アンスネスのショパンアルバムを聴いた感想
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一週間ぐらい前にピアニストのアンスネス(Andsnes)の待望のショパンアルバムを購入した。
今回はその感想を書きたいと思う。
結論からいえば、「意外と頑固なショパン」であろう。ゴツゴツしているという意味ではなくて(逆にスラスラしている)、アンスネスの解釈がポピュラーなショパン演奏のベクトルとズレているというのが印象的で、このような表現になった。
目次:
アンスネスのショパンCDに収録されている曲
【収録曲】
ショパン
1. バラード第1番 ト短調 作品23
2. 夜想曲第4番 ヘ長調 作品15の1*
3. バラード第2番 へ長調 作品38*
4. 夜想曲第13番ハ短調作品48の1
5. バラード第3番 変イ長調 作品47
6. 夜想曲第17番 ロ長調 作品62の1
7. バラード第4番 ヘ短調 作品52*
*2016年の来日公演で演奏された曲
【演奏】
レイフ・オヴェ・アンスネス(ピアノ)
【録音】
2018年1月7日~12日、ブレーメン、ブレーメン放送、ゼンデザール
[レコーディング・プロデューサー]ジョン・フレイザー
[レコーディング・エンジニア]アーン・アクセルバーグ
[エディター]ユリア・トーマス
収録曲を見てお分かりかと思うが、バラード4曲の間に、夜想曲が3曲入っている。アンスネスの書いたライナーノーツを読むと、「(間にノクターンを挟んだのは)バラードの緊張を解して少し息をついていただけるような時間を作るため」「このアルバムの中でショパンの作曲家としての発展を辿っていただけるという意図もある」とのこと。
各曲の独断的な感想
各曲の感想を独断的に述べる。異論は大歓迎!
1. バラード第1番 ト短調 作品23
相変わらず滑らかで、正確なタッチによって紡ぎ出される音に惚れ惚れする演奏。アンスネス特有の美音は健在で、でかい音、フォルテシモでも濁ることは無い。
それは爆音であるはずのコーダーでも同じことで、この「デリカシーがある」ということが、他のショパン演奏と聴き比べると幾分スケールやドラマティックさを欠いたものになっているかもしれない。
しかし、伝記によるとショパンは爆音を嫌っていたらしく、ピアノを叩くような弾き方を嫌い、犬の吠え声と形容していたとか(これだと現代のショパン弾きは半分ぐらい失格になってしまう笑)。
その伝記が確かならば、このアンスネスの解釈はショパンも喜ぶであろう。
そして、毎度のことながらすべての音が丹念に、稠密にコントロールされている。音楽的な自然な流れを失わずに、かつ曖昧に弾かれる音が一切ない。
2. 夜想曲第4番 ヘ長調 作品15の1*
何日か通勤中に聴いて、夜寝るときに思い浮かべるのがこの旋律だった。この「静と動」の2つの要素を持つ夜想曲を見事に弾ききっている。
新たな発見として、アンスネスは「溜め=アゴーギク」をあまりしない演奏家なのだが、若い頃の印象と比べるとかなり「溜め」が出てきたように思う(それでも他のショパン弾きと比べるとあっさりはしているのだが)。
とても輪郭のくっきりした夜想曲に仕上がっているが、なにせ音そのものが美しい。注意深く、丹念に作り込んだ、それでいて自然な演奏に仕上がっている。
この演奏はとても気に入った。
3. バラード第2番 へ長調 作品38*
これは来日公演でも聴いた曲。アンスネスの解釈は他のポピュラーなショパン弾きとは違っていた覚えがあるし、そのことを過去記事でも書いた覚えがあるが、その印象が少し大きくなった。
しかしながら、アンスネスは楽譜を丹念に読み込んでいることがよく分かる。
例えば、2回目のPresto con fuocoの「嵐の」下降音型の前にアクセルがあるのだが、
手持ちの楽譜で確認すると右手にアクセントがついている(下図)。これをアンスネスは忠実に再現している(特に2音目)。
些かスタッカートっぽく聴こえて、こんな演奏は僕は今まで聴いたことが無い。
