ミヤガワ日記

ピアノや読書を中心に、日々の気になったことを書いていきます

アンスネスのシベリウスCDを聴いた感想

ピアニストのレイフ・オヴェ・アンスネスによるシベリウスのピアノ作品集のCDが9月に発売されました。9月の時点で即買っていたのですが、感想なりレビューはよく聴き込んでからにしようと思い(決して面倒くさかった訳ではない…)、今回ブログを書こうと思った次第です。

 

目次:

 

アンスネスのCD

↑このCDですね。アンスネス氏、昨年のコンサート時と同様、ヒゲを生やしております。シベリウスのアイノラ荘をイメージしたのでしょうか?北欧の、木で出来た住まい風のセット?

 

 

収録されている曲

シベリウス
1.6つの即興曲作品5より
 即興曲第5番*
 即興曲第6番
2.キュリッキ(3つの抒情的小品)作品41
 第1曲 ラルガメンテ
 第2曲 アンダンティーノ
 第3曲 コモド
3.ピアノのための10の小品作品24より
 第9曲 ロマンス*
 第10曲 舟歌
4.ピアノのための10の小品作品58より 第4曲 羊飼い
5.悲しきワルツ作品44の1[ピアノ独奏版]
6.ソナチネ第1番作品67*
 第1楽章 アレグロ
 第2楽章 ラルゴ
 第3楽章 アレグロ・モデラー
7.ピアノのための5つの小品(樹木の組曲)作品75より
 第4曲 白樺の木
 第5曲 樅の木
8.ピアノのための2つのロンディーノ作品68より ロンディーノ第2番*
9.ピアノのための13の小品作品76より 第10曲 エレジアーコ
10.ピアノのための6つのバガテル作品97
 第5曲 即興曲
 第4曲 おどけた行進曲
 第2曲 歌
11. 5つのスケッチ作品114
 第1曲 風景
 第2曲 冬の情景
 第3曲 森の湖
 第4曲 森の中の歌
 第5曲 春の幻影

*2016年の来日公演で演奏された曲

(以上、ジャパン・アーツのサイトより引用)

 

シベリウスの曲だけですね(当たり前か)。しかもシベリウスピアノ曲はあまり有名ではないので、このリストを見ただけではどんな曲か分かりません。せいぜい有名なのは「樅の木」や、「キュリッキ」ぐらいではないでしょうか?

少なくとも僕は昨年(2016年)のアンスネスの日本公演での演奏を聴くまではそのくらいしか知りませんでした。「キュリッキ」はグールドのCDで知ったし(数年前のアンスネスの日本公演でも取り上げられていましたが)、「樅の木」はよくピアノ教室の発表会で大人の人が弾いていたりするので知っていました。

シベリウス交響曲管弦楽曲、バイオリンコンチェルト等に比べると、控えめに言ってもピアノ曲はマイナーなイメージしかありません。

まぁ、だからこそアンスネスのようなメジャーなピアニストがマイナーな作品を紹介してくれるこのようなCDは貴重に思い購入した次第です。

 

 

 

以下、独断と偏見でこのCDの曲の感想を述べたいと思います。あくまで自分の感想なので悪しからず(後から見ると黒歴史になりそうな感想もあるよ!汗)。

フィンランドの荒野

 

くすんだクリスタル|6つの即興曲作品5より「即興曲第5番」

少しくすんだ宝石がポロポロ落ちてくるような、下降音型アルペジオではじまる。僕には冬の広大な荒野に立ちすくんだ孤独な男の背中が見えた。何も咲かない枯れ木と枯れ草だけの寂寥な荒野には冷たい風が吹いており、男は何かを決断したかのように思える。束の間希望の風が吹いているが、やはり行く手は困難の風で溢れている。しかし、男は荒野に一歩を踏み出す。

 

昨年もコンサートでこの曲を聴かせて頂きましたが、アンスネスの技巧は素晴らしいものです。繊細なアルペジオと、どっしりとそれを支える左手のオクターブの音量やタイミングがバッチリと合っている。アンスネスは弱音の出し方が巧い、と思えました。

余談ですが、僕は少年時代、山間の田舎に住んでいたのですが冬に風が吹くと風の音が山に反響して「ゴォ〜」と鳴っていたのを思い出しました。春には風に匂いがある事も分かりました。

 

 

ドラマティックな3つの楽想|キュリッキ(3つの抒情的小品)作品41

1曲目、2曲目、3曲目とも大自然の中で独りになる瞬間がある。大きな自然に対峙しているちっぽけな人間を思い起こさせる瞬間がある。寂寥とした北欧の風景が思い起こされる。冷たい氷の国に突如現れる光の中に不思議な、人間を超越した存在が見えることもある。

 

キュリッキに関しては楽譜も持っており、弾こうと試みた事もあるのですが、シベリウスピアノ曲は弾きにくい。リストやショパンの弾き辛さとは違った、悪く言えばピアニスティックな書法で書かれていないが為の弾き辛さですね。

グレン・グールドのCDも持っています。グールドの演奏は「左右の音の対等さ」みたいなものを追求しているためかドラマティックな側面を意図的に排除していますが、このアンスネスの録音はとてもドラマティックに仕上がっています。こういう録音を待っていたという感じです。アンスネスはリズム感がとても良いので、3曲目等も面白く聴けました。

 

 

喜びと諦観|ピアノのための10の小品作品24より第9曲 ロマンス

暖炉の火を見ながら老人が遠い昔のロマンスの回想をしている。甘く楽しい思い出だけでなく、蹉跌や諦観もあったが今となっては全てを受け入れて懐かしんでいる。思い出を愛でるように。

 

アンスネスは昨年、シューマンのコンチェルトをジンマン指揮で弾いてくれたのですが、アンコールがこのロマンスでした。リサイタルでも弾いてくれました。この曲はシベリウスの曲の中でも聴きやすいというか、ピアニスティックだと思います。所々2声になったりする部分が何とも言えず良いです。あとは中間部の音階が右手上昇、左手下降してから決然と鳴らされる部分はとてもドラマティックです。

あの時の感動がCDで聴けるとは!良い時代になったものです。

 

 

 

陰鬱でオシャレ|悲しきワルツ作品44の1[ピアノ独奏版](劇音楽クオレマより)

巴里で催されるような華美なダンスパーティーにはなりきれない。踊る人々の足取りは重く息苦しい。死の予感がする。どこか偽物じみた、皮肉めいた、道化師たちのダンスパーティー。

 

この曲の出だし、左手のデモーニッシュな「刻み」の音はスタッカート気味に奏され抜群の効果を得ています。こういう旋律以外の音も疎かにしないところがアンスネスの巧さだと思います。この曲を初めて昨年のアンスネスのリサイタルで聴きましたが、最初はサティとかのフランス音楽ぽいなぁ…と思いました。そんな瀟洒な雰囲気と共にどこか陰鬱な空気が感じ取れました。

音楽の進め方が抜群によいです。アンスネスはあまりアゴーギク(スピードの変化)を付けない人でしたが、時折ためらいがちに遅らせる低音に重い足取りがよく表現されています。

ダンスパーティーのヒール

 

焦燥感|ソナチネ第1番作品67 第3楽章 アレグロ・モデラー

救急車が来たよー(笑)

 

↑ちょっとふざけました。でもそんな焦燥感がこの曲にはあります。右手のオクターブトレモロが救急車に聴こえてしまって(笑)。

曲想に不安定さがありますが、1楽章や2楽章と比べると3楽章は纏まっている気はします。ライナーノーツによると、このソナチネop.67は20世紀初頭に書かれたピアノ曲として最も革新的で特異なものの一つに数えられる、とあります。

しかしながら僕はまだこの曲の良さが良く分かりません。シベリウスはピアノ音楽で実験を試みたのでしょうか?かといって現代音楽にもなりきれていないような不思議な空気感があります。

 

 

 

冷たさと温かさ|ピアノのための5つの小品(樹木の組曲)作品75より第5曲 樅の木 

樹氷の街。外套を羽織り行き交う人々を見つめてきた樅の木。樹形図のような人々のあらゆる記憶が複雑に絡み合い、冷たい結晶となり再び雪として降ってくる。

 

ここでのアンスネスの演奏は過度にロマンティックにならず、かといって冷たい演奏でもなく、見事に樅の木の持つ冷たさと温かさというアンビバレンツな要素を結合して処理していることを賞賛すべきでしょう。急き込むように弾くべきところはそのように弾いてくれています。シベリウスの中でもピアニスティックな曲、このような演奏を待っていたというべきでしょう。

街路樹と樹氷

 

ここはロシア?|ピアノのための2つのロンディーノ作品68より ロンディーノ第2番

月曜日にお風呂をたいて火曜日にお風呂に 入り…♪

 

↑すみません。またふざけました(笑)。でもこの曲と、後に収録されている「ピアノのための6つのバガテル作品97 第4曲 おどけた行進曲」なんかはどことなくロシア民謡を彷彿とさせます。シベリウスの母国フィンランドはロシアとお隣ですしね。

アンスネスの今までの録音でヤナーチェクとニールセンのCDやホライゾンズのCDを持っているのですが、そこにもこれと同じような民謡を元にした短い曲があったような気がします。そして、アンスネスはこういう曲を弾くのが巧い!曲想を理解して纏めるのが巧いんでしょうね。

 

 

森の中で目眩、または底なし沼|5つのスケッチ作品114 第4曲 森の中の歌

森を進んでいる内に迷子になった、どこまでも続く林、どこを見ても同じ光景。一生森からは抜けることは出来ない。底なし沼のような森。

 

この音楽はなんとなく今のゲーム音楽にありそうな音楽で面白かったです。曲というよりは音素材といった雰囲気ですが、アンスネスがその卓越した能力で曲として纏めているという感じですね。

 

 

 

総括

 

シベリウスとピアノについて

さて、黒歴史になることを分かっていながら恥ずかしい感想を書いてきましたが、このCDを通して改めてシベリウスピアノ曲にも良い曲があることに気付かされました。

多くはピアニスティックではない、恐らくはシベリウスは作曲する時にオーケストラを頭で鳴らしていたのではないか?と思うような作品が多かったですが、何もピアニスティックな作品だけがピアノで弾かれるべきだとは思いません。

「手に馴染む曲」をピアニスティックと定義すればそのような曲ばかりでは表現の幅が小さくなってしまいます。特にシベリウスのような大作曲家は他人の作品を吸収はするものの、自分の「音楽」を作りたいと願っていたと思います。シベリウスの意図を知るという意味でこのアンスネスシベリウス作品集はとても貴重なCDの一枚足りうると思いました。

