ミヤガワ日記

ピアノや読書を中心に、日々の気になったことを書いていきます

【小旅行記1】千葉県にある水郷の佐原は「サハラ」ではなく「さわら」と読む


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2017年4月1日土曜日、あいにくの天気でしたが水郷と伊能忠敬で有名な千葉県の右上辺り(適当)にある佐原という町に行ってきました!小旅行記です。

 

サハラに行こう!

月曜日の夜に例によって旅好きなA先輩からいきなり電話がかかってきて、

A先輩:「ミヤガワ、今度の土曜日サハラ行かね?」

僕:「サハラ??」

僕は思いました。A先輩は旅好きがこうじてついにサハラ砂漠に行こうとしているのだと。しかもぶらっと今週の週末に…。

なので僕は冗談のつもりで「お、おう…」と返答しました。

A先輩:「じゃあ、津田沼駅辺り集合で、詳しいことはまた連絡するわ」

僕:…。

津田沼駅?なるほど、成田空港から遠くない事も無い、しかし海外に行くのにそんな簡単な調子でよいのか?持ち物は?航空券は?A先輩は旅慣れしているし、海外に行くのにもこんな調子なのかもしれない…。

まぁ、そんな僕の様子を察してかA先輩:「サハラだよ、千葉県のサ・ハ・ラ!」

千葉県?千葉県にサハラがあるのか?と瞬時に思った僕でしたが、ここは僕も負けじと「ああ、サ・ハ・ラですね。千葉県の、いい所ですよね〜ハハハ!」とあたかも知っていたかのような態度で返答しました。

 

電話を切り終えた後、googleで「サハラ、千葉県」と入力して検索してみました。サジェストワードで「佐原」という文字が出てきました。「おお、ここか!ここがサハラか!」川を中心に、古い街並みが広がっている美しい日本の風景画像を掲載したサイトがいくつかありました。伊能忠敬の旧宅もあり、記念館もあるとの事。読み進めていく内に佐原(さわら)と書いてある箇所がありました。

この時点で僕(とA先輩)の間違いに気づきました。千葉県のこの場所は「サハラ」ではなく「さわら」と読むのです!地元の住民の皆様、ネタにしてすみませんでした!

 

 

A先輩1時間半の遅刻&天気が悪い

さて、金曜日の夜になってもA先輩からは連絡がきません。僕もラインで「明日は何時に集合しますか?天気悪そうですよ」なんて打っていましたが、既読がつかずに音信不通。

冷たい雨の降る土曜日当日の朝7:30位に「じゃあ、津田沼駅12:00集合でよろしく!」とやっとラインの返信が返ってきました。

僕は東京の西側に住んでいるので、東側の津田沼津田沼って千葉県なんですね)まで行くのに1時間半ほどかかります。雨の中乗り気ではなかったのですが電車を乗り継ぎ津田沼駅に12:00少し前につきました。この時点で「今、津田沼駅くんだりに着きました」とA先輩にラインを送りました、が既読がつかない。嫌な予感しかしないのですが、電話しても案の定出ない。

さては?A先輩は寝ているのでは?と思いましたが、ふいに今日は「エイプリルフール」であったことに気づき、そういうことか!と思いました。しかしA先輩がそんな手の込んだ嘘をつくとも思えないので、仕方なくエキナカのカフェでコーヒーを飲んで連絡を待つことに。僕も人間なのでこんな冷たい雨の中、遠く電車を乗り継いで来た千葉県の津田沼であてもなくコーヒーを飲んでいる事に苛立ってきました。とそんな時にA先輩から電話があり「ミヤガワごめん、寝坊した、すぐ行く」との事。やれやれと思いながら待っていたら13:30位になってA先輩が到着しました。ゴラァという感じです。

 

酒々井は「ささい」ではなく「しすい」と読む

その後総武本線で千葉に行き、成田方面の電車に乗り換えました。僕の心情を察してか、千葉駅の乗り換えでA先輩が缶コーヒーを奢ってくれたので僕は一瞬にしてA先輩を許しました(げんきんな奴)。

成田方面行きの電車は空いていました。まるで田舎のローカル線のようでした。車窓から見える風景も長閑で、田んぼの向こう側に森があるといった典型的な日本の田舎風景でした。蓋し、千葉県というのは東京ディズニーランドとかあるにも関わらず、内部は意外と田舎ですね。ここは長野県、といわれても違いに気づかないかもしれません。

途中の駅に酒々井というものがありましたが、「しすい」と読む事を車掌のアナウンスで知りました。そのまま読んだら「ささい」と読むところでした。千葉県にはこういったひっかけ問題的な地名が多いような気がしました(単に僕に教養がないだけかも笑)。

成田駅で佐原行きの電車に乗り換えました。この電車から見える景色も自然の中という感じで、東京から近いのにもかかわらず自然を満喫したい人はこの辺りの駅で降りてみるのも面白いのかな、と思いました。

 

 

 

佐原は鄙びた千葉の田舎町(褒めている)

 

