ミヤガワ日記

ピアノや読書を中心に、日々の気になったことを書いていきます

はてなブログコンテスト最優秀賞をいただきました!|半年間のブログまとめ

気の弱い僕が昨年(2016年8月11日)にブログを始めてから半年経ち、やっと今までの総PVが1万を超えたのと、昨年12月に開催されたはてなの「VISAデビットをブログで宣伝コンテスト」にブログを投稿し、今年1月17日に最優秀賞を頂いたので、節目として、今までのブログのまとめを書きたいと思います。

 

 

ブログ記事がはてなのお題キャンペーンで最優秀賞を受賞!

最優秀賞

(上記は証拠画像です。リンクは下記)

お題キャンペーン「2016年を買い物で振り返ろう」 by 三菱東京UFJ-VISAデビット 結果発表! - 週刊はてなブログ

 ↑結果発表のリンク

 ↓元記事のリンク

piano6789.hatenablog.com

 

 

やりました!はてなの運営の皆様、三菱東京UFJ銀行の関係者の方々、このブログを見てくださった皆様、本当にありがとうございました。

 

改めて自分の該当記事を読み返してみて、なぜ受賞したのか?を考えてみると、文章が上手いからとか、アイデアが奇抜だからとか、綿密にデビットカードの良い点を訴求したからではなく、

  1. 実際に三菱東京UFJ-VISAデビットカードを持っていて、証拠画像を載せた
  2. 実際に中国の大連に持っていって使用した実体験が書かれている
  3. お題が2つあったが、「VISAデビットをブログで宣伝コンテスト」のほうは競合が少なかった

この3点に尽きると思います。以下、簡単な分析。

 

1に関しては、実際に使っているという事が分かるため、記事に「説得性」が生まれたのだと思います。実際のところかなりこの画像のインパクトは強かったと思います。

 

2に関しては、実際に使っている様子を「主観的にストーリーとして展開できた」のが強みかな?と思っています。
デビットカードもそうですが、クレジットカード等のサイトを見てみると、ポイントが何%つくとか、初回の年会費はいくら?とか還元率がどうのとか、物凄い量の客観的な事実が詰め込まれています。そういったサイトには到底勝てませんが、個人がブログで紹介するにはこの「主観的に思ったこと」だったり、「実体験」が重要視されると思いました。

そのため僕は訴求事項を絞り、「海外(特に中国)で現金をスムースに下ろせるデビットカード」という視点で、実話をもとに記事を書きました。

「等身大の自分」とでも言うのでしょうか?過疎ブログを運営している僕の個人的な意見なので参考にはなりませんが、これからの個人ブログやサイトが大手のキュレーションサイト等に負けないようにするためにはこの「主観を吐露する」という事が重要になってきている、と思います。

 

3に関してはキャンペーンのお題が2つありました。「VISAデビットをブログで宣伝コンテスト」と「今年、買ってよかった物」です。

僕はこの2つのお題を初めて見て、「VISAデビットをブログで宣伝コンテスト」にエントリーすることに決めました。

理由は簡単です。「今年、買ってよかった物」は多くの人がエントリーしやすいお題なのです。誰でも買い物はするし、今年買ってよかった物の一つや二つはあるでしょう。

なので僕の文章力や、ブログの構成力では到底勝ち目が無い、と思いました。それならば、あまりエントリーが無いであろう「VISAデビットをブログで宣伝コンテスト」が、良いだろう、ちょうど三菱東京UFJ-VISAデビットカードも持っているし…と思い、即決しました。

 

受賞して改めて思うのですが、株式会社はてな様と三菱東京UFJ銀行様はかなり公正に選んでいただけたと思います。というのも僕のブログはあまり人が来ない、所謂「過疎ブログ」なのです。後で画像を貼りますが、この間まで一日のPVは平均70位でした。

単純に三菱東京UFJ-VISAデビットカードを多くの人々に訴求するのであれば、PVが桁違いに沢山ある有名なブロガーさんや、面白い記事が書けるブロガーさんが受賞したでしょう。

そういった意味で、選んでいただき本当にありがとうございました!

最優秀賞を取った人

 

 

 

ここからは半年間のブログ運営のまとめ記事です。 

ブログを始めたキッカケ

 端的に言うと「アフィリエイト収入でお金が欲しい」

「お金が欲しい」これに尽きます。この発言に反発する人も中にはいるでしょう。僕自身も今までブログ記事にアフィリエイトリンクや、アドセンスを貼る度に、胸が痛いというか、何か「人を騙しているんじゃないか?」という心の葛藤があり、痛みがありました。後ほど記しますが、この行為に対して「良いことなのか、悪いことなのか」逡巡している自分がいました。

 

ではなぜ「お金が欲しかったのか?」

一つはアラフォーにも関わらず自分の能力が無いがために、会社での稼ぎが良くない、という事。もう一つは元々気が弱く、内気な性格が災いして、周囲の人に誤解を与え会社に居づらい、という事。
もっとも、これらの事象は全て「身から出た錆」であり、自分が悪いのですが、詳しくは書けませんが、僕も結構苦労しているわけですね。
「サラリーマンであればそんな事日常茶飯事!それを耐え忍んで這い上がっていくんだ!」という人もいるかと思いますが、そうであるならば僕はサラリーマンには向いていないのでしょう。僕は内勤ですが、営業とかやったら初日で辞めていると思います。

 

鈴木さんのブログ本を読んでブログをやることを決意

そんな折、ネットで「お金を稼ぐ方法」等を検索していて辿り着いたのが、下記の本。

 

 

 

これを読みました。「月に5万円では会社は辞めることはできないなぁ…」とは思いましたが、読み進めていくうちにブロガーやアフィリエイターには専業でやっておられる方もいることを知り、中にはすごい収益を上げている人もいる、という事に気付かされました。

またこの本は筆者の鈴木氏の説明の仕方がとても上手で、はてなブログへの登録の仕方や、記事の書き方、初歩的なマネタイズの仕方、入れるべきツール等が網羅されていました。
最初は取り敢えず「好きなことをブログで書いてみよう」と書かれていたので、こうして僕は好きなピアノに関する記事を中心に取り敢えずはてなブログを始めることにしたのです。

 

 

この半年間のブログ運営で起きたこと

自分の中の「承認欲求」の発見

最初のうちは当然アクセスがない状態でしたが、それでもブログを更新する度に何人かの人が見に来てくれて、感謝したのを覚えています。それと同時に「もっと書きたい、もっと承認されたい」という自分自身の欲求にも気付かされました。

それまでの自分は「できれば目立たず、人前にも出たくない」という人間だったので、自分の中にそんな気持ちがあるとは思っていませんでした。

 

ブログを書くと精神が安定することを発見

面白い事ですが、文章を書く事によって精神が安定する事を知りました。これ本当なんですよ。文章を書く、という行為は「心(潜在意識)の中にある整理されない事柄をアウトプットする」という事で、普段の生活でも自然とある事象に対してこの「言語化」をするようになり、精神が安定するのです。

例えば「あの上司は何故僕を叱責したのか?」と客観的に分析出来るのです。今までの自分であったら無意識とか潜在意識の中でなんとなく「嫌な上司だ!」とか「 僕は悪くない」と感情的な「イメージ」を抱いていたものが、言語化する事により「僕の作業が遅かったためである、遅くて納期に間に合わせなくては仕事として成り立たない、お客様との取引も無くなってしまうかもしれない、そうなれば上司もさらにその上司から叱責を食らうだろうし、この叱責は正当な事であるetc…」と納得させる事ができるようになったのです。

 

少し話は変わりますが、僕は鉛筆や筆等で書くこと以外は全て左手で行う、「利き手を使い分ける人間」です。ボールを投げたり、歯磨き、ひげ剃り、箸等は皆左手で行います。

なので、左利きの特徴とかを調べた事があるのですが、「左利きは右脳をよく使い、右脳は恐怖に敏感である」という記事をいくつか見かけました。下記のような記事ですね。

左利きに関する10の科学的事実 : カラパイア

こんな記事を読み、「イメージを言語化しないから、恐怖を感じるのではないか?」という仮説を勝手に立てました。

この仮説の検証は、またブログにて行いたいと思いましたが、経験則では「言語化をすると精神的に安定する」という事が言えます。まさにブログを書くことはもってこいなのです。

 

ブログの存在が身内(弟)にバレる(汗)|2ヶ月ほどブログを更新しなかった

ブログを初めて2ヶ月経たない頃、弟からLINEで「ミヤガワ日記見たぞ」というメッセージが送られてきて、頭が真っ白になったのを覚えています。

実は僕は元々youtubeのアカウントを持っており、ピアノの演奏動画等を投稿していたのですが、そこにこのブログ「ミヤガワ日記」のURLを貼ったのが悲劇の始まりでした。youtubeのアカウントは弟も知っていたので、そこから辿ってきたとの事。

Y Miyagawa - YouTube

 

僕は「見るな!」と言ったのですが、全世界に発信されている以上これは仕方が無い事です。

この事により、僕は心に浮かんだ思った事や、主観的な感情の吐露等を自由に表現する事を奪われてしまった気分になりました。非常にフラストレーションが溜まりました。

身内でなければ全然大丈夫なのです。
例えばの話、小学生の頃に同級生と喧嘩をしたり、同級生からいじめられているといったような事を他の兄弟が見聞きし、家に帰って両親に告げ口されたらなんか嫌でしょう?