 

アンスネスのピアニズムについて

これも過去のブログでも度々言ってきましたが、やはりアンスネスは一つ一つの音を疎かにしない、そしてよく纏まった演奏を聴かせてくれます。

ピアニズムで思い出しましたが、最近考えていること、「プレトニョフの演奏とアンスネスの演奏は随分アプローチが違うなぁ」という事です。(いきなりプレトニョフの話ですが分かりやすいので)

僕が考えるに、

プレトニョフは演奏にメリハリをつけるために所々音を抜く(出さないわけではない)タイプ、

アンスネスは全部の音を(もちろん強弱を考慮して)出すタイプ。

このようにカテゴライズしました。どちらも超がつく素晴らしいピアニストですが、本当に色々なタイプのピアニストがいるものです。

そしてアンスネスのアプローチはショパンにはあまり適さないかもしれませんが(独断です)、シベリウスとかグリーグの音楽には適しているように思えます。北欧繋がりということもあるでしょうし、何よりアンスネスシベリウスを愛しています。

 

最後にCDのライナーノーツにあったアンスネスシベリウスの音楽に対する想いを引用したいと思います。

 

"IT INHABITS A PRIVATE WORLD;

IT IS ALMOST NOT FOR

THE PUBLIC, BUT SOMETHING

TO PLAY FOR A FRIEND,

OR EVEN ALONE."   LEIF OVE ANDSNES

シベリウスの音楽は内面世界を映し出しています。

コンサートの聴衆ではなく

友人のために、あるいは一人で弾くために

書かれた音楽であるかのようです。   レイフ・オヴェ・アンスネス

 

読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

階段から落ちて右腕を負傷しピアノが弾けなくなった話

人の役に立つ事はないでしょうが、取り敢えず書きます。

 

目次:

 

 

右腕を怪我した経緯

 

去る9月15日(金)の朝、僕は某国からの飛翔体のラジオニュースをiPhoneで聴きながら駅に向かい、ホームに降りる階段に差し掛かった。その時、何故か次の一歩が踏み出せず、階段で盛大にコケた。一回転ぐらいしたと思う。幸か不幸か周りにあまり人はいなかった。

兎に角自分自身ビックリしたのと、身体が痛くて仕方なかったが、取り敢えずは電車に乗って職場に行くことにした。

職場について、ドアノブに手を掛けて捻ると痛い。どうやら右腕と、右腰(右のおしり)を痛めたようだった(僕は鉛筆以外左利きですが、ドアノブに関しては外から内に入る時と内から外に出る時で違う手を使っていることに今更気づく(笑))。

毎朝職場には始業1時間前につくので、コーヒーを飲みながら痛みを我慢して「さて、どうしたものか?」と考えた。

その内に上司が出勤して来たので相談して、「今すぐ病院行ってきたほうがよい」という結論に達した。

職場近くにある整形外科を調べて行ってみた。

「どうしました?」

「先ほど駅の階段で転んでしまい…」

「それは災難だったね、レントゲン撮りましょう」

先生が神妙そうな顔をしてレントゲン画像を見て一言、

「骨は折れていないね。ヒビも入っていない」

僕はひとまずホッとした。

「打った直後はあまり痛くは無いんだけれど、時間が経過すると痛くなるので、2週間位様子を見ましょう」

そんなことで大量のロキソニン湿布をもらって職場に帰った。

その日は全身が痛くて仕方なかった。もう仕事どころではなかった。家に帰っておしりを見てみるとバカでかい蒙古斑のように右のおしりに青あざができていた。「医者におしりも見てもらえばよかったなぁ…」と後悔した。

転倒する人

 

 

 

タオルも絞れない、蛇口も廻せない

 

取り敢えず敬老の日まで3連休を家で過ごしたのだが、痛みは増すばかり。医者の先生は打撲とも捻挫とも何も言ってくれなかったが、タオルを絞るにも右腕が痛くてかなわない。蛇口も捻ると痛みが走る。

どうやら「捻る」という動作がNGなようだ。

実家の母親に電話して事の次第を話すと「普段転ばないお前が転んだのは、脳に異変があるからではないか?もう歳なんだし気をつけなさい!」などと言われる始末。まあ確かに最近人の名前が出てこないし、脳が衰えている感は否めないが…。

会社に通勤するのも一苦労である。人混みの中右手にぶつかってくる人に怯え、電車では手すりも満足に掴めず、左手でカヴァーするためか、1日1日がとても疲れる。

幸い、ひげ剃りや歯磨き、食事は怪我をしていなくても左手でするのでそこは変化が無かったが、シャワーも左手で持ちながら右手で頭髪を洗うのが痛かったり、筆記は右手なので痛かったり、寝て起き上がる時に左手しか使えなかったりしてとても不便であった。

世の中には片手しか使えない方々もいらっしゃると思うがそういう人々の苦しみや、疲れ、ハンデがまざまざと分かった。

だから僕はこれからは電車の優先席には座らないと決めた。

 

 

 

恐る恐るピアノを弾いてみる

 

右手に力が入らない、速弾き出来ない、指くぐりとかすると「捻る動作」になり痛い。

その時に練習していたのはトレネ=ワイセンベルクの「En avril à paris(四月に巴里で)」というかなり背伸びをした曲だったが、弾いている内に速度は遅くなっていき、左手の伴奏の音は出るが、右手の旋律がどんどん埋没していき、その内に霞のように消えていく。

しばしの静寂の中右腕を押さえて「ああ、僕はもう一生ピアノが弾けないのか…」と「悲劇のヒーロー」気取りでつぶやいてみるも、別に自分はピアニストでも無いし、さほどピアノが巧いわけでも無いので虚しさが増すばかりであった。

 

右腕を怪我して泣く人

 

 

 

怪我をして初めて「ピアノが弾きたくなる」

 

不思議なことに普段ならばピアノの練習なんかしたくない!と思っていた自分、2週間位ピアノに触れなくてもそれが通常だった自分が、怪我をしたことによって、或いは怪我をして「もうピアノが弾けないかもしれない」と思った途端、「ピアノをもっと弾きたい!」と思えるようになった。

全く、人間の(僕の)脳みそというのは普段いかに怠けているかよく分かったし、取り返しのつかない事態になってから初めて作動するのだなぁと。逆に言えば毎日精一杯に生きている人はスティーブ・ジョブズみたいに「明日死ぬ事があれば今日やるべきことは何か?」を考えて生きているのだなぁ、などと妙に感心したりした。

 

昔読んだアマチュアピアニストの金子一朗氏の著書「挑戦するピアニスト 独学の流儀」を思い出した。

金子氏も風呂場で指を痛めた事をキッカケにアマチュアピアノコンクールを目指したという経緯があったので、僕と金子氏の技量の差は雲泥であるにせよ、起こった事象は同じである。

(余談だが、金子氏の演奏は凄い。僕はピティナのコンクールと、某大学マニアック系ピアノサークルでのゲスト演奏を聴いた事がある。とりわけピアノサークルの方は金子氏はラヴェルの「夜のガスパール」を弾いていたのだが、直前に弾いていた人々から一転して空気感が変わり、もはやアマチュアという枠には収まらないプロの演奏であった。念のため付け加えておくが、直前まで演奏していた人々も超絶指が廻るうまい人達であったが、金子氏の場合オーラも凄く、演奏の完成度がずば抜けていた。)

 

 

そんなこんなで、痛いけれど出来る範囲でピアノで指を動かしていた。

右腕を怪我して分かったことが一つある。それは僕の演奏がいかに脱力出来ていないか、という事。痛みが出ないように指を動かしたり運指したりすると、何故か「脱力のコツ」がつかめた。今までは「鍵盤を精一杯押しにいっていた」というイメージが、「今の力で押せるものだけ押せばよい」というイメージに変わった。

当然、マトモな演奏にはならないものの、少なくともピアノ演奏の際によく言われる「脱力」のイメージが掴めた。

そういった意味で「怪我をしたのも満更悪いことでもなさそうだ」と思ったのも事実である。

(無論、自分の主観的なイメージなので間違ってもここを読んでいるあなたは「怪我しよう」などと思わないで下さい。あと、怪我をしている人はピアノを弾く前に必ず医者に「ピアノを弾いてよいか?」確認してからにして下さい。取り返しのつかない事になる可能性すらあります)

 

 

 

結局、痛みがなくなるまで2ヶ月かかった

 

右腕とおしりにロキソニン湿布を貼っていたので湿布の消耗が早かった。医者に行くと800円位で7枚入り×4袋=28枚が手に入るが、処方箋薬局で買うと7枚入り1袋で1,600円位することが分かり驚愕した。日本の医療保険制度に感謝である。

1ヶ月位経ってもまだ痛みがあったので、医者が「もう一度レントゲンを撮りましょう」と言ってきた。結果、異常は見られず。しかし「この骨と骨の隙間の部分、見えない部分にヒビが入っているのかもしれないねぇ(すっとぼけ)」とのことだったので、些か辟易した。1ヶ月も経ったあとで「ヒビが入っているかもしれない」だと?

「まあ、あと2週間位様子を見ましょう」と既視感のある答えが返ってきた。医者なんてこんなものかもしれない。多分こちらから「とても痛い」とか、状況をうまく説明しないと医者も対処の仕様がないのであろう。

 

しかしながら、本当に2週間位したら痛みが引いていき、これを書いている今現在(11月26日)、ほぼ痛みが無くなった。

 

右腕を負傷したことはとても災難だったが、治ったから言えることではあるが、この経験は僕にとってとてもプラスになったような気がする。右腕が使えない不便さというものがよく分かったし、ピアノにおける脱力のヒントも得た。何よりこれからは怪我をしないように注意深く生きていこう、という気になった。

 

これからは一日一日をしっかり生きて、ピアノも頑張っていきたい。ブログも久しぶりに書いたのでもっと書いていきたいと思った次第である。

 

読んでいただきありがとうございました!

