ミヤガワ日記

ピアノや読書を中心に、日々の気になったことを書いていきます

大人の男がピアノ発表会でピアノ演奏した話


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こんにちは。今回は過去の話です。数年前(成人済みの頃)にピアノ教室に通っていた時期に子供の生徒さんと混じってピアノ発表会に出た時の事を書きたいと思います。

 

目次: 

ピアノ教室に入会するまで

 

20代の頃、僕はある種の諦観に陥っていました。毎日0:00位までサービス残業をして休日は昼の12:00位に起き、朝起きれなかった罪悪感とともに鬱になり、かといって何か行動することも出来ず、それを引きずって憂鬱な月曜の朝を迎えるという悪循環。

この時は休日でも仕事の事や将来の事を不安を持って考えていたので、「思いっきり遊ぶ」という概念がありませんでした。今思えば休日にそんな事を考えても現実は変わらないので大変な無駄なのですが、生来要領の悪い自分はそんな生き方が普通だと思っていました。

とにかく憔悴し、言葉にならないフラストレーションが湧き上がり、心のなかで咆哮している自分がいました。

 

このままではいけない、何か趣味を持たなくては…と思いながらふと部屋の隅を見るとホコリをかぶった電子ピアノが!(狭い部屋なのでいつも認識はしていましたが文学的な感じで誇張表現してみたw)学生時代に買って以来あまり弾いていなかったのです。

部屋の中のピアノ

「こいつだ!こいつが僕の人生を救ってくれる!」

そう直感した僕はピアノの練習を再開することにしました。

 

幼い頃、バイエルしか終わらなかった事は以前もブログで書きましたが、この頃はピアノ教室に通わずにチェルニー30番練習曲とバッハのインヴェンション、ピッシュナを買ってきて自分で弾いていました。

しかしながら独学でやっていると指が思うように動かない、そしてそもそも自分の弾き方、音楽の捉え方が本当に正しいものなのか分からない、という問題が出てきました。

なので、「ピアノ教室」に思い切って入会を申し込む事にしました。

正直なところそのような「問題」が自分の中で湧き上がっていたこともピアノ教室の門をたたく理由の一つではありましたが、単純に他人とコミュニケーションを図りたい、自己の承認欲求を満たしたい、という感情の部分もあったと思います。

また、小さい頃は嫌でたまらなかったピアノ教室(母親に自転車に括り付けられて「ピアノなんて女のやるもんだ!」と大声で叫びながら通った事もあった)が、この20代になって何故か少年時代の甘美な記憶として蘇ってきた事も理由の一つです。

 

 

おばあちゃん先生のピアノ教室に入会する

「申し訳ないです。うちはもう定員いっぱいなんですよ〜(ニッコリ)」初めに震える手で電話をしたピアノ教室は若い感じのする女性の声でやんわりと断られてしまいました。

僕はその時に住んでいた周辺のピアノ教室をネットで検索して電話を掛けていたのですが、3件位はそのようにして断られました。

これは以前ブログに書いたように多分に「成人男性を警戒する女性ピアノ教師」という構図があったと思われます。もっとも本当に定員に達していて生徒を取ることが出来ない、という状況の教室もあったとは思います(結構入会する季節や時期によっても違います)。

そんな中、「じゃあ、土曜日の15時にいらっしゃい」と言ってくれたのが、これから入会するピアノ教室のおばあちゃん先生でした。

おばあちゃん先生の家は電車で2駅、そこから15分位歩いた場所にありました。決して僕の住まいから近くはないですが、通えない距離ではありません。

 

おばあちゃん先生は品の良さそうな65歳位の方でした。家に上がるとヤマハのアップライトピアノがまず目に飛び込んできました。お茶を出して頂き、小さい頃はどのレヴェルまで弾けたか?今までどのような曲を弾いてきたか?等の質問をされました。

「じゃあ、話をしていても分からないので取り敢えず一曲聞かせてもらいましょうか」

緊張の瞬間です。僕はピアノの椅子の高さを下げて座りました。インベンションの1番をさらってきたのでそれをつっかえつっかえ弾きました。先生は褒めてくれましたが、同時にダメ出しをしてくれました。

