人の役に立つ事はないでしょうが、取り敢えず書きます。
目次:
右腕を怪我した経緯
去る9月15日(金)の朝、僕は某国からの飛翔体のラジオニュースをiPhoneで聴きながら駅に向かい、ホームに降りる階段に差し掛かった。その時、何故か次の一歩が踏み出せず、階段で盛大にコケた。一回転ぐらいしたと思う。幸か不幸か周りにあまり人はいなかった。
兎に角自分自身ビックリしたのと、身体が痛くて仕方なかったが、取り敢えずは電車に乗って職場に行くことにした。
職場について、ドアノブに手を掛けて捻ると痛い。どうやら右腕と、右腰(右のおしり)を痛めたようだった(僕は鉛筆以外左利きですが、ドアノブに関しては外から内に入る時と内から外に出る時で違う手を使っていることに今更気づく(笑))。
毎朝職場には始業1時間前につくので、コーヒーを飲みながら痛みを我慢して「さて、どうしたものか?」と考えた。
その内に上司が出勤して来たので相談して、「今すぐ病院行ってきたほうがよい」という結論に達した。
職場近くにある整形外科を調べて行ってみた。
「どうしました?」
「先ほど駅の階段で転んでしまい…」
「それは災難だったね、レントゲン撮りましょう」
先生が神妙そうな顔をしてレントゲン画像を見て一言、
「骨は折れていないね。ヒビも入っていない」
僕はひとまずホッとした。
「打った直後はあまり痛くは無いんだけれど、時間が経過すると痛くなるので、2週間位様子を見ましょう」
そんなことで大量のロキソニン湿布をもらって職場に帰った。
その日は全身が痛くて仕方なかった。もう仕事どころではなかった。家に帰っておしりを見てみるとバカでかい蒙古斑のように右のおしりに青あざができていた。「医者におしりも見てもらえばよかったなぁ…」と後悔した。
タオルも絞れない、蛇口も廻せない
取り敢えず敬老の日まで3連休を家で過ごしたのだが、痛みは増すばかり。医者の先生は打撲とも捻挫とも何も言ってくれなかったが、タオルを絞るにも右腕が痛くてかなわない。蛇口も捻ると痛みが走る。
どうやら「捻る」という動作がNGなようだ。
実家の母親に電話して事の次第を話すと「普段転ばないお前が転んだのは、脳に異変があるからではないか?もう歳なんだし気をつけなさい!」などと言われる始末。まあ確かに最近人の名前が出てこないし、脳が衰えている感は否めないが…。
会社に通勤するのも一苦労である。人混みの中右手にぶつかってくる人に怯え、電車では手すりも満足に掴めず、左手でカヴァーするためか、1日1日がとても疲れる。
幸い、ひげ剃りや歯磨き、食事は怪我をしていなくても左手でするのでそこは変化が無かったが、シャワーも左手で持ちながら右手で頭髪を洗うのが痛かったり、筆記は右手なので痛かったり、寝て起き上がる時に左手しか使えなかったりしてとても不便であった。
世の中には片手しか使えない方々もいらっしゃると思うがそういう人々の苦しみや、疲れ、ハンデがまざまざと分かった。
だから僕はこれからは電車の優先席には座らないと決めた。
恐る恐るピアノを弾いてみる
右手に力が入らない、速弾き出来ない、指くぐりとかすると「捻る動作」になり痛い。
その時に練習していたのはトレネ=ワイセンベルクの「En avril à paris(四月に巴里で)」というかなり背伸びをした曲だったが、弾いている内に速度は遅くなっていき、左手の伴奏の音は出るが、右手の旋律がどんどん埋没していき、その内に霞のように消えていく。
しばしの静寂の中右腕を押さえて「ああ、僕はもう一生ピアノが弾けないのか…」と「悲劇のヒーロー」気取りでつぶやいてみるも、別に自分はピアニストでも無いし、さほどピアノが巧いわけでも無いので虚しさが増すばかりであった。
怪我をして初めて「ピアノが弾きたくなる」