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佐原に15時過ぎに着くと、A先輩が「青春18きっぷがあるから、これを使おう」といって、何と、僕とA先輩のここまでの電車の運賃がタダになりました。詳しいことは分かりませんが、旅慣れしているA先輩は期間限定の青春18きっぷを事前に購入しており、5回位使用できるとの事ですが、そのうちの1回分で同乗者の分も適用されるとの事。つまりはA先輩は僕の電車の運賃を立て替えてくれた事になります。A先輩は寝坊はしましたが素晴らしい聖人君子です!← 

 

佐原駅を出ると、雨は止んでいました。駅前は程よい田舎という感じの町。南口を出て左に曲がり、鄙びた商店や、古いビルに入ったカメラ屋を見ながら更に左に曲がると線路が見えるので、右に曲がり線路沿いの道を直進すると、水郷の里の風景が見えてきました。

 

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天気が悪いためか、あまり観光客はいませんでした。小野川沿いの道を上流に向かって歩いていきます。江戸時代は水運を利用して「江戸優り(えどまさり)」と言われるほど栄えていたとのこと。

 

 

 

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土蔵造りの家が目立ちます。これは旧正文堂書店さん。土蔵造りの家は去年富山県高岡市でも見ました。力強い建物ですね。

 

 

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中村屋商店さん。正面の交差した道路に沿った変形した敷地であるために、母屋の角の柱を五角形にしているとの事。こういう建築は面白いですね。外部的な要因で建築の構造や部材すらも変更することになるのですが、そのような事から技術というのは発達していきます。
僕はこの建物を見て、日本の近代建築の東孝光の設計した「塔の家」を思い出しました(塔の家は青山キラー通りにある6坪5階建ての狭小住宅。1966年に建てられた。道に建物を切り取られたかのような狭い敷地に建つコンクリートの塊は狭小住宅のはしりと言われている)。

 

 

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伊能忠敬旧宅を川越しに見る

 

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全国を測量して地図を作った伊能忠敬の旧宅に入る事が出来ました。生家ではなく旧宅としているのは、伊能忠敬は生まれは現在の九十九里で、婿養子に伊能家に入ったからです。つまりサザエさんのマスオさんみたいなものでしょうか?

 

 

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伊能忠敬が使ったものと同じ測量器が展示されています。後に行く伊能忠敬記念館にも同じものが展示されていました。

 

 

 

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商家の作りで、増築したような跡が見られます。こういう「斜めに継ぎ足し」みたいな建築の部分に興味をそそられます。

 

 

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庭には用水路が流れています。面しているのは上座敷ですね。
店舗部分は伊能忠敬が養子にくる以前からあり、この上座敷等の増築部分は伊能忠敬が造ったとの事。

 

 

 

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庭の奥には土蔵がありました。この土蔵は所謂観音開きが普及する以前に作られたもので、引き戸仕様になっており貴重なものだそうです。

 

 

伊能忠敬旧宅を出て、小野川の上流まで川に沿って歩いていきます。

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小野川上流のほうには休憩所もありました。また、道なりに日本家屋を利用した瀟洒なレストラン等もありました。

 

 

 

伊能忠敬旧宅から川を挟んで伊能忠敬記念館があります。入場料大人500円との事で、支払いをして入ってみました。開館時間は午前9時から午後4時30分との事で、なんとか間に合いました。

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館内は撮影禁止だったのですが、とても見応えがありました。伊能忠敬は先ほど書いた通り「マスオさん」だったわけですが、若い頃は佐原の名主を努め、酒造業等の商業を手広く行っていたとの事。

江戸で天文方(江戸幕府によって設置された天体運行および暦の研究機関)の高橋至時に師事してなんと50歳を過ぎてから(びっくり!!)本格的に全国の測量を行ったとの事。当時は平均寿命も短かったので、隠居してからの偉業という事になります。これは衝撃でした。

僕はカーネル・サンダースが60歳を過ぎてケンタッキーを作った事を知っていましたが、この伊能忠敬も同じく凄い人だと思いました。僕も「アラフォーだから…歳だから…」と言い訳してなんでも諦めている場合ではありません。かなり勇気とやる気をもらいました。いつだってやれる!と思って行動に移すことが大事!!

記念館の館内には現在の日本地図と伊能忠敬作成の日本地図を重ねて表示する展示がありましたが、多少経度のズレはあるものの、見事なものでした。

地図を始めとする貴重な史料、地図作成に使われた道具、伊能忠敬にまつわる様々な史料が展示されており、地図が好きな人はとても楽しめると思います。もっとゆっくり見て回りたかったです。A先輩は館内にある日本地図の木製パズルで遊んでおりました。

 

佐原の街を徘徊して駅前のセブンイレブンに戻ってきました。17時位でしたが、A先輩が青春18きっぷを目一杯使いたいためか「これから鹿島神宮に行こう」と言い出しました。僕は電車運賃がタダになるし、茨城自体にあまり行ったことがないし、明日は日曜日で休みなのでまぁいいか、と思いました。まったく行き当たりばったりの聖人君子です←

 

〜続く〜