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ミヤガワ日記

ピアノや読書を中心に、日々の気になったことを書いていきます

タッチの良いおすすめな電子ピアノを比較(ヤマハ、カワイ、ローランド、カシオ)動画あり

音楽

おすすめのタッチの良い電子ピアノを試奏動画とともにまとめたいと思います。対象としたのは、ヤマハ、カワイ、ローランド、カシオの日本の誇る4大電子ピアノメーカーの電子ピアノです(コルグは動画を撮ることが出来なかったので除外)。

 

 

はじめに|そもそも電子ピアノで上達するのか?

電子ピアノと生ピアノは違う楽器である

小さい頃の僕の実家にヤマハアップライトピアノがありました。アップライトピアノとは生ピアノの一種で、弦を縦型に貼っている、コンパクトな生ピアノ(アコースティックピアノ)です。スペースを取らないので、多くの家庭にもあるピアノです。↓こういうやつですね。

アップライトピアノ

 

 

 

これに対して、生ピアノ(アコースティックピアノ)の一種であるグランドピアノは弦を横に貼っており、ピアニストが演奏会を開く時は通常このピアノが使用されます。ホールとかで発表会にも使われますし、学校の体育館とか講堂にも置いてあることが多いでしょう。↓こういうやつ。

 

グランドピアノ

 

さて、現在の僕ですが、実家から離れてしまったためにピアノがありません。その代わりに電子ピアノがあります(ローランドのDP-990という10年近く前に購入したもので、当時20万円位した)。

正直な話をすると、僕はグランドピアノが欲しいです。お金を貯めて是非とも買いたいです。というのも、電子ピアノで練習していて、たまにグランドピアノのあるスタジオ等でグランドピアノを弾くと、その演奏の落差に絶望するからです。音の鳴りぐらい、鍵盤を押さえた時の感触(タッチ)、微妙なニュアンスの表現方法、弾くことの喜び、全てが違う楽器のように感じます

 

いくら日本の電子ピアノの製作技術が発展しているとはいえ、
電子ピアノとは「生ピアノ」とは違う「楽器」である事を認識すべきです。

ですので、制約がない人は電子ピアノではなく、グランドピアノやアップライトピアノ等の生ピアノを是非とも買うべきです。

 

 

 

ピアニストの反田恭平氏の実家には電子ピアノしかなかった!

グランドピアノが欲しい…そんな事を常々思っていた折に、昨年のTBSのテレビ番組「情熱大陸」で反田恭平というピアニストが取り上げられていました。クラシックのピアニストでモスクワ音楽院に留学もしていた、現在話題沸騰中の新進気鋭のピアニストです。2012年、高校在学中に日本音楽コンクール第一位に輝き、数々の賞も受賞されているという時点で、本格的なクラシックのピアニストといってよいでしょう。

その反田恭平氏モスクワ音楽院留学中のアパートにあったのはいかにも安い電子ピアノであったこと、そして僕が何よりも驚いたのは反田恭平氏の日本の自宅には電子ピアノしか無かったことです。

反田氏が「電子ピアノしかないんですよ、でもヘッドホンとか録音とか使えたりするんでよかったですよ」などと仰っていました。

電子ピアノといっても、アップライトピアノと同じ機構のハンマーと弦を持った電子音が出る電子ピアノであるようにその時のテレビ映像からは推測出来ましたが、僕はクラシックのピアニストというものは小さい頃からグランドピアノで練習しているという固定観念があったので本当に驚嘆しました。

もちろん反田恭平氏も外でレッスンする時はグランドピアノを使っていたでしょう。でなければ日本音コンで一位を取ることは無理です(小説の世界ならば可能ですが)。

 

このような例は実はまだ他にもあり、電子ピアノではないものの、ショパンコンクールで優勝したラファウ・ブレハッチは浜コン優勝までアップライトピアノしか自宅に無かったと聞きますし、フランスのピアニスト、アレクサンドル・タローはそもそも自宅にピアノが無い、弾きたくなった時は友人の家に行く、とかのたまわっておりますし、ポップスピアニストであるレ・フレールの兄弟の家にはこれまた電子ピアノしか無かったらしいです。これまたショパンコンクールで優勝したダン・タイ・ソンベトナム戦争中捕虜になった時に紙鍵盤で練習した、という逸話もあります(これは状況がちょっと違うか)。

 

蓋し、このような人々は元々かなりの音楽的才能があり、生ピアノ(グランドピアノ)を弾いていない時でも頭の中だけで指を運び、音を正確に鳴らせることができるのでしょう。繊細で微妙なニュアンスさえも想像することが出来る稀有な人々です。

余談ですが実際このような「想像だけで練習する」という事は経験上とても重要であるように思えます(ピアノを弾く想像をするだけで、ピアノを実際に弾いている時と同じ脳の領域を使っている、という研究もあります)。練習の一環として取り入れてみるのも良いでしょう。

 

 

電子ピアノでも使いようによっては上達する

このような例から、僕は「自分が電子ピアノで上達できないのは言い訳である」と結論付けました。もちろん、ピアノ教師の人や、本格的にピアノをやっている人の99%位はこの意見に異論を唱えるでしょう。僕も長年グランドピアノ、せめてアップライトピアノ等の生ピアノでなくてはダメだと思っていましたし、今でもグランドピアノがあれば弾きたいです。グランドピアノとそれが入る家が欲しいです。誰か僕にグランドピアノを下さい(笑)。

 

しかしながら、日本の住宅事情や個々人の経済力を考えた時に、生ピアノは必ずしも最良の選択とは言えません。ピアノ殺人事件なんてのもあったように、現在の日本においてグランドピアノを都心部等で所有するにはそれなりの防音の効いた広い住宅が必要ですし、何より経済力が必要です。

そこで、安価でヘッドホン等で消音も出来る、調律も不要な電子ピアノを買う、という選択肢が生まれるのです。

これから電子ピアノを購入する予定のあなたは、まず電子ピアノと生ピアノは別物であることを認識して、家では電子ピアノで練習し、音楽教室や、スタジオで定期的にグランドピアノを触る事を条件に検討すべきです。生ピアノを一切触らない、といった状況は極力避けるべきです。

そうすれば、生ピアノの感触を記憶することにより、電子ピアノで練習しても一定の上達が望めると僕は思います。

特にこれからピアノを始めてみよう、という人、初心者は途中で飽きる可能性もありますので、安価な電子ピアノがオススメです(もちろん、経済的余裕があれば生ピアノに越したことはありませんが)。

 

 

電子ピアノ

 

 

電子ピアノを選ぶ上で最も重要な点

これらの事を踏まえると、電子ピアノを選ぶ上で重要な点は「いかにグランドピアノと似ているものを選ぶか」という事がお分かりになるかと思います。 

以下に重要な点を列挙します。

鍵盤が88鍵あるか?

これは基本的な事ですが、重要です。本物の生ピアノは88鍵鍵盤があります。電子ピアノを選ぶ時には88鍵の鍵盤があるものを選択すべきです。

もっともポップスや、ロック等のバンドで所謂「キーボード」として扱うのならば、61鍵とかでも良いのかもしれません。これらのキーボードは移調機能が付いているはずですので、音域もカバー出来るはずです。また作曲のみに使うという方も88鍵は必要ないかもしれません。

しかし、ある程度本格的にクラシック、ジャズ等のピアノをやっていくのであったら、88鍵の鍵盤は必須です。例え、88鍵の鍵盤を使う曲を弾かない!という人でも「88鍵の鍵盤の幅、所謂ピアノの幅」を体感的に知っておくべきです。そうでないと、いきなり生ピアノを弾いた時に混乱します。「どこが真ん中のドだっけ?」という具合に。

 

電子ピアノのタッチ(弾いた感触)が生ピアノと近い事

これは重要です。僕の考えでは一番重要なのではないか?という要素です。

というのも以前僕はピアノ教室の発表会に出たことがあるのですが、自分の家の電子ピアノで完璧に弾けた!と思って発表会でグランドピアノを弾いたら音が鳴らなかったり、逆に大きな音が出たりと、全くグランドピアノをコントロール出来なかった過去があるからです。

この問題は結構奥が深くて面白いのですが、「普段からグランドピアノで練習しているプロですら、初めて逢ったグランドピアノをコントロール出来ない事すらある」ようです(ですので、プロの演奏家の場合、リハーサルの時間を十分に取る)。

余談ですが、プロの中には完璧主義者のような人もいて、いつでもどこでも最良の音楽を聴かせるために「マイピアノを持ち歩く」人もいます。古くはホロヴィッツミケランジェリ、近年ですとポリーニツィメルマン等です。いずれもプロの中でもトップクラスの超一流ピアニストですが(これらの人々は専属の調律師まで同行させることが多い)。

 

このようにピアノのタッチとは非常に繊細で、考慮すべき問題なのです。生ピアノの間にも個体差がありますが、では生ピアノに弾いた感触が近い電子ピアノとはどのようなものでしょうか?

実はこればかりは弾いてみないと分からない部分ではあります。電子ピアノメーカ各社とも色々な手法でグランドピアノのタッチ感を再現しようとしていますが、あえて要点をまとめると

  • 鍵盤自体の重みが適当か?

グランドピアノ等の生ピアノは低音から高音にいくに従って鍵盤が軽くなります。鍵盤自体の適度な重みと、この機構が再現されているか?

 

  •  弱く弾いた時のクリック感があるか?

グランドピアノを弾いたことのある人ならば分かると思いますが、弱く弾いた時に、鍵盤を押し込む途中で「カクッ」とした抵抗を感じるかと思います(エスケープメント)。ここまで再現できていれば、他の機構も再現できている可能性が高いです。

 

  • トリル、連打が卒なく出来るか?

トリルというのは高速で「ドレドレドレドレ…」と指をうごかす動作です。連打とは「ミミミミミ…」と、文字通り一つの鍵盤を連打することです。これが可能になるためには鍵盤を打鍵してからの鍵盤の戻りが速くないと出来ません。電子ピアノを選ぶ上での一つの指標となるでしょう。

 

  • そもそも触感はどうか?