古典派以前の作品はペダルをあまり使わないので、フレージングが大事(たとえばスラーの終わりはスタッカート気味に切る)、右手の旋律だけでなく左手も歌いなさい、自分の出している音をよく聴きなさい等々。

 

 

僕は今まで自分がやってきた事が間違いだったことに気づき、目から鱗でした。そんな訳でこのおばあちゃん先生のピアノ教室に入会する事にしたのです。欠点はおばあちゃん先生の家には「アップライトピアノしかない」という事でしたが、当時の自分からしたら生ピアノには違いがなかったので気にしませんでした。

月に4回(毎週土曜か日曜)の指導で、5,000円の月謝でした(アップライトピアノしか弾けないのに高い!と思う人もいるかもしれませんが、大手のピアノ教室等は電子ピアノで月謝1万近くとか、そんなところもあるみたいなので相場でしょうか)。

 

 

 

発表会に出るまで

 

大人なのに発表会?

僕がピアノ教室に通い始めたのが確か7月位だったと思います。最初の内はインヴェンション、ツェルニー30番、ソナチネアルバム1という内容でレッスンしてもらっていました。毎週のレッスンは楽しみでした。今から思えば毎週はキツイのですが、当時は仕事以外であまり人付き合いがなかったのでかなり没頭していました。

そんなある日、おばあちゃん先生が「12月に発表会があるんだけど、全員参加なので出てもらいます」と言いました。

僕は人前に出るのが極端に苦手なので最初は躊躇しましたが、同時に「出てみたい」という気持ちも湧き上がりました。面白いもので人前が嫌いなくせに、承認欲求は強いのです。そのあたりの話は以前のブログを参照して下さい。

 

piano6789.hatenablog.com

 

 

不安な要素は沢山ありました。一つは「子供ばかりの発表会で浮かないか?」という問題。

レッスンですれ違う子達の演奏を聴く機会があり、皆堂々と演奏しています。それもレッスン中でも「暗譜」で演奏している子供が沢山いました。大したものです。こんな子供に混じって大人がつっかえながらピアノをステージで弾いている様子は滑稽ではないか?また、発表会では子供のお父さんお母さんが来るはずであるが、多分僕の年齢に近いお父さんお母さんであるはずなので、「大人なのにみっともない」とか思われたりしないか?等々、マイナス思考がループした事もありました。

 

そんな中、発表会の演奏曲目が決まりました。1曲目は独奏でクレメンティ作曲ソナチネニ長調op.36-6の第一楽章。ちょうどその時に練習していたソナチネアルバム1巻の12番ですね。

この曲はyoutubeを検索すると分かりますが小学生がよく弾いている曲です。僕は中学の頃からクラシックのピアノ曲を聴いていたので、ショパンとかリストとか弾きたいなぁ、と思っていたのですが自分のレヴェルを考えると到底無理ですし、先生もこの曲を進めてくれたという事はつまりはそういうレヴェルな訳です。

しかし練習しだすとこの曲をうまく表現する事は難しい事が分かりました。どんな曲でも完璧に仕上げるのは難しい、という事がよく分かりました。

 

小学生と連弾もすることに!

2曲めは先生が「A君と組んで『手のひらを太陽に』を連弾で弾いてもらいます」と言われたので些か狼狽しました。A君って誰?先生に聞いてみると小学5年生のすばしっこい、ラグビーをやっている少年だそうです。来週会わせるとの事。

20代の男がまさか小学生と連弾する事になるとは思いもよりませんでした。

 

A君は本当にすばしっこい感じの、一見するとピアノに興味がなさそうな、スポーツ好きな少年でした。イメージとしては夏休みの宿題を忘れてもケロッとした顔で学校に行き、先生に怒られてもケロッとして放課後は校庭でサッカーとかしている活発なタイプです。将来大物になりそうなタイプですね。