 

 

大人の男がピアノ発表会でピアノ演奏した話

こんにちは。今回は過去の話です。数年前(成人済みの頃)にピアノ教室に通っていた時期に子供の生徒さんと混じってピアノ発表会に出た時の事を書きたいと思います。

 

目次: 

ピアノ教室に入会するまで

 

20代の頃、僕はある種の諦観に陥っていました。毎日0:00位までサービス残業をして休日は昼の12:00位に起き、朝起きれなかった罪悪感とともに鬱になり、かといって何か行動することも出来ず、それを引きずって憂鬱な月曜の朝を迎えるという悪循環。この時は休日でも仕事の事や将来の事を不安を持って考えていたので、「思いっきり遊ぶ」という概念がありませんでした。今思えば休日にそんな事を考えても現実は変わらないので大変な無駄なのですが、生来要領の悪い自分はそんな生き方が普通だと思っていました。

とにかく憔悴し、言葉にならないフラストレーションが湧き上がり、心のなかで咆哮している自分がいました。

 

このままではいけない、何か趣味を持たなくては…と思いながらふと部屋の隅を見るとホコリをかぶった電子ピアノが!(狭い部屋なのでいつも認識はしていましたが文学的な感じで誇張表現してみたw)学生時代に買って以来あまり弾いていなかったのです。

部屋の中のピアノ

「こいつだ!こいつが僕の人生を救ってくれる!」

そう直感した僕はピアノの練習を再開することにしました。

 

幼い頃、バイエルしか終わらなかった事は以前もブログで書きましたが、この頃はピアノ教室に通わずにチェルニー30番練習曲とバッハのインヴェンション、ピッシュナを買ってきて自分で弾いていました。

しかしながら独学でやっていると指が思うように動かない、そしてそもそも自分の弾き方、音楽の捉え方が本当に正しいものなのか分からない、という問題が出てきました。

なので、「ピアノ教室」に思い切って入会を申し込む事にしました。

正直なところそのような「問題」が自分の中で湧き上がっていたこともピアノ教室の門をたたく理由の一つではありましたが、単純に他人とコミュニケーションを図りたい、自己の承認欲求を満たしたい、という感情の部分もあったと思います。

また、小さい頃は嫌でたまらなかったピアノ教室(母親に自転車に括り付けられて「ピアノなんて女のやるもんだ!」と大声で叫びながら通った事もあった)が、この20代になって何故か少年時代の甘美な記憶として蘇ってきた事も理由の一つです。

 

 

おばあちゃん先生のピアノ教室に入会する

「申し訳ないです。うちはもう定員いっぱいなんですよ〜(ニッコリ)」初めに震える手で電話をしたピアノ教室は若い感じのする女性の声でやんわりと断られてしまいました。

僕はその時に住んでいた周辺のピアノ教室をネットで検索して電話を掛けていたのですが、3件位はそのようにして断られました。これは以前ブログに書いたように多分に「成人男性を警戒する女性ピアノ教師」という構図があったと思われます。もっとも本当に定員に達していて生徒を取ることが出来ない、という状況の教室もあったとは思います(結構入会する季節や時期によっても違います)。

そんな中、「じゃあ、土曜日の15時にいらっしゃい」と言ってくれたのが、これから入会するピアノ教室のおばあちゃん先生でした。

おばあちゃん先生の家は電車で2駅、そこから15分位歩いた場所にありました。決して僕の住まいから近くはないですが、通えない距離ではありません。

おばあちゃん先生は品の良さそうな65歳位の方でした。家に上がるとヤマハアップライトピアノがまず目に飛び込んできました。お茶を出して頂き、小さい頃はどのレヴェルまで弾けたか?今までどのような曲を弾いてきたか?等の質問をされました。

「じゃあ、話をしていても分からないので取り敢えず一曲聞かせてもらいましょうか」

緊張の瞬間です。僕はピアノの椅子の高さを下げて座りました。インベンションの1番をさらってきたのでそれをつっかえつっかえ弾きました。先生は褒めてくれましたが、同時にダメ出しをしてくれました。古典派以前の作品はペダルをあまり使わないので、フレージングが大事(たとえばスラーの終わりはスタッカート気味に切る)、右手の旋律だけでなく左手も歌いなさい、自分の出している音をよく聴きなさい等々。

 

僕は今まで自分がやってきた事が間違いだったことに気づき、目から鱗でした。そんな訳でこのおばあちゃん先生のピアノ教室に入会する事にしたのです。欠点はおばあちゃん先生の家には「アップライトピアノしかない」という事でしたが、当時の自分からしたら生ピアノには違いがなかったので気にしませんでした。月に4回(毎週土曜か日曜)の指導で、5,000円の月謝でした(アップライトピアノしか弾けないのに高い!と思う人もいるかもしれませんが、大手のピアノ教室等は電子ピアノで月謝1万近くとか、そんなところもあるみたいなので相場でしょうか)。

 

発表会に出るまで

 

大人なのに発表会?

僕がピアノ教室に通い始めたのが確か7月位だったと思います。最初の内はインヴェンション、ツェルニー30番ソナチネアルバム1という内容でレッスンしてもらっていました。毎週のレッスンは楽しみでした。今から思えば毎週はキツイのですが、当時は仕事以外であまり人付き合いがなかったのでかなり没頭していました。

そんなある日、おばあちゃん先生が「12月に発表会があるんだけど、全員参加なので出てもらいます」と言いました。

僕は人前に出るのが極端に苦手なので最初は躊躇しましたが、同時に「出てみたい」という気持ちも湧き上がりました。面白いもので人前が嫌いなくせに、承認欲求は強いのです。そのあたりの話は以前のブログを参照して下さい。

 

piano6789.hatenablog.com

 

 

不安な要素は沢山ありました。一つは「子供ばかりの発表会で浮かないか?」という問題。レッスンですれ違う子達の演奏を聴く機会があり、皆堂々と演奏しています。それもレッスン中でも「暗譜」で演奏している子供が沢山いました。大したものです。こんな子供に混じって大人がつっかえながらピアノをステージで弾いている様子は滑稽ではないか?また、発表会では子供のお父さんお母さんが来るはずであるが、多分僕の年齢に近いお父さんお母さんであるはずなので、「大人なのにみっともない」とか思われたりしないか?等々、マイナス思考がループした事もありました。

そんな中、発表会の演奏曲目が決まりました。1曲目は独奏でクレメンティ作曲ソナチネニ長調op.36-6の第一楽章。ちょうどその時に練習していたソナチネアルバム1巻の12番ですね。この曲はyoutubeを検索すると分かりますが小学生がよく弾いている曲です。僕は中学の頃からクラシックのピアノ曲を聴いていたので、ショパンとかリストとか弾きたいなぁ、と思っていたのですが自分のレヴェルを考えると到底無理ですし、先生もこの曲を進めてくれたという事はつまりはそういうレヴェルな訳です。しかし練習しだすとこの曲をうまく表現する事は難しい事が分かりました。どんな曲でも完璧に仕上げるのは難しい、という事がよく分かりました。

 

小学生と連弾もすることに!

2曲めは先生が「A君と組んで『手のひらを太陽に』を連弾で弾いてもらいます」と言われたので些か狼狽しました。A君って誰?先生に聞いてみると小学5年生のすばしっこい、ラグビーをやっている少年だそうです。来週会わせるとの事。

20代の男がまさか小学生と連弾する事になるとは思いもよりませんでした。

 

A君は本当にすばしっこい感じの、一見するとピアノに興味がなさそうな、スポーツ好きな少年でした。イメージとしては夏休みの宿題を忘れてもケロッとした顔で学校に行き、先生に怒られてもケロッとして放課後は校庭でサッカーとかしている活発なタイプです。将来大物になりそうなタイプですね。

A君との連弾の練習は大変面白かったです。というのもA君は楽譜が読めないのです!おばあちゃん先生が音を出していき、それを真似る、という些か変わった練習方法をとっていました。

おばあちゃん先生曰く、「この子は楽譜が読めないけれど、運動神経と記憶力は抜群なのよね。指がとても良く廻るのよ」との事。しかし、A君はいつになってもつっかえます。A君はこの「手のひらを太陽に」という曲を知らないのではないか?と思いました。

 

発表会では全て暗譜と知らされる

一方の僕は楽譜は多少読めたので、連弾練習の時は楽譜を置きながら低い音の伴奏パートを弾いていたのですが、先生が一言、

「あ、発表会では暗譜で弾いてもらいますからね!」

と仰ったので、不安な気持ちになりました。おばあちゃん先生、見た目は温厚そうなのに、言うことは鬼畜すぎる!

独奏のクレメンティソナチネももちろん暗譜で弾いてもらう、との事。僕は元来暗譜が苦手で、「覚える、という事がどういう事なのか分からない」というある種の病気に陥っていました。加えて本番ともなれば緊張で暗譜が吹っ飛んでしまう事も考えられます。大体、子供の頃なら兎も角、大人になってから暗譜をするのはただでさえ記憶力が弱まっている感じがするのに酷な話です。

 

ただ、この暗譜力、記憶力に関しては個人によってかなり見解が違うことが予想されます。僕は今現在、大人のピアノサークルにたまに顔を出していますが、暗譜が得意な人と苦手な人がいます。とりわけ、ピアノを小さい頃にやっていなかった、大人になって始めた人は逆に暗譜が得意な人が多いようです。彼らにその極意を聞いてみると「自然と覚えた」とか、「いちいち楽譜を見ると時間がかかるので覚えてしまった」、「楽譜が読めないから暗譜するしか無い」とか返答があり、まったく羨ましい限りです。ともすると、中途半端に楽譜が読める僕のようなのが一番良くない状態なのかもしれません(で、でもリヒテルも楽譜見ながら演奏していたし…震え声w)。

 

暗譜と表現と指練習を発表会前までに頑張った

暗譜は兎に角、楽譜を隠して弾いてみる、という事に専念しました。あとは音源を聴きながら指の動きをイメージする、逆に音を出さずに電子ピアノで指を運ぶ、という練習もしました。

この時にギーゼキングブゾーニという名ピアニストのエピソードも参考にしました。彼らはピアノに触れること無く、飛行機の中で楽譜を渡されて本番に臨んだり、或いは演奏旅行に楽譜を持っていかない、等の驚異的なエピソードを持っています。何故其のようなことが出来るのか?自分なりに考えてみました。分かったことは彼らは「頭の中で音楽が全て完成出来る」という事です。まったく驚異的な想像力です。

これを真似る事は出来ませんが、僕は楽譜を縮小コピーして、通勤電車の中で出来るだけ見ないようにしながらイメージトレーニングをしました。思い浮かばない部分は楽譜を見て、また隠す、の繰り返しです(受験勉強かよw)。

 

表現に関してはおばあちゃん先生の指摘を参考にしました。ソナタ形式の構造、フレーズの切り方、繰り返される音型の2回目は小さい音にする等、古典派の音楽に共通する認識、マニエリズムをご教授いただきました。しかしながら今にして思えば、暗譜の恐怖感からか、ぎこちない表現になっていたと思います。真実の表現は「自信を持って為されるべき」でしょう。そういった意味で直感的に自分には音楽的才能が無いことは分かっています。でもそれでも音楽を辞める必要などどこにも無いのです。

 