古くはピアノの白鍵には象牙が使われていました。黒鍵は黒壇ですね。今はワシントン条約により象牙はNGなので、グランドピアノでも白鍵はそれに似せたものをつかっています。汗による滑りを防止するような素材だと良いです。

 

電子ピアノの音自体が生ピアノと近い事

実は上記の鍵盤のタッチとも切り離して考えるべきではないのですが、音楽をやっている以上、出てくる音は重要です。臨場感のあるスピーカーも重要ですが、グランドピアノの音を一つづつ電子的に録音(サンプリング)して再現するという技術もあるので、そういったものを選ぶと良いでしょう。音量、音の歯切れのよさ、レガートの伸び等、タッチと合ったものを選ぶべきです。

 

 

 

 

 

実際に弾いてみた感想と動画

ここからは実際に電子ピアノを弾いてみた感想と動画です。

比較のためにまずは生ピアノ(ヤマハのグランドピアノから)

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この上がって下がる音型を基本にしました(約20秒)。腕前は置いておいて…。

  • 以下は近くの家電量販店で人のほとんどいない時に店員さんに断りを入れて録画しました。
  • 音量は適当ですが、音源は各メーカーの一番聴いて欲しいであろう音、つまり電源を入れた時に一番最初にデフォルトで設定されている音にしています。
  • iPhone6を横にして電子ピアノの端に載せて録画したので、雑音が入っています。ご了承下さい。
  • ここで挙げた電子ピアノは中位機種(10万〜20万)のものを選んでいます。この価格帯から鍵盤のタッチや、音が良くなります。各社が一番力をいれている価格帯であろうと思います。

 

カシオ(AP700BK)

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CASIO AP700BK(オープン価格、某家電量販店での価格税込み175,170円)

まずは音が良いです。最近老舗ピアノメーカーのベヒシュタインとタッグを組んでいるカシオだけあって、低音が重厚な響きがします。デフォルトで設定されているのはベルリングランドという、ベヒシュタインのグランドピアノの音。この他にもハンブルクグランド、ウィーングランド等、スタインウェイベーゼンドルファーを模した音も設定できます。このあたりは、自社で生ピアノを作っていないメーカーの強みではありますね。

しかし、僕が弾いた限りでは気になる点がありました。それは「鍵盤の重みが低音と高音でさして変わらない」という部分です。あったとしても少しだけ。ですので、本物のグランドピアノのタッチとは違うという事です。これは少し問題がありますね。

カシオには下位機種は5万円位からあるので、入門用にはこのあたりもオススメです。ただし下位機種はグランドピアノとは違う楽器であることを認識すべきです。 

 

 

ローランド(DP603-CBS) 

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Roland DP603-CBS(オープン価格、某家電量販店での価格税込み167,400円)

僕が現在持っている10年前のローランドと比べても格段に進歩している感じはしました。特徴としては特に低音部分が柔らかい音が出ることでしょうか?タッチも悪くないです。バネを使っておらず、自然な鍵盤の返りがあります。

ローランドは生ピアノを作っていないメーカーにも関わらず、かなりグランドピアノに近いものを作りますね。そのあたりは素晴らしいと思います。

ただ、スタインウェイのような金属製の雷のような低音が個人的に好きなので、そういった音が好きな人には向いていないかもしれません。音色の明るさを調整できますが。

 

 

ヤマハ(CLP−535WA)

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YAMAHA CLP-535WA(メーカー希望小売価格178,200円、某家電量販店での価格税込み145,470円)

良くも悪くもヤマハの生ピアノの音がします。安定しています。こちらもバネを使っておらず、自然な鍵盤の重みが実現できています。これより上位機種ではもっと丁寧に鍵盤の重みを再現しているとの事。

しかしながら私見なのですが、弾いていて面白みが無い、と思いました。これは安定性につながるので良いことなのですが、白米のイメージですかね。おかずが無い感じ。ヤマハの生ピアノにも言えることですが、毎日コツコツ練習するのには向いているかな?という感じです。

 

 

カワイ(CA17R)

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KAWAI CA17R (メーカー希望小売価格226,800円、某家電量販店での価格税込み181,900円)

今回弾いていて、タッチと音の繋がり、タッチそのものの良さを感じたのはこのカワイの電子ピアノです。木製鍵盤を採用し、本物のグランドピアノと同じシーソー式(てこの原理)を見事に組み込んでいます。低音から高音まで個々の鍵盤の重さも申し分ないです。

私見ですが、いつまでも弾いていたい、と思わせる電子ピアノでした。一番グランドピアノに近いかも。しかしながら、今回の比較では値段が一番高いです。値段が高ければ良い鍵盤のアクションや良い音が出る事、グランドピアノに近づくことは自明の理ですので、そもそも今回の比較においてこの電子ピアノを同じ価格帯で括ることはフェアではありませんでした…。また、カワイのピアノの音自体が好きでない人はオススメできません。

 

 

おまけ カワイ下位機種(LS1)

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KAWAI LS1(メーカー希望小売価格183,600円、某家電量販店での価格税込み126,790円)

おまけにカワイの下位機種です。鍵盤の幅が細くないか?と弾いていて思いました。僕がよく行くスタジオに置いてあるカワイのグランドピアノでもたまに思うのですが、鍵盤の幅がヤマハに比べて小さいものがあり、弾いた時にその違いにびっくりする事があります。このあたりは慣れでしょう。こちらは木製鍵盤ではないので、多少弾きにくい印象もありました。

 

 

 

 

独断ランキング

以上より、グランドピアノに似たタッチと音を考慮して僕が買うことを想像してランキングした結果がこちら(あくまでも私見です!)

  1. カワイ上位機種
  2. ヤマハ
  3. ローランド
  4. カシオ
  5. カワイ下位機種

やはりカワイのCA17Rに関しては値段が高いだけあってかなりしっかりとグランドピアノのタッチと音を追求しています。木製鍵盤のタッチも本当に自然でした。しかしながら、カワイに関しては値段が高いといういささかフェアではない要素が含まれていることをご承知おき下さい。

【配送/組立設置料込み】KAWAI / カワイ 電子ピアノ 木製鍵盤 CA17R (プレミアムローズウッド調仕上げ) 

ヤマハに関してはもっと上位機種を試奏すれば違った感想が出てくるかもしれません。10万円後半の機種を試奏した訳ですが、20万円前半から鍵盤のアクションや作り方が変わるとのことです。日本にある生ピアノは大半がヤマハなので、ヤマハの電子ピアノで練習する事は理にかなっています。

ローランドは僕も既に所有しているのでご贔屓だったはずですが、持っていてこんな事をいうのもなんですが、音が柔らかいですね。僕はもっとホロヴィッツのピアノのような爆音系が好きです。しかしながら、落ち着いた曲を弾くには良いですね。

カシオの音に関する並々ならぬ追求はびっくりしました。しかしながら普段から練習すること、グランドピアノでの演奏を意識して練習する際にはカシオの鍵盤機構は物足りない気がします。

 

今回は「タッチ」と「音」を主に評価対象としてランキングしましたが、他にも電子ピアノ自体の重さ、コンパクトさ、特殊機能(音色を変える、鍵盤の重みを変える、録音、電子機器との接続、レッスン機能…etc)、打鍵音(周りに響く雑音)、故障のしにくさ等々、色々な尺度があるかと思います。

それを考慮するとランキングができなくなるので、今回は外しましたがいづれまたきちんとしたランキングを作成したいと思っています。

 

読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

卒業合唱ソングベスト3(独断)のピアノ伴奏をアラフォーのオッさんが弾いてみた(旅立ちの日にもあるよ)

音楽

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卒業シーズンですね。この頃になると去りゆく人々や、お別れする人々の事が気になり、妙に感傷的になってしまいます。喪失感を感じている人もいらっしゃるでしょう。

と同時に4月から始まる新生活への期待と不安。色々な感情が入り混じり、爽やかだけれども、冷たかったり暖かかったり花粉やホコリを含んでいる春風のような感情ですね。

 

本日は卒業式の合唱でよく歌われる人気の卒業ソングのピアノ伴奏を一気に3曲、アラフォーのオッサンである僕が弾いてみた時の、動画公開と感想を綴りたいと思います。

(動画は先日の月曜日の仕事帰りに某ピアノスタジオで1時間ピアノを借りて3曲録画しました。品質は…アレですが、卒業する人々の事を思い、一生懸命弾きましたよ!)

勝手に独断的に年代別からベスト3を選んでいるので、あしからず。

 

おっさん世代代表:蛍の光

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蛍の光を弾いてみた感想

ほぼ初見で弾きました。楽譜は無かったので、ネットからスコットランド民謡の原曲を拾いました。細かい拍の音符が弾けていないですね。というより初見すぎて手がこれからどこに動くのか?定まっていない感じです。止まりそうになりましたがミスタッチでなんとかとどまりました😁

でも改めて弾いてみると(聴いてみると)結構良い曲でした。しみじみとした佇まいがありますね。原曲がスコットランド民謡という事で所謂「今っぽさ」は無いですが、単純なフレーズが心に染み渡ります。 

 

僕の思い出

おっさん世代代表の曲としたのは、アラフォーの僕が小学生の頃に卒業式にて歌った曲だからです。20〜30年前という事になりますね。

この曲の歌詞に「蛍の光 窓の雪〜」とありますが、このような小さな光の中でも苦労して勉強したという事でしょう(蛍雪の功という)。

確かに僕も結構雪の多い所に住んでいたので、大雪が積もった日の夜、外に出ると少し明るかったことを思い出します。

 

小学校の卒業式と言えば在校生と卒業生の声掛けみたいなの?ですよね。

生徒A「楽しかった修学旅行!」

他の生徒全員「修学旅行!」みたいな。アレのために何度か卒業式の練習をしたことを思い出しました。

僕の小学校は、全員がそのまま田舎の村立中学校に行くという感じでしたので、小学校であまり「お別れ」的な気分は感じませんでしたが、それでも先生方と別れることや、小学校の校舎と別れることに関して、卒業式のあとのホームルームのような時間に泣いてしまった記憶があります。

 

ちなみに、僕の両親世代は「仰げば尊し」を歌ったと言っていました。老人世代代表(失礼かな?)は仰げば尊しですね。

 

 

ちょっとおっさん世代代表:大地讃頌

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大地讃頌を弾いてみた感想

この曲は中学生〜高校生ぐらいに弾いたことがあり(といっても人前ではなく、自分で勝手に練習した、という事)、久々に弾きました。まず、右手の和音が掴みきれないという事ですね。素速く手を移動させて和音を次々に繋げていくので、手の形を覚えるのに結構時間がかかります。

最後の方で止まりそうになりました。危ない危ない!そのためリズムが狂いましたが本当の合唱伴奏だったら後で皆から白い目で見られそうですね。

この曲を弾いてみて感じたことは、以外にも左手の重要性ですね。特に中間部は左手で旋律を作っていきます。後ほど出てくる「旅立ちの日に」も同じですが、合唱曲の伴奏において、右手はジャンジャンジャンと繰り返す音型になっている時、伴奏者は左手で表現しなくてはならない、と思いました。

かなり堅牢で質実剛健な曲な気がします。「旅立ちの日に」と比較しても重厚な感じがしますね。 

  

僕の思い出

中学生の卒業式で歌った曲です。当時この手の壮大な合唱曲と言えば「河口」という曲と、この大地讃頌でした。僕は村立の中学校に通っており、校舎は古い木造だったのですが僕が中学3年の時に古い校舎の隣に新しい校舎が出来、古い校舎が取り壊されるのを横で眺めていました。あの時の何ともいえない喪失感が蘇ってきます。