不思議なことに普段ならばピアノの練習なんかしたくない!と思っていた自分、2週間位ピアノに触れなくてもそれが通常だった自分が、怪我をしたことによって、或いは怪我をして「もうピアノが弾けないかもしれない」と思った途端、「ピアノをもっと弾きたい!」と思えるようになった。
全く、人間の(僕の)脳みそというのは普段いかに怠けているかよく分かったし、取り返しのつかない事態になってから初めて作動するのだなぁと。逆に言えば毎日精一杯に生きている人はスティーブ・ジョブズみたいに「明日死ぬ事があれば今日やるべきことは何か?」を考えて生きているのだなぁ、などと妙に感心したりした。
昔読んだアマチュアピアニストの金子一朗氏の著書「挑戦するピアニスト 独学の流儀」を思い出した。
金子氏も風呂場で指を痛めた事をキッカケにアマチュアピアノコンクールを目指したという経緯があったので、僕と金子氏の技量の差は雲泥であるにせよ、起こった事象は同じである。
(余談だが、金子氏の演奏は凄い。僕はピティナのコンクールと、某大学マニアック系ピアノサークルでのゲスト演奏を聴いた事がある。とりわけピアノサークルの方は金子氏はラヴェルの「夜のガスパール」を弾いていたのだが、直前に弾いていた人々から一転して空気感が変わり、もはやアマチュアという枠には収まらないプロの演奏であった。念のため付け加えておくが、直前まで演奏していた人々も超絶指が廻るうまい人達であったが、金子氏の場合オーラも凄く、演奏の完成度がずば抜けていた。)
そんなこんなで、痛いけれど出来る範囲でピアノで指を動かしていた。
右腕を怪我して分かったことが一つある。それは僕の演奏がいかに脱力出来ていないか、という事。痛みが出ないように指を動かしたり運指したりすると、何故か「脱力のコツ」がつかめた。今までは「鍵盤を精一杯押しにいっていた」というイメージが、「今の力で押せるものだけ押せばよい」というイメージに変わった。
当然、マトモな演奏にはならないものの、少なくともピアノ演奏の際によく言われる「脱力」のイメージが掴めた。
そういった意味で「怪我をしたのも満更悪いことでもなさそうだ」と思ったのも事実である。
(無論、自分の主観的なイメージなので間違ってもここを読んでいるあなたは「怪我しよう」などと思わないで下さい。あと、怪我をしている人はピアノを弾く前に必ず医者に「ピアノを弾いてよいか?」確認してからにして下さい。取り返しのつかない事になる可能性すらあります)
結局、痛みがなくなるまで2ヶ月かかった
右腕とおしりにロキソニン湿布を貼っていたので湿布の消耗が早かった。医者に行くと800円位で7枚入り×4袋=28枚が手に入るが、処方箋薬局で買うと7枚入り1袋で1,600円位することが分かり驚愕した。日本の医療保険制度に感謝である。
1ヶ月位経ってもまだ痛みがあったので、医者が「もう一度レントゲンを撮りましょう」と言ってきた。結果、異常は見られず。しかし「この骨と骨の隙間の部分、見えない部分にヒビが入っているのかもしれないねぇ(すっとぼけ)」とのことだったので、些か辟易した。1ヶ月も経ったあとで「ヒビが入っているかもしれない」だと?
「まあ、あと2週間位様子を見ましょう」と既視感のある答えが返ってきた。医者なんてこんなものかもしれない。多分こちらから「とても痛い」とか、状況をうまく説明しないと医者も対処の仕様がないのであろう。
しかしながら、本当に2週間位したら痛みが引いていき、これを書いている今現在(11月26日)、ほぼ痛みが無くなった。
右腕を負傷したことはとても災難だったが、治ったから言えることではあるが、この経験は僕にとってとてもプラスになったような気がする。右腕が使えない不便さというものがよく分かったし、ピアノにおける脱力のヒントも得た。何よりこれからは怪我をしないように注意深く生きていこう、という気になった。
これからは一日一日をしっかり生きて、ピアノも頑張っていきたい。ブログも久しぶりに書いたのでもっと書いていきたいと思った次第である。
読んでいただきありがとうございました!