指練習はハノンはやらずに、「ピッシュナ」をやりました。このブログでも度々登場して僕のイチオシの指練習本ですが、基本的な指の独立や、脱力といったものが身につきます。この練習本をやっていると、指が両手で10本あるという事が感覚的に理解できるようになりました。大人からピアノを始めた人にはオススメです。ピッシュナを更に初歩的にしたものに「リトル・ピッシュナ」というものもあります。僕は両方持っています。

 

 ピシュナ 60の練習曲 解説付 (坂井玲子校訂・解説) (Zenーon piano library)

 

発表会1週間前、近くの貸し練習室で合同練習

前述したようにおばあちゃん先生の家にはグランドピアノがありません。なのでおばあちゃん先生が発表会の1週間前くらいに4人位の生徒(僕とA君と成人した男女2人、仮にB君とCさんとします)を連れてグランドピアノのある貸し練習室に行きました。

成人男性のB君はメガネを掛けた真面目そうな東大の大学院に通う秀才でした!なんでもおばあちゃん先生の手に負えず、現在はおばあちゃん先生の紹介でピアニストの先生に師事しているとの事。取り敢えず僕よりは年下ではありますが子供だけの発表会で僕だけが大人の男、という状況は免れました、が、このB君が頗る巧い。彼が発表会で弾く曲はラヴェル作曲の組曲「鏡」から「道化師の朝の歌」という二重グリッサンドや同音連打、暗譜等々どれをとっても難しい超弩級ピアノ曲です。僕は聴いていて同じ部屋にいることが不安になりました。でかい音、堂々とした表現、育ちの良さそうな東大生が変貌する様を複雑な心境で見聴きしていました。

成人女性のCさんは今ではおばあちゃん先生のピアノ教室を辞めて勤めているという事で、僕と一番年齢は近かったです。手はもみじのように小さかったですがなんとショパンのバラード1番ト短調を弾きました。これまた圧倒的な演奏で、僕はこの時点で帰りたくなりました。

そして僕はクレメンティをつっかえながら弾きました。表現なんてあったものではありません。ただ指を運ぶのに精一杯でした。その後、A君と「手のひらを太陽に」を連弾しました。そこで気づいたこと、A君が見違えるくらい巧くなっているのです!

これは数学のグラフで例えると僕の巧くなり方はy=axとすれば、A君の巧くなり方はy=ar^xという等比数列的に伸びているのです。加えてA君は子供なので、僕が間違えると正直に笑ってくれます…。「弾いている時に笑いそうになった!」とか無邪気な顔で言われて僕は大いに凹みました。

子供には無限の可能性がある、という事も知った日でした。そしてその日は帰ってふて寝しました。

 

 

発表会当日|輝けるステージ

発表会は近くのホールを借りて行われました。まず連弾、その次に独奏の順でした。今まで色々な葛藤がありましたが、もうここまできたらまな板の上の鯉、後は野となれ山となれです。僕は開き直っていました。だけれどもお腹は痛かった…。

小さな子どもがドレスを着ておめかしし、足がペダルに届かない状態で一生懸命弾いている姿を見て微笑ましく思いました。会場を見ると殆どが生徒の親御さんで、我が子の晴れ舞台をビデオに収めていました。僕だけが招待する人がいない、という状況でした。まぁ、友達や彼女がいたとしても招待なんかしないと思いますがw。B君やCさんの姿も見かけました。

生徒さんの演奏を聴き進めているとある事に気づきました。皆さん、つっかえたりすることもありますが、堂々と演奏しているのです。小さいながらも「これが自分だ!」と言っている声が聞こえました。その声に僕は感銘を受けました。僕が持ち得ない心性、感覚。それは重要な、これから僕が人生において「掴み取らなくてはならない心性」だと直感しました。そのための場として「発表会」があることも直感しました。20代にして僕の人生は遅まきながらスタートするのだという感覚がありました。

 

発表する順番の3人前になったらステージ裏に行かねばなりません。まずはA君との連弾なので、薄暗いステージの袖に一緒に行きました。そこには先生がおり、明るいステージで弾いている生徒の後ろ姿を見ることが出来ました。緊張のためかドキドキします。幸い最初は連弾なので、A君がいてくれることが心の支えになりました。

アナウンスがかかり、先生に「頑張ってね」と言われてA君と僕は眩しいステージに出ました。アナウンスの内容が「2人はまるで兄弟みたいに演奏します云々」だったので、ステージ上で笑いそうになりました。こんな歳の離れた兄弟いるか?先生も冗談がキツイなぁ…と思い、と同時にそんな事を考えている余裕がある自分にビックリしました。

A君と息を合わせて弾き出します。僕は暗譜が飛ばないように精一杯集中しました。A君は結構食い気味にフレーズを進めていくので合わせるのが大変でしたが、何とかミス無く終わることが出来ました。2人で礼をする前から拍手が沸きました。一安心です。

 

残るは独奏のクレメンティのみとなりました。

今度は一人でステージに立たなくてはなりません。3人前の演奏が終わったので僕はステージ袖に行きました。薄暗い袖から見る明るいステージは何か不思議な感じがしました。バカでかいピアノという、まるでコントロールをするのが難しい物体が輝いて見えました。

ステージ袖には薄暗い空間に様々な機材や、大道具が置かれており、雑多な印象を受けました。対してステージには色とりどりの鉢植えのシクラメンが置かれており、スポットライトが当たり、明るく華やかな印象を受けました。

これからあの輝けるステージに歩いていってピアノの椅子の高さを調整し、ピアノを弾くという事が非日常的でうまくイメージ出来ない感覚でした。僕はとても緊張していました。暗譜は飛ばないか、ミスをしないか?いっそこの場を逃げ出してしまおうか?

と同時に自分の演奏を聴かせたい!あのステージに立ちたい!という欲求もある事に気づきました。アンビバレンツな感情が交錯しているのです。ステージの袖というのはそういう思念が詰まった独特な場所という事がよく分かりました。

 

ステージ上のピアノ

名前が呼ばれて、でかいモンスターのようなピアノのある眩しい光の中に進んでいきました。

 

正直、弾いている最中は何をやっていたのか覚えていませんが、ほとんどミス無く、また暗譜が飛ぶようなこともなく演奏を終えることが出来ました。会場の方々も拍手をしてくれました。僕はステージ袖に捌けて、初めて「終わった〜!」と安堵することが出来ました。

 

 

最後に|発表会が終わって

発表会が終わってから、1ヶ月位して自分の演奏のビデオをもらいました。それを見てみるとA君との連弾では不安そうな僕の顔とは対象的にA君は終始にやけており、こいつは将来大物になるなぁ…と思いました。自分のクレメンティの演奏も危ない箇所があって弾き急ぐところはあったもののまずまずの出来でした。ただ、表現に余裕があるか?と問われると余裕がない演奏でした。もっとどっしりと構えて演奏するにはまだまだ修行が必要に思われました。

その後、3年位はおばあちゃん先生に師事して発表会にも出ていましたが、僕が転職や引っ越しをしたことでピアノ教室を辞めてしまい、その後は発表会等には出る機会がありません。

 

今「発表会に出たいか?」と聞かれると僕は「出たい」と答える自信があります。発表会は苦痛も伴いますが、やはりあの輝けるステージに鎮座するでかいピアノに歩いていき、その光の中で演奏する、という経験は格別なものだからです。周りがたとえ何と言おうとも全てが帳消しになる瞬間というのがあのステージ上には存在します。

来年あたりはピアノサークルの発表会等にも参加してみたい、と思っています。

 

最後にこのブログを読んでいるあなたは「大人でこれからピアノ発表会に出る予定の人」なのかもしれません。或いは「ピアノの先生から『発表会出てよ』と言われて迷っている人」なのかもしれません。いづれにせよ、僕の経験からすると「失敗してもよいから発表会には出たほうが良い」と思います。

それでも「私は引っ込み思案だから…」という人にはウラディミール・ホロヴィッツの名言を紹介します。

さあ!世の中へ出てミステイクをやってきたまえ!でもそれでいいんだ。君のミスだからさ。君自身のミスでなければならない。君の音楽で何かを言ってきたまえ。何でもいいのさ、“これが君だ”という何かをね

 

 

 

オチのない話でしたが、読んでいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

【台湾旅行記2】台北市内観光と台北から九份(キュウフン)への行き方(バスの乗り方)

 

前回の記事、

【台湾旅行記1】新仕界大飯店(ニューワールドホテル)台北は安い値段の割には良かった! - ミヤガワ日記

で台湾の台北市、特に西門周辺の安いホテルについて書きました。正直、もっと安い相部屋のようなホテルもありますが、上記記事のホテルは値段の割には良かったです。

今回は2日目に市内観光と、「千と千尋の神隠し」の世界のような、あの提灯が灯った夜景で有名な九份(キュウフン)に行ってきましたので、そのレポートです。

台湾鉄道(台湾縦貫鉄道)の「瑞芳駅(Ruifang Station)」を降りてから九份行きのバス乗り場までのイラストも載せてありますので、参考にして下さい。

 

目次

 

 

九份に行く前に台北市内観光をした。なぜなら…

さて、A先輩と僕は2日目の朝起きて、これからどうしようか?どこいこうか?と悩みながら支度をしていました(相変わらずA先輩も僕も行き当たりばったりです…O型だからでしょうか?笑)僕は案の定、A先輩のいびき、歯ぎしり寝返りの音、寝言に悩まされ、かつ旅のテンションもあったためかあまりよく眠れなかったのですが、せっかく台湾まで来たのだから色々なところを廻ろう、と思いました。

九份についてはやはり外せない観光スポットだと思っていたので、行くことは決めていました。しかし、九份の魅力は「夕暮れ時〜夜」です。

日本で紹介されている九份の画像や、写真というのはほぼ夜の提灯が灯った写真ですね。我々もその風景を満喫するべく、「九份方面に行くのは、台北市内を観光してから、午後の15時過ぎ〜16時位に台北を出発して向かえば良い」という意見で一致しました。

市内を観光するならば台北市内を走っている地下鉄「MRT」の1日乗車券が便利だろうという事でどこかの駅で買うことにしました(この時は悠遊カードの存在を知らなかった…)。

 

 

市内観光1|まず西門近く昆明街の新仕界大飯店ホテルから、龍山寺まで歩いて移動

ホテルの近くの小籠包屋で小籠包を食べてから、龍山寺とは逆方向の西門方向にぶらぶら歩いて行き、台北牛乳大王(台湾のフルーツシェイクのチェーン店)で、一息つきました。台湾はこういうフルーツ系が充実していますね。

 

f:id:piano6789:20170730094241j:plain

チェーン店なので、台北市でよく見かけます。朝は6:30からやっているようです。

 

f:id:piano6789:20170730094246j:plain

中はこんな感じ。マクドナルドのように最初にオーダー、支払いして出来上がるのを待つタイプ。食事のメニューもあります。

 

f:id:piano6789:20170730094250j:plain

クランベリーヨーグルトを頼みました。瑞々しい果実のうま味が最高です。これで70元(日本円で260円位)です。台湾に来たら物価の感覚が分からなくなりましたが、食事(小籠包、ラーメン等)は明らかに日本より安いです。デザート系はそれと同じもしくは高い値段なので、日本と変わらない位でしょうか?

