ミヤガワ日記

ピアノや読書を中心に、日々の気になったことを書いていきます

アンスネスのショパンアルバムを聴いた感想

一週間ぐらい前にピアニストのアンスネス(Andsnes)の待望のショパンアルバムを購入した。

 ショパン:バラード全曲&夜想曲

今回はその感想を書きたいと思う。

 

結論からいえば、「意外と頑固なショパン」であろう。ゴツゴツしているという意味ではなくて(逆にスラスラしている)、アンスネスの解釈がポピュラーなショパン演奏のベクトルとズレているというのが印象的で、このような表現になった。

 

目次:

 

 

アンスネスのショパンCDに収録されている曲

【収録曲】
ショパン
1. バラード第1番 ト短調 作品23
2. 夜想曲第4番 ヘ長調 作品15の1*
3. バラード第2番 へ長調 作品38*
4. 夜想曲第13番ハ短調作品48の1
5. バラード第3番 変イ長調 作品47
6. 夜想曲第17番 ロ長調 作品62の1
7. バラード第4番 ヘ短調 作品52*

*2016年の来日公演で演奏された曲

【演奏】
レイフ・オヴェ・アンスネス(ピアノ)

【録音】
2018年1月7日~12日、ブレーメン、ブレーメン放送、ゼンデザール
[レコーディング・プロデューサー]ジョン・フレイザー
[レコーディング・エンジニア]アーン・アクセルバーグ
[エディター]ユリア・トーマス

 

 

収録曲を見てお分かりかと思うが、バラード4曲の間に、夜想曲が3曲入っている。アンスネスの書いたライナーノーツを読むと、「(間にノクターンを挟んだのは)バラードの緊張を解して少し息をついていただけるような時間を作るため」「このアルバムの中でショパンの作曲家としての発展を辿っていただけるという意図もある」とのこと。

CHOPIN ANDSNES


 

 

各曲の独断的な感想

各曲の感想を独断的に述べる。異論は大歓迎!

 

1. バラード第1番 ト短調 作品23

相変わらず滑らかで、正確なタッチによって紡ぎ出される音に惚れ惚れする演奏。アンスネス特有の美音は健在で、でかい音、フォルテシモでも濁ることは無い。

それは爆音であるはずのコーダーでも同じことで、この「デリカシーがある」ということが、他のショパン演奏と聴き比べると幾分スケールやドラマティックさを欠いたものになっているかもしれない。

しかし、伝記によるとショパンは爆音を嫌っていたらしく、ピアノを叩くような弾き方を嫌い、犬の吠え声と形容していたとか(これだと現代のショパン弾きは半分ぐらい失格になってしまう笑)。

その伝記が確かならば、このアンスネスの解釈はショパンも喜ぶであろう。

そして、毎度のことながらすべての音が丹念に、稠密にコントロールされている。音楽的な自然な流れを失わずに、かつ曖昧に弾かれる音が一切ない。

 

 


2. 夜想曲第4番 ヘ長調 作品15の1*

何日か通勤中に聴いて、夜寝るときに思い浮かべるのがこの旋律だった。この「静と動」の2つの要素を持つ夜想曲を見事に弾ききっている。

新たな発見として、アンスネスは「溜め=アゴーギク」をあまりしない演奏家なのだが、若い頃の印象と比べるとかなり「溜め」が出てきたように思う(それでも他のショパン弾きと比べるとあっさりはしているのだが)。

とても輪郭のくっきりした夜想曲に仕上がっているが、なにせ音そのものが美しい。注意深く、丹念に作り込んだ、それでいて自然な演奏に仕上がっている。

この演奏はとても気に入った。

 


3. バラード第2番 へ長調 作品38*

これは来日公演でも聴いた曲。アンスネスの解釈は他のポピュラーなショパン弾きとは違っていた覚えがあるし、そのことを過去記事でも書いた覚えがあるが、その印象が少し大きくなった。

しかしながら、アンスネスは楽譜を丹念に読み込んでいることがよく分かる。

例えば、2回目のPresto con fuocoの「嵐の」下降音型の前にアクセルがあるのだが、

手持ちの楽譜で確認すると右手にアクセントがついている(下図)。これをアンスネスは忠実に再現している(特に2音目)。

些かスタッカートっぽく聴こえて、こんな演奏は僕は今まで聴いたことが無い。

(基本的に僕はアシュケナージの演奏をよく聴いている)

バラード2番

そう、アンスネスの解釈のほうが、巨匠の解釈より正しいのだ。

僕らが巨匠の演奏を聴いて「ショパン的」と思っていても、よくよく楽譜を見るとその演奏は恣意的であることもある(マエストロホロヴィッツ、その音楽譜にないよ!みたいな笑)。

勿論、どちらの演奏も素晴らしいのだが、こういうところを疎かにしないアンスネスの演奏は逆に新鮮に映るのだ。また、すこし頑固にも映る。

歴史が紡いできた「ショパンはこう弾くべき」という固定概念を覆すレヴェルの演奏だと思う。

 

 


4. 夜想曲第13番ハ短調作品48の1

巧い。こういう具合に弾きたい、と思わせる演奏。次のフレーズに移るのが早いので、幾分スイスイとした演奏だが、それが現代的でスタイリッシュな雰囲気を帯びている。

こういう潔さ、情念や、ドラマティックさにあまり耽溺しない演奏は逆にこの曲の「意味」を問いかけているようで、引き込まれる。

このアルバム全体を通して言えることではあるが、アンスネスの演奏はやはりどこか「さっぱり」とした趣がある。

 


5. バラード第3番 変イ長調 作品47

完成された音楽、といった趣。僕は楽譜を片手に聴いてみたが、すごく細かい部分まで読み込んで表現していることがよく分かった。現代の演奏家でこれほどまで完璧なバラード3番を演奏する人はいないんじゃないか?ぐらいのレヴェル。音の艶やかさ、テンポ、微妙なアゴーギク、曲想に沿った音色の選び方、どれをとっても超一流である。

 

ただ、この曲は僕自身がそれほど好物ではないので(好きではある笑)、このあたりにしておく。


6. 夜想曲第17番 ロ長調 作品62の1

ショパンのノクターン(夜想曲)でどれが一番好きか?と言われたら僕は8番と答えるが、どれが一番傑作か?という質問には16番とこの17番で迷う。

アンスネスの演奏はこの複雑なショパンの心境、目まぐるしく移ろいゆくフレーズや、対位法的な書法で書かれたパッセージを丹念に紡ぎあげていく。

本当に複雑な音楽だと思う。シューマンの「フロレスタンとオイゼビウス」という二重人格的なものよりももっと複雑。

横のラインでも曲のフレーズは変わるし、縦のラインでも考えるべきことが一杯。

アンスネスの演奏を聴いているとショパンの心の中に苦悩や、歓喜、諦観、希望、その他の色々な感情が混沌と渦巻いていたことを察することが出来る。

得てして天才というものはアンビバレンツな要素が矛盾なくその精神に宿っているものだが、この曲もそういった様々な要素を持った曲といってよいだろう。単純に二項対立的に「明るい曲↔暗い曲」とはならない曲の典型である。

 

アンスネスの演奏でショパンが託したこの曲の問題提起がよく分かった。

 


7. バラード第4番 ヘ短調 作品52*

さて、一番問題なのが、このバラード4番のアンスネスの演奏である。

一般的なショパン的「バラード4番」を聴きたいのであれば、クリスチャン・ツィメルマンあたりを聴いておけば間違いないであろう。

アンスネスの演奏はそういった「ショパン的な演奏」とはベクトルが違う。

一言で言うとバッハ、対位法を意識した演奏ということが出来るであろう。

楽譜を見ながら聴いたのだが、のっけから左手の旋律も疎かにしない、そういった決意表明が聴いていてよく分かる。

 

バラード4番

上図は第一主題が再現される部分の一つであるが、このような箇所をアンスネスは右手の一番高音の旋律のみを際だたせるような弾き方はしていない。あくまでもショパンが晩年傾倒した「対位法的な表現」に固執していて、中声部、低音部ともにすべての音の横の線のポリフォニックな連なりを意識して弾いている。

もっと端的に言えば中声部や下声部の音が目立つ。

このため、幾分バッハ的な聴こえ方がするのだ。

 

ただ、この解釈には弱点があって、右手の主旋律のみを際だたせるように演奏すれば得られるであろうドラマティックさが失われてしまう可能性があること(バッハ以前の、より古典的な音楽に近くなる)が挙げられる。

2016年に来日した際もこの曲を弾いた時はバッハを意識した演奏がありありと分かったし、僕は過去記事でそのように述べている。

 

piano6789.hatenablog.com

 

しかし、聴く人によっては「変わった解釈」と捉えられるとは思う。ショパンらしくない、とも聴き取れるであろう。

 

余談ではあるが某掲示板で昔活躍していた○ーノンクール氏(bun氏)などは、2016年の来日の際の演奏に関して、アンスネスの演奏はドビュッシーは良かったけれど、あの音大生のようなショパンはダメ、みたいなことをTwitterで呟いていた。頭の良い方なので、言いたいことはよく理解できる。

ピアノを弾いた事がある人ならば分かると思うが、特に新しい曲を練習する時に旋律が伴奏に埋もれてしまう。アンスネスのバラード4番の演奏は意図的にではあるが、そのように聴こえる方向になってしまうのだ。

 

ロマン派の音楽にポリフォニックな要素を付与するような場合、演奏者の意図を理解し注意深く聴かないとそのような意見が出てきてしまうであろう。

 

アンスネスのライナーノーツからの言葉を引用しておこう。

バラード4番を勉強し始めたのは5〜6年前からです。4曲の中で最後に勉強した曲ですが、長い間崇拝してきました。演奏技術の上でも、音楽的にも、とびきり複雑です。自由かつ奔放で、一つの感情から別の感情へ瞬時に切り替わるので、弾くのにやや怖気づく曲でした。このもっとも複雑で偉大な音楽は、途方もない悲しみに満ちた主題で始まります。最初のうちは、悲愴な気分に満ちたこの部分を弾くと涙が止まりませんでした。音楽家としては、自分の演奏で泣いてしまっては意味がないわけです。しかし私にとってバラード4番に渦巻く感情はそれほどまでに強烈だったのです。

 このバラードの悲しみに満ちた主題を、たまに、メロディなしで左手の和音だけで弾いてみることがあります。和音そのものが苦しみに満ちていて、ショパンが人間の苦悩をこのような音に出来たこと自体が信じられない思いです。

ショパンの音楽で典型的なのは、晩年になるにしたがって、作品の声部が複雑になっていくことでしょう。バラード第1番と第4番との間の差異の一つには、低音部がまるで対位法を構成するもう一方のメロディのようになっていて、しかも中声部の動きも込み合っているという点が挙げられます。ショパンはバッハの作品を愛し、毎日弾いていたのです。第4番のポリフォニックな各声部の絡み合いは、まさにバッハの作品を思わせます。この対位法的要素は晩年に向かうショパンにとって重要なものになり、初期のより純粋かつ古典的な作風とは大きく異なっています。

 

 

聴いてみた感想を書いていなかった。僕はこの曲に関していくつか新たな音の発見をした。今まで耳を澄まさなければ聴こえなかった音が聴こえてきた。

巨匠たちが伴奏として使用していた音に新たに光を当てて、主役と同等の価値を与えること。これは新しいショパンであろう。

 ショパン:バラード全曲&夜想曲

 

まとめ〜全体を通して

アンスネスのショパンアルバムの感想を全体を通してまとめると、僕個人の意見だが、先にも書いた通り「意外と頑固なショパン」ということになるであろう。アンスネスはポピュリズムに近づかない。従来のショパンらしい演奏を排除し、注意深く楽譜を読み込み、このような解釈を開陳した。

とりわけ、バラード4番にみられる対位法的な処理は逆に新しさを覚える。

 

この演奏で想起されたのが、グレン・グールドの弾くショパンのソナタ第3番である。ロマンティックなショパンに何とか対位法的な意味付けを加えられないか?と模索した部分が重なるのだ。

もっともピアニズムが違うので、コンセプトが似通っている、という程度ではある。

また、以前から思っていたことだが、アンスネスのピアニズムにある、ある種の「いさぎよさ」はアレクシス・ワイセンベルクのピアノに通づるところがあると思う(スイスイと進んでしまう感覚とか)。

 

アレクシス・ワイセンベルクとグレン・グールドを足して二で割ったところに確固たる楽譜に裏打ちされた美音を加えた演奏、と言ってもよいかもしれない。

 

もっと聴き込んでいきたい、と思えるアルバムと出会えて良かった。

 

 

読んでいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シューマン=リストの「献呈」は何故日本人ピアニストによく取り上げられるのか?(不肖動画もありw)

この間、久しぶりに新宿のタワーレコードに行ったのですが、日本人のピアニストのCDのコーナーを覗いていて気づいた事があります。

 

収録されている曲目は様々なのですが、シューマン作曲、リスト編曲の「献呈」(Widmung、君に捧ぐ)を収録している日本人ピアニストが多いという事です。

勿論、僕がこの曲をよく知っているので、カラーバス効果(意識しているものが目につくという事)で目につく、という事はあると思いますが、やはり結構多い印象です。

 

例えば今をときめく日本人ピアニスト「牛田智大 献呈~リスト&ショパン名曲集」さんや、「反田恭平 月の光~リサイタル・ピース第1集」さんもCDに収録しています。反田恭平さんに至っては2枚も「献呈」を収録したCDが存在していました。ライヴ版とスタジオテイク版でしょうね。デビューしてそれほど経っていないのにこのペースはすごいですね。

僕が持っているCDでも主なところで「河村尚子」さんや、「横山幸雄」さんがこの曲を収録されています。他にも僕はCDを持っていませんが「蔵島由貴」さんや、「外山啓介」さん等々、数え切れないほどの多くの日本人演奏家が取り上げています。アマゾンのプライムミュージックではもっと多くの演奏家の「献呈」がありました。

 

 

 

もっとも日本人ではなくても、「ユンディ・リ」や「キーシン」の弾いた献呈のCDも持っていますが…。

余談ですが、ピアノサークルでもこの曲を弾く人は沢山います。僕も以前入っていたピアノサークルで弾いたことがあります。拙い演奏をyoutubeにアップしていたりもします(後ほどリンクを貼りますが…)このピアノマニア界隈ではあまりに弾く人が多いので逆に弾きづらい側面があります。

 

 

 

 

 

【考察】なぜ「献呈」なのか? リストの「愛の夢」じゃあかんのか?