こういった意味で実名でブログをされている人は本当に強いなぁ、と思います。身内に「お前のブログ、炎上しているけど大丈夫か?」とか言われてしまうのは勘弁です。

一時期はサーバーを契約して、新しいドメインでやろうか?と本気で考えていましたが、蓄積された駄文記事にも愛着があり、読者の人々もスターをくれたりするはてなブログのシステムが好きだったので結局はこちらで残すことにしました。しかしながら、再開までに1ヶ月半を要しました(10月1日〜11月半ばまで)。その間、もちろんブログの更新は0です

身内にバレても更新し続ける、強靭な精神が必要、という事もこの時に知りました。(実際には実名でない限り、バレる事は少ないと思います)

 

 

PVについて|ほとんどが検索からいらっしゃっている

 

最近のPVについて

PVの変化

 

上の画像は今年に入ってから、1月21日までのPVの変化です(Google Analyticsよりキャプチャ)。1月15日時点での記事数は27記事(少なっ!)

1月に入ってから日当たりのPVが100を超えるようになってきました。注目すべきは「検索からの流入が多い」という事です。上記のオレンジ色の線が検索からのPVなので、ほぼ検索から人々がいらっしゃっている状態です。

何故なのか?

これの答えは簡単で、「ブログの題名を注意して決め、かつブログの内容を一致させたため」です。
当たり前といえば当たり前ですが、これにより「その情報を欲している人に、その情報を届けることが出来る」という事です。

 

例として、僕が行ったコンサートの感想をブログで書いたものが上位表示された事を取り上げます。

 

yahooの検索結果

上の画像はyahoo!の検索結果ですが(googleでもほぼ同じ)、「アンスネス 所沢」と検索すると、僕の記事が2つも出てきます。5位と6位ですが、その上の記事はチケットサイトや、公演情報なので、ブログとしては僕のものが一位といっても良いでしょう。

 

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僕も好きなピアニストのコンサートに行けなかった時に、「一体どのような演奏をしたのか?」気になってネットで調べたりしますが、このように、「題名を内容と合わせる」と言う事と、「自分だったらどのような言葉で検索するだろうか?」と言う事を考えて題名をつける事が「本当にその情報を必要としている人にその情報を届けるために必要」という事が分かりました。

もしこの題名が「プロのピアニストってすごいですね」とか「コンサート試聴記その13」とかであったら、これほど検索はされなかったように思います(すごいドメインパワーがあるとか、人気の評論家でない限り)。

 

1月15日のバズ(検索急上昇)|テレビの力はやはり凄い

Google Analyticsのグラフですが、1月15日に千に近い969PVを出しています。実に普段の10倍近く。この過疎ブログでもバズがあったのです。 

この日に何が起こったか?というと、まず朝の9:30にテレビ朝日の「題名のない音楽会」が超絶技巧のピアノ特集だったのですが、それについて2時間程度で頑張って記事を書きました。もちろん、検索されやすい題名にしました。

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あと、この日の夜9:00からのNHKの「クラシック音楽館」で、ピアニストのアンスネスによるシューマンのピアノ協奏曲が放送されました。昨年の11月19日のNHKホールでの演奏模様です。

僕は下記記事のように、この日の(正確にはこの日の次の日の同演奏)生の演奏を聴いており記事にしておいたので、その記事にアクセスが集中しました。

piano6789.hatenablog.com

 

そんな訳で、この日は普段の10倍程度のアクセスがありました。自分でも驚きましたが、改めてブログの可能性を感じました。

クラシック音楽は「斜陽産業」なので、元々聴く人の母数が少ないのですが、それでもバズは発生するのです。これが今流行のアイドルとかジャニーズとかだったら?と考えると恐ろしいですね。

この時に感じたことはテレビの力はいまだに凄い、という事です。気負う必要は無いですが、バズを発生させるには先を読む力、これから何が流行るか?等を考える事も大切と思いました。

しかしその後は順調に下り続けて「元の木阿弥」状態になりつつあります。1月17日にあった「ブログコンテスト」の結果発表を加味しても、バズがあった15日からは下がっています。

僕の方針としては、バズを狙う、というよりは「息の長い、いつまでも読んでいただける記事を書く」というほうが合っているような気がするので、気負わず記事を書いていきたいと思います。 

それにしても、記事数が未だ27記事しかない、というのは問題ですね。半年間何をやっていたのだろうか?記事を量産するという事も考えていきたいところです。 

 

アドセンス成績、アフィリエイト成績等について

はい、当然ながら雀の涙程度です。ざっくりですがアドセンスが1ヶ月あたり50円いけば良い方、アフィリエイトは変動がありますが、これも50円程度。この2つの成績を合わせて1ヶ月あたりの収入は100円でございます。

ブログを書くためにカフェに行って、300円のコーヒーを飲んだら、それだけで赤字という事ですね。コンビニのコーヒーでトントン位でしょうか?しかも1ヶ月に1杯しか飲めません。

以下に理由を列挙します。

  • 記事数が27と圧倒的に少ない
  • 魅力的な記事が書けていない
  • そもそも「音楽」と言うジャンルの収益性が低い

上記のようになります。細かい分析はまた別の機会に。

 

 

アフィリエイトをすることの是非

音楽への冒涜ではないか?

音楽への冒涜、これは僕のやっているアフィリエイトに関して感じたことです。先程も記しましたが、人気の音楽家についての記事を書き、その最後にCD等の紹介のアフィリエイトリンクを貼り付けています。

この行為が許される事なのか?僕は大いに悩んでいました。純粋に紹介したいのであれば、アフィリエイトリンクではなく、普通のリンクにすれば良いのでは?と。

商売人であったら、「そんな事は当たり前。情報を売っているのだから、その対価としてお金を頂く」 という発想になると思いますが、良心の呵責がやはりあります。

ただ一つ自分の中で感じたこと。それは「実際に使用したり、経験した事を記事にした時は自然とアフィリエイトリンクの紹介が出来る、良心の呵責もあまりない」という事です。

コンサート等に足を運んで、実際に音楽を生で聴いた事を記事にした時には、あまり良心の呵責が無い事に気づきました。つまり「自信を持って勧められる」からだと思います。

考えてみれば、素人と玄人の違いがあるにせよ音楽評論家という人種は同じように音楽を聴いて記事を書いて、収入を得ている訳です。情報を売っているという事です。

音楽に関わらず、モノを売るという行為にはそういった側面がある事を再認識しました。

これからは音楽に関わらず、「本当に紹介したいものだけを然るべき人に紹介する」という事に徹したいと思いました。

 

アフィリエイトするならSEO対策をすべき本来の意味

一つには「検索上位になると集客ができ、アフィリエイトで買ってもらう事が出来るから」という事があると思います。

僕はこれは考え方が逆だと思いました。正確には
「自分の書いた記事を、それを欲する人に届けるために検索上位させる」ですね。

例えば、音楽に全く興味の無い友人のA君に「このCD良いですよ、買ってね」と勧めても、押し売りみたいで良心の呵責に苛まれます。A君も怒ってしまいます。

しかし、音楽に興味のある友人のB君に体験談とか話しながら紹介すれば逆に「良いことをしたなぁ」という気分になります。B君もきっと喜ぶでしょう。

この場合、B君にその情報を届けるために、そのためにこそSEOがある、という事に気付かされました。僕のような「気の弱い人間」こそ、アフィリエイトをするのであればSEO対策は絶対にすべきだと思います。

 

 

 

今後について|会社を辞める事はできるか?

 

辞表

 

ブログ運営のキッカケの一つは先に記した通り、「お金を貯めて会社を辞める」という目標によるものでした。しかしながら、月に100円しか稼げていない現状、会社を辞める事は出来ません(泣)。

 

今後はこのブログも残しつつ、サーバーを契約してドメインを取り新しくゴテゴテの「特化型アフィリエイトサイト」を作成したいと思います。扱う商品は決まっていませんが、その際も「その情報を欲する人に届ける記事を書く」という大原則は守りたいと思っています。

そして、いつの日か会社に辞表を叩きつけます!

 

お金の話、アフィリエイトの話が中心となってしまいましたが、はてなの読者登録から来てくれる皆さま、はてなから検索してきてくださる皆さまには大変感謝をしております。苦しい時にいつも励みになってくれています。

「検索でそれを必要としている人に記事を届ける」とは書きましたが、皆さまのサイトを拝見させていただくと、自分からの検索では得られない「新しい発見」が多々あります。
こういう事を考えている人がいるのか!とか、このサイトの構成が美しい、といった発見ですね。こういったある種「偶然の出会い」がある事もネットの面白さですね。

読んでいただきありがとうございました!

 

 

 

 

「題名のない音楽会」に出演した森下唯氏と福間洸太朗氏のピアノ演奏を聴いて

以前のエントリ「NHK-FM きらクラ!に森下唯さんとピアニート公爵が出演した感想」で、森下唯さんと生き別れの弟であるピアニート公爵の弾くアルカンの「鉄道」について書いた訳ですが、本日(2017/01/15)のテレビ朝日の「題名のない音楽会」に森下唯さんと福間洸太朗さんが出演して素晴らしいピアノの超絶技巧を聴かせてくれたので、その感想を書きたいと思います。

目次

 「題名のない音楽会」この日のプログラム「難しいピアノ曲を弾く音楽家たち」

  • ♪1:「チョップスティックス ハンガリー狂詩曲風」より

    編曲: 萩森英明
    ピアノ連弾: 福間洸太朗 / 森下唯

  • ♪2:「火の鳥」より『凶悪の踊り』

    作曲: I.ストラヴィンスキー
    編曲: G.アゴスティ
    ピアノ: 福間洸太朗

  • ♪3:練習曲「鉄道」

    作曲: C.V.アルカン
    ピアノ: 森下唯

  • ♪4:「イスラメイ」(東洋的幻想曲)

    作曲: M.A.バラキレフ
    ピアノ: 福間洸太朗

(以上、題名のない音楽会公式ウェブサイトより引用)

 

まず「難しいピアノ曲を弾く音楽家たち」という副題の付け方が素晴らしい。いかにも僕のような「難しい曲は弾けないが難しい曲に憧れを持っている自称ピアノ弾き」が視聴したくなってしまう内容ではないか!