 

一息ついてから南側に向かって引き返すように龍山寺を目指して歩きます。地図を見ると、西門駅から南西の方向に龍山寺駅はあります。

 

 

f:id:piano6789:20170730094255j:plain

龍山寺までの道の途中、「剥皮寮歴史街区(ボーピーリャオ)」と呼ばれる清朝時代(200年前)の古い街並みを見ることができます。開園時間前だったので中までは入ることが出来ませんでした。しかしこの辺りの街並みは古いので、中に入らなくてもレンガでできたアーケードのような通りもあり、散歩等に良いかもしれません。

 

 

f:id:piano6789:20170730094301j:plain

歴史街区から南側の路地に入ると、いかにも台湾らしい食材屋さんがありました。肉や魚、野菜等も売っている路地ですね。アジアンチックで、苦手な人には苦手かも。この路地を道沿いに西側に歩いていくと龍山寺に着きます。

 

 

 

f:id:piano6789:20170730094306j:plain

龍山寺に着きました。朝ですが人がかなりいます。

 

 

f:id:piano6789:20170813130125j:plain

中華系の寺院の建物は両側に向かって反り返っている感じが良いですね。装飾の龍などがついているところも、シンプルな日本の寺社建築と違う部分だと思います。

龍山寺の中に入ると、信仰深い地元の人々が皆でお祈りの歌を歌っていました。こういう風景を見るのも旅をしている感覚になってとても良いものです。

 

 

f:id:piano6789:20170813130158j:plain

柱等にも装飾が施されています。境内は線香の煙と香りが充満していました。

 

 

 

 

市内観光2|龍山寺駅で「MRT1日乗車券」を購入して台北101の真下まで行ってみたが、悠遊カードを買えば良かった…

 

「ワンディチケット!」と駅員さんがいる窓口に言えば、MRT1日乗車券を発行してくれます。

f:id:piano6789:20170730104940j:plain

こんな感じの1日乗車券です。これはICカードになっているので(SuicaPASMOと同じ)、改札にピッとかざして通過できます。1日乗車券150元です。

 

ちなみに、「悠遊カード」なるものがあると聞いたのですが、前回の記事でも書いた通りこの時点で我々はインターネットに接続することが出来なかったため、詳細が分かりませんでした。ただ、唯一の頼みはmaps meのオフラインマップでした…。

(後で調べたらこの悠遊カードこそSuicaPASMOと同じチャージ型のICカードで、乗車区間の運賃が何割か安くなるとの事。しかも九份等にも行く事が出来る台湾鉄道にも対応しているとの事で、こちらを買えばよかったと後悔。100元でカードを預かる形で、チャージすればMRTも台湾鉄道も多分何割か安くなったと思います)

 

これから台湾に行く方は、事前にこれらの事を徹底的に下調べしていくか、シムフリー携帯を持っているならば現地のプリペイドシムを購入して挿入して活用するか(帰国後Twitterで教えてもらいました!)、モバイルWi-Fiルーターをあらかじめ用意して行ったほうが良いと思います。僕も次に行くときは絶対にそうします(反省)。

 

 

 

f:id:piano6789:20170730094317j:plain

取り敢えずMRTに乗ってみて、適当に降りてみた「後山埤」という駅。台湾の地下鉄の駅はこのような感じで主に階段が進行方向と、その逆方向の2つにあり、故に改札が2つあり、その改札同士を結ぶ通路から地下鉄構内を見下ろせる形が多いです。

 

 

 

f:id:piano6789:20170813131106j:plain

市政府駅で降りて、歩いて台北101を目指しました。ちなみに旅行したのは4月ですが、東京の6月位の気温と湿度がありました。

出張で行った中国(大連)と比較すると、建物は近代的で、街なかもクリーンなイメージがしました。どちらにも良さがありますが。

 

 

f:id:piano6789:20170813131225j:plain

台北101のふもとまできました。これから中に入って展望台に登るかどうか?A先輩と話し合いました。なんと、展望台まで大人料金600元(2,200円位)。この時点で金銭感覚が麻痺していた我々は「高い!」と思いました(笑)ご飯が一食100元程度で食べれるのに…とか考えていたので、結局登らず台北101を後にしました。

今から思えばせっかく台湾まできたので上っておけば良かった…。僕もA先輩も目先のことしか考えられないアホですね(貧乏ともいう)…。

 

 

 

市内観光3|台北101から歩いて国父紀念館へ。衛兵が微動だにしないのが衝撃

 

国父とは「孫文」のことです。 

 

f:id:piano6789:20170730094326j:plain

こんな建物。台湾らしい、どちらかというと大陸の建物に似ています。

 

f:id:piano6789:20170813131028j:plain

中に入ると孫文の大きな銅像が座っておりました。

この裏側には絵画展や書道展等が沢山常設されており、また、孫文の歩んできた歴史、造ってきた歴史を見ることが出来る展示もあります。図書館もありました。ちなみに外側のテラスのようなところでは、若者(高校生位?)が皆でダンスかなんかの練習をしていました。

 

 

f:id:piano6789:20170730094337j:plain

銅像の両側には衛兵が微動だにせず立っているので、最初置物かと思いました。何時間に1回か、上記のように衛兵が何人か出てきて、時間をかけて靴音を鳴らせて歩いていき、交代するようです。

 

 

 

市内観光4|MRTで中正紀念堂へ。でかい建物である

 

f:id:piano6789:20170730095141j:plain

国父紀念館駅から台北駅でMRTを乗り換え、中正紀念堂駅で降りました。取り敢えず野郎二人の旅なので適当に駅近くの店に入って昼食を食べました。火鍋ですね。調味料は店の中の棚においてあるので、セルフで入れて煮るタイプ。外が暑かったこともありあまり食べることが出来ませんでした。味はまぁまぁ(笑)。

 

 

f:id:piano6789:20170813130938j:plain

中正紀念堂蒋介石の生涯と功績が展示されています。あまり歴史には詳しくないですが、過去の歴史には色々な解釈が出てきてしまうという事はよく分かりました。

 

 

f:id:piano6789:20170730094348j:plain

こちらでも蒋介石銅像が鎮座しておりました。また、衛兵も微動だにしません(大変そう)。

 

 

九份へ其の1|MRT鉄道1日乗車券を持っている人は南港駅で台湾鉄道(台湾縦貫鉄道)に乗り換えて九份に行っても良い(座れないけど…)

f:id:piano6789:20170730094353j:plain

 中正紀念堂を出ると、ほんの少し雨が降っていました。時刻は15時過ぎ位。ここから、台北駅に行って台湾鉄道に乗り換えて九份の最寄り駅である瑞芳駅まで特急等で行くのが正規ルートですが、せっかく1日乗車券を買ったという事もあって、MRT地下鉄の東側にある「南港駅」で下車して、台湾鉄道に乗り換える事にしました。

台湾鉄道に乗り換える際、我々は台湾語を話せないので、下手くそな英語と、行きたい駅をメモ帳に書いて駅員さんに見せると切符を発行してもらえました。

 

台湾鉄道の車両は日本の鉄道の車両とよく似ていましたが、床が多少上げ床のようになっているらしく(車両によって違うかもしれません)、乗る時と降りる時に段差がありました。

外を流れる景色は台北市内とは違って田舎という感じです。ただ田舎といっても古臭いマンションのような建物が見えたり、駅に住んでる?みたいな人がいたりで、およそ日本の里山風景とは違う印象を受けました。

 

 

 

九份へ其の2|瑞芳駅から九份行きのバスに乗る(片道15元)

 

40分位で瑞芳駅に着きました。降りる人が沢山いるので、迷うことは無いでしょう。

f:id:piano6789:20170813125658j:plain

瑞芳駅を南側から撮った様子。こういう子供だましの置物(笑)を置いてしまう風景も旅をしている感があって良いものです。

 

f:id:piano6789:20170813125740j:plain

瑞芳駅の前の商店街です。「超大杯」と描かれた黄色い看板のある店がありますが、バス停は左側の道をまっすぐです。

 

 

f:id:piano6789:20170807073345j:plain

↑瑞芳駅から九份行きのバス停までの地図を書きました。迷うことは無いでしょう。瑞芳駅を降りて左側の道を真っ直ぐ行き、警察署の茶色い建物が見えたあと、すぐにバス停があります。

 

 

f:id:piano6789:20170807073436j:plain

google Mapsより引用)

 

 ↑茶色い警察署と、水色の建物の間あたりにバス停があります。ここで待っていると九份方面へ行くバスが来ます。乗る時に15元を要求されるので、15元を用意しておくとよいでしょう。

 

 

 

 

f:id:piano6789:20170730094410j:plain

バスの中はこんな感じ。日本と比べると古いバス、という感じです。また道も結構でこぼこした感じ。坂道を蛇行して上っていく感じです。

 

f:id:piano6789:20170730094415j:plain

車窓からの風景。左側には海が見えたりします。

九份老街というバス停あたりで降りるとよいでしょう。ちなみに我々は降りる場所が分からずその次のバス停で降りましたが、十分歩いて戻ってこれる距離です。

 

 

 

九份観光|人がいっぱい、撮影スポットは大賑わい

f:id:piano6789:20170730094421j:plain

初めて行く人はバスを降りて「どこが九份?」「あの提灯が灯った景色はどこ?」と思うかもしれません。取り敢えず人が沢山出入りしている路地の坂道を上りましょう。

細い道に所狭しと商店が立ち並んでおります。日本語や韓国語での呼びかけも聞こえます。

時折、臭豆腐の強烈な匂いがします。色々な国籍の人が道を通ります。

 

f:id:piano6789:20170730094426j:plain

「いらっしゃい」と言われて上の写真の店で、我々はまた小籠包を食べました。小籠包ですが、台北市内より高かった気がします。観光客用の価格でしょうか?まだこの時点で17時過ぎ位ですが、外の小道は人が沢山通っていました。

 