歌曲集「ミルテの花」より「献呈」はロベルト・シューマンによって歌曲として作曲されました。リュッケルトの詩に基づいて作曲されているのですが、この曲をクララ・シューマンとの結婚式の前夜にクララに捧げた、という逸話が残っています。ロマンティックですね。

そしてピアノ独奏版の「献呈」はこの歌曲集のメロディを元にしてフランツ・リストが編曲したものになります。その演奏を聴いたクララは「原曲の良さを台無しにしている!」と怒ったとか。
今ではどちらも良い曲だと思いますけれどね。クララにしたら「ロベルトがせっかく私に捧げてくれた私だけの曲を改悪された!」という気分だったのでしょう。そんな気持ちよく分かります。よく映画やドラマでも「原作の良さをとどめていない!」といって怒る人々の気持ちと一緒ですかね?ちなみにクララ自身もピアノ独奏版に編曲しているのですが、こちらはあまり弾かれていないようです。

 

閑話休題、僕は楽曲分析等はできないのですが(汗)、自分なりに「なぜこの曲がよく弾かれているのか?」考察してみたいと思います。

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1.アンコールピースにぴったり

一番の理由はこれですね。献呈という曲は演奏にもよりますが、長さが3分半から4分ほどで、ピアニストがさらっと演奏するアンコールにぴったりの曲です。ですのでピアニストの収録したCDの収録曲目を見ても、ソナタ等の大曲の後に収録されている場合が多いです。ボーナストラックとして収録されている場合も。

また、この曲はシューマンの曲の後にアンコールとして弾くのは勿論、リストの曲の後、広くロマン派の曲の後に弾くのにも向いています。ようするに「オールマイティ」な曲な訳です。

この曲は「華やかさ」と「しみじみとした静けさ」の両方を内在しています。その特性はアンコールにぴったりです。リサイタルの曲目が静かでしみじみと終わればアンコールでこの曲は「華やか」に聴こえるでしょうし、逆に超絶技巧の音の嵐で終わればまるで「食後のデザート」のように爽やか、かつさっぱりと聴こえるでしょう。

 

 

2.難易度の割に演奏効果が高い

この曲は難しいです。確かに難しいですが、リストの他の作品と比べると「楽」な部類に入るのではないでしょうか?ピアニストであれば誰でも弾ける位のレヴェルだと思います。

1ページめは主題の提示、2ページ目になるとその主題をリストらしい「いじり方」で左手に旋律を持ってくる、その間右手は華やかに6度の和音移動を奏でる。3ページ目は伴奏の中に旋律を浮かび上がらせるシューベルトの即興曲風な中間部、展開して華やかに主題が戻ってくる。この右手のアルペジオ部分がとても難しいですが、リストに慣れた人であったら手に馴染むと思います。それが終わると、重音で主題を奏でる部分、その後アヴェ・マリアの旋律でサラッと終わります。

こうして書いてみるとかなり沢山の「演奏技法」が必要な事が分かります。そしてこれらの「効果」は抜群で、かなり難しい曲に聴こえます。特に右手のアルペジオが縦横無尽に低音から高音(あるいはその逆)に移っていく部分とか。

あなたも是非挑戦して下さい。演奏効果はとても高いです。

 

 

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↑ここの右手難しいです…いまだに満足に弾けません。

 

 

3.通(ツウ)ぶれる?

一般の人はフランツ・リストの「愛の夢第三番」と、この「献呈」どちらを知っているか? 

これを考えると圧倒的に「愛の夢第三番」の方が有名だと思います。愛の夢は「この曲、どこかで聴いたことある!」となるでしょう。しかし献呈はピアノを弾く人の間ではとても有名ですが、一般の人はほぼ知らないのではないでしょうか?

なぜ「愛の夢」を比較対象にしたかというと、長さも同じくらい、難易度も献呈の方が少し難しい位で同じくらい、ピアニストがアンコールでどちらを弾くか?迷う曲目と考えたからです。

そして、多くのピアニストが選ぶのは「献呈」のほうです。愛の夢は些か食傷気味というか、有名になりすぎているのです(とても良い曲ですが)。
また献呈の場合は技巧にも沢山の「ヴァリエーション」が必要ですが、愛の夢はそれほどでも無い気がします(僕はどちらも巧く弾けないですけれど笑)。
愛の夢は旋律は基本右手で、一番盛り上がるホ長調の部分と細かい音を克服できればOK的なイメージがあります。

という訳で、親しみのある甘美でかつ美しいメロディを持ちながらも、まだまだ一般には浸透していない「献呈」を選ぶ事で「通」とみなされる、という仮説を立ててみました。

想像ですが、ピアニストとしてもアンコールを聴いた聴衆が「あの曲はなんて曲だろう?とてもいい曲だった」と思われたいでしょう。

まぁ、そもそもこんな安易な理由で選曲するピアニストはいないと思いますが、ピアニストの戦略的な部分に目を向けるとこのような考えがあっても良い気はします。

 

 

4.単純にピアニストに「献呈」好きな人が多い

これは大いにあり得ます。ピアニストは戦略的にプログラムなりCDの曲目を決めますが、嫌いだったら弾かないと思われます。いい曲ですしね。

献呈は元々「歌曲集ミルテの花」の一部の曲なので、歌曲特有の「親しみやすい旋律」が存在します。ようするに歌で歌えるような旋律、フレーズな訳です。プロコフィエフや、スクリャービン、シェーンベルク等々の曲を鼻歌で歌うのは難儀ですが、この曲は歌えるのですね。

またこの曲の構造について、最初は主題が素朴に提示され、次はその主題を装飾するような音型に変わり、中間部の少し静かなところを経て、再び主題が超絶技巧で高らかに歌われその後、また形を変えて主題、最後はアヴェ・マリアの旋律を少し出して終わる、という形になっています。

つまり主題に使用されるテーマが重要になってくるのですが、このテーマの旋律がとても優しい気分にさせてくれる、いかにも結婚式にふさわしい愛に満ち溢れたテーマとなっているのが、ピアニストをその気にさせるのではないでしょうか?

「このテーマをどうやって料理してやろうか?」とほくそ笑むピアニストの姿が見えるようです。 

 

僕の過去の「献呈」の演奏

さて、僕もこの曲を人前で弾いたことがあります。ピアノサークルと発表会で弾いたのですが、一番最初はなんと!親戚の結婚式で弾いたのです。

当時の僕はこの曲を弾きこなすレヴェルではありませんでした。大体、小さい頃にバイエルしか終わらなかった人間が大人から再開して「献呈」を弾けるようになるわけ無いと(僕のピアノ歴については過去の記事に小出しにしているので興味があれば読んでみて下さいw)。

しかし親戚に「是非ピアノ弾いて下さい」と言われて何の曲を弾こうか?と迷った時にこの曲を選んでしまったのです。先にも書いた通り「シューマンが結婚式の前夜にクララに捧げた」というこの曲の逸話が華やかさとしみじみした感じを持つ「結婚式」という場に適切だと思ったからです。

当時僕は20代の大人でしたが、ピアノ教室に通っておりそこではチェルニー40番で壁にぶち当たっていました。その程度の人間がこのような曲を弾こうとするものだから、右手の6度進行が滑らかに出来ない、その間の左手の旋律が埋もれてしまう、中間部の旋律が上手く出せない、盛り上がるはずの右手のアルペジオが切れ切れになってぎこちない、重音の三連符と右手の旋律の拍が合わない、と散々でしたが、アルペジオの練習と、僕のブログに何度となく出てくる「ピシュナ 60の練習曲 解説付 (坂井玲子校訂・解説) (Zenーon piano library)」の練習で、何とか親戚の結婚式で弾く事が出来ました。あの時は緊張したなぁ(笑)。

その時の奮闘は機会があればまた記事にしたいと思います。

 

youtu.be

↑恥を忍んで動画を貼り付けます。6年位前に都内の音楽スタジオで撮ってみたものです。強弱が付いてませんね(汗)

 

弾きたい、と思ったあなたも是非挑戦してみて下さい。人生は短いです。やりたいと思った時にやらなければ時間が過ぎるだけです。上手く弾ければとても華やかで、良い曲ですよ。

 

読んでいただきありがとうございました!

 

2018/11/24追記:たまたま現在開催されている浜松国際ピアノコンクールのストリーミング配信を視聴していたら、ヤマハとローランドの両方のメーカーがこの曲をCMとして使用していましたw

曲中の最初の部分がヤマハ、中間部がローランドというように、使っている場所は違うのですが、ピアノコンクールのCMでこのような「被り」が出るなんて、ちょっと面白いですね。それだけ、献呈は魅力的な曲という事でしょう。

 

 

 

 ↓この楽譜の1曲めに収録されています

 

と思ったらピースでも↓販売されていました。 

 

 

 

アンスネスのシベリウスCDを聴いた感想

ピアニストのレイフ・オヴェ・アンスネスによるシベリウスのピアノ作品集のCDが9月に発売されました。9月の時点で即買っていたのですが、感想なりレビューはよく聴き込んでからにしようと思い(決して面倒くさかった訳ではない…)、今回ブログを書こうと思った次第です。

 

目次:

 

アンスネスのCD

↑このCDですね。アンスネス氏、昨年のコンサート時と同様、ヒゲを生やしております。シベリウスのアイノラ荘をイメージしたのでしょうか?北欧の、木で出来た住まい風のセット?

 

 

収録されている曲

シベリウス
1.6つの即興曲作品5より
 即興曲第5番*
 即興曲第6番
2.キュリッキ(3つの抒情的小品)作品41
 第1曲 ラルガメンテ
 第2曲 アンダンティーノ
 第3曲 コモド
3.ピアノのための10の小品作品24より
 第9曲 ロマンス*
 第10曲 舟歌
4.ピアノのための10の小品作品58より 第4曲 羊飼い
5.悲しきワルツ作品44の1[ピアノ独奏版]
6.ソナチネ第1番作品67*
 第1楽章 アレグロ
 第2楽章 ラルゴ
 第3楽章 アレグロ・モデラー
7.ピアノのための5つの小品(樹木の組曲)作品75より
 第4曲 白樺の木
 第5曲 樅の木
8.ピアノのための2つのロンディーノ作品68より ロンディーノ第2番*
9.ピアノのための13の小品作品76より 第10曲 エレジアーコ
10.ピアノのための6つのバガテル作品97
 第5曲 即興曲
 第4曲 おどけた行進曲
 第2曲 歌
11. 5つのスケッチ作品114
 第1曲 風景
 第2曲 冬の情景
 第3曲 森の湖
 第4曲 森の中の歌
 第5曲 春の幻影

*2016年の来日公演で演奏された曲

(以上、ジャパン・アーツのサイトより引用)

 

シベリウスの曲だけですね(当たり前か)。しかもシベリウスピアノ曲はあまり有名ではないので、このリストを見ただけではどんな曲か分かりません。せいぜい有名なのは「樅の木」や、「キュリッキ」ぐらいではないでしょうか?

