ミヤガワ日記

ピアノや読書を中心に、日々の気になったことを書いていきます

ピアノが上手くない大人は独学はやめておいたほうが良い理由(ショパンのワルツ7番を弾いてみた結果)


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ピアノが上手くない大人、これずばり自分の事です。

今日はそんな「ピアノが上手くない大人、初心者は独学は止めておいたほうが良い」という話を自戒を含めて書きたいと思います。恥を忍んでショパンのワルツ第7番嬰ハ短調(op.64-2)の動画もアップしました。

ピアノを弾く人

 

独学でもいいじゃん、楽しければ

「独学でも自分が楽しかったら良い」僕も長年そう思っていました。実際にジャズとかポップスのピアノを弾く人の中には独学でピアノを学んで、驚くべき音楽を聴かせるプロが存在します。

また、大人からの独学ピアノでは、「どうせ人に聴かせるわけじゃないんだし、自分が楽しめればいいんだ」という人もいます。
僕は小さい頃にピアノを習っており、大人になってからピアノを再開した所謂「再開組」というやつですが、一時期はこのように考えておりました。

「今更やったって、プロになれる訳ではない、自分の楽しめる範囲で、自己流で弾いていけばいいんじゃね?」

という感じですね。

ある意味、これは真理です。何故なら、「ピアノを弾くことが苦痛であってはならない」からです。これは絶対的な真理であると僕は考えます。まずは「弾いている自分が楽しむ」という事を考えないと、本当に良い演奏ができないのです。

 

自分が楽しんで弾けていない演奏は「やれ」と言われてやる勉強と同じでその場では良い成績を取ったとしても、自分の中で勉強に対する興味が薄いために、その後の応用力が全然つきません。

余談ですが、世の中の「親」と呼ばれる人の中には「勉強しろ!」と子供をスパルタ教育する人がいるかと思いますが、その子が勉強することに興味を覚えているならそれはOKなのですが、興味が無いのならば、怒られた時点での成績が良くなるだけで、応用力は身につきません(また、こういう親に限って一つのテストの成績で一喜一憂する)。もっと上手く子供の知的好奇心をくすぐる方法で教育するべきです。

 

閑話休題、大人になってピアノを始めたい、または再開したいと思っているならば、「ピアノを楽しめる素質が元々ある」という事です。このあたりについては心配しなくてよいでしょう。

問題は、独学で続けるか、それとも教室等に習いにいくか?です。

僕は独学でも良い、という人の気持が痛いほどよく分かりますが、下記のような事がありました。そして、今現在、ピアノの先生を探しております。

 

 

youtubeに上げたショパンのワルツにダメ出しされてしまう

まずは、現在ピアノ独学中で、いつまでたっても初心者止まりの僕のショパンのワルツ第7番嬰ハ短調作品64−2をご視聴下さい。

www.youtube.com

 

さて、このワルツですが、正直に言いましょう。僕は結構自信がありました。途中に弱音ペダルを踏むのが遅れたり、最後の方でミスはしているものの音も拾えているし、些か速いかな?とも思いましたが、ディヌ・リパッティとかもこの位のスピードで弾いているし…。

ところが、これを見たあるピアノの弾けない友人が、

「なんか、一本調子の曲だね、退屈だよね」

と言ってきたのです!

僕はなぜ、そんな事を言うのか!と憤慨すると同時に、「やはり、バレるのか…」と思ったのです。友人にそういうふうに言われる事を、僕はどこかで「知っていた」という事です。

つまり、僕は自分の演奏を完璧にした!と思っていたのですが、心のどこかに「譜面の読み込みが足りない、練習量が足りない」という事を自覚していたのです。

この友人はピアノが弾けないですが、物凄く勘が良いところがあり、実に的を射た発言をしてくれます。恐らく、ピアノの先生とか、ピアニストが聴いたらもっと酷い評価を得られるでしょう。

自分でも分かっていました。もしこの演奏をピアノ教室で弾いたら先生に「顔洗って出直してこい!」と言われるレヴェルの演奏である事を…。

 

 

 

演奏のどこが悪いのか?分析してみる

 
形式を理解していない

このショパンのワルツは大きく捉えるとA-B-C-B-A-Bというカタマリで捉えることができます。

 ショパン ワルツ集(遺作付) 解説付

Aはマズルカのリズムで、物悲しい、高貴なイメージ、Bは流れるような下降音型と上昇して解決する部分が2回繰り返されます。中間部Cは落ち着いた、夢見るような束の間の喜びのイメージ。

こういった形式を大まかに捉えて、演奏方法を吟味する、という事が僕の演奏では抜けています。いや、自分でも「大まかには」理解しているつもりでした。しかし、こうして自分の演奏を客観的に聴いてみると、「理解していないで、一本調子で弾いている」ように聴こえます。

つまり、形式を理解する、という事は「ただ、なんとなく」という意識では足りず、キッチリと確認して、その変化を演奏に反映するべきです。

 

 

形式を理解して、弾き方を変えるという事が出来ていない

上記の事が分かったら、演奏に変化をつけるべきです。

例えば、このワルツでは「B」の部分が3回出てきます。Bの中に同じ音型が2回出てくるので、全体としては2×3回の、同じ音型が出てくる訳ですが、この音型を皆同じに弾いてしまったらつまらないし、一本調子になると思います。それはショパンの本意ではないでしょう。