また、難しいピアノ曲は得てして「演奏効果が高い、聴衆を熱狂させる」ようなタイプの曲が多いので、一般のクラシックを聴かない層にも浸透すれば良いなぁ、と思って見ていました。

 

森下唯さんの演奏は以前のエントリにも書いた通り、生演奏は聴いたことが無いですが、ニコニコ動画や、ピアニート公爵名義のCDでその演奏に触れていたので、その超絶技巧っぷり、ヴィルトゥオーゾ全開の演奏を期待していました。

 

福間洸太朗さんに関しては2009年に与野にある「さいたま芸術劇場」で生演奏を聴いた覚えがあるのですが、端正な演奏だった事は覚えているのですが、曲目は失念しました。おぼろげながら今回のプログラムにある「イスラメイ」を弾いたような気がします。

ただ、その時感じた僕の主観的な感想の記憶は強く残っていて、それは名前に「洸」という美しい文字があったから。当時帰りの電車でプログラムを見ながら思ったことは「この、洸という文字通り、まるで綺麗な水を通ってきた光のイメージの演奏だったなぁ」という事です。

洸という字のイメージ

(「洸」という文字で勝手に↑のような映像を想像した)

 

こんな感じで、両者の演奏をかなり楽しみにしていました。

以下、曲目ごとの主観的な感想です。

 

チョップスティックス ハンガリー狂詩曲風

この曲はよく小さい子供が弾いている、指一本で弾ける「チョップスティックス」をリストのハンガリー狂詩曲風に連弾アレンジしたもの。森下氏と福間氏の連弾です。

お二人とも指慣らしといったところでしょうか。僕のような素人が練習してもできないようなパッセージをさらっと弾いてくれます。森下氏が最初上声部を弾いていて、途中移動して下声部を弾き始め、面白い曲だなぁと思いました。 

 

火の鳥」より『凶悪の踊り』

福間氏の演奏。超絶技巧満載の演奏でしたが、不思議に耳障りな、うるさい音がしない。この曲は元来オーケストラの曲なのですが、オーケストラの楽器毎にピアノの音色を変えるというすごい技をやってのけました。両手跳躍で離れた音を出すときに腰を浮かしていたのが印象的でした。やはり、ピアノというのは身体全体を使って弾くものだと、改めて感じました。

驚嘆すべきテクニックでしたが、それ以上に音楽性や、感性の素晴らしさを感じました。 

 

練習曲「鉄道」

森下氏の演奏。以前のエントリ

 

piano6789.hatenablog.com

 にも書いた通り、この世の中で出回っているアルカンの「鉄道」の演奏の中で最高の演奏だと思いました。技術が足りない事によってゴツゴツしてしまうという部分がなく、さも当たり前のように滑らかに演奏が進んでゆきます。アルカンの時代ののどかな鉄道の表現に加えて、現代的な「新幹線、或いはリニアモーターカー」のようなものも連想させました。

全体的に右手が16分音符の無窮動なのですが、左手の同音連打も驚嘆すべきテクニックですし、最後の方の「鉄の塊が突き進む様子」の部分は鬼気迫る何かがありました。

アルカンも引きこもりのオタクだったそうですが、そのアルカンへの愛を熱心に語る森下氏にも良い意味で「オタク」的な部分が見て取れました。

 

司会の五嶋龍さんも「申し訳ないけれど、さっきから笑いが止まらない」と言っていましたが、確かにそれほど素晴らしい超絶技巧でした。

福間洸太朗さんも森下唯さんも「超絶技巧をツールにして音楽の表現、本質に迫る」という意識をもっており、賞賛すべき点だと思いました。

「イスラメイ」(東洋的幻想曲)

福間氏による演奏。
まず、この曲が古今東西の難しい曲トップの部類に入るにも関わらず、聴いている方は良い意味で難しさを感じませんでした。あまりに難しいことを平然とやってのけていることと、第一に音楽の表現を優先させている演奏であったからです。

まず、フレーズとフレーズの間にある「間」のとり方が絶妙でした。ブレス(呼吸)ともいいますか。あと、静かになる部分と動きのある部分の対比の表現。非常に冷静にこの曲を観察し、表現したとても端正な演奏でした。

余談ですが、オクターブのグリッサンドをやっている人を上からの映像で始めて見ました。 

 

 

最後に|ヴィルトゥオーゾとは何か?両者はヴィルトゥオーゾか?

 

 ヴィルトゥオーゾのピアニスト

ヴィルトゥオーゾ(ヴィルトゥオーソ、名技的巨匠)という言葉で僕がイメージするピアニストはヴラディーミル・ホロヴィッツです。超絶技巧の持ち主で、カリスマ性もあり、聴衆を熱狂させる音楽をステージ上で創造できる人々。時として楽譜を書き換え、演奏効果を最大にする人々。多少のミスさえも音楽の中に溶け込み、バカでかい雷鳴のような音から、ささやくようなピアニッシモまでダイナミックレンジが広い人々。

(全くの私見ですが、ホロヴィッツの他に、現代だとヴォロドス、カッアリス、ランラン、ユジャ・ワン等がこちらの部類)

このような人々の弾くコンサートやCD等を聴いていると、胸がスカッとして、やはり熱狂します。
変な例えですが、「ロックコンサート」のようなものを聴くイメージでしょうか?
アッパー系の脳内物質が分泌されるような気がします。

 

ヴィルトゥオーゾではない感性系ピアニスト

対して、以前のエントリ(2016.11.23 「彼は正統派か?」アンスネスのピアノリサイタルの感想(於:所沢アークホール) - ミヤガワ日記)に登場したアンスネスなどは、技巧は完璧ですが僕はヴィルトゥオーゾでは無い、と考えます。彼はまず「音楽そのもの」について考える人で、聴衆が喜びそうな、恣意的なフォルテシモを出したりはしません。楽譜も考え無しにはいじりません。
職人的、感性系といってよいかもしれません。

(全くの私見ですが、アンスネスの他に、ペライア、シフ、ルプー等がこちらの部類)

このタイプの演奏家の演奏を聴いていると、作品の解釈に感心することが多いです。静かな興奮とでも言うのでしょうか?
ダウナー系の脳内物質が分泌されるような気がします。 

 

森下唯氏と福間洸太朗氏のピアニズム|新しい時代のヴィルトゥオーゾと感性系

ヴィルトゥオーゾ系、感性系と、数多いる音楽家をその演奏スタイルで2種類にカテゴライズする事は到底できませんが、至極大雑把に代表選手を私見で上げてみました。

そして、僕はこのどちらのタイプも好きです。時と気分によって聴く方を決めます。

 

ヴィルトゥオーゾピアニスト

 

では、森下唯氏と福間洸太朗氏はどのようなタイプのピアニストなのか?まず、二人の共通点(というか、特に日本の現代演奏家の共通点)として言えるのは「技術は完璧」という事です。

その昔、アルフレッド・コルトーが来日してコンサートを開いた際、聴いていた音大生が「私のほうがうまく弾ける!」と言ったそうですが、確かに往年の名演奏家の中にはミスタッチが多かったり、演奏にムラが有る人が多いような気がします(録音技術の発展が関係しているかもしれませんが、コルトーのCDを持っていますが詩情は豊かですがミスタッチ多いです)。
もっとも音大生と名巨匠のコルトーと比較するのは馬鹿らしいことだと思いますが…。

 

現代の演奏家である森下氏、福間氏のもう一つの特徴、それは「一つ一つの音を疎かにしない」という事です。現代の演奏家は細部にこだわりがありますね。多分ミケランジェリや、ポリーニあたりから、その傾向が強くなってきたのかもしれません。

昔の演奏家はもっとノンビリというか、曲全体をマクロな目で捉えて大きく曲想を作っていくというタイプが多い感じだったのですが、今日の演奏家はコンクール等でも精度が求められているためか、非常に精度の高い、ミスの少ない洗練された演奏をします。まさしく「神は細部に宿る」ですね。

 

さて、そのような特徴を備えているお二人ですが、

森下唯氏は「新しいヴィルトゥオーゾ」、福間洸太朗氏は「新しい感性系」と結論付けます(全くの私見です。反論歓迎)。

 

森下氏の演奏は基本的にはヴィルトゥオーゾ寄りの演奏ですが、決して強弱とか表現を疎かにしている訳ではありません。
しかし、アルカンへの愛に溢れる演奏はヲタク的な狂気を感じました。この「狂気=デモーニッシュな感覚」というのは従来のヴィルトゥオーゾピアニストの演奏にもよく見られた感覚です。

 

福間洸太朗氏の演奏は基本的には音楽に寄り添った、感性重視の演奏だったと思います。このことは決して技術が足りないという事を言っているわけではありません。
技術は音楽表現をするための手段であって目的ではない」という事をよく分かって弾いている人という印象を受けました。その上で、楽譜を細部まで読み込み、端正に音楽へと昇華していく様に感銘を受けました。

 

現在の日本には超優秀なピアニストが沢山いますね。とても良い番組で満足しました。

読んでいただきありがとうございました。 

 

 

 森下唯さんの最新アルバム。テレビで披露されたアルカンの「鉄道」も収録されています。

 

福間洸太朗さんの最新アルバム。 

福間洸太朗さんのロシアものアルバム。テレビで披露されたバラキレフの「イスラメイ」も収録されています。

 

パソコンのタイピングがうるさい人はピアノを弾いて矯正して下さい

今年もよろしくお願いします。

新春からこんな記事ですが自戒の意味も含めて書きたかったので書きます。

 

パソコンのキーボード

 