(基本的に僕はアシュケナージの演奏をよく聴いている)
そう、アンスネスの解釈のほうが、巨匠の解釈より正しいのだ。
僕らが巨匠の演奏を聴いて「ショパン的」と思っていても、よくよく楽譜を見るとその演奏は恣意的であることもある(マエストロホロヴィッツ、その音楽譜にないよ!みたいな笑)。
勿論、どちらの演奏も素晴らしいのだが、こういうところを疎かにしないアンスネスの演奏は逆に新鮮に映るのだ。また、すこし頑固にも映る。
歴史が紡いできた「ショパンはこう弾くべき」という固定概念を覆すレヴェルの演奏だと思う。
4. 夜想曲第13番ハ短調作品48の1
巧い。こういう具合に弾きたい、と思わせる演奏。次のフレーズに移るのが早いので、幾分スイスイとした演奏だが、それが現代的でスタイリッシュな雰囲気を帯びている。
こういう潔さ、情念や、ドラマティックさにあまり耽溺しない演奏は逆にこの曲の「意味」を問いかけているようで、引き込まれる。
このアルバム全体を通して言えることではあるが、アンスネスの演奏はやはりどこか「さっぱり」とした趣がある。
5. バラード第3番 変イ長調 作品47
完成された音楽、といった趣。僕は楽譜を片手に聴いてみたが、すごく細かい部分まで読み込んで表現していることがよく分かった。現代の演奏家でこれほどまで完璧なバラード3番を演奏する人はいないんじゃないか?ぐらいのレヴェル。音の艶やかさ、テンポ、微妙なアゴーギク、曲想に沿った音色の選び方、どれをとっても超一流である。
ただ、この曲は僕自身がそれほど好物ではないので(好きではある笑)、このあたりにしておく。
6. 夜想曲第17番 ロ長調 作品62の1
ショパンのノクターン(夜想曲)でどれが一番好きか?と言われたら僕は8番と答えるが、どれが一番傑作か?という質問には16番とこの17番で迷う。
アンスネスの演奏はこの複雑なショパンの心境、目まぐるしく移ろいゆくフレーズや、対位法的な書法で書かれたパッセージを丹念に紡ぎあげていく。
本当に複雑な音楽だと思う。シューマンの「フロレスタンとオイゼビウス」という二重人格的なものよりももっと複雑。
横のラインでも曲のフレーズは変わるし、縦のラインでも考えるべきことが一杯。
アンスネスの演奏を聴いているとショパンの心の中に苦悩や、歓喜、諦観、希望、その他の色々な感情が混沌と渦巻いていたことを察することが出来る。
得てして天才というものはアンビバレンツな要素が矛盾なくその精神に宿っているものだが、この曲もそういった様々な要素を持った曲といってよいだろう。単純に二項対立的に「明るい曲↔暗い曲」とはならない曲の典型である。
アンスネスの演奏でショパンが託したこの曲の問題提起がよく分かった。
7. バラード第4番 ヘ短調 作品52*
さて、一番問題なのが、このバラード4番のアンスネスの演奏である。
一般的なショパン的「バラード4番」を聴きたいのであれば、クリスチャン・ツィメルマンあたりを聴いておけば間違いないであろう。
アンスネスの演奏はそういった「ショパン的な演奏」とはベクトルが違う。
一言で言うとバッハ、対位法を意識した演奏ということが出来るであろう。
楽譜を見ながら聴いたのだが、のっけから左手の旋律も疎かにしない、そういった決意表明が聴いていてよく分かる。
上図は第一主題が再現される部分の一つであるが、このような箇所をアンスネスは右手の一番高音の旋律のみを際だたせるような弾き方はしていない。あくまでもショパンが晩年傾倒した「対位法的な表現」に固執していて、中声部、低音部ともにすべての音の横の線のポリフォニックな連なりを意識して弾いている。
もっと端的に言えば中声部や下声部の音が目立つ。
このため、幾分バッハ的な聴こえ方がするのだ。
ただ、この解釈には弱点があって、右手の主旋律のみを際だたせるように演奏すれば得られるであろうドラマティックさが失われてしまう可能性があること(バッハ以前の、より古典的な音楽に近くなる)が挙げられる。