僕も弾いているうちに「なんとなく」その事は気づいていましたが、この「なんとなく」というのが曲者で、なんとなくではダメなのです。きっちり「どのように弾くか」という事を設計して弾き分けないと、このような一本調子の演奏になってしまうのです。

 

youtubeを漁ってみたら、面白い演奏があったので、ここに貼ります。変人ピアニストであるシプリアン・カツァリスの、へんてこな演奏です。

www.youtube.com

Bの部分のみならず、再現されるAの部分まで、弾き方や、強調する音を変えて弾いています。本当に僕の弾いている「ショパンのワルツ7番」と同じ曲なのか?と思わず楽譜を確認してしまうレヴェル。

常人には到底無理な芸当ですが、トリッキーで変態な演奏ながら、感嘆するのみです。ピアニストって本当に凄いですね。

 ショパン:ワルツ集

 
一つ一つの音に対する敬意が感じられない

僕は「うるさい音、びっくりするくらい大きな音」が嫌いです。仕事中でも電話がいきなり鳴るとびっくりします。

そんな自分が出している音に関しては無頓着である事に、自分の演奏を聴いて気づきました。「自分は感受性が豊か」と思っていた過去の自分をぶん殴ってやりたい気分です(笑)。

先程のシプリアン・カツァリスの演奏を聴いているとピアニストは「自分の出している全ての音を把握している」という事に気付かされます。僕の演奏はこれが出来ていないです。全ての音を把握した上で、低音と高音のバランスや、強調すべき音、リズム等々に注意を払うべきです。

 

 

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ピアノを先生について習えば解決するか?

 

ずばり、ピアノ教室に通って習えばこれらの問題は解決するか?と言われれば、実際は本人のやる気に大きく左右されると思います(牛を水飲み場まで連れて行くことは出来るが、水を飲ませることは出来ない)。

しかしながら、僕のような曲の構造分析が出来ない人、もしくは曖昧な人で、上手くなりたい人は是非とも習いに行くべきです。

もしくは、僕のように自信を持ってyoutubeにアップしたが、「弾けてないじゃん」とか言われてしまう人は習いにいくべきですね。客観的に自分の演奏が聴けていないからです。

 

僕も過去に大人になってから先生に2回ついて習ったことがありますが、まず、緊張感が違います。独学だと弾き飛ばしてしまう音の一つ一つがピアノ教室で先生の前だと、「聴かれている」というある種良い意味でのプレッシャーによって音に磨きがかかるのです。

曲の構造についても、良い先生であれば的確なアドヴァイスをしてくれると思いますし、初心者であれば難関である左右の手を使って弾くとか、そもそも音符の読み方が分からない、というところも教えてもらえるでしょう。

個人的には「自分の個性的な演奏」というものができるのは、そのような手ほどきを受けた後に自分で演奏について深く考えてから初めて「出来るかも」と思えるレヴェルのものだと思います。

あと、独学でやっているよりも、ピアノ教室に通うほうが実は楽しい、という事も多々あります。それは人前で演奏できる喜びです。先生の前で自分の音楽を聴いてもらう喜び、或いは発表会で聴いてもらう喜びですね。

ピアノ教室によっては「ピアノ発表会」が無い、他の生徒との交流が無い、というところもありますが、できればピアノ発表会とかには参加したほうがよいです。たとえ下手だとしてもとても良い経験になります。僕も何度か小さい子供に混じって、ピアノ発表会に出た経験があります。

発表会の様子を、またの機会に是非書きたいと思いますが、出番の直前にステージの袖からみる、スポットライトに照らされた黒くて大きなピアノの恐ろしさや、名前が呼ばれて眩い光の中の舞台に歩を進めていく感覚、これから自分の音楽を聴衆に届ける事ができるか?という不安、暗譜は飛びはしないか、という不安、自分の解釈を見せつけてやるぞ!といった山っ気…色々な感情が交錯し、なんとも言えない感覚になります。

そして弾き終えた時にもらえる拍手、これらはかけがえのない経験となります。

 

 

 

ピアノはコミュニケーションの手段

ピアノを弾く二人の少女

最後に、ピアノ教室に行く意義、それは「音楽は一人でやるものではなく、コミュニケーションの手段である」という事です。一般的なピアノ独奏は一人でやるものですが、聴かせる人や、聴いてくれる人がいないと、それは「音楽ではない」といってもよいのではないでしょうか?

独学が許されるのは、ピアノ上級者で、楽譜の分析(アナリーゼ)が出来る人で、かつ自分の演奏をどこかで聴いてもらう機会がある人に限られます。

僕のようなさして上手くない、中途半端な分析しか出来ない、聴いてくれる人がいない人は是非ともピアノ教室に通って自分の演奏を誰かに聴いてもらいましょう。

実際に高名な中堅ピアニストであっても、未だ先生に師事してピアノの腕を磨いている、という話をそこら中で聞きます。ピアニストでさえ先生について習っているのです。

ピアノ初心者や、中途半端に弾いている人が習っていないというのはある意味ナンセンスでしょう。

 

過去記事を参照してもらえば分かると思いますが、そういう自分自身、まだピアノ教室に通えていないですが(汗)…。今年こそは良い先生を探してピアノ教室に通いたい、と思います。

 

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piano6789.hatenablog.com

 

 

 

読んでいただきありがとうございました。

 

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