コメダ珈琲店でものすごい勢いでノートパソコンのキーボードを叩く人を見て

先日近所のコメダコーヒに、新しく買ったMac Book Pro 2016 Lateを持っていって(ドヤ顔をせずに)ちょっとした書類を作っていた時の事。

後ろの席の方から、「パチパチパチパチ…ッターン!」というパソコンのキーボードの打鍵音がものすごい音で聞こえてきました。

どうやら、僕と同じようにカフェで仕事をしている人のようで、その打鍵音から察するに、その方のパソコンは僕と同じMac Boook Proの最新版のようでした。このパソコンは、一部で「打鍵音がパチパチうるさい」と不評なのですが、なるほど、こうやって他人がバシバシとパソコンのタイピングを行っている時の音を聞いていると、「確かにうるさいなぁ…」と思いました。

 

そもそも自分も含め同罪ですが、「カフェでパソコンを持ち込んで仕事をする」という事自体悪い事のように言われていますが、それはさておき、「自分のタイピングの音も他人に迷惑を掛けているのでは?」と心配になりました。

そこでその場で、打鍵音を小さくするべく優しくキーにタッチしてみました。

確かに打鍵音は小さくなりました。しかしながら、優しくタッチすると、打ち間違いが多々発生しました。周囲を気にしてキーに付かず離れずの微妙なラインでタイピングしているためか、キータッチで押すべきキーが「抜けて」しまうのです。

下記のように、「n」のキーが打鍵漏れになってしまうために、「しまうのです」が「しまうおです」になってしまうおです。

  • しまうおです。←しまうのです。
  • simauodesu←simaunodesu

このような状況に何度も陥り、その度に打ち直していたので、書類作成に時間がかかりました。

 

 

職場にもいる打鍵音がうるさい人々と、ピアノ音楽表現との共通点

このことがあってから、職場でもタイピングの音が気になるようになってしまいました(仕事に集中しろよ自分…)。

職場のパソコンはデスクトップタイプで、キーボードのキーが深いので、「カシャカシャ」といった音がします。しばらく観察したところ以下のタイプがいたので、ピアノ音楽との関連も交えて、列挙します。

 

  • エンターキーだけうるさい人

いわゆる「ッターン!」という感じで改行キーを叩く人ですね。このような人々は段落の区切り、あるセンテンスの区切りで「やり切ったぞ」的な感じでエンターキーを叩いています。ここでエンターキーはある種、「作業のリズム」を作ることに加担しています。

ピアノ音楽で言えば、最後の音がフォルテで決然と終わる、ある種「英雄的なタイプ」ですね。

下記の画像はラフマニノフの「楽興の時op.16」の4番です。

最後の小節、スフォルツァンドに加え、フォルテが4つもついていますね。曲全体を通してこれ以上の大きな音を出す表象記号が無いことから、盛り上がって「この曲がこの部分で終わる」という事を示しています。

ラフマニノフのピアノ曲

 

  • deleteキー連打、もしくはスペースキー連打する人

とにかく同じキーを連打している人を見かけます。この人々は、タイピングのミスを修正するために猛烈にデリートキーを押して文字を消している人、或いは変換機能がしょぼいのか、目指すべき文字に変換できない人が、猛烈にスペースキーを押して変換文字を探している人です。

いずれもスマートとは言えませんが、強いて言えば、ピアノ音楽で言うところの「同音連打」という事になるでしょうか?

ピアノで同音連打をする時は一音一音指を変えて打鍵するのですが、音が自然と大きくなってしまう場合が多いです。

下記の画像はラヴェルの「クープランの墓」からトッカータです。

最初の2小節は同音連打ですが、これを綺麗に揃えて小さい音(この場合ピアニッシモ)で弾くのは難しいです。

ラヴェルのピアノ曲

 

 

  • パソコンのキーボードに一旦指を滑らせてから打鍵する人

これは僕の職場にいるある女性だけの癖かもしれませんが、パソコンで打鍵する前に一旦キーボード上に「シュッ」と指を滑らせて「リズム」を作っている人がいました(この人はとても性格が良い人なので個人的には許せます(笑))

もし深く打鍵すれば「あqwせdrftgyふじこ」となる、アレですね。

癖なので仕方がないと思いますが、この方もこの動作をすることでキーボードの定位置(FとJに人差し指がくる)を確認して、かつこれから始まる打鍵の準備をする「リズム」を作っていました。

ピアノ音楽で言うところの「グリッサンド」ですね。

下記の動画はプロコフィエフの10の小品op.12より第7番「ハープ」です。
グリッサンドは0:55あたりから)

www.youtube.com

 

  • 最初から最後までとにかく打鍵音がうるさい人

「カシャカシャカシャカシャ…」とにかく絶え間なく大きな打鍵音が、リズムも悪く、強弱も無く鳴り響く…。

これは実は僕の事です(笑)こういった人はまず、「ブラインドタッチ」が出来ていません。いちいちキーボードを見ながら打鍵するので、指の「定位置」という概念が無いのですね。

定位置に指を置いておけば何も指を上から振り下ろさなくても「押し込む」という動作だけで打鍵が出来てしまいます。こういう事が出来る人のキーボードの打鍵は比較的静かで、かつ速いです。

実はこのことはピアノを弾く上で最も重要な事なのです。これが出来ていない人は(僕も含めて)最初から最後まで何の強弱も無いので音楽的でもありませんね。

つまり該当するピアノ音楽は「無し」です。

音楽的でないので絶望する人

 

  • 番外編:打鍵音が全く聞こえない人

キーボードの打鍵音が全く聞こえない人。仕事していないんじゃ?そもそもその人自体が存在しているのか?僕が見ているのは幻か?

強いて言えば音楽で言うところの「ジョン・ケージ4分33秒」でしょうか?(笑)

www.youtube.com

 

 

 

 

 

打鍵音がうるさい人はピアノを弾いて矯正するべき理由

上記にも記述しましたが、打鍵音がうるさい人は基本的にブラインドタッチが出来ていない人が多いです(僕も出来ていないです…ハイ)。

ブラインドタッチの基本は

「指の位置を定位置に置いて、打鍵するキーと対応する指を決めておく事、叩くというよりはむしろ押し込むといった動作に近い事」

だと推測されます。

まさしくこの能力はピアニスト、ピアノを弾く人に要求される能力であり、ピアノを弾く上での基本とされる能力です。

 

 

ピアノ初心者の指の動きを見ていますと、ある音を弾く前にその音の上に指が準備されていない事が多いです。特に跳躍と呼ばれる、今ある手のポジションから離れている鍵盤を打鍵する場合に多いです。

跳躍の音型での初心者の動きは指だけを離れた音に持っていこうとしますが、プロのピアニストを見ると、まず手そのものを離れた音の位置に素早くもっていき、その後安定した指で当該の音を打鍵します。

 

例として、ショパンノクターン第8番op.27-2の第一小節ですが(下記画像)、プロの演奏を見ていると、左手の一音目の小指でレのフラットを弾いた後に素早く手のポジションを右側に移動して、その後、二音目のファの音を親指で静かに打鍵します。

僕のような素人がやると、一音目を弾いた後に親指だけをファに向けて猪突猛進で向かっていってしまい、結果として「大きな、汚い音」が出てしまいます。

ショパンのノクターン第8番の楽譜

 

もう一つ、打鍵をする上で注意があります。出来るだけ鍵盤(パソコンのキーボード)から指を離さないようにする事です。

ピアノ初心者はこれが出来ないことが多いです。ある指を使って打鍵した時に、他の指が鍵盤から離れてしまう事によって他の指による次の動作が遅れるとともに、鍵盤から離れた位置から指を振りおろす形になるので、「大きな、汚い音」が出てしまいます。

 

ピアノを弾く上で大切な基本的な動きは、下記の画像のように鍵盤に全ての指を置いておき、

鍵盤に指を全て置いた状態

 

中指だけ打鍵をしようと思ったなら、中指だけを動かして、叩くというよりはそのまま押し込む感じで打鍵をします。その際、他の指はポジションが変わらないまま、つまり動かさないのです。こうする事で、例えば次に薬指で鍵盤を打鍵するといった際に、薬指が鍵盤から離れていないので遅れず、スムースに打鍵できます。(下記の画像)

中指だけで打鍵した状態

 

もっとも、この動作をマスターするためには「指の独立」が重要です。初心者は薬指とか小指を動かそうとすると他の指がつられて動いてしまったりします。

そこで、以前のエントリーでも紹介した

ピシュナ 60の練習曲 解説付 (坂井玲子校訂・解説) (Zenーon piano library)

 等で練習する事を強くオススメします。

 

以前のエントリー 

piano6789.hatenablog.com

 

(注:もちろんこういった指の動きは「基本」なので、実際にピアノを弾くときには様々な音の出し方、弾き方があります。上から振り下ろして渾身の力でフォルテシモを出す、といった事もあります。しかし、基本的には上記のような動きが出来ないと、ピアノは弾けないと考えます)

 

このように、パソコンのキーボードのタイピングと、ピアノの打鍵には深い関係があります。

どちらも、キーボードなり鍵盤から指を離さず、指が吸い付いたような形が基本となります。どの指でどのキー(鍵盤)を打鍵するかも、あらかじめ決めておきます。 

 

 

スタジオのピアノ

 

 

自分でもピアノを演奏してみた、がしかし…

さて、そんな事も踏まえて、正月の1月2日から、ストイックな僕はピアノのあるスタジオに行って、自分の演奏を録画してきました(暇だという説もある…)。普段は家に電子ピアノしか無いので、スタジオにあるグランドピアノを見ると正月早々テンションがあがりましたよ。 

そして出来た動画がこちら

www.youtube.com

(頑張って犬の絵も描きました。でも今年は酉年でしたね…。ニワトリを描くべきでした)

曲はショパンノクターン第8番 op.27-2です(最近こればっか取り上げています汗)