少なくとも僕は昨年(2016年)のアンスネスの日本公演での演奏を聴くまではそのくらいしか知りませんでした。「キュリッキ」はグールドのCDで知ったし(数年前のアンスネスの日本公演でも取り上げられていましたが)、「樅の木」はよくピアノ教室の発表会で大人の人が弾いていたりするので知っていました。

シベリウス交響曲管弦楽曲、バイオリンコンチェルト等に比べると、控えめに言ってもピアノ曲はマイナーなイメージしかありません。

まぁ、だからこそアンスネスのようなメジャーなピアニストがマイナーな作品を紹介してくれるこのようなCDは貴重に思い購入した次第です。

 

 

 

以下、独断と偏見でこのCDの曲の感想を述べたいと思います。あくまで自分の感想なので悪しからず(後から見ると黒歴史になりそうな感想もあるよ!汗)。

フィンランドの荒野

 

くすんだクリスタル|6つの即興曲作品5より「即興曲第5番」

少しくすんだ宝石がポロポロ落ちてくるような、下降音型アルペジオではじまる。僕には冬の広大な荒野に立ちすくんだ孤独な男の背中が見えた。何も咲かない枯れ木と枯れ草だけの寂寥な荒野には冷たい風が吹いており、男は何かを決断したかのように思える。束の間希望の風が吹いているが、やはり行く手は困難の風で溢れている。しかし、男は荒野に一歩を踏み出す。

 

昨年もコンサートでこの曲を聴かせて頂きましたが、アンスネスの技巧は素晴らしいものです。繊細なアルペジオと、どっしりとそれを支える左手のオクターブの音量やタイミングがバッチリと合っている。アンスネスは弱音の出し方が巧い、と思えました。

余談ですが、僕は少年時代、山間の田舎に住んでいたのですが冬に風が吹くと風の音が山に反響して「ゴォ〜」と鳴っていたのを思い出しました。春には風に匂いがある事も分かりました。

 

 

ドラマティックな3つの楽想|キュリッキ(3つの抒情的小品)作品41

1曲目、2曲目、3曲目とも大自然の中で独りになる瞬間がある。大きな自然に対峙しているちっぽけな人間を思い起こさせる瞬間がある。寂寥とした北欧の風景が思い起こされる。冷たい氷の国に突如現れる光の中に不思議な、人間を超越した存在が見えることもある。

 

キュリッキに関しては楽譜も持っており、弾こうと試みた事もあるのですが、シベリウスピアノ曲は弾きにくい。リストやショパンの弾き辛さとは違った、悪く言えばピアニスティックな書法で書かれていないが為の弾き辛さですね。

グレン・グールドのCDも持っています。グールドの演奏は「左右の音の対等さ」みたいなものを追求しているためかドラマティックな側面を意図的に排除していますが、このアンスネスの録音はとてもドラマティックに仕上がっています。こういう録音を待っていたという感じです。アンスネスはリズム感がとても良いので、3曲目等も面白く聴けました。

 

 

喜びと諦観|ピアノのための10の小品作品24より第9曲 ロマンス

暖炉の火を見ながら老人が遠い昔のロマンスの回想をしている。甘く楽しい思い出だけでなく、蹉跌や諦観もあったが今となっては全てを受け入れて懐かしんでいる。思い出を愛でるように。

 

アンスネスは昨年、シューマンのコンチェルトをジンマン指揮で弾いてくれたのですが、アンコールがこのロマンスでした。リサイタルでも弾いてくれました。この曲はシベリウスの曲の中でも聴きやすいというか、ピアニスティックだと思います。所々2声になったりする部分が何とも言えず良いです。あとは中間部の音階が右手上昇、左手下降してから決然と鳴らされる部分はとてもドラマティックです。

あの時の感動がCDで聴けるとは!良い時代になったものです。

 

 

 

陰鬱でオシャレ|悲しきワルツ作品44の1[ピアノ独奏版](劇音楽クオレマより)

巴里で催されるような華美なダンスパーティーにはなりきれない。踊る人々の足取りは重く息苦しい。死の予感がする。どこか偽物じみた、皮肉めいた、道化師たちのダンスパーティー。

 

この曲の出だし、左手のデモーニッシュな「刻み」の音はスタッカート気味に奏され抜群の効果を得ています。こういう旋律以外の音も疎かにしないところがアンスネスの巧さだと思います。この曲を初めて昨年のアンスネスのリサイタルで聴きましたが、最初はサティとかのフランス音楽ぽいなぁ…と思いました。そんな瀟洒な雰囲気と共にどこか陰鬱な空気が感じ取れました。

音楽の進め方が抜群によいです。アンスネスはあまりアゴーギク(スピードの変化)を付けない人でしたが、時折ためらいがちに遅らせる低音に重い足取りがよく表現されています。

ダンスパーティーのヒール

 

焦燥感|ソナチネ第1番作品67 第3楽章 アレグロ・モデラー

救急車が来たよー(笑)

 

↑ちょっとふざけました。でもそんな焦燥感がこの曲にはあります。右手のオクターブトレモロが救急車に聴こえてしまって(笑)。

曲想に不安定さがありますが、1楽章や2楽章と比べると3楽章は纏まっている気はします。ライナーノーツによると、このソナチネop.67は20世紀初頭に書かれたピアノ曲として最も革新的で特異なものの一つに数えられる、とあります。

しかしながら僕はまだこの曲の良さが良く分かりません。シベリウスはピアノ音楽で実験を試みたのでしょうか?かといって現代音楽にもなりきれていないような不思議な空気感があります。

 

 

 

冷たさと温かさ|ピアノのための5つの小品(樹木の組曲)作品75より第5曲 樅の木 

樹氷の街。外套を羽織り行き交う人々を見つめてきた樅の木。樹形図のような人々のあらゆる記憶が複雑に絡み合い、冷たい結晶となり再び雪として降ってくる。

 

ここでのアンスネスの演奏は過度にロマンティックにならず、かといって冷たい演奏でもなく、見事に樅の木の持つ冷たさと温かさというアンビバレンツな要素を結合して処理していることを賞賛すべきでしょう。急き込むように弾くべきところはそのように弾いてくれています。シベリウスの中でもピアニスティックな曲、このような演奏を待っていたというべきでしょう。

街路樹と樹氷

 

ここはロシア?|ピアノのための2つのロンディーノ作品68より ロンディーノ第2番

月曜日にお風呂をたいて火曜日にお風呂に 入り…♪

 

↑すみません。またふざけました(笑)。でもこの曲と、後に収録されている「ピアノのための6つのバガテル作品97 第4曲 おどけた行進曲」なんかはどことなくロシア民謡を彷彿とさせます。シベリウスの母国フィンランドはロシアとお隣ですしね。

アンスネスの今までの録音でヤナーチェクとニールセンのCDやホライゾンズのCDを持っているのですが、そこにもこれと同じような民謡を元にした短い曲があったような気がします。そして、アンスネスはこういう曲を弾くのが巧い!曲想を理解して纏めるのが巧いんでしょうね。

 

 

森の中で目眩、または底なし沼|5つのスケッチ作品114 第4曲 森の中の歌

森を進んでいる内に迷子になった、どこまでも続く林、どこを見ても同じ光景。一生森からは抜けることは出来ない。底なし沼のような森。

 

この音楽はなんとなく今のゲーム音楽にありそうな音楽で面白かったです。曲というよりは音素材といった雰囲気ですが、アンスネスがその卓越した能力で曲として纏めているという感じですね。

 

 

 

総括

 

シベリウスとピアノについて

さて、黒歴史になることを分かっていながら恥ずかしい感想を書いてきましたが、このCDを通して改めてシベリウスピアノ曲にも良い曲があることに気付かされました。

多くはピアニスティックではない、恐らくはシベリウスは作曲する時にオーケストラを頭で鳴らしていたのではないか?と思うような作品が多かったですが、何もピアニスティックな作品だけがピアノで弾かれるべきだとは思いません。

「手に馴染む曲」をピアニスティックと定義すればそのような曲ばかりでは表現の幅が小さくなってしまいます。特にシベリウスのような大作曲家は他人の作品を吸収はするものの、自分の「音楽」を作りたいと願っていたと思います。シベリウスの意図を知るという意味でこのアンスネスシベリウス作品集はとても貴重なCDの一枚足りうると思いました。

 

アンスネスのピアニズムについて

これも過去のブログでも度々言ってきましたが、やはりアンスネスは一つ一つの音を疎かにしない、そしてよく纏まった演奏を聴かせてくれます。

ピアニズムで思い出しましたが、最近考えていること、「プレトニョフの演奏とアンスネスの演奏は随分アプローチが違うなぁ」という事です。(いきなりプレトニョフの話ですが分かりやすいので)

僕が考えるに、

プレトニョフは演奏にメリハリをつけるために所々音を抜く(出さないわけではない)タイプ、

アンスネスは全部の音を(もちろん強弱を考慮して)出すタイプ。

このようにカテゴライズしました。どちらも超がつく素晴らしいピアニストですが、本当に色々なタイプのピアニストがいるものです。

そしてアンスネスのアプローチはショパンにはあまり適さないかもしれませんが(独断です)、シベリウスとかグリーグの音楽には適しているように思えます。北欧繋がりということもあるでしょうし、何よりアンスネスシベリウスを愛しています。

 

最後にCDのライナーノーツにあったアンスネスシベリウスの音楽に対する想いを引用したいと思います。

 

"IT INHABITS A PRIVATE WORLD;

IT IS ALMOST NOT FOR

THE PUBLIC, BUT SOMETHING

TO PLAY FOR A FRIEND,

OR EVEN ALONE."   LEIF OVE ANDSNES

シベリウスの音楽は内面世界を映し出しています。

コンサートの聴衆ではなく

友人のために、あるいは一人で弾くために

書かれた音楽であるかのようです。   レイフ・オヴェ・アンスネス

 

読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

階段から落ちて右腕を負傷しピアノが弾けなくなった話

人の役に立つ事はないでしょうが、取り敢えず書きます。

 

目次:

 

 

右腕を怪我した経緯

 

去る9月15日(金)の朝、僕は某国からの飛翔体のラジオニュースをiPhoneで聴きながら駅に向かい、ホームに降りる階段に差し掛かった。その時、何故か次の一歩が踏み出せず、階段で盛大にコケた。一回転ぐらいしたと思う。幸か不幸か周りにあまり人はいなかった。

兎に角自分自身ビックリしたのと、身体が痛くて仕方なかったが、取り敢えずは電車に乗って職場に行くことにした。

職場について、ドアノブに手を掛けて捻ると痛い。どうやら右腕と、右腰(右のおしり)を痛めたようだった(僕は鉛筆以外左利きですが、ドアノブに関しては外から内に入る時と内から外に出る時で違う手を使っていることに今更気づく(笑))。

毎朝職場には始業1時間前につくので、コーヒーを飲みながら痛みを我慢して「さて、どうしたものか?」と考えた。

その内に上司が出勤して来たので相談して、「今すぐ病院行ってきたほうがよい」という結論に達した。

職場近くにある整形外科を調べて行ってみた。

「どうしました?」

「先ほど駅の階段で転んでしまい…」

「それは災難だったね、レントゲン撮りましょう」

先生が神妙そうな顔をしてレントゲン画像を見て一言、

「骨は折れていないね。ヒビも入っていない」

僕はひとまずホッとした。

「打った直後はあまり痛くは無いんだけれど、時間が経過すると痛くなるので、2週間位様子を見ましょう」

そんなことで大量のロキソニン湿布をもらって職場に帰った。

その日は全身が痛くて仕方なかった。もう仕事どころではなかった。家に帰っておしりを見てみるとバカでかい蒙古斑のように右のおしりに青あざができていた。「医者におしりも見てもらえばよかったなぁ…」と後悔した。

転倒する人

 

 

 

タオルも絞れない、蛇口も廻せない

 

取り敢えず敬老の日まで3連休を家で過ごしたのだが、痛みは増すばかり。医者の先生は打撲とも捻挫とも何も言ってくれなかったが、タオルを絞るにも右腕が痛くてかなわない。蛇口も捻ると痛みが走る。

どうやら「捻る」という動作がNGなようだ。

実家の母親に電話して事の次第を話すと「普段転ばないお前が転んだのは、脳に異変があるからではないか?もう歳なんだし気をつけなさい!」などと言われる始末。まあ確かに最近人の名前が出てこないし、脳が衰えている感は否めないが…。

会社に通勤するのも一苦労である。人混みの中右手にぶつかってくる人に怯え、電車では手すりも満足に掴めず、左手でカヴァーするためか、1日1日がとても疲れる。

幸い、ひげ剃りや歯磨き、食事は怪我をしていなくても左手でするのでそこは変化が無かったが、シャワーも左手で持ちながら右手で頭髪を洗うのが痛かったり、筆記は右手なので痛かったり、寝て起き上がる時に左手しか使えなかったりしてとても不便であった。

世の中には片手しか使えない方々もいらっしゃると思うがそういう人々の苦しみや、疲れ、ハンデがまざまざと分かった。

だから僕はこれからは電車の優先席には座らないと決めた。

 

 

 

恐る恐るピアノを弾いてみる

 

右手に力が入らない、速弾き出来ない、指くぐりとかすると「捻る動作」になり痛い。

その時に練習していたのはトレネ=ワイセンベルクの「En avril à paris(四月に巴里で)」というかなり背伸びをした曲だったが、弾いている内に速度は遅くなっていき、左手の伴奏の音は出るが、右手の旋律がどんどん埋没していき、その内に霞のように消えていく。