また小学校の頃とは違って、友達とはそれぞれ通う高校が違うという要素が加わりました。こういうような「別れ」を経験して人は大人になっていくのだなぁ。と思い出しました。

小さい頃は、例えばいとこが遊びに来た時のお別れの際、いつも泣いていました。別れるのが辛かったし、寂しかったからです。しかし、そのような別れの感情を乗り越えることも大人になる上で必要である事をこの中学あたりで知ったような気がします。

 

  

 

おっさんなりかけ世代代表:旅立ちの日に

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旅立ちの日にを弾いてみた感想

この曲はピアノの独奏部分が美しいです。しかしその独奏部分の同じ部分で3回繰り返してミスタッチしています。楽譜を見ながら弾いたのですが、手のほうが間違って覚えてしまいました。こういう部分でのツメが甘いのがオッサンのオッサンたる所以ですね(そんな事はない、卒なくうまく弾くオッサンは世の中に沢山いる…)。

先ほども記載しましたが、左手のバスラインを意識して弾くことがとても重要だと思いました。間奏や、ピアノが独奏になる部分は弱い音で、右手の旋律を浮き立たせるように弾くべきだとも思いました。強弱はつけることが出来たと思いますが、ピウ・モッソ(少し速く)を完全に無視してしまいました。

 

先に出てきた「蛍の光」や「大地讃頌」と比べて「現代的」な感じがします。といってもクラシックの世界の現代音楽とは違って、ポップス寄りという感じがします。正直練習していて好きになった曲でした。

 

僕の思い出

この曲には思い出がありません。というのもアラフォーのオッサンにとって、この曲は「新しい曲」なのです。

ウィキペディアを見ると、「1998年頃までに全国の学校で歌われるようになった」とありますが、この時に僕は大学生でした。残念!

しかしながら、この曲は弾けば弾くほど、また聴けば聴くほど良い曲に思えてきました。例え若くなくても、今思えばとびっきり色鮮やかであった若き青春の日々の数々の思い出が蘇ってくるようです。 

 

 

 

総評〜若者に告ぐ

今回、卒業ソングベスト3という事で、年代別に「蛍の光」「大地讃頌」「旅立ちの日に」のピアノ伴奏を弾いてみましたが、どれも良い曲でした。と同時に、過去の様々な思い出が蘇ってきました。中には思い出したくも無い事もありますが、歳を取るに従ってそのような過去も「あれはあれで良かったな」と思えるようになりつつある自分がいます。

今、どん底で悩んでいる若い人もいるかと思いますが、40ズラ下げたオッサンが恥も外聞も無く、黒歴史製造機であるブログでポエムを語ったり、youtubeにミスタッチだらけのピアノ伴奏を上げているのを見て、「人生は何とかなる」と元気を出してもらえれば幸いです。

 

以上、読んでいただきありがとうございました。

 

↓今回使用した楽譜(蛍の光は含まれていませんが、他にも学生時代を思い出す合唱曲が70曲程度含まれております)結構オススメです。

 

 

 

 

 

大人の場面緘黙症は治るのか?人見知りとの違いは?

日々の生活

この間、日テレの世界仰天ニュースを見ていて、場面緘黙症が取り上げられていたので、飲み会などで一言も話せない僕も思うところがあり記事にしました。

 

場面緘黙症とは

場面緘黙は、ある特定の場面でだけ全く話せなくなってしまう現象である。子供が自宅では家族らと問題なく会話をしていても、学校や幼稚園など家の外では全く、あるいはそれほど話さず、誰とも話さないという例は多い。そして、その子供は非常に内気な様子に見え、グループでの活動に入りたがらなかったりする。たいていの場合、発話以外の、表情や動作やその他のやり方であれば、人とコミュニケーションを取ることができる。また、脳機能そのものに問題があるわけではなく、行動面や学習面などでも問題を持たない。また、強い不安により体が思うように動かせなくなる緘動(かんどう)という症状が出る場合もある。

単なる人見知りや恥ずかしがり屋との大きな違いは、症状が大変強く、何年たっても自然には症状が改善せずに長く続く場合があるという点である。

 

 

場面緘黙症 - Wikipedia

 

人見知りとは違うのか?

wikipediaによると、上記のように人見知りや恥ずかしがり屋とは違う、と書いてあります。また、僕が見た「世界仰天ニュース」では人見知りとの違いについて、「人見知りは最初の内は相手に不安を感じて話せないが、慣れれば話せるようになる」との事。対して場面緘黙症の場合、ある特定の場面で話せなくなるとの事。

私見ですが、場面緘黙症の場合は「ある場面で人見知りがずっと続いている」というイメージでしょうか?

 

発症率はどのくらい?

wikipediaによると、「現状ではあまり明確になっていない」と記載がありますが、世界仰天ニュースによると、元の出典は不明ですが0.15%の割合で存在するとの事。

私見ですがこの数字はそれほど大きくないと思いました。ただ、普段生活をしていて「人見知り」の人も場面緘黙症のイメージで見てしまっているので、そのように感じるのでしょう(人見知りも含めたら日本人の半分位は人見知りになってしまいそうですからね笑)。

 

子供だけ発症するのか?

wikipedia、世界仰天ニュースによると2〜5歳の間に発症する、との事。その後の追跡調査はあまりエビデンスが無いようで、発症した子供が大人になってからどうなるのか?という事が分かりません。

私見ですが(というより僕のことですが)、場面緘黙症はほうっておくと大人になっても治りません。下記に僕自身の症状を述べますが、「スイッチが入る」と全然話せなくなります。

小さいお子さんがこのような症状で悩んでいる親御さんは、早期にお子さんに治療を施す事を進めます。

 

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自分の症状

自分の子供の頃の症状、二重人格ではないかと悩んだこともある

僕の子供時代ですが、小学校の授業中の記憶が驚くほどありません(だから現在こんなアホなのか!というツッコミは無しで)。というのも、ほとんど一言も話さなかったからです。手を挙げて発言することもなく、半径1メートル位の小さな世界で生きていたような気がします。授業中に当てられたらどうしよう?といつも不安でした。先生からも通知表に「授業中に発言しろ」みたいな主旨の事を書かれました。

ところが、「人見知り」だったか?というとそういう訳でもなく、多少は人見知りではあったものの、休み時間は元気に一輪車に乗ったり、友達と鬼ごっこをしたりと、普通に話すことが出来ました。

何故授業中だけ押し黙っていたか?先生が嫌いだったという事もありますが、その場面の雰囲気で「話さない事を決めていた」と分析します。僕の中では大人になった今でも一貫して「話さないことを決めている、選択している場面」があるのです。

余談ですがそんな自分を先生はよく見ていたのか、通知表には先ほどの続きがあり「芯が強い」という記載もありました。

 

中学生になって僕は自分の内気な性格を変えよう!と努力しました。授業中でも積極的に発言をするようになりました。「人前で注目される事」これはなかなかのストレスでしたが、友達も沢山出来、ある意味人生で一番のリア充時代だったような気がします。
なんと文化祭で「私の主張」というステージに立って自分の主張を3分位スピーチする機会もこなしましたし、合唱コンクールのピアノ伴奏もこなしました。

 

しかしながら中学で頑張ってしまったため高校は地元の進学校に通うことになりました。ここで僕は「元の木阿弥」になります。またもや授業中に発言する事はできませんでした。周りの人が皆優秀に見えて、怖気づいたという事もありますが、元来の緘黙症の症状が出たのだと思います。

僕は音楽をやっていたので、合唱コンクールのクラス実行委員になりました。毎回クラスの人の前で「合唱をやるので放課後○○に集まって下さい((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル」と発言するのさえ苦痛でした。発言している最中は視野が狭くなり、鼓動が早くなるのを感じました。またもや「半径1メートルで生きている自分」を感じました。

ところが、仲の良い友達とは普通に話せるのです。例えば1:1で話す時は僕は大声を出して笑う事さえあったのです。そこらへんにいる高校生と変わりない感じでした。

ただ、カラオケは全然ダメでした。今でもカラオケでは絶対に歌いたくありません。自分の声に、一挙一動に注目される、という事がどうしても受け入れられないのです。その場を支配する人間になりたくないのです。

この事は以前のエントリ

 

piano6789.hatenablog.com

 でも触れました。大好きな音楽をやるにしても、大勢の前だと萎縮します。

 

 

ただ、思春期になるとこんな自分を客観的にメタ認知する能力がついてきます。ここで悩んだのは「自分は親に対する態度、友人A君に対する態度、授業中の態度全てが違う、二重人格ではないのか?」という事。一時期真剣に悩みました。自分は人によって態度を変える最低の人間だと思い詰めたこともあります。

そしてこの問題は解決しないまま大人になってしまいました。

 

 

大人になってから現在の症状

東京の大学に入ってからも似たような症状が出ていました。僕の大学の校舎にはすり鉢状の大きな教室が2つあったのですが、そこに入るのにはとても勇気がいりました。これが場面緘黙症と関係があるのか?という気がしてきましたが、とにかく注目されるのが嫌という、ある種の自意識過剰な状態だったと思います。誰も自分の事なんて見ていないのに。

 

大人になって就職してからは、飲み会が全然ダメです。全然話すことが出来ません。このあたりから人の話を聞いているフリというか、人の機嫌を損ねないように相槌を打つようにしたり、いつも笑みを絶やさないようにしたりする処世術を身に着けました。

以前勤めていた会社は社員が6名位のシステム運用会社でした。月に2回位帰社日という日があり、それぞれの現場に出ている社員が集まって会議とその後飲み会を行うのですが、5年位その会社にいて、会議でも飲み会でも僕が全然話さないので社長に「お前が話さないから何考えているか分かんねえよ。話せ!」と何度も怒られました。

それでも話せないのです。

社長の友人からは「お前は精神薄弱者だから」などと言われる始末でした。

しかし、僕は彼らの事を嫌っていた訳ではありません。飲み会等の場面になると自分自身でも不思議と「押し黙る」事を選択してしまうのです。飲み会などでは自分に対するお説教もよくありましたが、反論することも出来ず、終わってみるとただ心の中に諦観が積もっていくという感じでした。

 

さて、一言で飲み会といっても、本当に少数の(2〜3人)の友人同士の飲み会では僕は寧ろ饒舌に喋る位でした。彼らから見れば僕は「ふざけた奴」と写っていると思います。自分でもその変わり身の速さに驚愕しますが、やはり二重人格なのでしょうか?