 

f:id:piano6789:20170730094431j:plain

やっと有名な景色に出会えました!一度道を上の方まで上ってから、降りる時に左側の道を降りるとこの景色のある場所にたどり着きます。

しかしまだ提灯が灯っていないのでフォトジェニックな写真が撮れない(笑)そもそもiPhoneのカメラしか持っていないのですが、やはり九份ぽい、幻想的な写真が撮りたいという事で、少しこの場所から下に降りて、左側の道沿いにある海の見えるベンチで休み、夕暮れになるのを待ちました。

 

f:id:piano6789:20170730095701j:plain

ベンチからはこんな景色が見れます。

 

f:id:piano6789:20170730094436j:plain

30分位して、日も暮れた後に撮った写真が↑のこちら。この場所は撮影スポットらしく激混みでした。あとスリに気をつけて下さい。

 

 

f:id:piano6789:20170730094443j:plain

上記の撮影スポット近くに謎の入り口がありました。中腰になって奥に進んでいくと、開けた所に喫茶店がありました。その奥は人がほとんどいない寺院?のようなものがありました。

f:id:piano6789:20170813112646j:plain

蓋し、九份の構造は道を挟んで両側に店舗がある訳ですが、その店舗の裏側の道だと思います。商店の人が使う道ですね。

 

f:id:piano6789:20170813113105j:plain

こういう裏道のような目に見えない部分にその国の特徴が出る気がして、とても興味深いです。もっとも九份は日本統治時代に造られたので、古いママなのかもしれません。

 

 

 

帰りのバスは人が沢山降りるスポットがあるが、瑞芳駅を利用する人は騙されてはいけない

f:id:piano6789:20170730094454j:plain

九份から適当に山を下る方向のバスに乗って、瑞芳駅に帰ります。かなり混んでいました。帰りのバスでは運転手さんがとあるスポットで車内の電気を消してくれて、山に煌めく九份の街並みを見せてくれました。僕はちょうどバスの左側に乗っていたのであまり良く見れませんでしたが、帰りのバスでは進行方向右側に乗った方が九份そのものの塊の夜景を見ることができるかもしれません。

帰りのバスで気になったこと、それはどこまで乗るのか?僕は目があまり良くないので夜は外の景色が見えません。途中、バスが停車して沢山の人が降りるスポットがあったのであやうく一緒に降りるところでしたが、元の瑞芳駅バス停の景色と違ったので踏みとどまりました。

瑞芳駅バス停の近くでは左側に川が見えるはずなので、そんな部分も行きのバスで覚えておくとよいでしょう。

もっともインターネットが使えてgoogle mapがあれば一発で現在地が分かりますが…。

 

 

f:id:piano6789:20170730094459j:plain

帰りの電車もかなり混んでいました。例によって駅員さんにメモ帳を見せて切符を買いました。この後、台北市の西門駅についてから再び小籠包を食べたのは言うまでもない(笑)。

 

 

初めての台湾旅行まとめ

 

2泊3日で、旅行会社のツアーだったため3日目は旅行会社の用意した免税店に連れて行かれて空港までバスで行き、日本に帰るだけでした。

台湾は美味しいものも多いし、見どころも沢山あるので是非また行きたい、と思いました。特に今回は夜市等に行っていないので、次回行く時には是非行ってみたいです。お土産もサニーヒルズのパイナップルケーキが有名との事なので、一度食べてみたいです。あとは、足裏マッサージとか怪しくない(笑)マッサージも試してみたいところです。

今回の反省点として、インターネット環境が無かったことが挙げられるので次回は是非そのあたりを改善して行ってみたいです。 

台湾はとても楽しい場所でした!

 

読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

【台湾旅行記1】新仕界大飯店(ニューワールドホテル)台北は安い値段の割には良かった!

今更感がありますが(汗)、今年2017年4月15日(土)〜17日(月)の3日間、2泊3日の台湾旅行に行ってきました。今回は特に2泊したホテル、その周辺について纏めてみようと思います。

 

目次

 

旅行にいくことになった経緯

それは昨年(2016年)の12月、A先輩と金沢にムサイ中年男二人旅をした時のこと(

【北陸旅行記】金沢で、古き良き「木津屋旅館」に泊まった事(1日目) - ミヤガワ日記)、旅行好きのA先輩が旅行中にも関わらずもう既に次の旅行の計画を立てており

「ミヤガワ、お前どこか行きたいところある?」と聞いてきたので

「そうっすね。台湾とか行きたいですねー」

と僕が軽い社交辞令のつもりで返信したことが始まりでした。

その後2月あたりにA先輩から「今H.I.Sに来ているんだけど、ミヤガワいつ空いてる?台湾行こうと思うんだけれど…」というイキナリ感の強い連絡があり(笑)、僕も仕事で行ったことのある中国の大連以外は海外旅行に行ったことがないので、「そうですね、4月の17日あたりに休みが取れると思います」と返事をしたために人生で二度目の海外、台湾行きが決まった次第です。

 

HISの格安ツアーを利用

旅行代金は2泊3日で一人あたり29,300円でした!別にHISを贔屓する訳ではないですが(多分この手の航空旅券とホテルが一体となった格安ツアーは他の会社にも存在する)、この程度の料金で海外に行けてしまう、しかもホテル代込みで、というのは、海外旅行をしたことが無い自分にとって驚愕でした。時期もゴールデンウィーク前でしたので良かったのでしょう。

(余談ですが今現在、7月の3連休に東京から京都に行こうと画策しているのですが、検索しても一泊で3万を超えることさえあります。そもそも新幹線で東京から京都に行くだけで片道13,080円です。)

しかしながら快適な旅になるか?というのは個々人の感じ方によると思います。というのはLCC格安航空会社(今回はタイガーエアでした)やホテルが決まるのは出発の1ヶ月前位、そして行きの飛行機と帰りの飛行機の時間も指定出来ません。このあたりは運を天に任せる、という感じでしょうか?

あとは旅行会社を使うと時間的な制約があったりします。今回は到着後台湾桃園国際空港から台北市内まで団体でバスで移動、その後お土産屋に連れて行かれます(買わなくてもOK)。その後にホテルまでバスで移動。中一日は団体行動か、自由行動が選べるようになっており(自由行動にしました)、最後の日にはホテルにバスが来て、また免税店に連れて行かれます(買わなくても良い)。

個人的には台湾桃園国際空港から台北市まで遠いので、バスの送迎があるのはプラスでしたが、お土産屋にいちいち寄るのは時間の無駄だと思いました。

 

ちなみに今回は行きの飛行機が成田11:35発で丁度よい時間帯でしたが、台湾桃園国際空港到着は1時間半程度遅れました(日本と台湾の時差が1時間ありますが、それを差し引いて)。また、機内はとても窮屈でした。格安ツアーなので贅沢は言っていられません。

 

 

 

飛行機タイガーエア

↑タイガーエアの機体。結構窮屈でした…

 

台湾桃園国際空港

台湾桃園国際空港。設計は團 紀彦。

 

 

西門町近くの新仕界大飯店に到着

「申込みの時にホテルのランクを選ぶ欄があったけど、一番安いのを選んだ」というA先輩の話を聞いて、さて、我々の泊まるニューワールドホテル(新仕界大飯店)はどんなやばいホテルだろう?シャワーは出るか?部屋が汚い、という事は無いか?フロントで日本語が全く通じなかったら?と思って心配しておりました。大体、「ニューワールドホテル」などとごたいそうな名前を付けているのが怪しさ満点です。

しかし着いてみると、案外普通のビジネスホテル、という感じでした。いや、飛行機代込みで2泊3日で29,300円ならばこれはお得かも。

 

ニューワールドホテル

↑ニューワールドホテル。中華圏にありがちなボコボコした建築。フロントロビーまで階段で数段登ります。フロントの人は日本人ではないですが、日本語が話せる方が結構おります。

 

ニューワールドホテル客室1

↑何故か3人部屋に通されて更に得した気分。A先輩のいびき、歯ぎしり、寝言等が少しでも遠くなって幸いです(笑)。

 

ニューワールドホテル客室2

↑壁掛けテレビもついております

 

ニューワールドホテル洗面所

↑日本のビジネスホテルと変わらない位の綺麗さでした。一つ気をつけなければならないことは台湾のトイレはウォシュレットは無いです(少なくともこのホテルは)。そして、紙を流してはいけません(日本人はトイレに紙を当たり前に流すためか、注意書きにも日本語で流さないように書いてありました)。紙はトイレの横にあるゴミ箱に入れます。この辺りが許容できない潔癖症の方は台湾旅行は難しいと思われます。

 

ニューワールドホテルアメニティ

歯ブラシ、シャンプー、ボディソープ等の一通りのアメニティは揃っていました。

 

サービスの水

ホテルを出て左側に進み、角を曲がって30秒歩いた所にセブンイレブンのコンビニがあり、チェックインする前に水を買い込んだのですがホテルに用意されていました。これはありがたい。

 

冷蔵庫

冷蔵庫もついております。

室内のエアコンですが、多少効きすぎているかな?という感じでした。羽織るものがあったほうが良いかもしれません。

 

ニューワールドホテル廊下

客室を出ると、廊下はこんな感じ。

 

 

ポケットwifi(モバイルWi-Fi)は契約していったほうが無難

 

ただ一つ残念だと思った事は、ホテル内の無料wifiがあるにはあるのですが、非常に速度が遅い事です。快適なブラウジングが出来ません。

もっともこれは日本のホテルでもよくあることなのですが、ここは海外です。僕もA先輩も携帯は機内モード、モバイルデータ通信をオフにしていました(こうしておかないと莫大な金額を携帯会社から請求されると聞きました)。

そして、致命的なことにポケットwifi、モバイルWi-Fi等を契約していなかったのです。なぜか?