しばしの静寂の中右腕を押さえて「ああ、僕はもう一生ピアノが弾けないのか…」と「悲劇のヒーロー」気取りでつぶやいてみるも、別に自分はピアニストでも無いし、さほどピアノが巧いわけでも無いので虚しさが増すばかりであった。

 

右腕を怪我して泣く人

 

 

 

怪我をして初めて「ピアノが弾きたくなる」

 

不思議なことに普段ならばピアノの練習なんかしたくない!と思っていた自分、2週間位ピアノに触れなくてもそれが通常だった自分が、怪我をしたことによって、或いは怪我をして「もうピアノが弾けないかもしれない」と思った途端、「ピアノをもっと弾きたい!」と思えるようになった。

全く、人間の(僕の)脳みそというのは普段いかに怠けているかよく分かったし、取り返しのつかない事態になってから初めて作動するのだなぁと。逆に言えば毎日精一杯に生きている人はスティーブ・ジョブズみたいに「明日死ぬ事があれば今日やるべきことは何か?」を考えて生きているのだなぁ、などと妙に感心したりした。

 

昔読んだアマチュアピアニストの金子一朗氏の著書「挑戦するピアニスト 独学の流儀」を思い出した。

金子氏も風呂場で指を痛めた事をキッカケにアマチュアピアノコンクールを目指したという経緯があったので、僕と金子氏の技量の差は雲泥であるにせよ、起こった事象は同じである。

(余談だが、金子氏の演奏は凄い。僕はピティナのコンクールと、某大学マニアック系ピアノサークルでのゲスト演奏を聴いた事がある。とりわけピアノサークルの方は金子氏はラヴェルの「夜のガスパール」を弾いていたのだが、直前に弾いていた人々から一転して空気感が変わり、もはやアマチュアという枠には収まらないプロの演奏であった。念のため付け加えておくが、直前まで演奏していた人々も超絶指が廻るうまい人達であったが、金子氏の場合オーラも凄く、演奏の完成度がずば抜けていた。)

 

 

そんなこんなで、痛いけれど出来る範囲でピアノで指を動かしていた。

右腕を怪我して分かったことが一つある。それは僕の演奏がいかに脱力出来ていないか、という事。痛みが出ないように指を動かしたり運指したりすると、何故か「脱力のコツ」がつかめた。今までは「鍵盤を精一杯押しにいっていた」というイメージが、「今の力で押せるものだけ押せばよい」というイメージに変わった。

当然、マトモな演奏にはならないものの、少なくともピアノ演奏の際によく言われる「脱力」のイメージが掴めた。

そういった意味で「怪我をしたのも満更悪いことでもなさそうだ」と思ったのも事実である。

(無論、自分の主観的なイメージなので間違ってもここを読んでいるあなたは「怪我しよう」などと思わないで下さい。あと、怪我をしている人はピアノを弾く前に必ず医者に「ピアノを弾いてよいか?」確認してからにして下さい。取り返しのつかない事になる可能性すらあります)

 

 

 

結局、痛みがなくなるまで2ヶ月かかった

 

右腕とおしりにロキソニン湿布を貼っていたので湿布の消耗が早かった。医者に行くと800円位で7枚入り×4袋=28枚が手に入るが、処方箋薬局で買うと7枚入り1袋で1,600円位することが分かり驚愕した。日本の医療保険制度に感謝である。

1ヶ月位経ってもまだ痛みがあったので、医者が「もう一度レントゲンを撮りましょう」と言ってきた。結果、異常は見られず。しかし「この骨と骨の隙間の部分、見えない部分にヒビが入っているのかもしれないねぇ(すっとぼけ)」とのことだったので、些か辟易した。1ヶ月も経ったあとで「ヒビが入っているかもしれない」だと?

「まあ、あと2週間位様子を見ましょう」と既視感のある答えが返ってきた。医者なんてこんなものかもしれない。多分こちらから「とても痛い」とか、状況をうまく説明しないと医者も対処の仕様がないのであろう。

 

しかしながら、本当に2週間位したら痛みが引いていき、これを書いている今現在(11月26日)、ほぼ痛みが無くなった。

 

右腕を負傷したことはとても災難だったが、治ったから言えることではあるが、この経験は僕にとってとてもプラスになったような気がする。右腕が使えない不便さというものがよく分かったし、ピアノにおける脱力のヒントも得た。何よりこれからは怪我をしないように注意深く生きていこう、という気になった。

 

これからは一日一日をしっかり生きて、ピアノも頑張っていきたい。ブログも久しぶりに書いたのでもっと書いていきたいと思った次第である。

 

読んでいただきありがとうございました!

 

 

大人の男がピアノ発表会でピアノ演奏した話

こんにちは。今回は過去の話です。数年前(成人済みの頃)にピアノ教室に通っていた時期に子供の生徒さんと混じってピアノ発表会に出た時の事を書きたいと思います。

 

目次: 

ピアノ教室に入会するまで

 

20代の頃、僕はある種の諦観に陥っていました。毎日0:00位までサービス残業をして休日は昼の12:00位に起き、朝起きれなかった罪悪感とともに鬱になり、かといって何か行動することも出来ず、それを引きずって憂鬱な月曜の朝を迎えるという悪循環。

この時は休日でも仕事の事や将来の事を不安を持って考えていたので、「思いっきり遊ぶ」という概念がありませんでした。今思えば休日にそんな事を考えても現実は変わらないので大変な無駄なのですが、生来要領の悪い自分はそんな生き方が普通だと思っていました。

とにかく憔悴し、言葉にならないフラストレーションが湧き上がり、心のなかで咆哮している自分がいました。

 

このままではいけない、何か趣味を持たなくては…と思いながらふと部屋の隅を見るとホコリをかぶった電子ピアノが!(狭い部屋なのでいつも認識はしていましたが文学的な感じで誇張表現してみたw)学生時代に買って以来あまり弾いていなかったのです。

部屋の中のピアノ

「こいつだ!こいつが僕の人生を救ってくれる!」

そう直感した僕はピアノの練習を再開することにしました。

 

幼い頃、バイエルしか終わらなかった事は以前もブログで書きましたが、この頃はピアノ教室に通わずにチェルニー30番練習曲とバッハのインヴェンション、ピッシュナを買ってきて自分で弾いていました。

しかしながら独学でやっていると指が思うように動かない、そしてそもそも自分の弾き方、音楽の捉え方が本当に正しいものなのか分からない、という問題が出てきました。

なので、「ピアノ教室」に思い切って入会を申し込む事にしました。

正直なところそのような「問題」が自分の中で湧き上がっていたこともピアノ教室の門をたたく理由の一つではありましたが、単純に他人とコミュニケーションを図りたい、自己の承認欲求を満たしたい、という感情の部分もあったと思います。

また、小さい頃は嫌でたまらなかったピアノ教室(母親に自転車に括り付けられて「ピアノなんて女のやるもんだ!」と大声で叫びながら通った事もあった)が、この20代になって何故か少年時代の甘美な記憶として蘇ってきた事も理由の一つです。

 

 

おばあちゃん先生のピアノ教室に入会する

「申し訳ないです。うちはもう定員いっぱいなんですよ〜(ニッコリ)」初めに震える手で電話をしたピアノ教室は若い感じのする女性の声でやんわりと断られてしまいました。

僕はその時に住んでいた周辺のピアノ教室をネットで検索して電話を掛けていたのですが、3件位はそのようにして断られました。

これは以前ブログに書いたように多分に「成人男性を警戒する女性ピアノ教師」という構図があったと思われます。もっとも本当に定員に達していて生徒を取ることが出来ない、という状況の教室もあったとは思います(結構入会する季節や時期によっても違います)。

そんな中、「じゃあ、土曜日の15時にいらっしゃい」と言ってくれたのが、これから入会するピアノ教室のおばあちゃん先生でした。

おばあちゃん先生の家は電車で2駅、そこから15分位歩いた場所にありました。決して僕の住まいから近くはないですが、通えない距離ではありません。

 

おばあちゃん先生は品の良さそうな65歳位の方でした。家に上がるとヤマハのアップライトピアノがまず目に飛び込んできました。お茶を出して頂き、小さい頃はどのレヴェルまで弾けたか?今までどのような曲を弾いてきたか?等の質問をされました。

「じゃあ、話をしていても分からないので取り敢えず一曲聞かせてもらいましょうか」

緊張の瞬間です。僕はピアノの椅子の高さを下げて座りました。インベンションの1番をさらってきたのでそれをつっかえつっかえ弾きました。先生は褒めてくれましたが、同時にダメ出しをしてくれました。

古典派以前の作品はペダルをあまり使わないので、フレージングが大事(たとえばスラーの終わりはスタッカート気味に切る)、右手の旋律だけでなく左手も歌いなさい、自分の出している音をよく聴きなさい等々。

 

 

僕は今まで自分がやってきた事が間違いだったことに気づき、目から鱗でした。そんな訳でこのおばあちゃん先生のピアノ教室に入会する事にしたのです。欠点はおばあちゃん先生の家には「アップライトピアノしかない」という事でしたが、当時の自分からしたら生ピアノには違いがなかったので気にしませんでした。

月に4回(毎週土曜か日曜)の指導で、5,000円の月謝でした(アップライトピアノしか弾けないのに高い!と思う人もいるかもしれませんが、大手のピアノ教室等は電子ピアノで月謝1万近くとか、そんなところもあるみたいなので相場でしょうか)。

 

 

 

発表会に出るまで

 

大人なのに発表会?

僕がピアノ教室に通い始めたのが確か7月位だったと思います。最初の内はインヴェンション、ツェルニー30番、ソナチネアルバム1という内容でレッスンしてもらっていました。毎週のレッスンは楽しみでした。今から思えば毎週はキツイのですが、当時は仕事以外であまり人付き合いがなかったのでかなり没頭していました。

そんなある日、おばあちゃん先生が「12月に発表会があるんだけど、全員参加なので出てもらいます」と言いました。

僕は人前に出るのが極端に苦手なので最初は躊躇しましたが、同時に「出てみたい」という気持ちも湧き上がりました。面白いもので人前が嫌いなくせに、承認欲求は強いのです。そのあたりの話は以前のブログを参照して下さい。

 

piano6789.hatenablog.com

 

 

不安な要素は沢山ありました。一つは「子供ばかりの発表会で浮かないか?」という問題。

レッスンですれ違う子達の演奏を聴く機会があり、皆堂々と演奏しています。それもレッスン中でも「暗譜」で演奏している子供が沢山いました。大したものです。こんな子供に混じって大人がつっかえながらピアノをステージで弾いている様子は滑稽ではないか?また、発表会では子供のお父さんお母さんが来るはずであるが、多分僕の年齢に近いお父さんお母さんであるはずなので、「大人なのにみっともない」とか思われたりしないか?等々、マイナス思考がループした事もありました。

 

そんな中、発表会の演奏曲目が決まりました。1曲目は独奏でクレメンティ作曲ソナチネニ長調op.36-6の第一楽章。ちょうどその時に練習していたソナチネアルバム1巻の12番ですね。

この曲はyoutubeを検索すると分かりますが小学生がよく弾いている曲です。僕は中学の頃からクラシックのピアノ曲を聴いていたので、ショパンとかリストとか弾きたいなぁ、と思っていたのですが自分のレヴェルを考えると到底無理ですし、先生もこの曲を進めてくれたという事はつまりはそういうレヴェルな訳です。

しかし練習しだすとこの曲をうまく表現する事は難しい事が分かりました。どんな曲でも完璧に仕上げるのは難しい、という事がよく分かりました。

 

小学生と連弾もすることに!

2曲めは先生が「A君と組んで『手のひらを太陽に』を連弾で弾いてもらいます」と言われたので些か狼狽しました。A君って誰?先生に聞いてみると小学5年生のすばしっこい、ラグビーをやっている少年だそうです。来週会わせるとの事。

20代の男がまさか小学生と連弾する事になるとは思いもよりませんでした。

 

A君は本当にすばしっこい感じの、一見するとピアノに興味がなさそうな、スポーツ好きな少年でした。イメージとしては夏休みの宿題を忘れてもケロッとした顔で学校に行き、先生に怒られてもケロッとして放課後は校庭でサッカーとかしている活発なタイプです。将来大物になりそうなタイプですね。

A君との連弾の練習は大変面白かったです。というのもA君は楽譜が読めないのです!おばあちゃん先生が音を出していき、それを真似る、という些か変わった練習方法をとっていました。

おばあちゃん先生曰く、「この子は楽譜が読めないけれど、運動神経と記憶力は抜群なのよね。指がとても良く廻るのよ」との事。しかし、A君はいつになってもつっかえます。A君はこの「手のひらを太陽に」という曲を知らないのではないか?と思いました。

 

発表会では全て暗譜と知らされる

一方の僕は楽譜は多少読めたので、連弾練習の時は楽譜を置きながら低い音の伴奏パートを弾いていたのですが、先生が一言、

「あ、発表会では暗譜で弾いてもらいますからね!」

と仰ったので、不安な気持ちになりました。おばあちゃん先生、見た目は温厚そうなのに、言うことは鬼畜すぎる!