多分場面緘黙症を患っている人はこの二重人格的な自分に、自分自身も気づいているはずです。

多分ですが、その時の「つかみ」みたいなものが重要で、最初に話す事が当たり前だと思っていれば、自然と場面緘黙症のスイッチは入りません。

 

余談ですが、以前の会社の社長に連れられて渋谷のスナックに行ったことがあります。はっきりいってこんな所に好き好んで来る人が僕は信じられないです。僕の嫌いなカラオケがあり、見ず知らずの女性と話をしなくてはいけないなんて僕にとっては拷問でした。

しかしその様子を見たスナックのママが言った一言が今でも鮮やかに蘇ります。社長が「こいつ喋らなくてつまらないでしょう?」と言うと、

「ミヤガワさんは2人だけで耳元でささやくタイプなんだよ」と。

 

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話をしないことによる弊害

「コミュニケーション」という言葉が僕は嫌いです。というのも、近年就職でも転職でも馬鹿の一つ覚えみたいに「コミュニケーション能力のある人求む」みたいに喧伝するので、僕のような場面緘黙症の人間や、人見知りの人間、コミュ障の人間が相対的に価値のない人間とみなされるフシがあるからです。

コミュニケーションという言葉が嫌い、と書きましたが、正確に言うと「コミュニケーションという言葉が嫌いな自分自身が嫌い」ですね。深層心理では僕は「コミュニケーション能力が高い人間になりたい」と思っています。

確かにコミュニケーションが出来ないと仕事を円滑に進める事は出来ません。僕も仕事中は頑張って「報告・連絡・相談」を欠かさないようにしていますが、それでもリーダーになるような器はないなぁ、と思っています。

 

コミュニケーションは何も「話すこと」に限定されませんが、コミュニケーションツールの中で一番重要なのはやはり「話すこと」であることは否定出来ないでしょう。

大人の場面緘黙症の人間はこの「話すこと」や「話す機会」を失っていることを厳粛に受け止めるべきです。というのも僕はアラフォーですが、人と話をする機会があまり無いことで記憶力や、認知能力、論理的思考力が一般の人より劣っているような気がするのです。

咄嗟に言葉が出てこない、話をし始めるが自分が何を言っているか分からない、言葉を瞬時に頭の中で組み立てるのが難しい、といった症状が出ています。

もちろん、これは場面緘黙症の人間全てに言えることでは無いと思われます。僕自信の能力が元々低いという可能性もありますが、話す機会を損失していることは事実です。

僕も小さな頃は他人の話を聞いて、それに対していつかは話そうと思って頭の中で「自分はこのように思う」とか「こう考える」というイメージを持っていました。

それがいつの頃からか「どうせ自分は話さないのだから、自分の意見を持っても無駄」と諦めと共に思うようになり、自分の意見や考え、思いを言語化しないで生きるようになりました。

結果として、「自分自身のアイデンティティの無い空虚な人間、いつも自信がなく世間に訴えかける事が出来ない人間」になっていました。

 

緘黙症は治るかどうか分からないが、ブログを書こう

僕はブログを始めた理由として、過去のエントリ

 

piano6789.hatenablog.com

 

を見ていただけると分かりますが、一番はお金が目的でした。

しかしながら「ブログを書く」という行為がかなりの脳トレになっていることに最近気づきました。僕の場合、自分の伝えたいことを引き出すまでにかなりの時間がかかります。このブログも4時間ぐらいかけて書いています。

ああでもないこうでもない、あれ、ここの文章おかしくね?などと思いながら書いています。僕の場合、やはり普段人と話さないので文章を書くのに咄嗟に言葉が出てきません。しかしブログを書くことで普段人と話さない事のデメリットを補っているとも言えます。

場面緘黙症だからか、先天的に言語能力が低いからなのか分かりませんが、自分の場合言語による表現を避けていた、或いは軽んじていた部分があります。なので、十代、二十代は言語以外のノンバーバルコミュニケーションであるピアノ演奏や、建築の設計、絵を描く等の手段で自分の欲求を満たしていました(大学も建築学科でした)。

しかし、「思考を言葉にする」という作業が一番心が落ち着く事に気づきました。私見ですが思考を言語化するという行為は思考そのものを整理する行為であり、自分自身の心の安定をもたらします。

 

という訳で、大人の場面緘黙症は治るか分からないけれども、話す機会を損失している人間はブログを書くことがオススメです。

 

最後にまとめ

  • 大人の場面緘黙症は治るかどうか分からない、一般的には「慣れる」事が大事と言われている症状だが、いつまでたっても改善しないことがある。
  • どうしても話せない場合、相槌を打ったり、笑みを浮かべたりして他人に興味が有ることを示そう。
  • 私見だが、飲み会や会議では「つかみ」が大事。一旦話すことが当たり前になると、その場面では場面緘黙症のスイッチは入らない。
  • 私見だが場面緘黙症の人は話す機会を損失している事が多いと思うので、ブログを書く事や、読書をして思考を言語化することを意識的に行い、人と話す事によって得られる効果と同様の効果を意識的に作り出すことが重要。

 

読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

春の表参道でイッセイミヤケの香水をつけた女性に逢った話

ファッション

嗅覚というのはとても不思議なもので、ある「匂い」を嗅いだ瞬間、およそ失われていたと思っていた記憶の断片を瞬時に呼び起こす。そして直後にマドレーヌを思い出す。ああ、それはマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」のマドレーヌの事だったと。嗅覚によって想起される過去の思い出、これを「プルースト効果」と言ったなぁなどと。

 

女性社員Aの香水は?

いつものように満員電車でモミクチャにされながら、会社に向かう。席についてパソコンを起動していると、斜向かいの席に座っている若い女性社員Aが「おはようございます!」と出勤してくる。

この女性社員Aはいつも席につくと、携帯を取り出しおそらくは彼氏からのメールをチェックしてから、おもむろに「ムーミン」の柄の付いた布製のカバーをつけた、おおよそ500mlペットボトル大の「飲み物」を取り出す。布製のカバーをつけているから、中身はいったい何の飲み物かは不明なのだ。飲み物であることは分かる。何故なら、仕事中に彼女がよくキャップを開けて静かに口に含んでいるからだ。

女性社員Aはその「飲み物」をまるでワインを熟成させるかのように、机の上にそっと寝かす。立たせるのではなく寝かすのだ。その仕草が僕にとってツボで、僕は密かに「この女性が飲んでいるのは魔法の水なのではないか?寝かせることによってその養分を引き締め、コクを出しているのではないか?」などと思っていた。

僕は人と話すことがあまり得意ではないので、そんな「ムーミン柄の布で覆われた謎の飲み物」について長らく質問できずにいた。

そんな折、女性社員Aと立ち話をする機会があった。昼休みにエレベーターが来るのを待っている時に「ミヤガワさんはいつもサンドイッチだけでお腹が空かないんですか?」と質問されたときの事だ。

僕は「いやぁ、たくさん食べると午後眠くなっちゃうし。お腹は常に空かせておくくらいの方がいいんだよ」と言った。

実際僕はサーチュイン遺伝子が活性化する事を願い(常に腹八分目くらいにしておくと、常に若くいることができる、という研究結果がある)、食事はいつも腹八分目ならぬ、「腹七分目程度」を心がけている。それ以外にも理由があって、たくさん食べると頭が働かなくなる、眠くなる、そもそも歳を取るとたくさん食べることが出来ない、等が挙げられる。

「よく持ちますね、私なんかいつも間食しているのに」とエレベーターに乗り込んで話す。

「あの、謎の飲み物は何?」と僕は聞いてみた。

「謎の飲み物?」

「あのムーミンの布で隠れたやつ」

彼女は弾けたように明るい顔をして、「謎でもなんでもないですよ。あれは給湯室で入れた冷水をあの中に入れているんです。」

「なんだ、そうか。てっきり謎の飲み物かと思った。隠しているからさ」

「あはは」

僕は女性の持っているデリカシーみたいなものを感じた。つまりはこうだ。僕のような野郎であったら、天然水のペットボトルを何度も使いまわすのを他人に見られても恥ずかしくはない。例えば、その日に飲んだペットボトルの空き容器を会社の机に置いておき、次の日の朝に洗って給湯室の水を入れる、という芸当だってできる。

しかし女性がそれをやったらどうなるか?ちょっと「不潔」と思われてしまうかもしれない。例えペットボトルをよく洗っていたとしてもだ。

だから、そのような行為自体を「ムーミンの布」で隠すのだ。

彼女はそういった人間の機微を感じ取ることが出来る、よく出来た女性だと思った。

 

そして、エレベーターを降りる瞬間、前を歩く女性社員Aから「いい匂い」がした。その瞬間僕は「イッセイミヤケの香水だ」と気づいた。ウリ科の植物のような、清新でフレッシュな匂い、大人の女性が纏うのに最も適した、甘くもありながら気品に満ちたそれでいてさりげない匂い。

 

イッセイミヤケの香水は瞬時に5年前の春に表参道で出会った女性を僕に想起させた。僕はこのために女性社員Aに「なぜ、ペットボトルを寝かせるのか?」という第二の質問をききそびれてしまった。

 

L'EAU D'ISSEY

 

春の表参道の歯医者でよい香りのする女性に出会った

5年前、僕は表参道に住んでいた。しかも家賃5万で1LDK。嘘かと思うかもしれないが本当である。その頃の僕はとある小さなシステム請負会社に勤めており、その会社の社長が表参道に代々土地を持って住んでいた。その社長のご厚意で、社長の住んでいるビルの一室を貸してもらえる事になった(ただし、僕の部屋は一ヶ月に2回は各々の現場に勤務している社員7名が集まって社内会議を開く場所となった。また下の階には社長夫妻が住んでいるのでいつ出くわすか、気が気でなかった)。

表参道にはおよそ僕の生活レヴェルとは相容れない様々な店があった。数々のきらびやかでオシャレなお店があり、とてもじゃないけれど一人では入ることは出来ない。美容室に行くのも勇気がいった。表参道や原宿あたりには腕のよい美容師がいて、そこに通う客というのもまたオシャレな人間であろう事は容易に想像がついた。

また食費もバカにならなかった。近くにピーコックストアがあったが、明らかに郊外のピーコックストアよりも値段が高かった。ましてや紀伊国屋などは足を踏み入れることすらはばかられた。

当時の僕は仕事も半人前で安月給、かつスーツは量販店の安物、革靴は8,000円くらいの安物、休みの日の服装はユニクロといった具合で、このような人間が表参道に住むという事はなかなかに違和感があった。

 

そんなある晴れた春の日、急に僕は歯が痛くなった。ネットで近くの歯科を検索して近くに歯医者がある事を確認した。流石に表参道といえども歯医者は保険内の治療ならば高くはないであろうなどと思いながら、銀行の近くにある歯医者に駆け込んだ。

受付を済ませて、待合室で待っている時に、かすかによい香りがした。隣に座っている若い女性の匂いだった。

20代後半くらいだろうか?目鼻立ちのはっきりしたとても美しく、品性が感じられる女性だった。着ているものも落ち着いた雰囲気で僕は一瞬で好感を持った。彼女が受付に呼ばれて立つ時の姿勢、特に肩のあたりがまるでバレリーナのように凛として洗練されていた。

