ばれてくる海のにおい。汚泥のにおい。荼毘所が近いからか、いつもひとのやけるにおいがする。あるいは魚の焼ける、このしろのにおいであるかもしれない。いずれにせよ臭気に変わりはない。魚鳥のにおい。三味の音にまじる女の白粉のにおい。鉄漿のにおい。屋形船がぎいぎい鳴っている。性愛の音であるらしい。(中略)客をのせ、頼まれたところまで運ぶ。それで日銭を稼ぐ。客はなにもヒトには限らない。ときによって様様かわる。めづらかな爬虫類、剥製、USBメモリ、密書の入った文箱、スーツケース、厳重に梱包された板きれのようなもの、あるいは生あたたかな風呂敷包み、ダンボール箱、夜更けに運ばねばならないものである以上、たいていはよからぬものに違いはないのだ。〜
〜降りるべき市に着く。陽はさんさんとして空は澄み渡っているというのにバスのステップを下るなり雨がわっと振りだし、ロータリーに滾りおちる。雨だれに陽が反射し、ビルやタクシーの窓ガラスにも光がはね返って光度がきつくなり、閃揺をおこす。突然のどしゃ降りにロータリーを行き交う人むれがわっと拡散し気配がたちどころに失せる。煙突をさがしてあたりをみまわすと古ぼけたビルの間からすうとあらわれる。不揃いに建ちならぶはざまから、それが陽にひかって燦燦と輝いている。その近さ。首をつっ張らせてみあげるのははじめてだった。これまでにない、触れられるほどの距離で、遥かてっぺんから白煙をくゆらしている。煙突に光がかがよい、ひたすら真白く、すべすべして、晴朗として、ゆっくりとカーヴをえがいて上方にのびている。陶然となった。もっと降れ、もっと、もっと。濃かな、すこしねとついた水滴がきりなく市を洗い流す。ふわふわと浮きたち、抑えがたいよろこびに浸されて、これはもう、いよよ免れがたいところまできたのかと、ならば、すべてを捨ててすぐにでも、罠とわかって誘れてやろうと、みごとに取り憑かれてやろうと、聳え立つ煙突に近づいた〜
〜また性懲りもなく身体をもち、波止場にいる。はやく水にもどろうと海にひきもどろうとしても、水になりたいと水を痛いほど感じるその皮膚が邪魔でいつまでも海にもどれず、身体は水圧をかえすようにしずかに脈を打っている。うつらうつら午睡して汽船が着くのを待つ。〜
稠密な言葉で綴られた文章の完成度の高さもさることながら、言葉、或いはそれらの集積であるところの文章が持つある種の「匂い」だったり「触りごこち」が非常に印象的である。
また中世の夜にUSBメモリを乗せて船頭をしている男の風景や、市の中にある大きな「塔」、廃墟となった精錬所のある島の波止場、といった風景が、どことなく懐かしく、ヴァナキュラーな絵画を見ているような視覚的な刺激もする。
とっ散らかったものと「言葉」とのパラドックス
そんなパッチワークみたいな小説が面白いのか?と思われる方もいらっしゃるかと感じるが、一つ一つの場面に使われている言葉の美しさ、適切さ、そしてその言葉によって想起され立ち上るいくつかの世界の幻想性が、この作品は格別と思われる。
何か、展覧会で絵を見ているような印象にかられる。一人の作家の、色々な時代の違う多種多様なモチーフの作品群を「美術館内を歩く」という事によって得られるシークエンスにより、断片から全体が、おぼろげながらも作家の全体像が脳内に写像として結ばれるのと同じように、この作品は一つ一つの場面がもう既に「完璧な作品」であり、「流跡という本を読む」というシークエンスを通じて、おぼろげながらその世界の全体像が脳内に結ばれるのだ。
流跡(りゅうせき)とは流れの跡と書く。流れは幾重にも重なって微かに跡を残していく。多分朝吹真理子さんの頭の中は理路整然というよりかは、とっ散らかっているのではないか?とっ散らかった幾筋もの「流れ」が存在していて、それを纏めようとしたのではないか?
一般的に、そのとっ散らかったものを「言葉」として纏めようとするときに人間は「理屈」をつけたくなる。
言葉というものは極論を言ってしまえば、「無意識」に相対する「意識」に他ならない。「意識」は理屈であり、理性、理論である。
AならばB、BならばC、故にAならばC、QED。といった具合に。しかしながら、この作品にはそのような痕跡は巧妙に隠されている。
我々人間の思考というものは必ずしも「言葉」≒「意識」によって思考されていない。蓋しイメージとしては言葉は氷山の一角であり、その下には言葉にならない、名状しがたい「無意識」の概念が存在する。
「流跡」はそんな無意識の混沌とした概念を朝吹真理子というフィルターを通して、美しい言葉に変換された、或いは変換途中の気配を感じさせる、そんな作品であると僕は思う。まだまだ言語化されていない「ヌルヌルした何か」がこの作品から立ち上ってくるのはそのためであろう。その匂いや、味、手触り、音、かたちを見聞きするのは逆説的に最高の「読書体験」と言えるのではないだろうか?