独奏のクレメンティのソナチネももちろん暗譜で弾いてもらう、との事。

僕は元来暗譜が苦手で、「覚える、という事がどういう事なのか分からない」というある種の病気に陥っていました。加えて本番ともなれば緊張で暗譜が吹っ飛んでしまう事も考えられます。大体、子供の頃なら兎も角、大人になってから暗譜をするのはただでさえ記憶力が弱まっている感じがするのに酷な話です。

 

ただ、この暗譜力、記憶力に関しては個人によってかなり見解が違うことが予想されます。

僕は今現在、大人のピアノサークルにたまに顔を出していますが、暗譜が得意な人と苦手な人がいます。とりわけ、ピアノを小さい頃にやっていなかった、大人になって始めた人は逆に暗譜が得意な人が多いようです。彼らにその極意を聞いてみると「自然と覚えた」とか、「いちいち楽譜を見ると時間がかかるので覚えてしまった」、「楽譜が読めないから暗譜するしか無い」とか返答があり、まったく羨ましい限りです。ともすると、中途半端に楽譜が読める僕のようなのが一番良くない状態なのかもしれません(で、でもリヒテルも楽譜見ながら演奏していたし…震え声w)。

 

暗譜と表現と指練習を発表会前までに頑張った

暗譜は兎に角、楽譜を隠して弾いてみる、という事に専念しました。あとは音源を聴きながら指の動きをイメージする、逆に音を出さずに電子ピアノで指を運ぶ、という練習もしました。

この時にギーゼキングとブゾーニという名ピアニストのエピソードも参考にしました。彼らはピアノに触れること無く、飛行機の中で楽譜を渡されて本番に臨んだり、或いは演奏旅行に楽譜を持っていかない、等の驚異的なエピソードを持っています。

何故其のようなことが出来るのか?自分なりに考えてみました。分かったことは彼らは「頭の中で音楽が全て完成出来る」という事です。まったく驚異的な想像力です。

これを真似る事は出来ませんが、僕は楽譜を縮小コピーして、通勤電車の中で出来るだけ見ないようにしながらイメージトレーニングをしました。思い浮かばない部分は楽譜を見て、また隠す、の繰り返しです(受験勉強かよw)。

 

表現に関してはおばあちゃん先生の指摘を参考にしました。ソナタ形式の構造、フレーズの切り方、繰り返される音型の2回目は小さい音にする等、古典派の音楽に共通する認識、マニエリズムをご教授いただきました。

しかしながら今にして思えば、暗譜の恐怖感からか、ぎこちない表現になっていたと思います。真実の表現は「自信を持って為されるべき」でしょう。そういった意味で直感的に自分には音楽的才能が無いことは分かっています。でもそれでも音楽を辞める必要などどこにも無いのです。

 

指練習はハノンはやらずに、「ピッシュナ」をやりました。このブログでも度々登場して僕のイチオシの指練習本ですが、基本的な指の独立や、脱力といったものが身につきます。

この練習本をやっていると、指が両手で10本あるという事が感覚的に理解できるようになりました。大人からピアノを始めた人にはオススメです。ピッシュナを更に初歩的にしたものに「リトル・ピッシュナ」というものもあります。僕は両方持っています。

 

 ピシュナ 60の練習曲 解説付 (坂井玲子校訂・解説) (Zenーon piano library)

 

発表会1週間前、近くの貸し練習室で合同練習

前述したようにおばあちゃん先生の家にはグランドピアノがありません。なのでおばあちゃん先生が発表会の1週間前くらいに4人位の生徒(僕とA君と成人した男女2人、仮にB君とCさんとします)を連れてグランドピアノのある貸し練習室に行きました。

成人男性のB君はメガネを掛けた真面目そうな東大の大学院に通う秀才でした!なんでもおばあちゃん先生の手に負えず、現在はおばあちゃん先生の紹介でピアニストの先生に師事しているとの事。

取り敢えず僕よりは年下ではありますが子供だけの発表会で僕だけが大人の男、という状況は免れました、が、このB君が頗る巧い。彼が発表会で弾く曲はラヴェル作曲の組曲「鏡」から「道化師の朝の歌」という二重グリッサンドや同音連打、暗譜等々どれをとっても難しい超弩級のピアノ曲です。

僕は聴いていて同じ部屋にいることが不安になりました。でかい音、堂々とした表現、育ちの良さそうな東大生が変貌する様を複雑な心境で見聴きしていました。

 

成人女性のCさんは今ではおばあちゃん先生のピアノ教室を辞めて勤めているという事で、僕と一番年齢は近かったです。手はもみじのように小さかったですがなんとショパンのバラード1番ト短調を弾きました。これまた圧倒的な演奏で、僕はこの時点で帰りたくなりました。

そして僕はクレメンティをつっかえながら弾きました。表現なんてあったものではありません。ただ指を運ぶのに精一杯でした。その後、A君と「手のひらを太陽に」を連弾しました。そこで気づいたこと、A君が見違えるくらい巧くなっているのです!

これは数学のグラフで例えると僕の巧くなり方はy=axとすれば、A君の巧くなり方はy=ar^xという等比級数的に伸びているのです。加えてA君は子供なので、僕が間違えると正直に笑ってくれます…。「弾いている時に笑いそうになった!」とか無邪気な顔で言われて僕は大いに凹みました。

子供には無限の可能性がある、という事も知った日でした。そしてその日は帰ってふて寝しました。

 

 

 

発表会当日|輝けるステージ

発表会は近くのホールを借りて行われました。まず連弾、その次に独奏の順でした。今まで色々な葛藤がありましたが、もうここまできたらまな板の上の鯉、後は野となれ山となれです。僕は開き直っていました。だけれどもお腹は痛かった…。

 

小さな子どもがドレスを着ておめかしし、足がペダルに届かない状態で一生懸命弾いている姿を見て微笑ましく思いました。会場を見ると殆どが生徒の親御さんで、我が子の晴れ舞台をビデオに収めていました。僕だけが招待する人がいない、という状況でした。まぁ、友達や彼女がいたとしても招待なんかしないと思いますがw。B君やCさんの姿も見かけました。

生徒さんの演奏を聴き進めているとある事に気づきました。皆さん、つっかえたりすることもありますが、堂々と演奏しているのです。

小さいながらも「これが自分だ!」と言っている声が聞こえました。その声に僕は感銘を受けました。僕が持ち得ない心性、感覚。

それは重要な、これから僕が人生において「掴み取らなくてはならない心性」だと直感しました。そのための場として「発表会」があることも直感しました。20代にして僕の人生は遅まきながらスタートするのだという感覚がありました。

 

発表する順番の3人前になったらステージ裏に行かねばなりません。まずはA君との連弾なので、薄暗いステージの袖に一緒に行きました。そこには先生がおり、明るいステージで弾いている生徒の後ろ姿を見ることが出来ました。緊張のためかドキドキします。幸い最初は連弾なので、A君がいてくれることが心の支えになりました。

アナウンスがかかり、先生に「頑張ってね」と言われてA君と僕は眩しいステージに出ました。アナウンスの内容が「2人はまるで兄弟みたいに演奏します云々」だったので、ステージ上で笑いそうになりました。こんな歳の離れた兄弟いるか?先生も冗談がキツイなぁ…と思い、と同時にそんな事を考えている余裕がある自分にビックリしました。

A君と息を合わせて弾き出します。僕は暗譜が飛ばないように精一杯集中しました。A君は結構食い気味にフレーズを進めていくので合わせるのが大変でしたが、何とかミス無く終わることが出来ました。2人で礼をする前から拍手が沸きました。一安心です。

 

残るは独奏のクレメンティのみとなりました。

今度は一人でステージに立たなくてはなりません。3人前の演奏が終わったので僕はステージ袖に行きました。薄暗い袖から見る明るいステージは何か不思議な感じがしました。バカでかいピアノという、まるでコントロールをするのが難しい黒い物体が静かに輝いて見えました。

ステージ袖には薄暗い空間に様々な機材や、大道具が置かれており、雑多な印象を受けました。対してステージには色とりどりの鉢植えのシクラメンが置かれており、スポットライトが当たり、明るく華やかな印象を受けました。

これからあの輝けるステージに歩いていってピアノの椅子の高さを調整し、ピアノを弾くという事が非日常的でうまくイメージ出来ない感覚でした。僕はとても緊張していました。暗譜は飛ばないか、ミスをしないか?いっそこの場を逃げ出してしまおうか?

と同時に自分の演奏を聴かせたい!あのステージに立ちたい!という欲求もある事に気づきました。アンビバレンツな感情が交錯しているのです。ステージの袖というのはそういう思念が詰まった独特な場所という事がよく分かりました。

 

ステージ上のピアノ

名前が呼ばれて、でかいモンスターのようなピアノのある眩しい光の中に進んでいきました。

 

正直、弾いている最中は何をやっていたのか覚えていませんが、ほとんどミス無く、また暗譜が飛ぶようなこともなく演奏を終えることが出来ました。会場の方々も拍手をしてくれました。僕はステージ袖に捌けて、初めて「終わった〜!」と安堵することが出来ました。

 

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最後に|発表会が終わって

発表会が終わってから、1ヶ月位して自分の演奏のビデオをもらいました。それを見てみるとA君との連弾では不安そうな僕の顔とは対象的にA君は終始にやけており、こいつは将来大物になるなぁ…と思いました。

自分のクレメンティの演奏も危ない箇所があって弾き急ぐところはあったもののまずまずの出来でした。ただ、表現に余裕があるか?と問われると余裕がない演奏でした。もっとどっしりと構えて演奏するにはまだまだ修行が必要に思われました。

その後、3年位はおばあちゃん先生に師事して発表会にも出ていましたが、僕が転職や引っ越しをしたことでピアノ教室を辞めてしまい、その後は発表会等には出る機会がありません。

 

今「発表会に出たいか?」と聞かれると僕は「出たい」と答える自信があります。発表会は苦痛も伴いますが、やはりあの輝けるステージに鎮座するでかいピアノに歩いていき、その光の中で演奏する、という経験は格別なものだからです。周りがたとえ何と言おうとも全てが帳消しになる瞬間というのがあのステージ上には存在します。

来年あたりはピアノサークルの発表会等にも参加してみたい、と思っています。

 

最後にこのブログを読んでいるあなたは「大人でこれからピアノ発表会に出る予定の人」なのかもしれません。或いは「ピアノの先生から『発表会出てよ』と言われて迷っている人」なのかもしれません。いづれにせよ、僕の経験からすると「失敗してもよいから発表会には出たほうが良い」と思います。

それでも「私は引っ込み思案だから…」という人には大ピアニストのウラディミール・ホロヴィッツの名言を紹介します。

さあ!世の中へ出てミステイクをやってきたまえ!でもそれでいいんだ。君のミスだからさ。君自身のミスでなければならない。君の音楽で何かを言ってきたまえ。何でもいいのさ、“これが君だ”という何かをね

 

 

 

オチのない話でしたが、読んでいただきありがとうございました!