まぁ、小さい頃バイエルで挫折して、大人になってから再開し、現在独学なのでこんなもんでしょう。恥を忍んで動画をアップしました。

今回、ノクターンという比較的「静かな打鍵」が要求される曲を練習してみて、発見が沢山ありました。

  • あまりにも静かに弾こうとすると、音が鳴らない(タイピングで言えば、タイプすべきキーが漏れる)
  • 素速く指を動かす箇所では、指の独立が出来ていないため音が大きく、乱暴になってしまう(タイピングでも同じ)
  • 全体の構成が頭に入っていないため、次の音を探してしまう(タイピングで言えば、どの指でどのキーをタイプするか決まっていないのと同じ)

まぁ、無理矢理ピアノとタイピングを結びつけた感がありますが(笑)、やはり似ているとも思いました。

 

 

終わりに…もっとしなやかにタイピングを行うためにピアノを弾こう

何というか、タイピングの成果物は「文章」であって、ぶっちゃけ打鍵音がうるさくても周りが認めてくれればOKなわけです。流石にカフェ等では顰蹙ですが…。

しかしながら、ピアノの場合、成果物は「音楽」であり、打鍵の強弱がそのままダイレクトに成果物に影響します。表現とか、芸術といった問題も解決しなくてはなりません。

つまり、ピアノの方が単位時間あたりに処理すべき事柄が圧倒的に多いのです。

 

ここで、今までの事を総括して次が成り立ちます。

タイピングができればピアノが出来るとは限らないが、ピアノが出来ればタイピングが出来る(異論は認めます)

ピアノが出来るようになれば、カフェとかでパソコンを使う時にも小さな音でかつ高速でブラインドタッチが出来るようになるでしょう。

パソコンのタイピングがうるさいあなたも今日からピアノを弾いてみませんか?

読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

【北陸旅行記】富山県の寂れた高岡市と富山市の世界一美しいスタバ(2日目)

前回の記事(石川県の和倉温泉と金沢)

 

piano6789.hatenablog.com

 

の続きです。

中年男二人(A先輩と僕)の北陸旅行の二日目は、金沢を出発して、富山県の高岡と、富山に寄りました。

前回も触れましたが、特急等には特急券が必要ですが、乗車券はJR西日本の「北陸おでかけパス」を使うと、指定区内で途中下車が何度も可能で、乗車賃が安くなる場合があります。但し、土日のみ使用できるようです。

北陸周遊きっぷ

 

高岡という駅で降りて、前田利長公の菩提寺「瑞龍寺」を見学

「高岡」と聞いて、あなたはどのような事を思い出しますか?僕は小さい頃、漫画家の藤子不二雄先生の大ファンでした。一時期は僕も漫画家になりたい!と思った事もあります。

その藤子不二雄A先生の漫画に「まんが道」というものがあるのですが、藤子不二雄先生両氏の故郷がこの「高岡」であって、高岡の様子がよく描かれておりました。

日本海側特有の寒い冬、豪雪、立山連峰、古き良き街並み、等が描かれていたのですが、そんな風景を期待して、この高岡駅で降りてみました。

まずは山門等が国宝に指定されている曹洞宗高岡山「瑞龍寺」を見学するために、駅の南口を出ました。

高岡駅自体は比較的新しいのですが、南側に出た途端、例えば金沢のような活気が感じられず、歩く人も少ない状況に出くわして、いささか拍子抜けしました。

まあ、高岡のメインは「北口」なのだろう。どこの街でも駅を挟んで盛っている側と寂れている側があるし…程度に思って、取り敢えず瑞龍寺を目指しました。徒歩10分ほどで着きました。

 

高岡山瑞龍寺山門

(瑞龍寺山門)

 

高岡山瑞龍寺伽藍配置

(瑞龍寺伽藍構成。厳粛かつ整然としていて、すがすがしい)

高岡山瑞龍寺仏殿

(瑞龍寺仏殿)

 

高岡山瑞龍寺仏殿組物

 

長い参道を進んだ先に瑞龍寺はありました。入り口の受付で入館料大人500円を払って中へ。

江戸初期の建造らしいですが、山門の木組み(組物)の様子が素敵です。ミニマムな組物の連続体がしびれます。規格化された現代の建築には無い「細部へのこだわり」みたいなものがよく見て取れました。

 

奥の仏殿に進んでいくと、仏像の前で和尚さんが、観光客相手に瑞龍寺の説明をしていたので、ここでも飛び入り参加して聴くことにしました。

この和尚さんの話がとてもユーモアたっぷりで面白かったです(メガネを掛けた中肉中背の和尚さんでしたが、噺家みたいに話慣れているので、もし行く人がいたら是非聞いてみて)。

 

前田利長公は、本来、墓所を『神社』としたかった(つまりは神として祀られたかった)。しかし、時の権力者である徳川家が、『神』として『日光東照宮』を祀っている以上、大それた真似は出来ない。それで『寺』として祀ったが、この前田利長公の御位牌がある法堂の様子を見て、気づくことはありませんか?」

と和尚さんが言うので、何気なく視線を上に向けてみると、

高岡山瑞龍寺法堂

 

上記の写真のように、柱と長押が「神社の鳥居」のように浮かび上がってきました。これには僕もびっくりしました。

建築に施された、まるでダヴィンチコードのような秘密。建築にもこのような「メッセージ」が隠れている、という事を改めて感じました。奥が深い!

 

高岡大仏とかいう「日本三大大仏の一つ」を見学

次にA先輩と向かったのは、高岡駅の北側にある「高岡大仏」です。

ここに行くまでに瑞龍寺から高岡駅に戻って、駅の北側を10分ほど歩いたのですが、恐ろしく寂れていました。

何というか、例えば「田舎で建物も何もないような所は一瞬で寂れている感が分かる」のですが、この高岡の街は建物があるにも関わらず、その殆どがシャッターを締め、かつては栄えたであろう都会の街並みがまるで廃墟のようになっており、その寂しさは一層増しました。

高岡大仏

 (高岡大仏)

 

高岡大仏は上記の写真の通り。非常に端正な顔立ちをしております。大仏の台座の下に、天井の低いぐるっとひと回りできる回廊があり、地獄絵図等のちょっと不気味な絵が飾られています。

この場所にいた所要時間は15分も無いと思います。もっと見るものがあれば、もっと人が来る観光名所にもなるのかな?と思いました。

 

高岡の土蔵造りの街並みと、寂れた街並み

次に行ったところ、同じく高岡駅の北側に位置する「土蔵造りの街並み(山町筋)」です。高岡大仏から15分位歩きましたが、このような風景が通りに広がっています。

高岡土蔵造りの街並み1

 

高岡土蔵造りの街並み2

 

金沢の木のぬくもりのある茶屋の風景も良いですが、こういった土蔵でできたものも趣深いです。個人的には藤子不二雄A先生の「まんが道」にこのような風景が出てきたのが思い出されます。雪でも降っていればもっと風情があったかもしれません。

 

 

土蔵造りの街並みから人気のないアーケード街等を通ったりして、高岡駅に戻ります。

やはり、車の往来はあるものの、街は「形骸化」しており、およそ活気が感じられません。

富山県高岡市の街並み1

高岡駅に通じるアーケード。殆どの店が閉まっている)

富山県高岡市の街並み

 

北陸新幹線が開通してから、寂れたのか、それともその前から寂れていたのか分かりませんが、独特の「都市の空虚感」がありました。建物だけがそこに残ってしまった、建造物の静かな叫びが聞こえてくるようでした。都市全体がセピア色掛かって見えました。

このような一風変わった風景は現代の地方都市でよく見られるかと思いますが、高岡という街ではその廃れ具合が急速です(住んでいる方、すみません)。廃れた、寂れた街が好きな人にはオススメの街です。

 

 

富山駅に移動し、世界一美しいスタバを野郎2人で見る

高岡の風景をあとにして、富山駅に降り立ちました。流石に富山駅周辺は都会でした。まずはお腹がすいたということで、富山駅南口から30秒にある海鮮食堂へ。

http://www.sakana.toyama.jp

富山駅前の食堂の刺し身

A先輩と2人でしたが、お腹が空いていたので4人前のおまかせ刺し身盛り合わせを頼みました(4000円位)。券売機で食券を買って、食券のナンバーが呼ばれたら食事を取りに行く仕組みです。

これがとても美味しかったです。前日の食べ放題(前回のエントリ)なんかよりずっと良かったです。

マグロのトロも新鮮で、口の中でとろけました。

東京でこれだけの鮮度のモノを食べたかったら、もっとお金を払わなくては無理なレベルですね。あとは駅から近いという利便性の良さ。富山県民は毎日こんな美味しいものが食べられるなんて幸せだなぁ、と思いました。

 

腹ごしらえが出来たところで、富山駅の北口に行き、15分ほど歩き「世界一景色の美しいスターバックスコーヒー」を観光しました。

富山環水公園店 | スターバックス コーヒー ジャパン

富岩運河

(運河の展望台と、右側にあるのがスタバ)

 

富岩運河から立山連峰を見る

(展望台からは、公園の様子と、立山連峰が見える)

 

このスタバは富岩運河環水公園という所にあり、世界一美しいスタバとされています。

周囲は運河と公園で成り立っており、大変オシャレな感じです。周りを見渡すとカップルだらけで、A先輩と僕は完全に浮いていました(泣)。やはり前回も書きましたが、こういう場所には「可愛い女の子」と来たかったです…。

スタバ

スタバの建物も景観を壊さないシンプルなもので、モダニズム建築の旗手、大建築家のミース・ファン・デル・ローエの建物をパクっただろ!と叫びたくなるようなデザインでした。混んでいるのと、カップルだらけだったので、中には入りませんでした…。

 

先程の高岡と比べると、都市の息遣いが聞こえ、「都市を形成するのは人間である」という事がまざまざと分かりました。

 