A君との連弾の練習は大変面白かったです。というのもA君は楽譜が読めないのです!おばあちゃん先生が音を出していき、それを真似る、という些か変わった練習方法をとっていました。

おばあちゃん先生曰く、「この子は楽譜が読めないけれど、運動神経と記憶力は抜群なのよね。指がとても良く廻るのよ」との事。しかし、A君はいつになってもつっかえます。A君はこの「手のひらを太陽に」という曲を知らないのではないか?と思いました。

 

発表会では全て暗譜と知らされる

一方の僕は楽譜は多少読めたので、連弾練習の時は楽譜を置きながら低い音の伴奏パートを弾いていたのですが、先生が一言、

「あ、発表会では暗譜で弾いてもらいますからね!」

と仰ったので、不安な気持ちになりました。おばあちゃん先生、見た目は温厚そうなのに、言うことは鬼畜すぎる!

独奏のクレメンティのソナチネももちろん暗譜で弾いてもらう、との事。

僕は元来暗譜が苦手で、「覚える、という事がどういう事なのか分からない」というある種の病気に陥っていました。加えて本番ともなれば緊張で暗譜が吹っ飛んでしまう事も考えられます。大体、子供の頃なら兎も角、大人になってから暗譜をするのはただでさえ記憶力が弱まっている感じがするのに酷な話です。

 

ただ、この暗譜力、記憶力に関しては個人によってかなり見解が違うことが予想されます。

僕は今現在、大人のピアノサークルにたまに顔を出していますが、暗譜が得意な人と苦手な人がいます。とりわけ、ピアノを小さい頃にやっていなかった、大人になって始めた人は逆に暗譜が得意な人が多いようです。彼らにその極意を聞いてみると「自然と覚えた」とか、「いちいち楽譜を見ると時間がかかるので覚えてしまった」、「楽譜が読めないから暗譜するしか無い」とか返答があり、まったく羨ましい限りです。ともすると、中途半端に楽譜が読める僕のようなのが一番良くない状態なのかもしれません(で、でもリヒテルも楽譜見ながら演奏していたし…震え声w)。

 

暗譜と表現と指練習を発表会前までに頑張った

暗譜は兎に角、楽譜を隠して弾いてみる、という事に専念しました。あとは音源を聴きながら指の動きをイメージする、逆に音を出さずに電子ピアノで指を運ぶ、という練習もしました。

この時にギーゼキングとブゾーニという名ピアニストのエピソードも参考にしました。彼らはピアノに触れること無く、飛行機の中で楽譜を渡されて本番に臨んだり、或いは演奏旅行に楽譜を持っていかない、等の驚異的なエピソードを持っています。

何故其のようなことが出来るのか?自分なりに考えてみました。分かったことは彼らは「頭の中で音楽が全て完成出来る」という事です。まったく驚異的な想像力です。

これを真似る事は出来ませんが、僕は楽譜を縮小コピーして、通勤電車の中で出来るだけ見ないようにしながらイメージトレーニングをしました。思い浮かばない部分は楽譜を見て、また隠す、の繰り返しです(受験勉強かよw)。

 

表現に関してはおばあちゃん先生の指摘を参考にしました。ソナタ形式の構造、フレーズの切り方、繰り返される音型の2回目は小さい音にする等、古典派の音楽に共通する認識、マニエリズムをご教授いただきました。

しかしながら今にして思えば、暗譜の恐怖感からか、ぎこちない表現になっていたと思います。真実の表現は「自信を持って為されるべき」でしょう。そういった意味で直感的に自分には音楽的才能が無いことは分かっています。でもそれでも音楽を辞める必要などどこにも無いのです。

 

指練習はハノンはやらずに、「ピッシュナ」をやりました。このブログでも度々登場して僕のイチオシの指練習本ですが、基本的な指の独立や、脱力といったものが身につきます。

この練習本をやっていると、指が両手で10本あるという事が感覚的に理解できるようになりました。大人からピアノを始めた人にはオススメです。ピッシュナを更に初歩的にしたものに「リトル・ピッシュナ」というものもあります。僕は両方持っています。

