ミヤガワ日記

ピアノや読書を中心に、日々の気になったことを書いていきます

田舎を歩いてヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」を思い出した話


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ゴールデンウィークのある晴れた日に、僕は東京を離れ田舎の村でくつろいでいた。しかし僕には友人がいないので何もする事がない。アラフォーになった今では知人もみな結婚し家庭を持ち、個々の生活を優先する、そのような状況にはあるもののそういった理由で会えないというわけではない。僕の場合大学入学の時点で一人の殻に籠もり田舎の友人とはほぼ縁を切り疎遠になっていたので、田舎に帰ってもこれといって遊びに行ったりする間柄の友人は皆無なのである。かといってゴールデンウィークに東京のアパートに一人でいるのもつまらない(東京にだって友達はいないのだ)。少なくとも帰郷すれば両親には会える訳だし…ともかくそんな消極的な理由で田舎に帰ってきた。

 

午前中、取り敢えず裏庭に出てみると青空が広がっており、田植えが終わった田んぼと代掻きされた田んぼが半々位見える。上ってきた太陽が代掻きが終わった水面を照らしている。奥の方には山があり、さらに奥にも山がある。山ばかりだ。

 

東京では考えられないくらい静かで、農作業を行うトラックの音が遠くから聞こえる。あとは近所の犬が時折吠える声とニワトリの鳴く声、トンビの鳴く声が時々聞こえる。昨晩は夜の1時ぐらいに「コケコッコゥ」と聞こえたので、やはりニワトリは鳥頭であり、お馬鹿なのだろう。僕と同じである。

 

これといってやることも無かったので、取り敢えず農道を歩いてみる。道端に色々な種類の野草が生えている。紫色の小さな花は何というのだろう?田舎に育ったにも関わらず、花の名前や植物の名前に疎い。

 

枯れたヨモギが所々にあったので、手にとって丸めてみた。ある程度集めて、何度も手の中で圧を加えながら揉んでいると黒い枯れた葉の部分はボロボロと手から落ちていき白い繊維状のものだけが残って、「お灸」が出来るはずだ。僕はお灸を作りながら農道を歩いた。野良仕事をしていたどこかのばあさんが手を止めて腰を上げ、反り返ってほっかむりの中から不審そうにこちらをじっと見る。人の少ない村では、東京などよりもかなりこちらの一挙一動を観察される。彼らの楽しみの一つに「ドコドコの誰々が何をした」といったような噂話が挙げられる。そういった意味で人は希少価値があるのだ。ばあさんは呆けた顔で何か言いたげだったが、僕は目を伏せて足早に通り過ぎた。

「カサッ」

僕はびっくりする。農道の端っこのアスファルトと若い青葉の間にある、枯れ草辺りから音がした。そして「あぁ、これはトカゲだな」とやっと気づく。僕の足音に警戒してトカゲが逃げた時に発するそのような音は、小さい頃に何度も聞いているはずだったが、東京での長い暮らしはそのような記憶を脳の奥に追いやってしまい、ちょっとした物音でも酷く自分を驚愕させた。音の大きさ自体は東京を走る救急車やサイレンよりもずっと小さいにも関わらず。

 

しばらく行くと村で一番大きな川に出る。大きいと言ってもせいぜい川幅は10メートル位か?昔はこの川でよくアマゴやイワナを釣った。一時期は川の水量が少なくなって勢いがなかったが、最近では水量も豊富でよく流れている。

水流の音をBGMに川沿いの道をどんどんと川上に向かって歩いて行く。毛虫が道を横断する。時折ぶんっという音とともにクマバチが横切る。クマバチは安心して良い。彼らは平和的である。モンシロチョウが流麗な軌跡で飛んでいる。

僕はスミナガシという蝶と、クジャクチョウが好きだ。スミナガシは黒色ではなくどこか淫靡な群青がかった翅を持っている。雑木林を颯爽と飛ぶ。クジャクチョウはその翅に描かれた絶妙な色合いの完璧な模様と後ろ翅に生えているモフモフした毛が好きだ。何かとても可愛らしい蝶である。でもまだ彼らを見るには時期が早すぎるようだった。

 

ふと、高校生の頃に現代文で習ったヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」という小説を思い出す。あの小説を読んで僕は主人公に共感したが、よく考えてみれば主人公はクジャクヤママユを盗んだのだ。もし、盗まれたほう(エーミール)が主人公として小説を書いていたら、と思うと僕は同じジャッジをしたのであろうか?

 

川と道の横にちょっとした雑木林があり、その横に所々墓地が見える。小さい頃の夏にこの辺りでカブトムシを取った。たまにミヤマクワガタノコギリクワガタもいた。クヌギの木があるのだ。しかし夏にクヌギの木の周辺をうろつくのは危ない。蜜を吸いにくるスズメバチが沢山いるのだ。スミナガシやオオムラサキコムラサキを見たのも夏のこの雑木林であった。クヌギの木も今の季節は昆虫のレストランにはなっておらず、若い葉を巡らせ清新な木漏れ日を湛えていた。

 

この墓地も所有者の一人が土地をはみ出して大きく立派な墓石を置いてしまい、奥にある墓石の所有者が墓までの山路が通れなくなったとの事でもっか家庭裁判所で裁判中との噂である。田舎には「さかい」の問題が結構多い。古い家を壊す際など、やれあの桜の木まではうちの土地だったという主張や、いやいや桜は元々うちの庭にあったものだから当然うちの土地だよという主張もあり、そんな事で近所で派閥ができたりする。

世間では戦争反対というが、こんな過疎の村でさえ境界を巡って諍いが起きているのであるから、これはもう人間の利己的な部分だとか欲といった部分を修正しない限り(しかも全人類が一斉に)戦争なんてなくならないのであろう。しかしながら、そのような人間の持っている、必要不可欠で持たざるをえない攻撃性が昇華されて現代の文明が出来たことも事実であろう。

僕はその立派な墓地の前まで行き、手の中にあるヨモギのお灸の半分をお墓に供えた。そして注意深く立派なお墓の横を通り、奥にあるお墓にもう半分供えた。無論、この墓達は僕の親戚などではないが。

 

日が上ってきて汗ばんできた。川上にいけば青い色をした綺麗なダム湖が見渡せるが、東京の平坦な道に慣れた僕はもうそのような気分にはなれず、ゆっくりと引き返した。