終わりに

今回は、その後周遊切符を使って直江津まで鈍行で乗り継ぎ、そこから越後湯沢までまた鈍行の切符を買い、越後湯沢経由で、上越新幹線に乗り東京に帰京しました。

A先輩との中年男二人のムサ苦しい弾丸旅行でしたが、普段旅行に行き慣れていない僕にはとても新鮮で、良い体験ができました。様々な観光地を提案してくれたムサいA先輩に感謝しております(笑)。

ちなみに、A先輩はこの一週間後のクリスマスの三連休にも、東京→名古屋→金沢→大阪→滋賀→京都→名古屋→東京と一人旅をしていたそうです。どんだけ旅好きなんだ?金沢に二週に渡って行くほど好きなの?寧ろA先輩がブログ書くべきでは?と色々思いましたが、そのバイタリティには完敗です。

 

読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

【北陸旅行記】金沢で、古き良き「木津屋旅館」に泊まった事(1日目)

需要はないと思いますが、一週間位前に行ってきたムサ苦しい中年男二人での北陸(石川県の金沢と和倉温泉富山県の富山と高岡)一泊二日の旅が結構面白かったので書きます。

 

金沢駅鼓門

 

 

北陸旅行に行くことになったきっかけ 

僕と一緒に行ったA先輩は、高校時代からの知り合いです(といっても厳密には僕の友達の高校の先輩で、若い頃は3人で飲み歩いていたのですが、友達が宗教にハマってしまい、それ以来僕とA先輩はその友達抜きで飲んだりする仲です…)。

このA先輩がここ5年位、週末になると日本中を旅しています。北は北海道から南は沖縄まで、Facebook等で地方のマイナーな村や、都市の様子を見せてくれていました。一体いつ東京で仕事をしているのか?とこちらが不思議に思うくらい旅好きなようで、「旅行業務取扱管理者」の資格も取ったとの事。
そんな背景があり、10月位に一緒に飲んだ時、僕が「金沢とか行きたいっすね〜」と口を滑らせたばっかりに、「ミヤガワ、いつも休みの日に家に篭っていても仕方ないだろ。金沢一緒に行こうぜ」となって、クリスマスの一週間前の12/17(土)にモテない中年男二人で、一泊二日で金沢に行くことになりました。

 

過去の金沢旅行の思い出

僕自身は金沢は過去に一度行ったことがあり、是非また行きたい、と思っていました。


思い起こせば6年位前の、すがすがしい初夏の6月でした。当時東京から越後湯沢を経由して、金沢の大きな駅に着いたときには感動しました。ちょうど北陸新幹線の高架の工事をしていたように思い出されます。
当時の勤めていた会社の社員旅行だったのですが、その日は偶然にも「加賀百万石祭り」の前日で、夜は料亭のような居酒屋の2階から、浅野川に流れるいくつもの灯籠が見えました。水面に映る幻想的な灯籠、日本の良き風習。
こういう旅は社員旅行なんてものではなく、プライベートで来たい、と思いました。
次の日は朝から、街中の人々がビニールシートで道路の歩道を陣取り、祭りの行列が練り歩くのを待っているようでした。14時ぐらいに駅前の鼓門に行くと、勇壮で荒々しい太鼓の音と、笛の音が聞こえ、沢山の人々が色とりどりの格好をして金沢城に向かって行列(パレード)をしていきました。小学生位の小さな子供が法被を着て、はしごの上でポーズを決めていました(加賀鳶というらしい)。

そこには日本の原風景のようなものがありました。きっと金沢は空襲で焼けなかったので、このような風情が見つけやすいのかもしれない、と思いました。

 

今回の金沢旅行も、そのような風情が見れることを期待して行きました。

 

 

 東京駅を出発してあっという間に金沢へ

東京から金沢行きの切符

 

北陸新幹線はやはり速かったです。埼玉あたりは同じような街並みで、そのうちトンネルが多くなり(携帯が使えない)、長野の駅に着き、その辺りから雪が見え始め、またトンネルが沢山、といった具合。快適だったので途中寝てしまいました。上の写真の通り、2時間半位で着きます。

ちなみにA先輩は木曜日夜の夜勤を終えて、金曜日に東京を出発し、名古屋等を観光して名古屋方面から金沢に前泊していました(後で分かるが、前田利家ルートというらしい)。どれだけスタミナがあるんだ…。

 

まずは能登半島、和倉温泉の総湯へ

金沢に着き、A先輩と落ち合うと、まずは温泉!という事で、和倉温泉を目指してJR七尾線の「特急能登かがり火」に乗りました。能登半島は初めてでしたが、これといった特徴もなく、田んぼが広がった、普通の日本の田舎の風景が車窓から見えます。

 

途中面白い電車を発見しました。「花嫁のれん」という電車だそうですが、花模様をあしらった車体が綺麗でした。

のと鉄道花嫁のれん号

 

1時間ほどして和倉温泉駅に着いた時は、ちょうど雨が激しく、バスも20分位待たなければ来ない、という状況でしたので、仕方なく総湯までタクシーを使いました。駅から総湯まで1010円でした。

和倉温泉総湯

(総湯の写真、晴れてきた帰りに撮ったもの)

 

和倉温泉-総湯-

総湯とは、和倉温泉にある共同浴場であり、大人でも440円という格安の値段で入浴することができます。以下効能と温泉成分の一部引用

 

リューマチ
神経痛
痛風
婦人病
アトピーにも効果があります。
2倍に薄めて飲用すれば胃腸病や貧血病などに良いとされています。

源泉名 和倉温泉(5号源泉、8号源泉、10号源泉、13号源泉)
湧出地 石川県七尾市和倉町ヨ部79番地1
泉質 ナトリウム・カルシウム-塩化物泉(高張性弱アルカリ性高温泉)
泉温 82.7℃(気温22.0℃)
湧出量 990リットル/min(動力)
pH値 7.6(ガラス電極法)
蒸発残留 24.3g/kg(180℃)
電気伝導度 26.4mS/cm(25℃)

 

 入浴してみた感想は、とにかく「温まる」という事です。温泉の泉質が上記のようにナトリウム・カルシウム塩化物泉となっているので、口に入れるとしょっぱいです。まるで温かい海水に浸かっている感じです。男湯は湯船が4つ程度と、冷泉が一つ、サウナが一つとなっていて、天井が高いので広々した感じでくつろげました。外部に露天風呂もあります。

冬はやはり温泉がいいですね。十分温まって、帰りは駅まで歩いたのですが、温かさが抜けませんでした。

 

金沢に戻り、ライトアップバスに乗って夜のひがし茶屋を観光

金沢に戻り、お腹がすいたので駅前の商業ビルで「しゃぶしゃぶ、カニの食べ放題」というバイキング形式の店に入りました。これは結論から言うと失敗でした。カニは美味しかったですが、寿司は東京のそこらへんの惣菜と同じレベル。しゃぶしゃぶ食べ放題もついていましたが、これも普通。金沢に「肉」を求めるほうがおかしいですね。

そもそも、このような「食べ放題」を謳っている店は、地元の人が安上がりに済ますために行くべきであり、風情を楽しむ観光客向きではないですね。観光客は、「美味しい、その土地のものを、少量」頂くのが、良いと思います。

エキナカにある食堂等のほうが、よほど「金沢らしい」ものを提供してくれると思います。A先輩曰く「エキナカの店は、馬鹿にする人もいるけれど、海鮮モノとかはエキナカとは思えないほど普通に新鮮で美味い」と言っていました。そちらに行くべきでした。金沢に行くときは、どこで何を食べるか?口コミ等で決めていったほうが良さそうです。

 

駅前で今夜の宿である主計町にある「木津屋旅館」に行こうと思ったのですが、ちょうどよいバスが無いので、バス停あたりに立っていた係のおじさんに聞いてみると、

「これから出るライトアップバスというのは、普通は200円の運賃が300円だけれど、橋場町で降りると、ひがし茶屋街のガイドが付く」

と言われたので、乗ってみる事にしました。飛び入りOKとの事。

ライトアップバス|観光に便利なバス |北陸鉄道株式会社

橋場町というところで降りるとガイドのおじいさんが、夜のひがし茶屋や、主計茶屋を廻って色々説明してくれました。「尾張町尾張出身の前田利家が連れてきた商人を住まわせた街です」とか、「主計町茶屋とひがし茶屋は芸姑さんが何人いて…」とか、「茶屋は2階で芸姑さんが踊るので、2階のほうが1階より階高が高い」とかそういった話ですが、僕はあまり歴史に詳しくないので、「ほーん」位に思っていたのですが、歴史に興味がある人とか、レキジョの方とかにはとても面白いツアーになると思います。

 

ただ、僕は大学で建築を専攻していたこともあり、「茶屋の2階の階高が1階よりも高い」という話は、「人間の身体性とか行動によってその場が決定する建築」という事に少し興味を持ちました。

建築の形にもちゃんと「意味」があるという事。そして、人間が建築に影響を及ぼすと共に、建築が人間の行動を誘発させるという逆のパターンも存在し得るのではないか?等々、学生時代の課題のコンセプトじみたことを考えていました。

 

夜のひがし茶屋

(夜のひがし茶屋の風景)

 

 

夜の主計町茶屋の坂道

(夜の主計町茶屋の坂道。ここはガイドさんに連れて行ってもらいました)

 

 上記の写真の通り、主計町茶屋の細道はとても情緒が溢れており、観光に訪れた際は一度いってみると良いと思います。特に夜の坂道の雰囲気はとてもよいです。どこからともなく三味線の音や、人の笑い声が聞こえてきて、風情があります。

 

木津屋旅館に到着

上記の坂道からすぐのところ、主計町(かずえまち)茶屋の一角、浅野川のほとりに木津屋旅館はありました。僕ら中年男二人でも、女将さんは快く迎えてくれました。

この旅館は古くは茶屋の一つで、昭和18年から旅館として営業しているとの事。外観はお茶屋さんですね。

夜の木津屋旅館

(夜の木津屋旅館外観)

