僕はムダな努力をしていたのかもしれない...
「あなたの脳のしつけ方」(中野信子著、株式会社青春出版社)を読みました。
著者の中野さんは脳科学者で、以前TBSの「情熱大陸」に出ていた時に、電子ピアノでジョージ・ウィンストンかなんかの曲を弾いていて、ピアノをやっている僕は記憶に残っていました。
ちなみにこの人、東大を出ていてIQの高い人しか入会できない「MENSA(メンサ)」の会員だそうです。
そして、実は黒髪は「カツラ」で、カツラをとると茶髪になるという風変わりな方です。聖飢魔Ⅱが好きとの事でした。
この本は脳に関する事が沢山書いてあるのですが、日々僕たちが悩んでいる事に関して最新の「脳科学」というアプローチで解決法を示唆してくれています。
例えば、
- 集中力をだすためにはどうすればよいか
- 記憶力を上げるためにはどうすればよいか
- 判断力を高めるためにはどうすればよいか
- モテ力を高めるにはどうすればよいか
- アイデア力を高めるにはどうすればよいか
- 努力ができるようになるにはどうすればよいか
- 強運力を持つためにはどうすればよいか
- 愛情力を上げるためにはどうすればよいか
という事が、この本を読めば理解が深まり、今後の人生でどのように「脳を使って生きていけばいいのか」を教えてくれます。
特に僕自身にとって興味深かったのは、「努力」について書かれた章です。
生まれつき努力できない人もいる
じつはさまざまな研究により、人が努力できるかどうかの多くは、「生まれつきの才能」で決まってしまうことがわかっています。つまりは努力する才能に恵まれた人もいれば、努力する才能に恵まれない人もいるというわけです。
僕はこの部分でびっくりしました。つまりは「努力できることも才能」という事です。この社会、とりわけ日本はとにかく、「努力をする事」を美徳としていますが、「努力する才能がない人」に対しても、努力する事を無理強いしてきたのです。
これはある意味、「努力する才能に恵まれない人間が、自然と窮屈な思いをしている」という事ではないでしょうか?
僕はまたこの部分で、先日の「リオのオリンピック」を思い出しました。選手も、解説者も
「努力した」
と、口々に言うわけですが、確かにそういうストーリーは美談になりますが、あまりにも「努力」という言葉が、掛け替えの無いもの、崇高なもののイメージがあって、少し閉口したのです。「努力の押し売り」とでも言いましょうか。
僕は努力中毒に陥っていた?
中野さんは、またこのように記述しています。
気をつけるべきこととは、「努力中毒」です。これに陥ってしまうと、努力で目的を達成することより、努力すること自体が目的となってしまいます。そうなると成果は二の次、三の次となり、努力は苦しければ苦しいほど意味があるといった本末転倒な思考にどんどん傾いていってしまいます。
なるほど。確かに日本人は「巨人の星」みたいなスポ根が好きですからね。
「努力中毒」とは、
努力している状態にあるとき、脳の前頭葉にある内側前頭前野というところが「自分はいま、いいことをしている」と判断し、それによって報酬系が活動し、脳に快感をもたらすのです。
との事で、この時に僕にも思い当たるフシがありました。
僕は幼い頃から両親に「努力しろ」と言われて育ってきました。中学生の部活でも「努力しろ」と言われて育ちました。社会に出てからも「努力」をしました。
しかし、今の自分を見ると、努力に見合っただけの成果が出ていないのです。
ひょっとすると、中野さんの書いてある通り「努力中毒」になっていた、つまり努力をして安心していただけ、なのかもしれません。
終わりに
この本にはまだまだ興味深い話題が沢山あります。例えば7章の
「強運力のしつけ方」では、
人は必ず「幸運な人」と「不運な人」に分かれる
運がいい人と悪い人の差は、どんどん開いていく
等の、一見脳科学ではないような記述があり、これも脳科学を切り口として強運力をもつためにはどうしたらよいか、が記述されています。
これも「運を良くしたい」と日頃から思っている僕にとって目からウロコでした。
この本を読んで、自分を見つめ直すよい機会になりました。