僕はこの女性がどのようなバックグラウンドであるか?妄想してみた。

多分彼女はこの表参道、南青山界隈に住んでおり、昼間は一流の大企業で働き、夜は自分の時間を大切にする、例えば読書をするとか、クラシック音楽を聴くとか。休日は近くの有名なバレエ教室でバレエを練習する。そしてたまには表参道のブティックで質の良い化粧品やら、趣味の良い洋服やらを買いに出かける。そして今日は定期的に歯のクリーニングをしてもらいに来ている(ちなみに虫歯は一本もない)。

僕がそんな妄想をするくらいに、僕と違って彼女は「表参道という街に合っている」感じがした。と同時に彼女が纏わっている香水は一体どこのメーカーのものだろうか?という疑問が湧いてきた。

僕がそんな事を、つまりは香水のメーカーがどこのものか?などと考えることは初めての事だった。ただ、その彼女の姿やいでたちから、表参道=彼女の纏っていた香水のイメージの図式が成り立っていた。

 

この日から僕は自分のファッションに多少気を使うようになった。美容室も恥ずかしい思いを我慢して、なるべく評判の良い表参道の美容室に行くことにした。スーツは細身のものを新たに買った。革靴はせめて3万円はするものを新調した。

僕も彼女のように表参道に溶け込みたかったのだ。

 

彼女の纏っていたのはイッセイミヤケの香水だった事に気づく

僕が表参道に溶け込む努力をしている内に、辿り着いたのがイッセイミヤケだ。表参道のA4出口を出ると、左側に根津美術館に通じる道があるが、この路面にイッセイミヤケの店舗が数店ある。ISSEY MIYAKEISSEY MIYAKE MEN、PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE、BAO BAO ISSEY MIYAKE、132 5. ISSEY MIYAKEなどなど。

僕はこのISSEY MIYAKE MENで時計を買ってから(過去記事参照)、イッセイミヤケに興味が湧いてきた。そんな折、ふらっと132 5. ISSEY MIYAKEに立ち寄った。「折り紙」のような前衛的な服を作っている店舗で、基本的には女性モノが多い。だから入るのにはとても勇気がいった。入ってみると店員さんも女性ばかりだった。ビクビクしながら店内を廻っていると、

「何かお探しですか?」

マルサの女のような髪型をした、美大卒みたいな感じのいかにも「服飾系」のイメージのする店員の女性が話しかけてきた。と同時に、

あの時の歯医者であの女性が纏っていたモノと同じ香りが微かにした。

その時に分かった。あれはイッセイミヤケの香水であった事を。

その日以来、イッセイミヤケの香水のイメージは表参道のイメージが僕の中で強固に定着し、同時に落ち着いた大人の女性のイメージとなった。

 

 

L'EAU D'ISSEY(ロードゥ イッセイ)香水の特徴

女性用はL'EAU D'ISSEY(ロードゥ イッセイ)と名前がつく。容器の形は基本円錐形。

(ちなみに男性用はL'EAU D'ISSEY POUR HOMME(ロードゥ イッセイ プールオム)と名前がつく。容器の形は四角柱。)

ロードゥイッセイとは「イッセイの水」という意味。

僕がこの匂いを嗅いだ限りで言うと、上記のような、なんとも言えない大人の女性の魅力が凝縮されているように感じました。と同時に自己主張は控えめで落ち着いた、まるでその名の通り水のイメージ。

加えて個人的には「表参道」とか「南青山」といった、少しシックで余裕のある大人の街のイメージです。このあたりは僕の記憶と強烈に結びついているものがありますね。

以下香水専門店ベルモより引用、

この香水の登場が、その後の香水界を大きく飛翔させるきっかけとなった。

オゾンノートというジャンルを確立し香水の可能性を広げた、天才調香師ジャックキャバリエの最高傑作にして、香水の一つの到達点。

革新を湛えた イッセイの水。香りもボトルも洗練を極め、文句のつけようのないフレグランスです。メロンやスイカの香りにも似ているオゾンノート。

トップからミドルはスイレンシクラメンフリージア、ローズウォーター、カーネーション、白ユリなどが、春先の森林にたたずむような安らぎと清廉を与えてくれます。

ラストはオスマンティス、ムスク、チュベローズ、アンバーなどが、官能の中に、優しさ、穏やかさを加えたロマンティックな甘さで、あなたをフワリと幻想の世界へ誘います。円錐のボトルも香りと調和していて素晴らしい。マライア・キャリーも愛用。必ずストックしておきたいマストアイテムです。

↓ 香水専門店ベルモさんでL'EAU D'ISSEY(ロードゥ イッセイ)を探す

 

 

 

 

村上春樹4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」収録

 

 

 

 

スコッチグレインの靴磨きをしてみたが…僕は靴に謝らなくてはならない

ファッション

2016年の5月に買ったスコッチグレインのインペリアルⅢボルドーを久々に磨いてみました。

下記は購入した後に書いたブログ過去記事

 

piano6789.hatenablog.com

 

 

まずは靴に謝りたい

「ごめんなさい!」

あなたに謝っているわけではありません。去年の5月に大金(自己調査)である51840円をはたいて買ったスコッチグレインのインペリアルⅢボルドー(960BO(EEE) セミブローク、メダリオン付き)に対してです。

この9ヶ月間、僕は2〜3回靴を磨いたのみで、ほぼ手入れを怠っていました。そして今回改めて「靴磨き」をしよう!と思いたち、靴をよくよく眺めてみると、

スコッチグレインの靴1

酷い状態です…。全体的に靴本来の輝きを失い、色がまだらになり、シワが多く入り、つま先の部分は汚れが目立ちます(特に左足が顕著でした)。

 

スコッチグレインの靴2

かつ、つま先の部分には、何かに擦ったような痕が…。

 

スコッチグレインの靴の靴裏

靴の裏はこんなものだと思いますが(ちなみに傷のように見える部分がありますが傷ではないです。これも何かに擦った痕)…。

 

靴が悪いわけではないのです。僕は靴の手入れを怠った事により、「靴を冒涜」してしまったのです!

この時点で、僕はこの靴を履く資格が無い、と思いました。

 

 

 

取り敢えず靴を磨いてみた(間違った方法だったとあとで気づく)

(注:これから行う靴磨きの方法、間違っているので参考にしないで下さい)

僕は「何てことをしてしまったのだ!」と自責の念にかられ、現状を打破するために急いで靴磨きをすることにしました。

靴磨きブラシ

まずは、靴をブラシで磨きます。上記のようなブラシですね。僕はそこら辺の靴屋さんに行って、適当に(馬毛なのか豚毛なのかも分からず)買ってきました。100円位の安物です。

しかしこれをするだけでも、靴の汚れはかなり落ちることにここで初めて気づく(遅すぎ)。

 

タオルと靴クリーム

部屋に移動し、上記のように、使い古したフェイスタオルと、[コロンブス] columbus ブートブラックシルバーライン シュークリーム (ブラック)[HTRC3]のバーガーンディー色を用意しました。

 

靴磨き中に色がついたタオル

 まずは、タオルでゴシゴシと乾拭きをしました。靴についた汚れを落とすためですね。上図のように、以前に塗った靴クリーム(乳化剤)が色落ちのようにタオルにつきました。

 

乳化剤クリーム

乳化剤クリームをタオルに取って、いよいよ靴を磨きます。

 

靴磨きの最中

磨いている最中。何か、色ムラのようなものが見える…。

 

取り敢えず、30分位かけて磨いてみました…。

 

 

少しはマトモになったが、傷やシワが年数と比較して多い 

磨いた後の写真を撮ってみました。

磨いた後のスコッチグレインの靴1

光の加減もありますが、磨く前よりは良くなりました。しかし、つま先部分の擦り傷は残ったまま。

 

磨いた後のスコッチグレインの靴2

靴の中はこの時点で手入れの方法が分からず、放置しています。

 

磨いた後のスコッチグレインの靴3

やはり、つま先部分の色ムラというか、擦り傷が目立ちます。遠目では分かりませんが…。これどうやって消すのだろう?もう戻らないのか?やはり普段からの僕の靴の管理は最悪でした。

 

 

靴磨きの間違えた点

 

間違った靴磨きの方法で磨いてしまった!

後になって分かるのですが、この磨き方は間違っています。沢山間違いがあるのですが、主なものを列挙すると、

 

  • 磨く時は靴紐をほどく(常識!)が出来ていない
  • 磨く時はシューツリーを入れて磨く、が出来ていない
  • ブラッシングと乾拭きでしっかり汚れを落としてから磨かなくてはならなかった、場合によっては汚れを落とすクリーナー(リムーバー)とよばれる液体を使って汚れを落とさなくてはならない
  • 豚毛のブラシを靴磨き用に用意して、布が届かない部分(シワやコバ)の余分な靴クリーム(乳化剤)を取り除き、馴染ませなくてはならなかった
  • 靴クリーム(乳化剤)の量は少量でよかった
  • 最後の乾拭きは目の細かい布を使用するなど、目的に応じて使用する布の区別が出来ていない
  • その他色々…

 

恐らく、このブログを見ている靴好きなかたはこの磨き方をみてイライラしていると思われます。申し訳ありません。

僕が正しい磨き方を知ったのは、この靴を磨いた後で、「本当に自分の磨き方で良いのか?」と疑問に思い改めて「靴の磨き方」を調べて、Kindleで下記の本を買った後だったのです。

磨く前にこの本を読んでおくべきでした。

 

 

最高級靴読本 究極メンテナンス編 は必携の書!