 

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2017.06.08ハオチェン・チャン ピアノリサイタルの感想(於:紀尾井ホール)

 久しぶりにブログを更新します(最近SNS疲れというか、ネットから遠ざかり他人のブログも覗けていませんでした…その間も読んでくださった方、ありがとうございます)。これからは無理せず更新していこうと思います。

 

2017年6月8日(木)に紀尾井ホールに「ハオチェン・チャン(Haochen Zhang)(张昊辰)」のピアノリサイタルに行ってきましたので、感想を書きたいと思います。

 

目次

ちなみにこんな方です。

 

 

ハオチェン・チャンの簡単なプロフィール

2009年、第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで優勝して以来、26歳の中国出身のピアニスト、ハオチェン・チャンは、アメリカ、ヨーロッパ、アジアでその深く繊細な音楽性と大胆な想像力、そして目を見張るほどのテクニックで聴衆を魅了している。
 すでに世界中の一流音楽祭やコンサートシリーズに登場しているチャンだが、ロン・ユー指揮中国フィルハーモニー管弦楽団との共演で披露したBBCプロムスでのリストのピアノ協奏曲第1番について、テレグラフ紙のイヴァン・ヒューイットは、“メンデルスゾーンのように明るく、リストのように悪魔的なアレグレット・ダンスで魅せながら、第2楽章ではとろけるように柔らかなメロディーを奏でた”と絶賛した。

(中略)

幼少期に上海音楽院小学校で学んだ後、2001年に11歳という若さで深セン芸術大学に入学し、但昭義(Dan Zhaoyi)教授に師事する。その後アメリカに渡り、フィラデルフィアのカーティス音楽院にてゲイリー・グラフマンのもとで研鑽を積んだ。

 (以上、KAJIMOTOのウェブサイトより引用)

 

上記のように、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで、日本の辻井伸行さんとともに優勝しております。また、同じ中国のランランや、ユジャ・ワンの師である「ゲイリー・グラフマン」に師事している、というところが興味深いですね。

余談ですが、ゲイリー・グラフマンはあのヴラディーミル・ホロヴィッツに師事していた事もあってか、彼の教え子たちは指のよく廻るタイプ、超絶技巧で聴衆を圧倒するタイプが多いようです。ランランや、ユジャ・ワンの演奏を聴いていても「ヴィルトゥオーゾ」っぷりが目立ちますね。

wikipediaによると1990年6月3日生まれとの事で、現在27歳ということです。

 

 

プログラム 

ハオチェン・チャンのピアノリサイタルのプログラム

シューマン:子どもの情景 op.15
シューマン:交響的練習曲 op.13
   ***
リスト:超絶技巧練習曲集 S.139より 第5番「鬼火」、第12番「雪あらし」
ヤナーチェク:霧の中で
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番 変ロ長調 op.83「戦争ソナタ

  〜アンコール〜 

モーツァルト/ヴォロドストルコ行進曲
ショパンノクターン嬰ハ短調 第20番遺作
シューベルト即興曲集Op.142 D935より 第3番変ロ長調

 

 

ハオチェン・チャンのアンコール

 

 

演奏前の余談

久しぶりに平日の紀尾井ホールに来ましたが、良い立地ですね。仕事が終わって速攻四谷で降りて、土手を下ってきましたが、近くの上智大学からは外国の学生が英語を喋りながら歩いてくるし、そんな風景を見て東京も国際色豊かになったなぁ…などと思ったりしました。ホールに入ると客層はやはり年配の方が多いようですが(これはどのクラシックコンサートでも同じ)、若い女性もかなりいました。一番少ないのは中年の僕ぐらいのサラリーマン。確かに平日に仕事があって、19時開演ですと働き盛りのサラリーマンには難しいかもしれません。僕はこの時閑散期でしたので運良く来ることができました。

折しもこの日、武蔵野市民文化会館ではあの日本で三本の指に入ると思われる(自分調べ)ピアニスト岡田博美氏のリサイタルがありましたが、地理的、時間的に難しかったのでハオチェン・チャンさんの演奏を聴いてみることにしました。

僕は彼の事をあまり知りませんでしたが、プログラムに僕の好きな「交響的練習曲」と「霧の中で」があった事、及びチケットが5,000円とクラシックコンサートにしては安いという事(幸運にも前から2列目が取れた!)、そして今現在のクラシックピアノ界の若手の演奏はいかほどか?確かめるべく(偉そうに…)、足を運んだわけです。

開演のベルが鳴り、客電が落とされて現れたのは27歳とはいえまだあどけなさの残った、華奢な感じのする、そして「良いところの坊っちゃん風の」青年でした。

 

繊細に表現されたシューマンの「子供の情景

第一曲の「見知らぬ国から」から、僕は彼の演奏に引き込まれました。とても柔らかい音が出ている、と思いました。トロイメライでは繰り返される主題に対して同じ弾き方をしません。2回目には内声を際立たせる等の工夫をしていました。

こういうことはやりすぎると「俺はこんなにもこの曲を知っているんだぜ!」となってしまうのですが、彼の場合はそのようなおごりは見られず、幼いときからバッハ等のポリフォニーを勉強してきた事がありありと分かり、好感が持てました。

6曲目の「大事件」の、まるで子供が興奮して大人に今日起こった出来事を急き込んで話すかのような明るい音色と左手の迫力、9曲目の「木馬の騎士」の疾走感、それとはうって変わって老人が昔を懐かしむような静謐さに満ちた13曲目の「詩人は語る」等、表現の幅がとても広いと感じました。

シューマンの音楽はコロコロとその感情が変わる側面がありますが、本当によく表現できている、と思いました。ピアニストというのは改めて凄い存在だなぁ、と思った次第です。

ハオチェン・チャンの特徴がこの曲を通して少し分かりました。彼は全ての音を把握している事、そして音楽の「ブレス」が独特です。

アゴーギク(テンポやリズムを意図的に変化させること)がまるで息をする(ブレスをする)ように自然に出来るのです。これがある故、聴いている方は退屈しません。

 

 

若さゆえの凶暴さだろうか?シューマンの「交響的練習曲」

この曲は色々な版がありますが、今回は遺作のヴァリエーションを3つ挟んだ形で演奏されました。

曲が進むうちに、子供の情景とはうって変わってとても「大きな音」がするようになりました。僕はこんな大きな音を出してよいものだろうか?と思いつつ、彼の演奏に随分と引き込まれていきました。

交響的練習曲は基本的に最後のフィナーレを除いて暗い雰囲気のする短調で、重苦しい曲なのですが、このある種の「凶暴的」ともいえる大胆なフォルテシモに僕は胸が一杯になりました。同時に「彼の演奏はまだ若い」と思いました。

「若い」という事は演奏家にとって褒め言葉であるのでしょうか?よく老成した演奏、円熟味を増した演奏、というものがもてはやされますが、僕は「若い演奏」というのもとても好感が持てます。その時期でしかできない演奏、若いときにしか出来ない演奏といったものが誰しもあると思うのです。

彼がうなりながらピアノを思いっきり弾いている姿を見て、そして聴いてそんな事を思いました。彼はピアノと苦悩を共にしてきたが、ピアノが好きで堪らない様子でした。

フィナーレもとても力強い演奏で、今までの暗いトンネルから明るい地上に出た丸ノ内線(笑)のように、高らかに謳われました。これでもか!と出す低音の爆音にやはり若さやフレッシュさを感じました。

 

 

リストの超絶技巧練習曲をミスなく弾ける才能

鬼火をリズミカルに迫力満点で弾いた。雪あらしの低音から高音に上昇していく部分で僕は背筋がゾッとしました。同時にとてもロマンチックだとも。

やはりこういったヴィルトーゾチックな曲は彼に向いているようです。テンポもかなり揺らしますが、デュナーミクの幅も広いので、非常に迫力がありました。

超絶技巧練習曲はラザール・ベルマンの演奏のCD(超絶技巧練習曲←これ)を持っていますが、久々に聴きたくなりました。特に雪あらしがこんなにもドラマチックで良い曲だとは思いませんでした。

 

 

幻想的な東欧の様子、ヤナーチェク「霧の中で」

聴いていると彼の対位法的な処理表現が生きてくる曲だと思いました。

ヤナーチェクのこの曲に関してはレイフ・オヴェ・アンスネスのCDを持っていますが、こうして芸風を比較してみると、その違いはかなり大きいと思います。どちらが良い、とかではなく、好みの問題ですね。

僕の好みで言えばアンスネスの演奏のほうが良い、と思いました。ハオチェン・チャンの演奏はもっと小さい、繊細な音を出して欲しかった、という部分が所々見受けられました。

それでも、古い絵画に描かれた東欧の野原や街、モヤのかかった風景、霧の中から立ち現れる訳の分からない人々や怪物?のようなものが表現されていたと思います(あくまで僕のイメージですが…)。

東欧

 

 

 

ガンガン叩け!プロコフィエフの戦争ソナタ

プログラム最後はプロコフィエフの戦争ソナタ(第7番)。この曲もとても面白い曲なのですが、彼は期待通りに迫力のある演奏をしてくれました。歯切れのよいタッチと言えばよいでしょうか?彼の演奏はテンポを揺らしたり、ブレスを入れたりすることが多いですが、流れが途切れることが無く、極めて自然です。

3楽章はリズミカルに始まり、ガンガン音が大きくなっていき最後のコーダーでは本日で一番と思われる、そんなでかい音で締めくくられました。この曲の表現としてはこのような「常軌を逸したフォルテシモ」は正解だと思います。プロコフィエフ自身が聴いても納得するような演奏、と僕は思いました。

会場からはブラボーが沢山飛びました!

 

 

個人的にはアンコールはシューベルトのロザムンデ即興曲が良かったです

鳴り止まぬ拍手に答えて、アンコールが3曲演奏されました。

ヴォロドス編のトルコ行進曲ヴォロドス自身のCDを持っていますが、ユジャ・ワンあたりも弾いてましたっけ?ここまで聴いてきて、目立ったミスタッチはほぼ無い、というのも驚異的です。現代のピアニストはこんな人がゴロゴロしているのですかね?

次にショパンの遺作のノクターン。意外と正統的というか、ロマンティックになりすぎず、よい塩梅の演奏でした。

シューベルト即興曲(ロザムンデのほう)、ですがこれも意外と良い。伸びやかにシューベルトの「うた」を歌っているように感じました。音楽のつくりが作為的ではない感じがしました(実際には色々な仕掛けをしていますが、流れが自然という事)。これも若さ故でしょうか?

 

 

 

終わりに|またコンサートがあったら彼の成長を見届けたい

演目が終わり、四谷までの土手を歩いている時に感じたこと、それは本日の一番は「交響的練習曲の慟哭のようなフォルテシモ」でした(個人的な感想です)。

そのフォルテシモにはピアノ演奏に於ける「若さ」であるとか、大胆さとか力強さが全て詰まっていました。

 

彼の演奏が「このまま変わって欲しくない」という思いと「どんどん洗練されて、或いは老成していって欲しい」というアンビバレンツな感情が僕に生まれていました。

ただ一つ確かに言えることは「今現在のハオチェン・チャンというピアニストを生で聴くことが出来てよかった」という事です。

 

これからも聴き続けたいピアニストが増えました。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タッチの良いおすすめな電子ピアノを比較(ヤマハ、カワイ、ローランド、カシオ)動画あり

 

2018/10/20:記事を追加しました。また、リンク先の電子ピアノのモデルを同価格帯後継機種最新版に変更しています。

 

おすすめのタッチの良い電子ピアノを試奏動画とともにまとめたいと思います。対象としたのは、ヤマハ、カワイ、ローランド、カシオの日本の誇る4大電子ピアノメーカーの電子ピアノです(コルグは動画を撮ることが出来なかったので除外)。

 

 

 

はじめに|そもそも電子ピアノで上達するのか?

電子ピアノと生ピアノは違う楽器である

小さい頃の僕の実家にヤマハのアップライトピアノがありました。アップライトピアノとは生ピアノの一種で、弦を縦型に貼っている、コンパクトな生ピアノ(アコースティックピアノ)です。スペースを取らないので、多くの家庭にもあるピアノです。↓こういうやつですね。

アップライトピアノ

 

 

 

これに対して、生ピアノ(アコースティックピアノ)の一種であるグランドピアノは弦を横に貼っており、ピアニストが演奏会を開く時は通常このピアノが使用されます。ホールとかで発表会にも使われますし、学校の体育館とか講堂にも置いてあることが多いでしょう。↓こういうやつ。

 

グランドピアノ

 

さて、現在の僕ですが、実家から離れてしまったためにピアノがありません。その代わりに電子ピアノがあります(ローランドのDP-990という10年近く前に購入したもので、当時20万円位した)。

正直な話をすると、僕はグランドピアノが欲しいです。お金を貯めて是非とも買いたいです。というのも、電子ピアノで練習していて、たまにグランドピアノのあるスタジオ等でグランドピアノを弾くと、その演奏の落差に絶望するからです。音の鳴りぐらい、鍵盤を押さえた時の感触(タッチ)、微妙なニュアンスの表現方法、弾くことの喜び、全てが違う楽器のように感じます

 

いくら日本の電子ピアノの製作技術が発展しているとはいえ、
電子ピアノとは「生ピアノ」とは違う「楽器」である事を認識すべきです。

ですので、制約がない人は電子ピアノではなく、グランドピアノやアップライトピアノ等の生ピアノを是非とも買うべきです。

 

 

 

ピアニストの反田恭平氏の実家には電子ピアノしかなかった!