 

木津屋旅館部屋内部

(宿泊した部屋の内部、とても暖かく清潔でした)

部屋に通されると、古い建物にも関わらず暖房が効いていて、暖かかったです。僕達の部屋はバス、トイレが付いていない部屋ですが、付いている部屋もあるとの事。勿論、1階には男女別で浴場もあります(ただし、あまり大きくはありませんでした)。

 

木津屋旅館廊下

 (廊下の様子、日本建築ですね)

 

木津屋旅館階段

 (木のぬくもりが感じられて、とても落ち着く旅館です)

 

旅行好きなA先輩曰く、ここは2人以上でないと泊まれないとの事。但し、2人いれば、一人あたりの料金は5千円位で済むので、風情のないビジネスホテルに泊まるよりかは、ずっとお得との事でした(ちなみに予約もA先輩にしてもらいました)。

 

確かに、主計町茶屋に位置しており、目の前は浅野川が流れ、ひがし茶屋や、泉鏡花記念館や、徳田秋聲記念館が近くにある立地は非常に魅力的です。金沢の魅力が集積している、と言っても過言ではありません。

尚且つ、昔は茶屋であったので、宿泊場所さえも非日常的な旅行の雰囲気が味わえます。ここはオススメですね。

玄関先で、隣の建物にある居酒屋で出来上がった女性のグループにも会いました。
というか、玄関に宿泊者の履物が出されているのですが、意外と女性の靴が多かったです。僕は女性というのは、もっと近代的に整備された清潔なホテルのような場所を好むと勝手に思っていたのですが、きっとこの旅館の不思議な魅力に取り憑かれたのでしょうか?

じゃらん」の口コミもとても良く、高評価です。

じゃらんで木津屋旅館を検索してみる 

 

 

朝の木津屋旅館

 (早朝の木津屋旅館、佇まいが古めかしいながらも、凛としている)

 

さて、木津屋旅館に到着して、まだ、午後の8時過ぎ位だったので、A先輩と兼六園に歩いて行ってみる事にしました。10〜15分ほど歩くと、兼六園に着きましたが、真っ暗で閉まっているようでした。

 

仕方なく金沢城に行き、庭の方に廻ってみると、庭園がライトアップされていました。

金沢城庭園ライトアップ

これが、意外と美しくて魅入ってしまいました。ライトアップとか、そういうもので感動した経験は無いのですが、旅の効果でしょうか?時々刻々と色合いが変わっていき、とても綺麗なものに見えました。

金沢城公園・玉泉院丸庭園ライトアップ|金沢城公園

(玉泉院丸庭園というのだそうです。前田利常から始まる、歴代藩主の庭は明治期に廃絶されたとの事ですが、2015年3月に復元されたとの事です)

 

このライトアップは、あまり派手すぎないのが良いです。古きモノ(ここは復元だそうですが)、と新しきモノ(ライト)等の組み合わせは難しいと個人的には思っていますが、このライトアップは成功しているように思いました。
何故かふと、建築家のヘルツォーク&ド・ムーロンの作ったイギリスのテート・モダンミュージアムのような、ミニマルな「新しさ」と古き良き建物の見事な調和を思い出しました。

テート・モダン - Wikipedia

 

 

↑嘘です。上記のようなことは思っていませんでした。僕がライトアップを見ながら思っていたことは、

「なぜ、隣りにいる人が可愛い女の子ではなく、ムサ苦しいA先輩なのであろう???」

という事です。この時ばかりは自分のモテなさを呪いましたね。
今度来る時は絶対に可愛い女の子と来るからな!と心のなかで叫びましたね。

 

加賀梅酒を買って、宿で飲む

ライトアップは午後9時までなので、その後は宿に帰ることにしました。道なりに2つコンビニがあるのですが、ファミマの方に入り、A先輩オススメの「加賀梅酒」を買いました。

加賀梅酒

 (美味しかったので金沢を離れる時にお土産として購入しました)

 

宿に帰り、温かい風呂に入って、先程購入した加賀梅酒を飲みました。上記の写真の通り、「2013年ノーベル賞関連パーティで飲まれた唯一の梅酒」とあります。

僕はこういう謳い文句はどうでもよくって、ただ酒が飲めれば良い、と思っていたのですが、風呂上がりにこれを飲むと、口の中にじゅわっと濃く芳醇な梅の香りが広がり、甘さと、梅の酸っぱさが絶妙のバランスで、グイグイと飲んでしまいました。

これは普段、酒を飲みなれているアルコールに強い人にはオススメしません。爽やかで、かつ濃厚な「梅のジュース」を飲んでいるような感覚になり、アルコール度数が14度あるにも関わらず、どんどんと飲めてしまうからです。

小堀酒造店 萬歳楽 加賀梅酒 720ml

 

窓辺の腰掛けに二人して腰を下ろして、夜の浅野川を眺めながら、飲む梅酒。格別でした。ただ、A先輩ではなく、可愛い女の子が良かった、ただそれだけです…。

ちなみに、夜はA先輩のいびき、寝返りをうつ音、歯ぎしり等、全てがうるさく、何度か起こされました。朝になって、A先輩が「俺、うるさくなかった?よく言われるんだよね」と言ったので、「…うるさかったです」と答えました。

 

気を取り直して朝は再びひがし茶屋を散歩する

7時半位に宿の女将さんに声を掛けて、散歩に行ってきました。主計町茶屋からひがし茶屋まで、浅野川にかかる橋を渡ってすぐです。東京と違い、空気が澄んでいました。

木津屋旅館遠景

(ひがし茶屋方面から主計町茶屋の木津屋旅館を見る)

 

 

朝のひがし茶屋

(朝のひがし茶屋。この時間に行くのが静かで良い)

 

朝のひがし茶屋街は夜とはまた違った、爽やかな雰囲気でした。個人的には写真の道の奥に、丘のような部分があるのですが、あの場所に建物があるようですが、何があるのか気になりました(あとで調べてみたら、旅館とお寺があるようです)。

都市計画とかを少し学ぶと、街道などの道を高い山に向けて通したりすることを「山あて」などと言いますが、ここも小高い丘の上に昔は何かあったのかな?と勘ぐりたくなります。

 

ひがし茶屋のひとつの茶屋

(この茶屋は、内部に松の木があり、屋根を突き抜けているとの事!)

 

1日目の終わりに

2日めの朝まで書いてしまいましたが、金沢は空襲を免れたためもあり、昔ながらの情緒溢れる街でした。また、僕達が泊まった宿「木津屋旅館」はゆったりとした時間が流れており、まさに「当たり」でした。

今度来る時は絶対に可愛い女の子と2人でこの木津屋旅館に泊まる!という事を目標にして、金沢をあとにしました。

2日目は、「北陸周遊きっぷ」を使って、帰りに富山県の高岡と、富山に降り立ったのですが、その様子はまた今度書くことにします。

 

読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

追記:↓2日目に行った富山県の記事です。 

piano6789.hatenablog.com

 

 

Mac Book Pro 2016 Lateモデルに合うカバーケースを既製品で代用した話

最新のMac Book Pro (13inch Touch Bar搭載モデル 2016年10月27日発売)を買いました!届いたのは11/19だったので、約1ヶ月ですが、その間にカバーケースを買いました。本日はその「カバーケース」のレビューです(Mac Book Pro本体のレビューは他の人が沢山良い記事を書いてくれているので、もっと使い込んでからにしたいと思います)。

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外に持っていく時、カバーケースが無い事に気づいた

最新のマックブックプロが届いたので、「スタバでドヤ顔」をしよう!というリア充のノリではなく、人気のない近所のコメダで休日の朝にこそこそブログでも書こうか?と思い持っていこうとしたら…

 

カバーやケースが無い!

 

事に気づきました。今までは外に持っていくのはipad Air位で、簡易ケースをつけて持っていったのですが、これは表側(画面側)のみのケースで、裏側が傷だらけになっている事に気づき、カバーケースが無いとヤバイ、という事に気づきました。

そもそも、「ノートパソコンを外で使用する」という機会がここ数年ありませんでした。あっても昔持っていたMacBook Airを一年に一度、図書館あたりで使用する(似非執筆活動)位で、ネットのブラウジングとかはipad Airでまかなっていました。

それに僕はピアノを弾くので、ipadAirの楽譜アプリを非常に重宝していました。スタジオを借りる時に嵩張る楽譜を持っていく必要がなく、ipadひとつでまかなえるからです。

 

ブログを書き始めて、「ノートパソコンも外で使用したいなぁ」と思っていたのですが、新型のMac Book Pro用のカバーケースはアップル純正のもの(というより、アップルの公式サイトで紹介されているもの)は発売されていますが、いかんせん高いと思いました。デザイン的にもあまり食指が動かない。

なので、色々なネット通販、及び実店舗(ヨドバシカメラ等)を廻りましたが、未だ「Mac Book Pro 2016 Late対応」と銘を打っている、サードパーティの商品は発売されていないようです。

というか、あるにはあるのですが、パソコンを覆ってしまうプラシックのデザインのもの、所謂「カバー」のようなものが多く、僕の趣味にあいませんでした。
(あれって、よく分からないですが、パソコンを使用する時も付けたままなんですかね?)

僕は、布でできたような、出し入れの出来る、カバンの中にいれてもカバンの中にあるものからパソコンを守ってくれるようなカバーを探していました。

 

既製品ですが、ピッタリのものがありました

Mac BookPro Case

 

 

 

 

上記の商品が安かったので購入しました(追記:僕の買ったものはカラーがブラックだったようです。15inch用のケースもこのシリーズで存在します)。

「もしパソコンのサイズに合わなくても、安いからいいや。良いデザインのものがでるまでの『つなぎ』として使おう」

という理由で購入しました。13インチのAir及び旧型Pro用ですが、届いてみて恐る恐る新型MacBook Proを入れてみると、多少の遊びはあるものの、ピッタリといった感触でした。

MacBook Pro Case

ちょうど中に入れるとピッタリになる!