この本はとてもボリュームがあり(靴磨き、靴の管理関連の事で実にカラーページが100ページほどある)、とてもためになりました。

特に僕のような初心者が陥りがちな「クリームをつける意味も分からず、ベタベタと塗ってしまう」「靴磨きの方法が分からない、靴の普段の手入れ方法が分からない」みたいな人は、是非ともこの本を手にとって、「靴磨きの達人」の行っている磨き方を参考にしたほうが良いです。

あと、クリーナーとクリームとワックスの違いが分からない人も是非買うべきです。
僕のように靴磨きに失敗するよりは、プロのやり方を真似した方が良い結果がでます。

2012年刊行ですが、靴磨きの方法というのはそうは変わらないので(色々な流派がありますが)、現在に於いてもなお参考に出来る良書です。 

僕はこの本を読む前に靴を磨いてしまった訳ですが、この本を読んで一番学んだこと、それは、何故靴磨きをするのか?何故クリームをつけるのか?という事です。

よく例えられますが、靴は女性の顔と同じという事。

女性が顔の汚れを落としすっぴんになってから、保湿クリームを塗って、場合によっては化粧をその上に施すのと同じように、
革靴も靴の汚れをクリーナー等でよく落とし、革の中まで浸透する乳化剤クリームを塗って、場合によってはワックスを施す。 

このような事を踏まえて「今、自分はどの工程を行っているのか?」という事を明確にして、自分の塗っているモノは靴の汚れを落とすクリーナーなのか?それとも靴に保湿を与えるクリームなのか?はてまた靴を光らせるワックスなのか?という基本的な事柄を把握して靴磨きをすべきでした。

 

この本の中には5人の「靴磨きの達人」が出てきて、靴のメンテナンス方法を写真付きで解説したり、オススメの靴磨きグッズ(クリーム、ブラシ、クリーナー、シューツリー等)を投票したり、穴が空いた場合の補修方法も掲載されています。靴に起こり得る様々なトラブル(傷、汚れ、ボコジミ、塩吹、色ジミ、雨ジミ等)の対処方法、巻末には靴メーカー毎の靴の紹介と簡単な靴毎の手入れ方法等も載っており、非常にボリュームがあります。

僕は、今度靴磨きをする時はこの本を参考にして、「正しい靴磨き方法」で磨いて、再度ブログ記事をアップする予定です。

 

 最高級靴読本 究極メンテナンス編 (ビッグマンスペシャル)

 

 

靴磨きの頻度を気にするよりローテーションと毎日のブラッシングが超重要

さて、革靴初心者の僕の場合ですが、靴磨きのみが靴を綺麗に保つ方法だと勘違いしていました。でも本当に大切なのは、「毎日のブラッシング」です。これを怠らなければ、靴磨き自体は多分1ヶ月に一回くらいでもOKなのではないでしょうか?

毎日、靴を履いて帰ってきた時に3分で良いので、馬毛のブラシで靴の汚れを払う。その上でさっと乾拭きをする、こういった習慣が絶対に必要だと思いました。

上記に上げた、靴を磨く前の写真を見ていただけると分かると思いますが、靴にホコリや、汚れがついております。磨く以前の問題で、普段からブラシで汚れを落としていれば、このような事態にはならなかったはずです。

あとは靴のローテーションの問題。現在、このスコッチグレインのインペリアルⅢと、同じくスコッチグレインのシャインオアレインの2足で廻しています。サラリーマンの週5勤務でこれはNGだと思いました。野球の投手でもこのローテーションはキツイでしょう。

せめてもう一足は用意しておくべきです。

 

 

ここで初めて僕は「靴を見ればその人となりが分かる」という意味が分かった気がしました。これは真理です。

僕は大体において、いいかげんで、横着で、めんどくさがりです。こういった特徴はモロに靴に出てしまいます。

しかしながら、これからはそのような性格を少しでも治していくとともに、靴に対してもっと敬意を持って、愛着を持って接したい、と猛省しました。靴を大切にできる、しっかりした人間になりたいです。

 

 

靴磨きグッズでこれから僕が買いたいモノ

先程の最高級靴読本 究極メンテナンス編 (ビッグマンスペシャル)でも出てきた靴磨きグッズで、以下のものが良さそうだったので、是非買ってみたいと思います。買ったあかつきには再度、正しい方法で靴磨きをして、キレイになったスコッチグレインの靴をブログにアップしたいです(宣言)。

 

 

 サフィールの定評ある汚れ落としのクリーナー。サフィールというメーカー(商品名?)を初めて聞きましたが、靴磨きマニアの間では非常に評価が高い様子。

 

 上記書籍の中で、5人の靴磨きプロが満場一致で選んでいた靴クリーム

 

 ↓靴磨き後に着用してみた。やはり細身のネイビースーツに合わせるのが良いと思う。

 

細身のネイビースーツと磨いた後の靴

 

ピアノが上手くない大人は独学はやめておいたほうが良い理由(ショパンのワルツ7番を弾いてみた結果)

音楽

ピアノが上手くない大人、これずばり自分の事です。

今日はそんな「ピアノが上手くない大人、初心者は独学は止めておいたほうが良い」という話を自戒を含めて書きたいと思います。恥を忍んでショパンのワルツ第7番嬰ハ短調(op.64-2)の動画もアップしました。

ピアノを弾く人

 

独学でもいいじゃん、楽しければ

「独学でも自分が楽しかったら良い」僕も長年そう思っていました。実際にジャズとかポップスのピアノを弾く人の中には独学でピアノを学んで、驚くべき音楽を聴かせるプロが存在します。

また、大人からの独学ピアノでは、「どうせ人に聴かせるわけじゃないんだし、自分が楽しめればいいんだ」という人もいます。
僕は小さい頃にピアノを習っており、大人になってからピアノを再開した所謂「再開組」というやつですが、一時期はこのように考えておりました。

「今更やったって、プロになれる訳ではない、自分の楽しめる範囲で、自己流で弾いていけばいいんじゃね?」

という感じですね。

ある意味、これは真理です。何故なら、「ピアノを弾くことが苦痛であってはならない」からです。これは絶対的な真理であると僕は考えます。まずは「弾いている自分が楽しむ」という事を考えないと、本当に良い演奏ができないのです。

 

自分が楽しんで弾けていない演奏は「やれ」と言われてやる勉強と同じでその場では良い成績を取ったとしても、自分の中で勉強に対する興味が薄いために、その後の応用力が全然つきません。

余談ですが、世の中の「親」と呼ばれる人の中には「勉強しろ!」と子供をスパルタ教育する人がいるかと思いますが、その子が勉強することに興味を覚えているならそれはOKなのですが、興味が無いのならば、怒られた時点での成績が良くなるだけで、応用力は身につきません(また、こういう親に限って一つのテストの成績で一喜一憂する)。もっと上手く子供の知的好奇心をくすぐる方法で教育するべきです。

 

閑話休題、大人になってピアノを始めたい、または再開したいと思っているならば、「ピアノを楽しめる素質が元々ある」という事です。このあたりについては心配しなくてよいでしょう。

問題は、独学で続けるか、それとも教室等に習いにいくか?です。

僕は独学でも良い、という人の気持が痛いほどよく分かりますが、下記のような事がありました。そして、今現在、ピアノの先生を探しております。

 

 

youtubeに上げたショパンのワルツにダメ出しされてしまう

まずは、現在ピアノ独学中で、いつまでたっても初心者止まりの僕のショパンのワルツ第7番嬰ハ短調作品64−2をご視聴下さい。

www.youtube.com

 

さて、このワルツですが、正直に言いましょう。僕は結構自信がありました。途中に弱音ペダルを踏むのが遅れたり、最後の方でミスはしているものの音も拾えているし、些か速いかな?とも思いましたが、ディヌ・リパッティとかもこの位のスピードで弾いているし…。

ところが、これを見たあるピアノの弾けない友人が、

「なんか、一本調子の曲だね、退屈だよね」

と言ってきたのです!

僕はなぜ、そんな事を言うのか!と憤慨すると同時に、「やはり、バレるのか…」と思ったのです。友人にそういうふうに言われる事を、僕はどこかで「知っていた」という事です。

つまり、僕は自分の演奏を完璧にした!と思っていたのですが、心のどこかに「譜面の読み込みが足りない、練習量が足りない」という事を自覚していたのです。

この友人はピアノが弾けないですが、物凄く勘が良いところがあり、実に的を射た発言をしてくれます。恐らく、ピアノの先生とか、ピアニストが聴いたらもっと酷い評価を得られるでしょう。

自分でも分かっていました。もしこの演奏をピアノ教室で弾いたら先生に「顔洗って出直してこい!」と言われるレヴェルの演奏である事を…。

 

 

演奏のどこが悪いのか?分析してみる

形式を理解していない

このショパンのワルツは大きく捉えるとA-B-C-B-A-Bというカタマリで捉えることができます。

 ショパン ワルツ集(遺作付) 解説付

Aはマズルカのリズムで、物悲しい、高貴なイメージ、Bは流れるような下降音型と上昇して解決する部分が2回繰り返されます。中間部Cは落ち着いた、夢見るような束の間の喜びのイメージ。

こういった形式を大まかに捉えて、演奏方法を吟味する、という事が僕の演奏では抜けています。いや、自分でも「大まかには」理解しているつもりでした。しかし、こうして自分の演奏を客観的に聴いてみると、「理解していないで、一本調子で弾いている」ように聴こえます。

つまり、形式を理解する、という事は「ただ、なんとなく」という意識では足りず、キッチリと確認して、その変化を演奏に反映するべきです。

 

形式を理解して、弾き方を変えるという事が出来ていない

上記の事が分かったら、演奏に変化をつけるべきです。

例えば、このワルツでは「B」の部分が3回出てきます。Bの中に同じ音型が2回出てくるので、全体としては2×3回の、同じ音型が出てくる訳ですが、この音型を皆同じに弾いてしまったらつまらないし、一本調子になると思います。それはショパンの本意ではないでしょう。

僕も弾いているうちに「なんとなく」その事は気づいていましたが、この「なんとなく」というのが曲者で、なんとなくではダメなのです。きっちり「どのように弾くか」という事を設計して弾き分けないと、このような一本調子の演奏になってしまうのです。

 

youtubeを漁ってみたら、面白い演奏があったので、ここに貼ります。変人ピアニストであるシプリアン・カツァリスの、へんてこな演奏です。

www.youtube.com

Bの部分のみならず、再現されるAの部分まで、弾き方や、強調する音を変えて弾いています。本当に僕の弾いている「ショパンのワルツ7番」と同じ曲なのか?と思わず楽譜を確認してしまうレヴェル。

常人には到底無理な芸当ですが、トリッキーで変態な演奏ながら、感嘆するのみです。ピアニストって本当に凄いですね。

 ショパン:ワルツ集

一つ一つの音に対する敬意が感じられない

僕は「うるさい音、びっくりするくらい大きな音」が嫌いです。仕事中でも電話がいきなり鳴るとびっくりします。

そんな自分が出している音に関しては無頓着である事に、自分の演奏を聴いて気づきました。「自分は感受性が豊か」と思っていた過去の自分をぶん殴ってやりたい気分です(笑)。

先程のシプリアン・カツァリスの演奏を聴いているとピアニストは「自分の出している全ての音を把握している」という事に気付かされます。僕の演奏はこれが出来ていないです。全ての音を把握した上で、低音と高音のバランスや、強調すべき音、リズム等々に注意を払うべきです。

 

 

ピアノを先生について習えば解決するか?