 

 ピシュナ 60の練習曲 解説付 (坂井玲子校訂・解説) (Zenーon piano library)

 

発表会1週間前、近くの貸し練習室で合同練習

前述したようにおばあちゃん先生の家にはグランドピアノがありません。なのでおばあちゃん先生が発表会の1週間前くらいに4人位の生徒(僕とA君と成人した男女2人、仮にB君とCさんとします)を連れてグランドピアノのある貸し練習室に行きました。

成人男性のB君はメガネを掛けた真面目そうな東大の大学院に通う秀才でした!なんでもおばあちゃん先生の手に負えず、現在はおばあちゃん先生の紹介でピアニストの先生に師事しているとの事。

取り敢えず僕よりは年下ではありますが子供だけの発表会で僕だけが大人の男、という状況は免れました、が、このB君が頗る巧い。彼が発表会で弾く曲はラヴェル作曲の組曲「鏡」から「道化師の朝の歌」という二重グリッサンドや同音連打、暗譜等々どれをとっても難しい超弩級のピアノ曲です。

僕は聴いていて同じ部屋にいることが不安になりました。でかい音、堂々とした表現、育ちの良さそうな東大生が変貌する様を複雑な心境で見聴きしていました。

 

成人女性のCさんは今ではおばあちゃん先生のピアノ教室を辞めて勤めているという事で、僕と一番年齢は近かったです。手はもみじのように小さかったですがなんとショパンのバラード1番ト短調を弾きました。これまた圧倒的な演奏で、僕はこの時点で帰りたくなりました。

そして僕はクレメンティをつっかえながら弾きました。表現なんてあったものではありません。ただ指を運ぶのに精一杯でした。その後、A君と「手のひらを太陽に」を連弾しました。そこで気づいたこと、A君が見違えるくらい巧くなっているのです!

これは数学のグラフで例えると僕の巧くなり方はy=axとすれば、A君の巧くなり方はy=ar^xという等比級数的に伸びているのです。加えてA君は子供なので、僕が間違えると正直に笑ってくれます…。「弾いている時に笑いそうになった!」とか無邪気な顔で言われて僕は大いに凹みました。

子供には無限の可能性がある、という事も知った日でした。そしてその日は帰ってふて寝しました。

 

 

 

発表会当日|輝けるステージ

発表会は近くのホールを借りて行われました。まず連弾、その次に独奏の順でした。今まで色々な葛藤がありましたが、もうここまできたらまな板の上の鯉、後は野となれ山となれです。僕は開き直っていました。だけれどもお腹は痛かった…。

 

小さな子どもがドレスを着ておめかしし、足がペダルに届かない状態で一生懸命弾いている姿を見て微笑ましく思いました。会場を見ると殆どが生徒の親御さんで、我が子の晴れ舞台をビデオに収めていました。僕だけが招待する人がいない、という状況でした。まぁ、友達や彼女がいたとしても招待なんかしないと思いますがw。B君やCさんの姿も見かけました。

生徒さんの演奏を聴き進めているとある事に気づきました。皆さん、つっかえたりすることもありますが、堂々と演奏しているのです。

小さいながらも「これが自分だ!」と言っている声が聞こえました。その声に僕は感銘を受けました。僕が持ち得ない心性、感覚。

それは重要な、これから僕が人生において「掴み取らなくてはならない心性」だと直感しました。そのための場として「発表会」があることも直感しました。20代にして僕の人生は遅まきながらスタートするのだという感覚がありました。

 

発表する順番の3人前になったらステージ裏に行かねばなりません。まずはA君との連弾なので、薄暗いステージの袖に一緒に行きました。そこには先生がおり、明るいステージで弾いている生徒の後ろ姿を見ることが出来ました。緊張のためかドキドキします。幸い最初は連弾なので、A君がいてくれることが心の支えになりました。