グランドピアノが欲しい…そんな事を常々思っていた折に、昨年のTBSのテレビ番組「情熱大陸」で反田恭平というピアニストが取り上げられていました。クラシックのピアニストでモスクワ音楽院に留学もしていた、現在話題沸騰中の新進気鋭のピアニストです。2012年、高校在学中に日本音楽コンクール第一位に輝き、数々の賞も受賞されているという時点で、本格的なクラシックのピアニストといってよいでしょう。

その反田恭平氏がモスクワ音楽院留学中のアパートにあったのはいかにも安い電子ピアノであったこと、そして僕が何よりも驚いたのは反田恭平氏の日本の自宅には電子ピアノしか無かったことです。

反田氏が「電子ピアノしかないんですよ、でもヘッドホンとか録音とか使えたりするんでよかったですよ」などと仰っていました。

電子ピアノといっても、アップライトピアノと同じ機構のハンマーと弦を持った電子音が出る電子ピアノであるようにその時のテレビ映像からは推測出来ましたが、僕はクラシックのピアニストというものは小さい頃からグランドピアノで練習しているという固定観念があったので本当に驚嘆しました。

もちろん反田恭平氏も外でレッスンする時はグランドピアノを使っていたでしょう。でなければ日本音コンで一位を取ることは無理です(小説の世界ならば可能ですが)。

 

このような例は実はまだ他にもあり、電子ピアノではないものの、ショパンコンクールで優勝したラファウ・ブレハッチは浜コン優勝までアップライトピアノしか自宅に無かったと聞きますし、フランスのピアニスト、アレクサンドル・タローはそもそも自宅にピアノが無い、弾きたくなった時は友人の家に行く、とかのたまわっておりますし、ポップスピアニストであるレ・フレールの兄弟の家にはこれまた電子ピアノしか無かったらしいです。これまたショパンコンクールで優勝したダン・タイ・ソンはベトナム戦争中捕虜になった時に紙鍵盤で練習した、という逸話もあります(これは状況がちょっと違うか)。現代音楽作曲家兼ピアニストの高橋悠治さんもピアノを持っていないことを話しておりましたね。

 

蓋し、このような人々は元々かなりの音楽的才能があり、生ピアノ(グランドピアノ)を弾いていない時でも頭の中だけで指を運び、音を正確に鳴らせることができるのでしょう。繊細で微妙なニュアンスさえも想像することが出来る稀有な人々です。

余談ですが実際このような「想像だけで練習する」という事は経験上とても重要であるように思えます(ピアノを弾く想像をするだけで、ピアノを実際に弾いている時と同じ脳の領域を使っている、という研究もあります)。練習の一環として取り入れてみるのも良いでしょう。

 

 

 

電子ピアノでも使いようによっては上達する

このような例から、僕は「自分が電子ピアノで上達できないのは言い訳である」と結論付けました。もちろん、ピアノ教師の人や、本格的にピアノをやっている人の99%位はこの意見に異論を唱えるでしょう。僕も長年グランドピアノ、せめてアップライトピアノ等の生ピアノでなくてはダメだと思っていましたし、今でもグランドピアノがあれば弾きたいです。グランドピアノとそれが入る家が欲しいです。誰か僕にグランドピアノを下さい(笑)。

 

しかしながら、日本の住宅事情や個々人の経済力を考えた時に、生ピアノは必ずしも最良の選択とは言えません。ピアノ殺人事件なんてのもあったように、現在の日本においてグランドピアノを都心部等で所有するにはそれなりの防音の効いた広い住宅が必要ですし、何より経済力が必要です。

そこで、安価でヘッドホン等で消音も出来る、調律も不要な電子ピアノを買う、という選択肢が生まれるのです。

これから電子ピアノを購入する予定のあなたは、まず電子ピアノと生ピアノは別物であることを認識して、家では電子ピアノで練習し、音楽教室や、スタジオで定期的にグランドピアノを触る事を条件に検討すべきです。生ピアノを一切触らない、といった状況は極力避けるべきです。

 

そうすれば、生ピアノの感触を記憶することにより、電子ピアノで練習しても一定の上達が望めると僕は思います。

特にこれからピアノを始めてみよう、という人、初心者は途中で飽きる可能性もありますので、安価な電子ピアノがオススメです(もちろん、経済的余裕があれば生ピアノに越したことはありませんが)。

 

 

電子ピアノ

 

 

 

電子ピアノを選ぶ上で最も重要な点

これらの事を踏まえると、電子ピアノを選ぶ上で重要な点は「いかにグランドピアノと似ているものを選ぶか」という事がお分かりになるかと思います。 

以下に重要な点を列挙します。

 

 

鍵盤が88鍵あるか?

これは基本的な事ですが、重要です。本物の生ピアノは88鍵鍵盤があります。電子ピアノを選ぶ時には88鍵の鍵盤があるものを選択すべきです。

もっともポップスや、ロック等のバンドで所謂「キーボード」として扱うのならば、61鍵以下とかでも良いのかもしれません。これらのキーボードは移調機能が付いているはずですので、音域もカバー出来るはずです。また作曲のみに使うという方も88鍵は必要ないかもしれません。

しかし、ある程度本格的にクラシック、ジャズ等のピアノをやっていくのであったら、88鍵の鍵盤は必須です。例え、88鍵の鍵盤を使う曲を弾かない!という人でも「88鍵の鍵盤の幅、所謂ピアノの幅」を体感的に知っておくべきです。そうでないと、いきなり生ピアノを弾いた時に混乱します。「どこが真ん中のドだっけ?」という具合に。

 

 

電子ピアノのタッチ(弾いた感触)が生ピアノと近い事

これは重要です。僕の考えでは一番重要なのではないか?という要素です。

というのも以前僕はピアノ教室の発表会に出たことがあるのですが、自分の家の電子ピアノで完璧に弾けた!と思って発表会でグランドピアノを弾いたら音が鳴らなかったり、逆に大きな音が出たりと、全くグランドピアノをコントロール出来なかった過去があるからです。

この問題は結構奥が深くて面白いのですが、「普段からグランドピアノで練習しているプロですら、初めて逢ったグランドピアノをコントロール出来ない事すらある」ようです(ですので、プロの演奏家の場合、リハーサルの時間を十分に取る)。

余談ですが、プロの中には完璧主義者のような人もいて、いつでもどこでも最良の音楽を聴かせるために「マイピアノを持ち歩く」人もいます。古くはホロヴィッツ、ミケランジェリ、近年ですとポリーニ、ツィメルマン等です。いずれもプロの中でもトップクラスの超一流ピアニストですが(これらの人々は専属の調律師まで同行させることが多い)。

 

このようにピアノのタッチとは非常に繊細で、考慮すべき問題なのです。生ピアノの間にも個体差がありますが、では生ピアノを弾いた感触に近い電子ピアノとはどのようなものでしょうか?

実はこればかりは弾いてみないと分からない部分ではあります。電子ピアノメーカ各社とも色々な手法でグランドピアノのタッチ感を再現しようとしていますが、あえて要点をまとめると以下になります。

 

  • 鍵盤自体の重みが適当か?

グランドピアノ等の生ピアノは低音から高音にいくに従って鍵盤が軽くなります。鍵盤自体の適度な重みと、この機構が再現されているか?

 

  •  弱く弾いた時のクリック感があるか?

グランドピアノを弾いたことのある人ならば分かると思いますが、弱く弾いた時に、鍵盤を押し込む途中で「カクッ」とした抵抗を感じるかと思います(エスケープメント)。ここまで再現できていれば、他の機構も再現できている可能性が高いです。

 

  • トリル、連打が卒なく出来るか?

トリルというのは高速で「ドレドレドレドレ…」と指をうごかす動作です。連打とは「ミミミミミ…」と、文字通り一つの鍵盤を連打することです。これが可能になるためには鍵盤を打鍵してからの鍵盤の戻りが速くないと出来ません。電子ピアノを選ぶ上での一つの指標となるでしょう。

 

  • そもそも触感はどうか?

古くはピアノの白鍵には象牙が使われていました。黒鍵は黒壇ですね。今はワシントン条約により象牙はNGなので、グランドピアノでも白鍵はそれに似せたものをつかっています。汗による滑りを防止するような素材だと良いです。

 

 

電子ピアノの音自体が生ピアノと近い事

実は上記の鍵盤のタッチとも切り離して考えるべきではないのですが、音楽をやっている以上、出てくる音は重要です。臨場感のあるスピーカーも重要ですが、グランドピアノの音を一つづつ電子的に録音(サンプリング)して再現するという技術もあるので、そういったものを選ぶと良いでしょう。

(ただし、サンプリング音源ならばOKと言う訳ではなく、サンプリングに対してモデリングという「1から音を人工的に作る」技術を使っている電子ピアノもあります。こちらが劣るということは無く、寧ろ機種によってはなかなかの臨場感を出してくれる場合があります。)

総じて、音量、音の歯切れのよさ、レガートの伸び等、タッチと合ったものを選ぶべきです(これを追求していくと、必然的に高額な上位機種になってしまいますが、その辺はお財布と相談ですね…)。

 

 

 

 

 

 

実際に弾いてみた感想と動画

ここからは実際に電子ピアノを弾いてみた感想と動画です。

比較のためにまずは生ピアノ(ヤマハのグランドピアノから)

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この上がって下がる音型を基本にしました(約20秒)。腕前は置いておいて…。

  • 以下は近くの家電量販店で人のほとんどいない時に店員さんに断りを入れて録画しました。
  • 音量は適当ですが、音源は各メーカーの一番聴いて欲しいであろう音、つまり電源を入れた時に一番最初にデフォルトで設定されている音にしています。
  • iPhone6を横にして電子ピアノの端に載せて録画したので、雑音が入っています。ご了承下さい。
  • ここで挙げた電子ピアノは中位機種(10万〜20万)のものを選んでいます。この価格帯から鍵盤のタッチや、音が良くなります。各社が一番力をいれている価格帯であろうと思います。

 

 

カシオ(AP700BK)

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CASIO AP700BK(オープン価格、某家電量販店での価格税込み175,170円)

まずは音が良いです。最近老舗ピアノメーカーのベヒシュタインとタッグを組んでいるカシオだけあって、低音が重厚な響きがします。デフォルトで設定されているのはベルリングランドという、ベヒシュタインのグランドピアノの音。

この他にもハンブルクグランド、ウィーングランド等、スタインウェイやベーゼンドルファーを模した音も設定できます。このあたりは、自社で生ピアノを作っていないメーカーの強みではありますね。

しかし、僕が弾いた限りでは気になる点がありました。それは「鍵盤の重みが低音と高音でさして変わらない」という部分です。あったとしても少しだけ。ですので、本物のグランドピアノのタッチとは違うという事です。カシオさんは恐らくですが、あまりこの「タッチ」の部分に力を入れていないのではないでしょうか?

これは少し問題がありますね。

カシオには下位機種は5万円位からあるので、入門用にはこのあたりもオススメです。ただし下位機種はグランドピアノとは違う楽器であることを認識すべきです。 

2018/10/20追記:APというのはカシオのセルヴィアーノという定番シリーズです。カシオの電子ピアノを買うのであれば、上位機種と下位機種の鍵盤のリアルさの違いはそれほどないので、寧ろ入門用に割り切って下位機種(〜10万円まで)のものを買っても良いのかもしれません。

 

 

 

 

 

Roland DP603-CBS(オープン価格、某家電量販店での価格税込み167,400円)

 


Roland 電子ピアノ DP603-CBS 試奏(ブログ用)

 

 

 

僕が現在持っている10年前のローランドと比べても格段に進歩している感じはしました。特徴としては特に低音部分が柔らかい音が出ることでしょうか?タッチも悪くないです。バネを使っておらず、自然な鍵盤の返りがあります。

ローランドは生ピアノを作っていないメーカーにも関わらず、かなりグランドピアノに近いものを作りますね。そのあたりは素晴らしいと思います。

注目すべきは音の臨場感です。ローランドは自社で生ピアノを製造していないので、一から音源の音を作る必要があるのです。

先程も言いましたがこれを「モデリング音源」といいます(これに対して、ヤマハやカワイが使っているのは自社の生ピアノから一音一音録音した「サンプリング音源」と言われるものです)。

モデリング音源は、一つ一つの音を機械的に調整出来るので、音全体に統一感のようなものが再現できて、逆に臨場感のある音を実現できています。

弾いていて、なんだかホールのステージの上で弾いているような錯覚を覚えました。

あとDPシリーズの躯体はコンパクトなので、省スペース向きですね。スリムでスタイリッシュな外観です。

2018/10/20追記:DPシリーズはスタイリッシュな外観でミニマリストの家とかに置いて有りそう。アマゾンのレビューも星5つです。ローランド好きな方はオススメです。モデリング音源でありながらこの臨場感は特筆すべきだと思います。

 

 

 

 

ヤマハ(CLP−535WA)

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YAMAHA CLP-535WA(メーカー希望小売価格178,200円、某家電量販店での価格税込み145,470円)

良くも悪くもヤマハの生ピアノの音がします。安定しています。こちらもバネを使っておらず、自然な鍵盤の重みが実現できています。これより上位機種ではもっと丁寧に鍵盤の重みを再現しているとの事。

打鍵の際の鍵盤の返りが俊敏ですね。キビキビした印象があります。このあとのカワイに比べると鍵盤の重さも比較的、体感的に軽いです。

音源もヤマハの最高級グランドピアノの音をサンプリングしている模様です。

しかしながら私見なのですが、弾いていて面白みが無い、と思いました。これは安定性につながるので良いことなのですが、白米のイメージですかね。おかずが無い感じ。ヤマハの生ピアノにも言えることですが、毎日コツコツ練習するのには向いているかな?という感じです。

 

2018/10/20追記:ヤマハの535は635になりました。CLP-635B等が最新機種ですね。CLPというのはヤマハのクラビノーバという定番シリーズです。僕も店頭で触ってみましたが、「おおっ?」となりました。

思ったより鍵盤の返り(戻り)が軽快で、連打生も抜群に良くなっています。カワイと比べても鍵盤の軽快さが際立っているので、今であればヤマハのこのピアノを推すかもしれません。