僕は台北で使える無料の「台北フリー」というwifiが使えると思っていました。なので日本にいる時点で一旦アクセスしておいたのですが、どうも繋がりません。駅等でも繋がりませんでした。

 

 

これから台湾に行く方はinteractさんのブログにあるようにWi-Fiを契約するのが良いかと思われます。世界のいろいろな国を旅しているベテランの方なので間違いないと思われます。↓

www.iitxs.com

 

または旅行会社が薦めるWi-Fiや、成田や羽田空港にある店舗のWi-Fiでも良いと思います。とにかくモバイルWi-Fiは必須だと思いました。

特に外出する時にgoogle Mapを使いたい衝動に駆られます。今自分がどこにいるのか?土地勘が無いので分からなくなることが多々ありました。

 

それでもWi-Fiを契約したくない、お金を抑えたい、という方は最終手段ですが日本にいる内に「オフラインマップ」の「MAPS.ME」アプリを落としておくと便利です。僕は旅行中の3日間、何とかこれで乗り切りました。

 オフラインでもその地域の地図をあらかじめダウンロードしておけば使用できるのでとても便利です。Wi-Fiに繋がっていなくても今現在居る場所が矢印で示されるのでかなり便利です。

しかし、たまに矢印が動かなくなります(笑こちらが移動しているにも関わらず)。仕組みがよく分かりませんが、たまにWi-Fiにつなぐ必要があるのでしょうか?こうなった場合は必死で今居る場所を把握して記憶しておかないと、日本に帰れなくなります(笑)。

そうやって考えると、携帯もWi-Fiも無い時代に外国を旅していた人々は凄いですね。

 

 Wifiレンタル

 

 

 新仕界大飯店周辺(西門)の様子

 

このホテルの魅力的な部分は、その立地でしょう。台北市内で一番繁華街っぽい、台湾の原宿と呼ばれている西門町の近くです(正確には昆明街というところ、西門駅まで歩いて15分位、店が沢山あるので退屈しない)。

ニューワールドホテル周辺

ホテル南側の通り、セブンイレブンがあります。

 

小籠包屋

ホテルから北側に歩いて30秒のところに小籠包を食べることが出来る店もあります。

 

小籠包屋メニュー

朝は2日間とも「ホテルの朝食は無し」のプランだったので、この小籠包屋さんで食べました。安いです。2日目に九份(キュウフン)で小籠包を食べたのですが、そこは100元位しましたが、ここは60元(日本円にして約230円位)で食べることが出来ました。しかもおじさんと兄さんが優しい!

 

小籠包屋内部

店内の様子。台湾にはこんな感じのドアもない通りに面したオープンな飲食店が多いです。この辺りが異国情緒溢れる感じ、アジア的で良いですね。

 

小籠包

出来立ての小籠包を食べます。好吃(ハオチー)!調味料等は店内の棚に置いてあり、セルフで用意するタイプの店が多いです。

飲み物は基本頼まないと出てこない(つまり、日本のようにお冷が出ることは無い)ので、コンビニ等で買って持っていくと良いでしょう。

あとナプキン等は無い店が多いので、ウェットティッシュ等を持っていく事をおすすめします。

 

 

台湾の佐々木希の広告

夜の西門町の様子。佐々木希が見えます(笑)。

 

大道芸

大道芸をやっていました。

 

幸春三兄妹豆花

かき氷のお店(幸春三兄妹豆花)。有名だそうです。店の前に近づいたら日本語でメニューを渡されました。

 

幸春三兄妹豆花の店内

店内はこんな感じで落書きだらけ。台湾の原宿という割にはお年を召した方もいらっしゃいます。

 

マンゴーかき氷

マンゴーかき氷が150元(日本円で570円位)。氷の部分が柔らかくて美味しかったです。

面白いのは小籠包よりも高い事。デザート系の方が値段が高いです。

 

天后宮寺院

街なかに「天后宮」という寺院があり、入ることが出来ました。ちょうど京劇のようなものをやっていました。

 

 

 

まとめ|新仕界大飯店は西門町を散策するには最適のねぐらになる

 

booking.com等でも7/10と評価は高めですね。スタッフの応対の良さと、立地、値段の評価が高いようです。

 

↓Booking.comでニューワールドホテル(台湾 台北市)を見る

 Booking.com

ホテルから西門町までは常に明るく人通りも多いので安全だと思われます。西門町付近で遊ぶには最適ですね。近くにコンビニも沢山ありますし。

あと、次の日にホテルから龍山寺に歩いて行ったのですが、20分位で着きました。

ホテル内のWi-Fiが遅いのが唯一の難点ですが、次回も泊まりたい、と思わせるホテルでした。

 

読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

2017.06.08ハオチェン・チャン ピアノリサイタルの感想(於:紀尾井ホール)

 久しぶりにブログを更新します(最近SNS疲れというか、ネットから遠ざかり他人のブログも覗けていませんでした…その間も読んでくださった方、ありがとうございます)。これからは無理せず更新していこうと思います。

 

2017年6月8日(木)に紀尾井ホールに「ハオチェン・チャン(Haochen Zhang)(张昊辰)」のピアノリサイタルに行ってきましたので、感想を書きたいと思います。

 

目次

ちなみにこんな方です。

 

 

ハオチェン・チャンの簡単なプロフィール

2009年、第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで優勝して以来、26歳の中国出身のピアニスト、ハオチェン・チャンは、アメリカ、ヨーロッパ、アジアでその深く繊細な音楽性と大胆な想像力、そして目を見張るほどのテクニックで聴衆を魅了している。
 すでに世界中の一流音楽祭やコンサートシリーズに登場しているチャンだが、ロン・ユー指揮中国フィルハーモニー管弦楽団との共演で披露したBBCプロムスでのリストのピアノ協奏曲第1番について、テレグラフ紙のイヴァン・ヒューイットは、“メンデルスゾーンのように明るく、リストのように悪魔的なアレグレット・ダンスで魅せながら、第2楽章ではとろけるように柔らかなメロディーを奏でた”と絶賛した。

(中略)

幼少期に上海音楽院小学校で学んだ後、2001年に11歳という若さで深セン芸術大学に入学し、但昭義(Dan Zhaoyi)教授に師事する。その後アメリカに渡り、フィラデルフィアのカーティス音楽院にてゲイリー・グラフマンのもとで研鑽を積んだ。

 (以上、KAJIMOTOのウェブサイトより引用)

 

上記のように、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで、日本の辻井伸行さんとともに優勝しております。また、同じ中国のランランや、ユジャ・ワンの師である「ゲイリー・グラフマン」に師事している、というところが興味深いですね。

余談ですが、ゲイリー・グラフマンはあのヴラディーミル・ホロヴィッツに師事していた事もあってか、彼の教え子たちは指のよく廻るタイプ、超絶技巧で聴衆を圧倒するタイプが多いようです。ランランや、ユジャ・ワンの演奏を聴いていても「ヴィルトゥオーゾ」っぷりが目立ちますね。

wikipediaによると1990年6月3日生まれとの事で、現在27歳ということです。

 

 

プログラム 

ハオチェン・チャンのピアノリサイタルのプログラム

シューマン:子どもの情景 op.15
シューマン:交響的練習曲 op.13
   ***
リスト:超絶技巧練習曲集 S.139より 第5番「鬼火」、第12番「雪あらし」
ヤナーチェク:霧の中で
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番 変ロ長調 op.83「戦争ソナタ

  〜アンコール〜 

モーツァルト/ヴォロドストルコ行進曲
ショパンノクターン嬰ハ短調 第20番遺作
シューベルト即興曲集Op.142 D935より 第3番変ロ長調

 

 

ハオチェン・チャンのアンコール

 

 

演奏前の余談

久しぶりに平日の紀尾井ホールに来ましたが、良い立地ですね。仕事が終わって速攻四谷で降りて、土手を下ってきましたが、近くの上智大学からは外国の学生が英語を喋りながら歩いてくるし、そんな風景を見て東京も国際色豊かになったなぁ…などと思ったりしました。ホールに入ると客層はやはり年配の方が多いようですが(これはどのクラシックコンサートでも同じ)、若い女性もかなりいました。一番少ないのは中年の僕ぐらいのサラリーマン。確かに平日に仕事があって、19時開演ですと働き盛りのサラリーマンには難しいかもしれません。僕はこの時閑散期でしたので運良く来ることができました。

折しもこの日、武蔵野市民文化会館ではあの日本で三本の指に入ると思われる(自分調べ)ピアニスト岡田博美氏のリサイタルがありましたが、地理的、時間的に難しかったのでハオチェン・チャンさんの演奏を聴いてみることにしました。

僕は彼の事をあまり知りませんでしたが、プログラムに僕の好きな「交響的練習曲」と「霧の中で」があった事、及びチケットが5,000円とクラシックコンサートにしては安いという事(幸運にも前から2列目が取れた!)、そして今現在のクラシックピアノ界の若手の演奏はいかほどか?確かめるべく(偉そうに…)、足を運んだわけです。

開演のベルが鳴り、客電が落とされて現れたのは27歳とはいえまだあどけなさの残った、華奢な感じのする、そして「良いところの坊っちゃん風の」青年でした。

 

繊細に表現されたシューマンの「子供の情景

第一曲の「見知らぬ国から」から、僕は彼の演奏に引き込まれました。とても柔らかい音が出ている、と思いました。トロイメライでは繰り返される主題に対して同じ弾き方をしません。2回目には内声を際立たせる等の工夫をしていました。

こういうことはやりすぎると「俺はこんなにもこの曲を知っているんだぜ!」となってしまうのですが、彼の場合はそのようなおごりは見られず、幼いときからバッハ等のポリフォニーを勉強してきた事がありありと分かり、好感が持てました。

6曲目の「大事件」の、まるで子供が興奮して大人に今日起こった出来事を急き込んで話すかのような明るい音色と左手の迫力、9曲目の「木馬の騎士」の疾走感、それとはうって変わって老人が昔を懐かしむような静謐さに満ちた13曲目の「詩人は語る」等、表現の幅がとても広いと感じました。

シューマンの音楽はコロコロとその感情が変わる側面がありますが、本当によく表現できている、と思いました。ピアニストというのは改めて凄い存在だなぁ、と思った次第です。

ハオチェン・チャンの特徴がこの曲を通して少し分かりました。彼は全ての音を把握している事、そして音楽の「ブレス」が独特です。

アゴーギク(テンポやリズムを意図的に変化させること)がまるで息をする(ブレスをする)ように自然に出来るのです。これがある故、聴いている方は退屈しません。

 

 

若さゆえの凶暴さだろうか?シューマンの「交響的練習曲」

この曲は色々な版がありますが、今回は遺作のヴァリエーションを3つ挟んだ形で演奏されました。

曲が進むうちに、子供の情景とはうって変わってとても「大きな音」がするようになりました。僕はこんな大きな音を出してよいものだろうか?と思いつつ、彼の演奏に随分と引き込まれていきました。

交響的練習曲は基本的に最後のフィナーレを除いて暗い雰囲気のする短調で、重苦しい曲なのですが、このある種の「凶暴的」ともいえる大胆なフォルテシモに僕は胸が一杯になりました。同時に「彼の演奏はまだ若い」と思いました。

「若い」という事は演奏家にとって褒め言葉であるのでしょうか?よく老成した演奏、円熟味を増した演奏、というものがもてはやされますが、僕は「若い演奏」というのもとても好感が持てます。その時期でしかできない演奏、若いときにしか出来ない演奏といったものが誰しもあると思うのです。