ずばり、ピアノ教室に通って習えばこれらの問題は解決するか?と言われれば、実際は本人のやる気に大きく左右されると思います(牛を水飲み場まで連れて行くことは出来るが、水を飲ませることは出来ない)。

しかしながら、僕のような曲の構造分析が出来ない人、もしくは曖昧な人で、上手くなりたい人は是非とも習いに行くべきです。

もしくは、僕のように自信を持ってyoutubeにアップしたが、「弾けてないじゃん」とか言われてしまう人は習いにいくべきですね。客観的に自分の演奏が聴けていないからです。

 

僕も過去に大人になってから先生に2回ついて習ったことがありますが、まず、緊張感が違います。独学だと弾き飛ばしてしまう音の一つ一つがピアノ教室で先生の前だと、「聴かれている」というある種良い意味でのプレッシャーによって音に磨きがかかるのです。

曲の構造についても、良い先生であれば的確なアドヴァイスをしてくれると思いますし、初心者であれば難関である左右の手を使って弾くとか、そもそも音符の読み方が分からない、というところも教えてもらえるでしょう。

個人的には「自分の個性的な演奏」というものができるのは、そのような手ほどきを受けた後に自分で演奏について深く考えてから初めて「出来るかも」と思えるレヴェルのものだと思います。

あと、独学でやっているよりも、ピアノ教室に通うほうが実は楽しい、という事も多々あります。それは人前で演奏できる喜びです。先生の前で自分の音楽を聴いてもらう喜び、或いは発表会で聴いてもらう喜びですね。

ピアノ教室によっては「ピアノ発表会」が無い、他の生徒との交流が無い、というところもありますが、できればピアノ発表会とかには参加したほうがよいです。たとえ下手だとしてもとても良い経験になります。僕も何度か小さい子供に混じって、ピアノ発表会に出た経験があります。

発表会の様子を、またの機会に是非書きたいと思いますが、出番の直前にステージの袖からみる、スポットライトに照らされた黒くて大きなピアノの恐ろしさや、名前が呼ばれて眩い光の中の舞台に歩を進めていく感覚、これから自分の音楽を聴衆に届ける事ができるか?という不安、暗譜は飛びはしないか、という不安、自分の解釈を見せつけてやるぞ!といった山っ気…色々な感情が交錯し、なんとも言えない感覚になります。

そして弾き終えた時にもらえる拍手、これらはかけがえのない経験となります。

 

 

 

ピアノはコミュニケーションの手段

ピアノを弾く二人の少女

最後に、ピアノ教室に行く意義、それは「音楽は一人でやるものではなく、コミュニケーションの手段である」という事です。一般的なピアノ独奏は一人でやるものですが、聴かせる人や、聴いてくれる人がいないと、それは「音楽ではない」といってもよいのではないでしょうか?

独学が許されるのは、ピアノ上級者で、楽譜の分析(アナリーゼ)が出来る人で、かつ自分の演奏をどこかで聴いてもらう機会がある人に限られます。

僕のようなさして上手くない、中途半端な分析しか出来ない、聴いてくれる人がいない人は是非ともピアノ教室に通って自分の演奏を誰かに聴いてもらいましょう。

実際に高名な中堅ピアニストであっても、未だ先生に師事してピアノの腕を磨いている、という話をそこら中で聞きます。ピアニストでさえ先生について習っているのです。

ピアノ初心者や、中途半端に弾いている人が習っていないというのはある意味ナンセンスでしょう。

 

過去記事を参照してもらえば分かると思いますが、そういう自分自身、まだピアノ教室に通えていないですが(汗)…。今年こそは良い先生を探してピアノ教室に通いたい、と思います。

 

読んでいただきありがとうございました。

 

使用した楽譜はこちら↓ 

 

参考ピアノ教室↓

山野楽器  

はてなブログコンテスト最優秀賞をいただきました!|半年間のブログまとめ

日々の生活

気の弱い僕が昨年(2016年8月11日)にブログを始めてから半年経ち、やっと今までの総PVが1万を超えたのと、昨年12月に開催されたはてなの「VISAデビットをブログで宣伝コンテスト」にブログを投稿し、今年1月17日に最優秀賞を頂いたので、節目として、今までのブログのまとめを書きたいと思います。

 

 

ブログ記事がはてなのお題キャンペーンで最優秀賞を受賞!

最優秀賞

(上記は証拠画像です。リンクは下記)

お題キャンペーン「2016年を買い物で振り返ろう」 by 三菱東京UFJ-VISAデビット 結果発表! - 週刊はてなブログ

 ↑結果発表のリンク

 ↓元記事のリンク

piano6789.hatenablog.com

 

 

やりました!はてなの運営の皆様、三菱東京UFJ銀行の関係者の方々、このブログを見てくださった皆様、本当にありがとうございました。

 

改めて自分の該当記事を読み返してみて、なぜ受賞したのか?を考えてみると、文章が上手いからとか、アイデアが奇抜だからとか、綿密にデビットカードの良い点を訴求したからではなく、

  1. 実際に三菱東京UFJ-VISAデビットカードを持っていて、証拠画像を載せた
  2. 実際に中国の大連に持っていって使用した実体験が書かれている
  3. お題が2つあったが、「VISAデビットをブログで宣伝コンテスト」のほうは競合が少なかった

この3点に尽きると思います。以下、簡単な分析。

 

1に関しては、実際に使っているという事が分かるため、記事に「説得性」が生まれたのだと思います。実際のところかなりこの画像のインパクトは強かったと思います。

 

2に関しては、実際に使っている様子を「主観的にストーリーとして展開できた」のが強みかな?と思っています。
デビットカードもそうですが、クレジットカード等のサイトを見てみると、ポイントが何%つくとか、初回の年会費はいくら?とか還元率がどうのとか、物凄い量の客観的な事実が詰め込まれています。そういったサイトには到底勝てませんが、個人がブログで紹介するにはこの「主観的に思ったこと」だったり、「実体験」が重要視されると思いました。

そのため僕は訴求事項を絞り、「海外(特に中国)で現金をスムースに下ろせるデビットカード」という視点で、実話をもとに記事を書きました。

「等身大の自分」とでも言うのでしょうか?過疎ブログを運営している僕の個人的な意見なので参考にはなりませんが、これからの個人ブログやサイトが大手のキュレーションサイト等に負けないようにするためにはこの「主観を吐露する」という事が重要になってきている、と思います。

 

3に関してはキャンペーンのお題が2つありました。「VISAデビットをブログで宣伝コンテスト」と「今年、買ってよかった物」です。

僕はこの2つのお題を初めて見て、「VISAデビットをブログで宣伝コンテスト」にエントリーすることに決めました。

理由は簡単です。「今年、買ってよかった物」は多くの人がエントリーしやすいお題なのです。誰でも買い物はするし、今年買ってよかった物の一つや二つはあるでしょう。

なので僕の文章力や、ブログの構成力では到底勝ち目が無い、と思いました。それならば、あまりエントリーが無いであろう「VISAデビットをブログで宣伝コンテスト」が、良いだろう、ちょうど三菱東京UFJ-VISAデビットカードも持っているし…と思い、即決しました。

 

受賞して改めて思うのですが、株式会社はてな様と三菱東京UFJ銀行様はかなり公正に選んでいただけたと思います。というのも僕のブログはあまり人が来ない、所謂「過疎ブログ」なのです。後で画像を貼りますが、この間まで一日のPVは平均70位でした。

単純に三菱東京UFJ-VISAデビットカードを多くの人々に訴求するのであれば、PVが桁違いに沢山ある有名なブロガーさんや、面白い記事が書けるブロガーさんが受賞したでしょう。

そういった意味で、選んでいただき本当にありがとうございました!

最優秀賞を取った人

 

 

 

ここからは半年間のブログ運営のまとめ記事です。 

ブログを始めたキッカケ

 端的に言うと「アフィリエイト収入でお金が欲しい」

「お金が欲しい」これに尽きます。この発言に反発する人も中にはいるでしょう。僕自身も今までブログ記事にアフィリエイトリンクや、アドセンスを貼る度に、胸が痛いというか、何か「人を騙しているんじゃないか?」という心の葛藤があり、痛みがありました。後ほど記しますが、この行為に対して「良いことなのか、悪いことなのか」逡巡している自分がいました。

 

ではなぜ「お金が欲しかったのか?」

一つはアラフォーにも関わらず自分の能力が無いがために、会社での稼ぎが良くない、という事。もう一つは元々気が弱く、内気な性格が災いして、周囲の人に誤解を与え会社に居づらい、という事。
ある年下の女性社員さんはわざと聞こえるような声で僕の悪口を言い(例えば「辞めればいいのに」等)、ある男性社員さんは「○ね!」という、使うべきでない言葉を使ってきたりと、結構な苦労がある訳です。もちろん味方してくれるマトモな人もいますが…。詳しくは書けませんが、僕も結構苦労しているわけですね。
「サラリーマンであればそんな事日常茶飯事!それを耐え忍んで這い上がっていくんだ!」という人もいるかと思いますが、そうであるならば僕はサラリーマンには向いていないのでしょう。僕は内勤ですが、営業とかやったら初日で辞めていると思います。

 

鈴木さんのブログ本を読んでブログをやることを決意

そんな折、ネットで「お金を稼ぐ方法」等を検索していて辿り着いたのが、下記の本。

 

 

 

これを読みました。「月に5万円では会社は辞めることはできないなぁ…」とは思いましたが、読み進めていくうちにブロガーやアフィリエイターには専業でやっておられる方もいることを知り、中にはすごい収益を上げている人もいる、という事に気付かされました。

またこの本は筆者の鈴木氏の説明の仕方がとても上手で、はてなブログへの登録の仕方や、記事の書き方、初歩的なマネタイズの仕方、入れるべきツール等が網羅されていました。
最初は取り敢えず「好きなことをブログで書いてみよう」と書かれていたので、こうして僕は好きなピアノに関する記事を中心に取り敢えずはてなブログを始めることにしたのです。

 

 

この半年間のブログ運営で起きたこと

自分の中の「承認欲求」の発見

最初のうちは当然アクセスがない状態でしたが、それでもブログを更新する度に何人かの人が見に来てくれて、感謝したのを覚えています。それと同時に「もっと書きたい、もっと承認されたい」という自分自身の欲求にも気付かされました。

それまでの自分は「できれば目立たず、人前にも出たくない」という人間だったので、自分の中にそんな気持ちがあるとは思っていませんでした。

 

ブログを書くと精神が安定することを発見

面白い事ですが、文章を書く事によって精神が安定する事を知りました。これ本当なんですよ。文章を書く、という行為は「心(潜在意識)の中にある整理されない事柄をアウトプットする」という事で、普段の生活でも自然とある事象に対してこの「言語化」をするようになり、精神が安定するのです。

例えば「あの上司は何故僕を叱責したのか?」と客観的に分析出来るのです。今までの自分であったら無意識とか潜在意識の中でなんとなく「嫌な上司だ!」とか「 僕は悪くない」と感情的な「イメージ」を抱いていたものが、言語化する事により「僕の作業が遅かったためである、遅くて納期に間に合わせなくては仕事として成り立たない、お客様との取引も無くなってしまうかもしれない、そうなれば上司もさらにその上司から叱責を食らうだろうし、この叱責は正当な事であるetc…」と納得させる事ができるようになったのです。