アナウンスがかかり、先生に「頑張ってね」と言われてA君と僕は眩しいステージに出ました。アナウンスの内容が「2人はまるで兄弟みたいに演奏します云々」だったので、ステージ上で笑いそうになりました。こんな歳の離れた兄弟いるか?先生も冗談がキツイなぁ…と思い、と同時にそんな事を考えている余裕がある自分にビックリしました。

A君と息を合わせて弾き出します。僕は暗譜が飛ばないように精一杯集中しました。A君は結構食い気味にフレーズを進めていくので合わせるのが大変でしたが、何とかミス無く終わることが出来ました。2人で礼をする前から拍手が沸きました。一安心です。

 

残るは独奏のクレメンティのみとなりました。

今度は一人でステージに立たなくてはなりません。3人前の演奏が終わったので僕はステージ袖に行きました。薄暗い袖から見る明るいステージは何か不思議な感じがしました。バカでかいピアノという、まるでコントロールをするのが難しい黒い物体が静かに輝いて見えました。

ステージ袖には薄暗い空間に様々な機材や、大道具が置かれており、雑多な印象を受けました。対してステージには色とりどりの鉢植えのシクラメンが置かれており、スポットライトが当たり、明るく華やかな印象を受けました。

これからあの輝けるステージに歩いていってピアノの椅子の高さを調整し、ピアノを弾くという事が非日常的でうまくイメージ出来ない感覚でした。僕はとても緊張していました。暗譜は飛ばないか、ミスをしないか?いっそこの場を逃げ出してしまおうか?

と同時に自分の演奏を聴かせたい!あのステージに立ちたい!という欲求もある事に気づきました。アンビバレンツな感情が交錯しているのです。ステージの袖というのはそういう思念が詰まった独特な場所という事がよく分かりました。

 

ステージ上のピアノ

名前が呼ばれて、でかいモンスターのようなピアノのある眩しい光の中に進んでいきました。

 

正直、弾いている最中は何をやっていたのか覚えていませんが、ほとんどミス無く、また暗譜が飛ぶようなこともなく演奏を終えることが出来ました。会場の方々も拍手をしてくれました。僕はステージ袖に捌けて、初めて「終わった〜!」と安堵することが出来ました。

 

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最後に|発表会が終わって

発表会が終わってから、1ヶ月位して自分の演奏のビデオをもらいました。それを見てみるとA君との連弾では不安そうな僕の顔とは対象的にA君は終始にやけており、こいつは将来大物になるなぁ…と思いました。

自分のクレメンティの演奏も危ない箇所があって弾き急ぐところはあったもののまずまずの出来でした。ただ、表現に余裕があるか?と問われると余裕がない演奏でした。もっとどっしりと構えて演奏するにはまだまだ修行が必要に思われました。

その後、3年位はおばあちゃん先生に師事して発表会にも出ていましたが、僕が転職や引っ越しをしたことでピアノ教室を辞めてしまい、その後は発表会等には出る機会がありません。

 

今「発表会に出たいか?」と聞かれると僕は「出たい」と答える自信があります。発表会は苦痛も伴いますが、やはりあの輝けるステージに鎮座するでかいピアノに歩いていき、その光の中で演奏する、という経験は格別なものだからです。周りがたとえ何と言おうとも全てが帳消しになる瞬間というのがあのステージ上には存在します。

来年あたりはピアノサークルの発表会等にも参加してみたい、と思っています。

 

最後にこのブログを読んでいるあなたは「大人でこれからピアノ発表会に出る予定の人」なのかもしれません。或いは「ピアノの先生から『発表会出てよ』と言われて迷っている人」なのかもしれません。いづれにせよ、僕の経験からすると「失敗してもよいから発表会には出たほうが良い」と思います。

それでも「私は引っ込み思案だから…」という人には大ピアニストのウラディミール・ホロヴィッツの名言を紹介します。

さあ!世の中へ出てミステイクをやってきたまえ!でもそれでいいんだ。君のミスだからさ。君自身のミスでなければならない。君の音楽で何かを言ってきたまえ。何でもいいのさ、“これが君だ”という何かをね

 

 

 

オチのない話でしたが、読んでいただきありがとうございました!

 

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