 

 

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収納してみたところ

 

使ってみた感想

まず、値段の割には肌触りがよく、クッションが効いています。しかしながらこれ単体だけで持ち歩くのは危険なのでカバン等に入れて使用するのが良いと思いました。

デザインもシンプルで色も主張のないグレイで良いと思いました。また周辺機器をいれる小さな小物入れもついています。当初、新しいカバーケースが出揃ってくるまでの「繋ぎ」として考えていましたがこのままでも良い気がしました。

 

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上の写真のように切れ込みが表と裏の両方にあって、ちょっとしたものを入れておくこともできます。

 

外でパソコンを使うのが楽しくなりました。今も外からブログを書いています。

これからもこのカバーケースにいれて持ち歩いて、大切にMac Book Proを使っていきたいと思います。

 

 

 

 

対人恐怖症とピアノを人前で演奏することについて

 

この前、社会人ピアノサークルに久しぶりに行ってきました。僕は完璧な幽霊部員で、半年か、一年に一度のペースでサークルに行くのですが、その度に周りの人々のピアノのうまさに圧倒されてしまいます。そして、いつも演奏するときに視野が狭くなり、思ったように音が出せず、無残な結果に終わります。

 

ピアノサークルの仕組みを簡単に説明しておくと、スタジオを貸し切りにして、全体時間を演奏する部員の人数で割り、その持ち時間で適当に弾いていくという仕組みです。

演奏中の私語はOKなのですが、凄い演奏の時は私語が少なくなったりします。基本的には「練習会」と銘を打っており、練習中の曲や、譜読み中の曲でも全然発表してOKです。初心者も大歓迎で、ピアノ音楽ならばクラシックではなくても、ジャズでもポップスでもアニソンでもゲーム音楽でもまらしぃ系でもなんでもOKです。

 

僕は今回、ショパンノクターン夜想曲8番 op.27–2)を譜面を見て弾いたのですが、まず、ピアノの前にいって、椅子を調節する段階で、既に緊張していました。

 

「ああ、みんなこっち見てる。注目されている、どうしよう?頭のてっぺんからつま先まで見られている、みんな期待しているかな?出落ちだけは避けなければ。さっき演奏した人のドビュッシーの「アナカプリの丘」すげーうまかったなぁ、あのレヴェルで弾かなければ!というか、みんなこっち見んな!」といった妄想をしてしまいました。

人前で緊張する人画像

たかだかピアノサークルの練習会で大げさな!と思う方もいらっしゃるとは思いますが、僕は承認欲求は強いとは思うのですが、極度の緊張症で対人恐怖症なのです。

 

なんとか演奏を始めたものの、ピアノからは普段より大きな音が出てきて、弾いている自分でもビックリしました。グランドピアノだったのですが、普段家では電子ピアノで練習をして、たまにピアノスタジオみたいなところを借りて練習をしていたのですが、あまりにも音をコントロールできなくて次第に視野が狭くなっていきました。

 

ショパンのこのノクターンは大変美しい曲のはずですが、僕の演奏は本来ならば伴奏に徹してあまり大きな音で弾いてはならない左手の音が馬鹿でかくなっていました。そして「表現」なんて言葉は二の次三の次。

 

バスト80、ウエスト80、ヒップ80のような、まるで丸太のような、最初から最後まで強弱をつける事が出来ない演奏でした。おまけに譜めくりする時に、普段であれば広い視野で弾きながらめくる事が出来るのですが、めくる度に止まってしまいました(これは一番いけない)。

 

ある自分で出した音は、音自体は合っているにも関わらず、普段と違う音に聴こえその事が瞬時の焦りにつながり、次のフレーズを間違えてしまい、ペダルも変なところで踏んだり離したり、最後はウナコルダ(弱音ペダル)を踏んだらピアノのタッチが微妙に変わってここでもミスする始末。

そして、当然ペダルを踏む足がガクガクと震えていました。
こんな演奏でしたので、次第に周りの私語が増えていきました。


弾き終えて挨拶をするも皆さんは温かく拍手をしてくれましたが、僕はその後1時間ぐらいはお腹が痛くてたまりませんでした。

 

 

自分のメンタルが弱いことは認識していましたが、まさかこんなにも弱いとは!加えて自分は「こっち見んな」とか「みんな聴かないで〜」とか思っている時点で、表現者、ピアノを弾く人として失格だと思いました。

というか、こういう思考回路は、人間としても失格のような気がするのです。

内気な人間とか気の弱い人間=優しい人
みたいな誤った固定概念がありますが、少なくとも僕の場合、勝手な妄想をして演奏中は他人を憎んでいるわけです。これはちょっと根が深い問題だと思いました。

 

これは何もピアノに限らず、カラオケでも僕は注目されるのが苦手です。人前でのスピーチも嫌いです。他人と他愛ない雑談をするという事でも、よっぽど慣れた人でないと不可能です。

その「場」を支配しているという感覚が、僕にとっては脳の容量オーバーな感じになります。

 

 

以下、対人恐怖症でも人前でピアノ演奏ができるようになるために、ここ数日自分で考えてみたことをまとめます。

 

その1.とにかく、練習する

これにつきると思います。練習すれば不安要素が減るのは確かです。しかしただ練習するのではなく、暗譜を意識して練習する、演奏が止まったとしてもどこからでも再開出来るように、頭の中に楽譜を叩き込んでおくことが重要だと思いました。

あとは、効率的に暗譜することにも繋がりますが、「曲の構造を理解する」「曲に対してイメージを持つ」という事が重要だと思います。

「この小節から変ニ長調から変ロ短調に変わる、だからこのアウフタクトの一音目は曲想が変わることを意識して気持ち一呼吸置いてから指を置く」とか、「ここは貴婦人にありあまる恋心を打ち明ける場面なので、フォルテで多少せき込むように」とか、「理論+イメージ」を最大限駆使して、曲を自分のものにしていく過程が必要に思います。

今までの自分はこのようなアナリーゼであるとか、意識的にイメージを持つことをしていませんでした。だから、音楽がすっからかんになり、人前で演奏する時に確固たる信念のある音が出せないために、アガってしまうのです。

 

その2.人前でたくさん演奏する

 人前でピアノを演奏することが上手くなるためには、やはり人前で演奏することが重要でしょう。ある意味当たり前ですが、意外とアマチュアのピアノ弾きの方々はここを蔑ろにしているのでは?と思いました。

僕の場合、過去のエントリでも書いた通り、現在ピアノを習っていない独学ですが、早いところピアノの先生に師事したい、と思っております。

はっきり言って、人前で演奏するのと、自宅の電子ピアノに向かって一人で黙々と演奏するのとでは天と地の開きがあるように思います。

緊張する性格であればあるほど、この人前演奏と一人演奏の「乖離」があると思いますが、この差を沢山人前で演奏することによって縮めていくのです。多分人前で沢山演奏することによって、普段の一人での練習のときにも「人前」を意識することが出来るようになり、いっそう集中して練習が出来るようになると思いました。

そういった意味では「ピアノサークル」で緊張しながらも演奏して少し挫折経験を味わう事は必要なのかもしれません。つまり、僕のピアノサークルでの演奏は「人前で演奏する練習の一環」と捉えれば、これを続けていくことで得られるものは大きいと思いました。

 

その3.メンタルトレーニングをする(マインドフルネス瞑想、呼吸法等)

今度は方向性を変えて、メンタルトレーニングをする、です。

人前で演奏する、スピーチをする等でアガってしまう人は「緊張していない」と思い込むことで寧ろ「緊張」がクローズアップされてしまい、「緊張」の悪循環に嵌っていく人が多いと思います。

確かに、「緊張」というものは適度に必要だと聞きますが、過度に緊張して今現在自分がやっていることが分からなくなるというのはNGの緊張の仕方だと思います。

google等でも取り入れているとされる「マインドフルネス瞑想」は、「自分の過去や未来を見つめるのではなく、雑念を受け流し、今現在を感じる」というコンセプトとのことです。

これも過去記事

 

piano6789.hatenablog.com

 

に一部書きましたが、「現在に集中する」ということは、人前でピアノを弾いている時に「ピアノを弾くことに集中する」ということであり、このマインドフルネス瞑想をやることは理にかなっている、と個人的に思いました。実際、眠れない夜などにこのマインドフルネス瞑想をすると、過去の失敗とか、未来の不安を受け流すことができ、よく眠れるようになりました。マインドフルネス瞑想は「集中力がつく」と謳っていますが、集中力がつけば、人前での演奏も「緊張」が気にならなくなると思います。

呼吸法を体得することも重要です。これはマインドフルネス瞑想でも呼吸法が重要なのと同じことです。

ピアニストのイーヴォ・ポゴレリチ(現在、来日していますね)が演奏するブラームス:3つの間奏曲、ラプソディ他

を聴いていたら、フレーズ毎に深く呼吸をしている音が入っていました。当時このアルバムが発売された時は僕も真似してピアノを弾いている時にわざわざ呼吸の音を出してみたりしていましたが、これは理にかなったことだったのですね。フレージング毎に呼吸を切り替えることで集中力が増すようです。

(余談ですが、このブラームスのCDはすごい遅い演奏にも関わらず、一音たりとも疎かにしない集中力が目に見える好演となっています)

 

おわりに

以上3つは自分で調べたり考えたりした「対人恐怖症の人間が人前でピアノを演奏できるようにする方法」ですが、これらの方法を試しつつ、本当に成果が出るかを検証していきたいと思います。
なにか新しい克服方法があったら、また記事を書きたいと思います。

読んでいただきありがとうございました!

 

 

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