彼がうなりながらピアノを思いっきり弾いている姿を見て、そして聴いてそんな事を思いました。彼はピアノと苦悩を共にしてきたが、ピアノが好きで堪らない様子でした。

フィナーレもとても力強い演奏で、今までの暗いトンネルから明るい地上に出た丸ノ内線(笑)のように、高らかに謳われました。これでもか!と出す低音の爆音にやはり若さやフレッシュさを感じました。

 

 

リストの超絶技巧練習曲をミスなく弾ける才能

鬼火をリズミカルに迫力満点で弾いた。雪あらしの低音から高音に上昇していく部分で僕は背筋がゾッとしました。同時にとてもロマンチックだとも。

やはりこういったヴィルトーゾチックな曲は彼に向いているようです。テンポもかなり揺らしますが、デュナーミクの幅も広いので、非常に迫力がありました。

超絶技巧練習曲はラザール・ベルマンの演奏のCD(超絶技巧練習曲←これ)を持っていますが、久々に聴きたくなりました。特に雪あらしがこんなにもドラマチックで良い曲だとは思いませんでした。

 

 

幻想的な東欧の様子、ヤナーチェク「霧の中で」

聴いていると彼の対位法的な処理表現が生きてくる曲だと思いました。

ヤナーチェクのこの曲に関してはレイフ・オヴェ・アンスネスのCDを持っていますが、こうして芸風を比較してみると、その違いはかなり大きいと思います。どちらが良い、とかではなく、好みの問題ですね。

僕の好みで言えばアンスネスの演奏のほうが良い、と思いました。ハオチェン・チャンの演奏はもっと小さい、繊細な音を出して欲しかった、という部分が所々見受けられました。

それでも、古い絵画に描かれた東欧の野原や街、モヤのかかった風景、霧の中から立ち現れる訳の分からない人々や怪物?のようなものが表現されていたと思います(あくまで僕のイメージですが…)。

東欧

 

 

 

ガンガン叩け!プロコフィエフの戦争ソナタ

プログラム最後はプロコフィエフの戦争ソナタ(第7番)。この曲もとても面白い曲なのですが、彼は期待通りに迫力のある演奏をしてくれました。歯切れのよいタッチと言えばよいでしょうか?彼の演奏はテンポを揺らしたり、ブレスを入れたりすることが多いですが、流れが途切れることが無く、極めて自然です。

3楽章はリズミカルに始まり、ガンガン音が大きくなっていき最後のコーダーでは本日で一番と思われる、そんなでかい音で締めくくられました。この曲の表現としてはこのような「常軌を逸したフォルテシモ」は正解だと思います。プロコフィエフ自身が聴いても納得するような演奏、と僕は思いました。

会場からはブラボーが沢山飛びました!

 

 

個人的にはアンコールはシューベルトのロザムンデ即興曲が良かったです

鳴り止まぬ拍手に答えて、アンコールが3曲演奏されました。

ヴォロドス編のトルコ行進曲ヴォロドス自身のCDを持っていますが、ユジャ・ワンあたりも弾いてましたっけ?ここまで聴いてきて、目立ったミスタッチはほぼ無い、というのも驚異的です。現代のピアニストはこんな人がゴロゴロしているのですかね?

次にショパンの遺作のノクターン。意外と正統的というか、ロマンティックになりすぎず、よい塩梅の演奏でした。

シューベルト即興曲(ロザムンデのほう)、ですがこれも意外と良い。伸びやかにシューベルトの「うた」を歌っているように感じました。音楽のつくりが作為的ではない感じがしました(実際には色々な仕掛けをしていますが、流れが自然という事)。これも若さ故でしょうか?

 

 

 

終わりに|またコンサートがあったら彼の成長を見届けたい

演目が終わり、四谷までの土手を歩いている時に感じたこと、それは本日の一番は「交響的練習曲の慟哭のようなフォルテシモ」でした(個人的な感想です)。

そのフォルテシモにはピアノ演奏に於ける「若さ」であるとか、大胆さとか力強さが全て詰まっていました。

 

彼の演奏が「このまま変わって欲しくない」という思いと「どんどん洗練されて、或いは老成していって欲しい」というアンビバレンツな感情が僕に生まれていました。

ただ一つ確かに言えることは「今現在のハオチェン・チャンというピアニストを生で聴くことが出来てよかった」という事です。

 

これからも聴き続けたいピアニストが増えました。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

田舎を歩いてヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」を思い出した話

 

ゴールデンウィークのある晴れた日に、僕は東京を離れ田舎の村でくつろいでいた。しかし僕には友人がいないので何もする事がない。アラフォーになった今では知人もみな結婚し家庭を持ち、個々の生活を優先する、そのような状況にはあるもののそういった理由で会えないというわけではない。僕の場合大学入学の時点で一人の殻に籠もり田舎の友人とはほぼ縁を切り疎遠になっていたので、田舎に帰ってもこれといって遊びに行ったりする間柄の友人は皆無なのである。かといってゴールデンウィークに東京のアパートに一人でいるのもつまらない(東京にだって友達はいないのだ)。少なくとも帰郷すれば両親には会える訳だし…ともかくそんな消極的な理由で田舎に帰ってきた。

 

午前中、取り敢えず裏庭に出てみると青空が広がっており、田植えが終わった田んぼと代掻きされた田んぼが半々位見える。上ってきた太陽が代掻きが終わった水面を照らしている。奥の方には山があり、さらに奥にも山がある。山ばかりだ。

 

東京では考えられないくらい静かで、農作業を行うトラックの音が遠くから聞こえる。あとは近所の犬が時折吠える声とニワトリの鳴く声、トンビの鳴く声が時々聞こえる。昨晩は夜の1時ぐらいに「コケコッコゥ」と聞こえたので、やはりニワトリは鳥頭であり、お馬鹿なのだろう。僕と同じである。

 

これといってやることも無かったので、取り敢えず農道を歩いてみる。道端に色々な種類の野草が生えている。紫色の小さな花は何というのだろう?田舎に育ったにも関わらず、花の名前や植物の名前に疎い。

 

枯れたヨモギが所々にあったので、手にとって丸めてみた。ある程度集めて、何度も手の中で圧を加えながら揉んでいると黒い枯れた葉の部分はボロボロと手から落ちていき白い繊維状のものだけが残って、「お灸」が出来るはずだ。僕はお灸を作りながら農道を歩いた。野良仕事をしていたどこかのばあさんが手を止めて腰を上げ、反り返ってほっかむりの中から不審そうにこちらをじっと見る。人の少ない村では、東京などよりもかなりこちらの一挙一動を観察される。彼らの楽しみの一つに「ドコドコの誰々が何をした」といったような噂話が挙げられる。そういった意味で人は希少価値があるのだ。ばあさんは呆けた顔で何か言いたげだったが、僕は目を伏せて足早に通り過ぎた。

「カサッ」

僕はびっくりする。農道の端っこのアスファルトと若い青葉の間にある、枯れ草辺りから音がした。そして「あぁ、これはトカゲだな」とやっと気づく。僕の足音に警戒してトカゲが逃げた時に発するそのような音は、小さい頃に何度も聞いているはずだったが、東京での長い暮らしはそのような記憶を脳の奥に追いやってしまい、ちょっとした物音でも酷く自分を驚愕させた。音の大きさ自体は東京を走る救急車やサイレンよりもずっと小さいにも関わらず。

 

しばらく行くと村で一番大きな川に出る。大きいと言ってもせいぜい川幅は10メートル位か?昔はこの川でよくアマゴやイワナを釣った。一時期は川の水量が少なくなって勢いがなかったが、最近では水量も豊富でよく流れている。

水流の音をBGMに川沿いの道をどんどんと川上に向かって歩いて行く。毛虫が道を横断する。時折ぶんっという音とともにクマバチが横切る。クマバチは安心して良い。彼らは平和的である。モンシロチョウが流麗な軌跡で飛んでいる。

僕はスミナガシという蝶と、クジャクチョウが好きだ。スミナガシは黒色ではなくどこか淫靡な群青がかった翅を持っている。雑木林を颯爽と飛ぶ。クジャクチョウはその翅に描かれた絶妙な色合いの完璧な模様と後ろ翅に生えているモフモフした毛が好きだ。何かとても可愛らしい蝶である。でもまだ彼らを見るには時期が早すぎるようだった。

 

ふと、高校生の頃に現代文で習ったヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」という小説を思い出す。あの小説を読んで僕は主人公に共感したが、よく考えてみれば主人公はクジャクヤママユを盗んだのだ。もし、盗まれたほう(エーミール)が主人公として小説を書いていたら、と思うと僕は同じジャッジをしたのであろうか?

 

川と道の横にちょっとした雑木林があり、その横に所々墓地が見える。小さい頃の夏にこの辺りでカブトムシを取った。たまにミヤマクワガタノコギリクワガタもいた。クヌギの木があるのだ。しかし夏にクヌギの木の周辺をうろつくのは危ない。蜜を吸いにくるスズメバチが沢山いるのだ。スミナガシやオオムラサキコムラサキを見たのも夏のこの雑木林であった。クヌギの木も今の季節は昆虫のレストランにはなっておらず、若い葉を巡らせ清新な木漏れ日を湛えていた。

 

この墓地も所有者の一人が土地をはみ出して大きく立派な墓石を置いてしまい、奥にある墓石の所有者が墓までの山路が通れなくなったとの事でもっか家庭裁判所で裁判中との噂である。田舎には「さかい」の問題が結構多い。古い家を壊す際など、やれあの桜の木まではうちの土地だったという主張や、いやいや桜は元々うちの庭にあったものだから当然うちの土地だよという主張もあり、そんな事で近所で派閥ができたりする。

世間では戦争反対というが、こんな過疎の村でさえ境界を巡って諍いが起きているのであるから、これはもう人間の利己的な部分だとか欲といった部分を修正しない限り(しかも全人類が一斉に)戦争なんてなくならないのであろう。しかしながら、そのような人間の持っている、必要不可欠で持たざるをえない攻撃性が昇華されて現代の文明が出来たことも事実であろう。

僕はその立派な墓地の前まで行き、手の中にあるヨモギのお灸の半分をお墓に供えた。そして注意深く立派なお墓の横を通り、奥にあるお墓にもう半分供えた。無論、この墓達は僕の親戚などではないが。

 

日が上ってきて汗ばんできた。川上にいけば青い色をした綺麗なダム湖が見渡せるが、東京の平坦な道に慣れた僕はもうそのような気分にはなれず、ゆっくりと引き返した。