2016年に来日した際もこの曲を弾いた時はバッハを意識した演奏がありありと分かったし、僕は過去記事でそのように述べている。
しかし、聴く人によっては「変わった解釈」と捉えられるとは思う。ショパンらしくない、とも聴き取れるであろう。
余談ではあるが某掲示板で昔活躍していた○ーノンクール氏(bun氏)などは、2016年の来日の際の演奏に関して、アンスネスの演奏はドビュッシーは良かったけれど、あの音大生のようなショパンはダメ、みたいなことをTwitterで呟いていた。頭の良い方なので、言いたいことはよく理解できる。
ピアノを弾いた事がある人ならば分かると思うが、特に新しい曲を練習する時に旋律が伴奏に埋もれてしまう。アンスネスのバラード4番の演奏は意図的にではあるが、そのように聴こえる方向になってしまうのだ。
ロマン派の音楽にポリフォニックな要素を付与するような場合、演奏者の意図を理解し注意深く聴かないとそのような意見が出てきてしまうであろう。
アンスネスのライナーノーツからの言葉を引用しておこう。
バラード4番を勉強し始めたのは5〜6年前からです。4曲の中で最後に勉強した曲ですが、長い間崇拝してきました。演奏技術の上でも、音楽的にも、とびきり複雑です。自由かつ奔放で、一つの感情から別の感情へ瞬時に切り替わるので、弾くのにやや怖気づく曲でした。このもっとも複雑で偉大な音楽は、途方もない悲しみに満ちた主題で始まります。最初のうちは、悲愴な気分に満ちたこの部分を弾くと涙が止まりませんでした。音楽家としては、自分の演奏で泣いてしまっては意味がないわけです。しかし私にとってバラード4番に渦巻く感情はそれほどまでに強烈だったのです。
このバラードの悲しみに満ちた主題を、たまに、メロディなしで左手の和音だけで弾いてみることがあります。和音そのものが苦しみに満ちていて、ショパンが人間の苦悩をこのような音に出来たこと自体が信じられない思いです。
ショパンの音楽で典型的なのは、晩年になるにしたがって、作品の声部が複雑になっていくことでしょう。バラード第1番と第4番との間の差異の一つには、低音部がまるで対位法を構成するもう一方のメロディのようになっていて、しかも中声部の動きも込み合っているという点が挙げられます。ショパンはバッハの作品を愛し、毎日弾いていたのです。第4番のポリフォニックな各声部の絡み合いは、まさにバッハの作品を思わせます。この対位法的要素は晩年に向かうショパンにとって重要なものになり、初期のより純粋かつ古典的な作風とは大きく異なっています。
聴いてみた感想を書いていなかった。僕はこの曲に関していくつか新たな音の発見をした。今まで耳を澄まさなければ聴こえなかった音が聴こえてきた。
巨匠たちが伴奏として使用していた音に新たに光を当てて、主役と同等の価値を与えること。これは新しいショパンであろう。
まとめ〜全体を通して
アンスネスのショパンアルバムの感想を全体を通してまとめると、僕個人の意見だが、先にも書いた通り「意外と頑固なショパン」ということになるであろう。アンスネスはポピュリズムに近づかない。従来のショパンらしい演奏を排除し、注意深く楽譜を読み込み、このような解釈を開陳した。
とりわけ、バラード4番にみられる対位法的な処理は逆に新しさを覚える。
この演奏で想起されたのが、グレン・グールドの弾くショパンのソナタ第3番である。ロマンティックなショパンに何とか対位法的な意味付けを加えられないか?と模索した部分が重なるのだ。
もっともピアニズムが違うので、コンセプトが似通っている、という程度ではある。
また、以前から思っていたことだが、アンスネスのピアニズムにある、ある種の「いさぎよさ」はアレクシス・ワイセンベルクのピアノに通づるところがあると思う(スイスイと進んでしまう感覚とか)。
アレクシス・ワイセンベルクとグレン・グールドを足して二で割ったところに確固たる楽譜に裏打ちされた美音を加えた演奏、と言ってもよいかもしれない。
もっと聴き込んでいきたい、と思えるアルバムと出会えて良かった。
読んでいただきありがとうございました!