 

 

 

 

 

カワイ(CA17R)

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KAWAI CA17R (メーカー希望小売価格226,800円、某家電量販店での価格税込み181,900円)

今回弾いていて、タッチと音の繋がり、タッチそのものの良さを感じたのはこのカワイの電子ピアノです。木製鍵盤を採用し、本物のグランドピアノと同じシーソー式(てこの原理)を見事に組み込んでいます。低音から高音まで個々の鍵盤の重さも申し分ないです。ですが、人によっては「鍵盤重い」と感じる人もいるかも知れません。

カワイの生ピアノから一音一音サンプリングしています。

私見ですが、いつまでも弾いていたい、と思わせる電子ピアノでした。一番グランドピアノに近いかも。しかしながら、今回の比較では値段が一番高いです。

値段が高ければ正直どのメーカーの電子ピアノでも、良い鍵盤のアクションや良い音が出る事、グランドピアノに近づくことは自明の理ですので、そもそも今回の比較においてこの電子ピアノを同じ価格帯で括ることはフェアではありませんでした…。また、カワイのピアノの音自体が好きでない人はオススメできません。

しかしながら、今回の比較でタッチと音が一番グランドピアノに近い事は明確です。

2018/10/20追記:カワイのCA17は同価格帯で新機種のCA58シリーズとなっています。木製鍵盤の重みと触感、クリック感が特徴的です。シゲルカワイのグランドピアノから音源をサンプリングしています。タッチは重ためですが、慣れるとそのグランドピアノさながらの鍵盤機構にハマります。

 

 

 

 

 

 おまけ カワイ下位機種(LS1)

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KAWAI LS1(メーカー希望小売価格183,600円、某家電量販店での価格税込み126,790円)

おまけにカワイの下位機種です。鍵盤の幅が細くないか?と弾いていて思いました。僕がよく行くスタジオに置いてあるカワイのグランドピアノでもたまに思うのですが、鍵盤の幅がヤマハに比べて小さいものがあり、弾いた時にその違いにびっくりする事があります(追記:実際には鍵盤の幅は同じだそうです。錯覚かもしれませんがそのように感じるのは鍵盤と鍵盤の間にある隙間が大きいためかもしれません)。

 

このあたりは慣れでしょう。こちらは木製鍵盤ではないので、多少弾きにくい印象もありました。ボディがスタイリッシュで、こちらも省スペースですね。

 

2018/10/20追記:カワイのLSシリーズは廃盤になったようです。同価格帯ではCNシリーズが最新ですね。コンパクトで、入門用に向いています。木製鍵盤ではないですが、弾きやすい印象を受けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

独断ランキング

以上より、グランドピアノに似たタッチと音を考慮して僕が買うことを想像してランキングした結果がこちら(あくまでも私見です!)

  1. カワイ上位機種
  2. ヤマハ
  3. ローランド
  4. カシオ
  5. カワイ下位機種

やはりカワイのCA17Rに関しては値段が高いだけあってかなりしっかりとグランドピアノのタッチと音を追求しています。木製鍵盤のタッチも本当に自然でした。しかしながら、カワイに関しては値段が高いといういささかフェアではない要素が含まれていることをご承知おき下さい。

(2018/10/20追記:下記リンクはカワイの同価格帯最新機種のCA58となります)

■配送/組立設置費込み 【純正専用マット SM-1 +ヘッドホン SH-7 セット】 カワイ / KAWAI 電子ピアノ 木製鍵盤 CA58 R (プレミアムローズウッド)

 

ヤマハに関してはもっと上位機種を試奏すれば違った感想が出てくるかもしれません。10万円後半の機種を試奏した訳ですが、20万円前半から鍵盤のアクションや作り方が変わるとのことです。日本にある生ピアノは大半がヤマハなので、ヤマハの電子ピアノで練習する事はある意味理にかなっています。

カワイはどちらかというと鍵盤が重たく、ヤマハは軽快なイメージがしました。これは生ピアノにおいても同じイメージです。

 

ローランドは僕も既に所有しているのでご贔屓だったはずですが、持っていてこんな事をいうのもなんですが、音が柔らかいですね。僕はもっとホロヴィッツのピアノのような爆音系が好きです。しかしながら、落ち着いた曲を弾くには良いですね。
まぁ、音の明るさを変えたり出来るので、それを使えば対処出来る問題です。

ローランドの特徴として、音響空間が意識されている、というのは語っておかねばなりません。ヤマハやカワイがサンプリング音源なのに対して、ローランドはモデリング音源なのにも関わらず、音の広がり、臨場感があります。ポップス等のライブで使われたりするのも理解できますね。

 

カシオの音に関する並々ならぬ追求はびっくりしました。あと、色々な音源があって遊べるところや、電子機器等との相性も良い部分とかが評価出来る点です。

しかしながら普段から練習すること、グランドピアノでの演奏を意識して練習する際にはカシオの鍵盤機構は物足りない気がします。鍵盤タッチの再現性が低く思われます。

カシオは悪くはないんですよ。安い機種でもそれなりに性能は高いですし、入門用には本当に最適だと思います。

 

しかしながら、どの電子ピアノも数年前から格段に進歩していますね。日本の技術は本当に素晴らしいです。あなたも電子ピアノで練習して第二の反田恭平さんになりませんか?(笑)

 

今回は「タッチ」と「音」を主に評価対象としてランキングしましたが、他にも電子ピアノ自体の重さ、コンパクトさ、特殊機能(音色を変える、鍵盤の重みを変える、録音、電子機器との接続、レッスン機能…etc)、打鍵音(周りに響く雑音)、故障のしにくさ等々、色々な尺度があるかと思います。

それを考慮するとランキングができなくなるので、今回は外しましたがいづれまたきちんとしたランキングを作成したいと思っています。

 

読んでいただきありがとうございました。

 

電子ピアノを調べる↓ 

 

 

 

卒業合唱ソングベスト3(独断)のピアノ伴奏をアラフォーのオッさんが弾いてみた(旅立ちの日にもあるよ)

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卒業シーズンですね。この頃になると去りゆく人々や、お別れする人々の事が気になり、妙に感傷的になってしまいます。喪失感を感じている人もいらっしゃるでしょう。

と同時に4月から始まる新生活への期待と不安。色々な感情が入り混じり、爽やかだけれども、冷たかったり暖かかったり花粉やホコリを含んでいる春風のような感情ですね。

 

本日は卒業式の合唱でよく歌われる人気の卒業ソングのピアノ伴奏を一気に3曲、アラフォーのオッサンである僕が弾いてみた時の、動画公開と感想を綴りたいと思います。

(動画は先日の月曜日の仕事帰りに某ピアノスタジオで1時間ピアノを借りて3曲録画しました。品質は…アレですが、卒業する人々の事を思い、一生懸命弾きましたよ!)

勝手に独断的に年代別からベスト3を選んでいるので、あしからず。

 

おっさん世代代表:蛍の光

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蛍の光を弾いてみた感想

ほぼ初見で弾きました。楽譜は無かったので、ネットからスコットランド民謡の原曲を拾いました。細かい拍の音符が弾けていないですね。というより初見すぎて手がこれからどこに動くのか?定まっていない感じです。止まりそうになりましたがミスタッチでなんとかとどまりました😁

でも改めて弾いてみると(聴いてみると)結構良い曲でした。しみじみとした佇まいがありますね。原曲がスコットランド民謡という事で所謂「今っぽさ」は無いですが、単純なフレーズが心に染み渡ります。 

 

僕の思い出

おっさん世代代表の曲としたのは、アラフォーの僕が小学生の頃に卒業式にて歌った曲だからです。20〜30年前という事になりますね。

この曲の歌詞に「蛍の光 窓の雪〜」とありますが、このような小さな光の中でも苦労して勉強したという事でしょう(蛍雪の功という)。

確かに僕も結構雪の多い所に住んでいたので、大雪が積もった日の夜、外に出ると少し明るかったことを思い出します。

 

小学校の卒業式と言えば在校生と卒業生の声掛けみたいなの?ですよね。

生徒A「楽しかった修学旅行!」

他の生徒全員「修学旅行!」みたいな。アレのために何度か卒業式の練習をしたことを思い出しました。

僕の小学校は、全員がそのまま田舎の村立中学校に行くという感じでしたので、小学校であまり「お別れ」的な気分は感じませんでしたが、それでも先生方と別れることや、小学校の校舎と別れることに関して、卒業式のあとのホームルームのような時間に泣いてしまった記憶があります。

 

ちなみに、僕の両親世代は「仰げば尊し」を歌ったと言っていました。老人世代代表(失礼かな?)は仰げば尊しですね。

 

楽天トラベルで卒業旅行 

 

 

ちょっとおっさん世代代表:大地讃頌

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大地讃頌を弾いてみた感想

この曲は中学生〜高校生ぐらいに弾いたことがあり(といっても人前ではなく、自分で勝手に練習した、という事)、久々に弾きました。

まず、右手の和音が掴みきれないという事ですね。素速く手を移動させて和音を次々に繋げていくので、手の形を覚えるのに結構時間がかかります。

最後の方で止まりそうになりました。危ない危ない!そのためリズムが狂いましたが本当の合唱伴奏だったら後で皆から白い目で見られそうですね。

この曲を弾いてみて感じたことは、以外にも左手の重要性ですね。特に中間部は左手で旋律を作っていきます。後ほど出てくる「旅立ちの日に」も同じですが、合唱曲の伴奏において、右手はジャンジャンジャンと繰り返す音型になっている時、伴奏者は左手で表現しなくてはならない、と思いました。

かなり堅牢で質実剛健な曲な気がします。「旅立ちの日に」と比較しても重厚な感じがしますね。 

  

僕の思い出

中学生の卒業式で歌った曲です。当時この手の壮大な合唱曲と言えば「河口」という曲と、この大地讃頌でした。僕は村立の中学校に通っており、校舎は古い木造だったのですが僕が中学3年の時に古い校舎の隣に新しい校舎が出来、古い校舎が取り壊されるのを横で眺めていました。あの時の何ともいえない喪失感が蘇ってきます。

また小学校の頃とは違って、友達とはそれぞれ通う高校が違うという要素が加わりました。こういうような「別れ」を経験して人は大人になっていくのだなぁ。と思い出しました。

小さい頃は、例えばいとこが遊びに来た時のお別れの際、いつも泣いていました。別れるのが辛かったし、寂しかったからです。しかし、そのような別れの感情を乗り越えることも大人になる上で必要である事をこの中学あたりで知ったような気がします。

 

 

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おっさんなりかけ世代代表:旅立ちの日に

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旅立ちの日にを弾いてみた感想

この曲はピアノの独奏部分が美しいです。しかしその独奏部分の同じ部分で3回繰り返してミスタッチしています。楽譜を見ながら弾いたのですが、手のほうが間違って覚えてしまいました。

こういう部分でのツメが甘いのがオッサンのオッサンたる所以ですね(そんな事はない、卒なくうまく弾くオッサンは世の中に沢山いる…)。

先ほども記載しましたが、左手のバスラインを意識して弾くことがとても重要だと思いました。間奏や、ピアノが独奏になる部分は弱い音で、右手の旋律を浮き立たせるように弾くべきだとも思いました。強弱はつけることが出来たと思いますが、ピウ・モッソ(少し速く)を完全に無視してしまいました。

 

先に出てきた「蛍の光」や「大地讃頌」と比べて「現代的」な感じがします。といってもクラシックの世界の現代音楽とは違って、ポップス寄りという感じがします。正直練習していて好きになった曲でした。

 

僕の思い出

この曲には思い出がありません。というのもアラフォーのオッサンにとって、この曲は「新しい曲」なのです。

ウィキペディアを見ると、「1998年頃までに全国の学校で歌われるようになった」とありますが、この時に僕は大学生でした。残念!

しかしながら、この曲は弾けば弾くほど、また聴けば聴くほど良い曲に思えてきました。例え若くなくても、今思えばとびっきり色鮮やかであった若き青春の日々の数々の思い出が蘇ってくるようです。 

 

 

 

 

総評〜若者に告ぐ

今回、卒業ソングベスト3という事で、年代別に「蛍の光」「大地讃頌」「旅立ちの日に」のピアノ伴奏を弾いてみましたが、どれも良い曲でした。と同時に、過去の様々な思い出が蘇ってきました。中には思い出したくも無い事もありますが、歳を取るに従ってそのような過去も「あれはあれで良かったな」と思えるようになりつつある自分がいます。

今、どん底で悩んでいる若い人もいるかと思いますが、40ズラ下げたオッサンが恥も外聞も無く、黒歴史製造機であるブログでポエムを語ったり、youtubeにミスタッチだらけのピアノ伴奏を上げているのを見て、「人生は何とかなる」と元気を出してもらえれば幸いです。

 

以上、読んでいただきありがとうございました。

 

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↓今回使用した楽譜(蛍の光は含まれていませんが、他にも学生時代を思い出す合唱曲が70曲程度含まれております)結構オススメです。