ミヤガワ日記

ピアノや読書を中心に、日々の気になったことを書いていきます

【近況報告】場面緘黙症とひょうきんな人について


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 お久しぶりです!以前「場面緘黙症」について書いた過去記事

 

piano6789.hatenablog.com

 

について、結構反響があったので(読んでくださった方、ありがとうございました!)、今現在の自分の状況について少し記事にしてみようと思います。単なる自分の性格の列挙なので、需要があるかどうかは分かりませんが…。

 

以前にも書きましたが、僕は特定の場面で押し黙ってしまう、話したくても話せないという性格を持っています。僕の場合、はっきりと医者に「場面緘黙症」と診断されたわけではないですが、僕自身は多分この場面緘黙症だと思っています。正直、場面緘黙症かそうでないか?はどうでもよくって、自分自身が生きづらいと感じている事について列挙したいと思います。

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場面緘黙症と思われる僕は、話の輪に入れない

 

まずは「話の輪に入れない」という事。

最近ではAさん、Bさん、そして僕という3人がいた時に、僕はAさんと1対1で話すことが出来る、Bさんとも1対1で話すことが出来る、ところがAさんとBさんが話している時にその輪に入れない、という事がありました。

このためにAさんやBさんから不審がられ、関係がギクシャクするという変な状況に(笑)

正直、この歳になってこのような事で悩むというのは思いもよりませんでした。

Aさんともサシで話せる、Bさんともサシで話せるという事で(まぁ、自分から進んではあまり話せませんが笑)、通常ならばAさんとBさんの会話にも入っていけるはずですが、これが出来ない。「場面緘黙症」の「特定の場面」の定義からすれば、このAさんとBさんの会話が「特定の場面」であり、僕が緘黙してしまう状況なのです。

 

ただ、分かったことは「会話によるコミュニケーションを取らないと、人は僕を避けていく」という事です。これは100%そうです。僕が他者に「話さない」という態度を取った場合、取られた方は「この人、私のことが嫌いなのかな?」と思うはずです。自分と他者を入れ替えて客観的に眺めると分かりやすいです。「僕を無視している人と何故付き合わなくてはいけない?」となるはずです。

 

ただ、僕の場合だけかもしれませんが、このような複数人での会話も苦にならない場合があるのです。例えば親友が集まったときとか。時と場合に因るのです。

本当に不思議です。自分自身が何を考えているのか分かりません。自分で自分がわからないのに、AさんやBさんから観ると僕は非常に奇異に写っているでしょう。すごくプライドの高い奴、と思われているかもしれません。

 

 

 

場面緘黙症の人は「ひょうきん」なところがある

 

場面緘黙症」と聞くと、押し黙っている暗く物静かな人物を思い浮かべると思いますが、僕の場合それほど深刻な症状がないためか、ある集まりに於いては「ひょうきん者」という評価を頂く事があります。

自分でも通勤中にオヤジギャグを思いついて一人でニヤニヤしていたり(もうオヤジ世代なので仕方がない汗)、ある集まりに於いてはそのオヤジギャグを華麗に開陳して冷たい視線に晒されたりといった事があります*1

 あなたの隣の話さない人-緘黙(かんもく)って何?-[改訂版]

という本を読んでみたところ同じことが書いてありちょっとビックリしました。幼い頃に場面緘黙症を患っていた人も家の中では「ひょうきん者」だった事が多いようです。

何故そんな振る舞いをするのかはよく分かりませんが、黙っているとストレスが貯まるのでその反動でひょうきんなことや面白いことを空想してしまうのかもしれません←適当。

 

少し関連して、僕は会社の週報にその週にやった業務の詳細に加えて小説風の文章や、時事ネタ、自分に起こった私生活でのハプニング等を書いていたりします(勿論、それは金曜日の朝早くに会社に行き、就業時間前に書きます。はたから見ると「痛い人」です。こんな事を週報に書いていていつかはクビになるんだろうなぁ…笑)。

しかしこれが同じ職場で働いている同僚に結構好評で、「いつもミヤガワさんの週報だけは読んでしまいます」とか言われたりします。僕も会社に於ける「人材の定着」に一役買っているのだ!と思い込み、毎週書いていたりします。

僕はあまり話さない真面目人物と思われていますが、蓋を開ければ週報に小説書いちゃう超不真面目人間であるということなのです!

 

 

 

 

場面緘黙症と二重人格について

 

さて、ここで言う「二重人格」とは「人格障害」の「解離性同一性障害(多重人格)」を指すのではなく、一般に「あの人の態度は二重人格だ」と言われるような、「性格的な二重人格」です。

上記記事「話の輪に入れない」人間、と同時に「ひょうきん」な人間である自分は以前の記事にも書いた通り、自分が「二重人格ではないか?」と悩んできました。

人によって態度を変える、というのは処世術の一つではありますが、本当の自分とはいったいどちらなんでしょうか?人によっては「二重人格のままでいいじゃん」という方もいるかもしれません。

 

本当の自分は「ひょうきんで話好き」なのだと思います。しかし事実、他人と話す時にぎこちなくなってしまう、もしくは話せない。特定の状況と特定の人には饒舌になりひょうきんな事も言えるので、そこに矛盾が生じて、トータルな自分像が描けない事にフラストレーションが溜まってしまいます。

 

 

 

これからどのように生きるか?

 

アラフォーの僕の場合、最近心がけていることは「無理に人間関係を維持しない」という事です。無理をする事は自分にとっても、また関わる他者にとっても良いことはありません。

自然に力を抜いた状態で人間関係を構築することで、自然で良好な人間関係というのが築かれるのだと思います。要はリラックスして、出来ないものは出来ないと諦めることも大切という事ですね。

また、「老人に対人恐怖症の人間はいない(少ない)」という事実からも分かるように、歳を取ってくると対人への葛藤というものは段々とこなれてくる感じはします(僕も若い頃に比べると随分と図太くなりました笑)。時間が解決してくれるという部分もあると思います。

それは諦めに近いものかもしれませんが、僕は良い意味で力が抜けた状態だと思っています。そんな「ゆるやかな人間関係」を目指していきたいと思います。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

*1:「ひょうきん」と自己評価しましたが、「面白い」かどうかは他人が決めるもの(以下略)