 

少し話は変わりますが、僕は鉛筆や筆等で書くこと以外は全て左手で行う、「利き手を使い分ける人間」です。ボールを投げたり、歯磨き、ひげ剃り、箸等は皆左手で行います。

なので、左利きの特徴とかを調べた事があるのですが、「左利きは右脳をよく使い、右脳は恐怖に敏感である」という記事をいくつか見かけました。下記のような記事ですね。

左利きに関する10の科学的事実 : カラパイア

こんな記事を読み、「イメージを言語化しないから、恐怖を感じるのではないか?」という仮説を勝手に立てました。

この仮説の検証は、またブログにて行いたいと思いましたが、経験則では「言語化をすると精神的に安定する」という事が言えます。まさにブログを書くことはもってこいなのです。

 

ブログの存在が身内(弟)にバレる(汗)|2ヶ月ほどブログを更新しなかった

ブログを初めて2ヶ月経たない頃、弟からLINEで「ミヤガワ日記見たぞ」というメッセージが送られてきて、頭が真っ白になったのを覚えています。

実は僕は元々youtubeのアカウントを持っており、ピアノの演奏動画等を投稿していたのですが、そこにこのブログ「ミヤガワ日記」のURLを貼ったのが悲劇の始まりでした。youtubeのアカウントは弟も知っていたので、そこから辿ってきたとの事。

Y Miyagawa - YouTube

 

僕は「見るな!」と言ったのですが、全世界に発信されている以上これは仕方が無い事です。

この事により、僕は心に浮かんだ思った事や、主観的な感情の吐露等を自由に表現する事を奪われてしまった気分になりました。非常にフラストレーションが溜まりました。

身内でなければ全然大丈夫なのです。
例えばの話、小学生の頃に同級生と喧嘩をしたり、同級生からいじめられているといったような事を他の兄弟が見聞きし、家に帰って両親に告げ口されたらなんか嫌でしょう?

こういった意味で実名でブログをされている人は本当に強いなぁ、と思います。身内に「お前のブログ、炎上しているけど大丈夫か?」とか言われてしまうのは勘弁です。

一時期はサーバーを契約して、新しいドメインでやろうか?と本気で考えていましたが、蓄積された駄文記事にも愛着があり、読者の人々もスターをくれたりするはてなブログのシステムが好きだったので結局はこちらで残すことにしました。しかしながら、再開までに1ヶ月半を要しました(10月1日〜11月半ばまで)。その間、もちろんブログの更新は0です

身内にバレても更新し続ける、強靭な精神が必要、という事もこの時に知りました。(実際には実名でない限り、バレる事は少ないと思います)

 

 

PVについて|ほとんどが検索からいらっしゃっている

 

最近のPVについて

PVの変化

 

上の画像は今年に入ってから、1月21日までのPVの変化です(Google Analyticsよりキャプチャ)。1月15日時点での記事数は27記事(少なっ!)

1月に入ってから日当たりのPVが100を超えるようになってきました。注目すべきは「検索からの流入が多い」という事です。上記のオレンジ色の線が検索からのPVなので、ほぼ検索から人々がいらっしゃっている状態です。

何故なのか?

これの答えは簡単で、「ブログの題名を注意して決め、かつブログの内容を一致させたため」です。
当たり前といえば当たり前ですが、これにより「その情報を欲している人に、その情報を届けることが出来る」という事です。

 

例として、僕が行ったコンサートの感想をブログで書いたものが上位表示された事を取り上げます。

 

yahooの検索結果

上の画像はyahoo!の検索結果ですが(googleでもほぼ同じ)、「アンスネス 所沢」と検索すると、僕の記事が2つも出てきます。5位と6位ですが、その上の記事はチケットサイトや、公演情報なので、ブログとしては僕のものが一位といっても良いでしょう。

 

piano6789.hatenablog.com

 

僕も好きなピアニストのコンサートに行けなかった時に、「一体どのような演奏をしたのか?」気になってネットで調べたりしますが、このように、「題名を内容と合わせる」と言う事と、「自分だったらどのような言葉で検索するだろうか?」と言う事を考えて題名をつける事が「本当にその情報を必要としている人にその情報を届けるために必要」という事が分かりました。

もしこの題名が「プロのピアニストってすごいですね」とか「コンサート試聴記その13」とかであったら、これほど検索はされなかったように思います(すごいドメインパワーがあるとか、人気の評論家でない限り)。

 

1月15日のバズ(検索急上昇)|テレビの力はやはり凄い

Google Analyticsのグラフですが、1月15日に千に近い969PVを出しています。実に普段の10倍近く。この過疎ブログでもバズがあったのです。 

この日に何が起こったか?というと、まず朝の9:30にテレビ朝日の「題名のない音楽会」が超絶技巧のピアノ特集だったのですが、それについて2時間程度で頑張って記事を書きました。もちろん、検索されやすい題名にしました。

piano6789.hatenablog.com

 

あと、この日の夜9:00からのNHKの「クラシック音楽館」で、ピアニストのアンスネスによるシューマンのピアノ協奏曲が放送されました。昨年の11月19日のNHKホールでの演奏模様です。

僕は下記記事のように、この日の(正確にはこの日の次の日の同演奏)生の演奏を聴いており記事にしておいたので、その記事にアクセスが集中しました。

piano6789.hatenablog.com

 

そんな訳で、この日は普段の10倍程度のアクセスがありました。自分でも驚きましたが、改めてブログの可能性を感じました。

クラシック音楽は「斜陽産業」なので、元々聴く人の母数が少ないのですが、それでもバズは発生するのです。これが今流行のアイドルとかジャニーズとかだったら?と考えると恐ろしいですね。

この時に感じたことはテレビの力はいまだに凄い、という事です。気負う必要は無いですが、バズを発生させるには先を読む力、これから何が流行るか?等を考える事も大切と思いました。

しかしその後は順調に下り続けて「元の木阿弥」状態になりつつあります。1月17日にあった「ブログコンテスト」の結果発表を加味しても、バズがあった15日からは下がっています。

僕の方針としては、バズを狙う、というよりは「息の長い、いつまでも読んでいただける記事を書く」というほうが合っているような気がするので、気負わず記事を書いていきたいと思います。 

それにしても、記事数が未だ27記事しかない、というのは問題ですね。半年間何をやっていたのだろうか?記事を量産するという事も考えていきたいところです。 

 

アドセンス成績、アフィリエイト成績等について

はい、当然ながら雀の涙程度です。ざっくりですがアドセンスが1ヶ月あたり50円いけば良い方、アフィリエイトは変動がありますが、これも50円程度。この2つの成績を合わせて1ヶ月あたりの収入は100円でございます。

ブログを書くためにカフェに行って、300円のコーヒーを飲んだら、それだけで赤字という事ですね。コンビニのコーヒーでトントン位でしょうか?しかも1ヶ月に1杯しか飲めません。

以下に理由を列挙します。

  • 記事数が27と圧倒的に少ない
  • 魅力的な記事が書けていない
  • そもそも「音楽」と言うジャンルの収益性が低い

上記のようになります。細かい分析はまた別の機会に。

 

 

アフィリエイトをすることの是非

音楽への冒涜ではないか?

音楽への冒涜、これは僕のやっているアフィリエイトに関して感じたことです。先程も記しましたが、人気の音楽家についての記事を書き、その最後にCD等の紹介のアフィリエイトリンクを貼り付けています。

この行為が許される事なのか?僕は大いに悩んでいました。純粋に紹介したいのであれば、アフィリエイトリンクではなく、普通のリンクにすれば良いのでは?と。

商売人であったら、「そんな事は当たり前。情報を売っているのだから、その対価としてお金を頂く」 という発想になると思いますが、良心の呵責がやはりあります。

ただ一つ自分の中で感じたこと。それは「実際に使用したり、経験した事を記事にした時は自然とアフィリエイトリンクの紹介が出来る、良心の呵責もあまりない」という事です。

コンサート等に足を運んで、実際に音楽を生で聴いた事を記事にした時には、あまり良心の呵責が無い事に気づきました。つまり「自信を持って勧められる」からだと思います。

考えてみれば、素人と玄人の違いがあるにせよ音楽評論家という人種は同じように音楽を聴いて記事を書いて、収入を得ている訳です。情報を売っているという事です。

音楽に関わらず、モノを売るという行為にはそういった側面がある事を再認識しました。

これからは音楽に関わらず、「本当に紹介したいものだけを然るべき人に紹介する」という事に徹したいと思いました。

 

アフィリエイトするならSEO対策をすべき本来の意味

一つには「検索上位になると集客ができ、アフィリエイトで買ってもらう事が出来るから」という事があると思います。

僕はこれは考え方が逆だと思いました。正確には
「自分の書いた記事を、それを欲する人に届けるために検索上位させる」ですね。

例えば、音楽に全く興味の無い友人のA君に「このCD良いですよ、買ってね」と勧めても、押し売りみたいで良心の呵責に苛まれます。A君も怒ってしまいます。

しかし、音楽に興味のある友人のB君に体験談とか話しながら紹介すれば逆に「良いことをしたなぁ」という気分になります。B君もきっと喜ぶでしょう。

この場合、B君にその情報を届けるために、そのためにこそSEOがある、という事に気付かされました。僕のような「気の弱い人間」こそ、アフィリエイトをするのであればSEO対策は絶対にすべきだと思います。

 

 

 

今後について|会社を辞める事はできるか?

 

辞表

 

ブログ運営のキッカケの一つは先に記した通り、「お金を貯めて会社を辞める」という目標によるものでした。しかしながら、月に100円しか稼げていない現状、会社を辞める事は出来ません(泣)。僕の悪口を言う女性社員から逃れることは出来ません(大泣)。

今後はこのブログも残しつつ、サーバーを契約してドメインを取り新しくゴテゴテの「特化型アフィリエイトサイト」を作成したいと思います。扱う商品は決まっていませんが、その際も「その情報を欲する人に届ける記事を書く」という大原則は守りたいと思っています。

そして、いつの日か会社に辞表を叩きつけます!

 

お金の話、アフィリエイトの話が中心となってしまいましたが、はてなの読者登録から来てくれる皆さま、はてなから検索してきてくださる皆さまには大変感謝をしております。苦しい時にいつも励みになってくれています。

「検索でそれを必要としている人に記事を届ける」とは書きましたが、皆さまのサイトを拝見させていただくと、自分からの検索では得られない「新しい発見」が多々あります。
こういう事を考えている人がいるのか!とか、このサイトの構成が美しい、といった発見ですね。こういったある種「偶然の出会い」がある事もネットの面白さですね。

読んでいただきありがとうございました!